エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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後日談《そうだ、京都に行こう(前編)》

 

~碇家~

 

 京都の市街地より少し離れた場所に、一件の屋敷があった。高い塀で周りを囲み、外部との接触を極力避けている様にも見える。

 そんな屋敷の中庭には、池の中を泳ぐ鯉たちにえさを与える、白髪の老人が居た。着物を着た小柄な老人は何処か浮かない顔で、口をぱくぱくとさせる鯉にえさを放り投げていた。

 やがてえさを与え終えると、男は中庭に面した縁側へ腰を下ろす。

「……あなた、今日は随分とご機嫌斜めですわね」

 スッと彼の背後から、お茶を乗せたお盆を持って老女がやってきた。気むずかしそうな老人に、穏やかな微笑みを浮かべる姿は、あの夫婦を連想させる。

「ふん。キールから連絡が来た。あの男の同席を認めるなら、三人はこちらに来る用意があるとな」

「あらあら、私にもですわ。それもユイとシイの二人から」

 何処か楽しげな様子の女性に、男は気に入らないと乱暴な手つきで湯飲みを奪い取る。

「冗談じゃ無い。あの男にはわしが死ぬまで、決してこの家の敷居をまたがせるものか」

「碇ゲンドウさん……」

「六分儀だ! あんな男に碇を名乗る事を許した覚えは無い!!」

 激高して叫ぶ男。だが女性は慣れているのか、全く動じずに自身もお茶をすする。隣に座る二人だったが、両者の温度差は大きかった。

 

「ユイが選んだ殿方です。碇を名乗るのは当然ですわ」

「騙されたのだ、ユイは。でなければユイが……わしの可愛いユイがあんな男の妻になど……」

 今度は一転して、男はガックリと肩を落として意気消沈する。

「でも二人が結ばれたからこそ、シイが生まれたのですよ?」

「シイ……。だがあの男はその宝物すら、わしらの手から奪っていった」

「雛は親元で育つもの。あの子も巣箱に戻っただけですわ」

「ユイを! 妻を殺したあの男に、親を名乗る資格は無い!!」

 男は再び感情を高ぶらせ、立ち上がりざまに手にした湯飲みを叩き付ける。陶器が割れる音と共に破片が飛び散るが、それでも女性は表情一つ変えない。

 同意も反論も、説教も同情も無く、ただ平然とお茶をすする女性の姿に、男は自らを省みて謝罪する。

「……すまん。ちと頭に血が上りすぎた」

「片付けをご自分でなさってくれれば構いませんわ」

 男は小さく頷くと、再び縁側に腰を下ろす。

 

「で、何があったんだ?」

「あら、突然どうしました?」

「ふん。長い付き合いだ。お前が何も無く、この話を切り出すとは思っておらん」

 不機嫌だと尋ねた女性だったが、そもそも男が上機嫌だった事などここしばらく無い。それをわざわざ尋ねたのは、この件で話があるのだろうと男は理解していた。

「うふふ、ええ。実は先日、シイからこれが送られてきましたの」

「手紙?」

 男は女性から封筒を受け取ると、中から便せんを取り出す。年頃の娘に相応しい可愛らしいそれに、僅かに頬を緩めながら手紙を読み進める。

 

『前略。時下ますますご健勝のほどお喜び申し上げます。

 お久しぶりです、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん。シイです。

 なかなかお会い出来ませんが、元気でしょうか?

 私は元気です。お父さんとお母さん、それにレイさんと一緒に、毎日楽しく暮らしてます。

 

 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、お父さんの事が嫌いですか?

 私は大好きです。お母さんもレイさんも、みんなお父さんの事が大好きなんです。

 そして私は、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの事も大好きです。

 だから……喧嘩してると凄い悲しくなります。

 

 お父さんは、お祖父ちゃん達と仲直りがしたいと思ってます。

 私も同じ気持ちです。好きな人達が喧嘩してるのは、とっても辛いので。

 優しいお祖父ちゃん達がお父さんを怒ってるのは、何か理由があるんですよね?

 だから、私が仲直りしてって……簡単に言っちゃ駄目だって分かってます。

 でもせめて、お父さんと直接会って、お話して下さい。

 逃げないで、正面からお互いの気持ちを話し合って下さい。

 

 話し合いは人間の生み出した文化だって、友達が教えてくれました。

 もしかしたら傷つくかもしれないけど、前に進むことは出来ます。

 どんな結果になっても、本気で頑張ったら後悔しない。

 だから……逃げないで受け止めて下さい。

 お願いします。

 

 私の大好きなイサオお祖父ちゃん、メイお祖母ちゃんへ

 碇シイより』

 

 封筒の中には手紙の他にもう一つ、一枚の写真が同封されていた。真ん中に並ぶ二人の少女と、その肩に手を乗せて穏やかな微笑みを浮かべる夫婦。

 幸せに満ちあふれた家族写真を手にしたイサオは、暫し無言で肩を震わせる。そんな夫の姿を、メイはやはり何も言わずに、しかし少しだけ微笑みを浮かべながら見守った。

 

「……メイ」

「はい、あなた」

「シイが来たら、手紙の書き方くらい教えておけ。前略の使い方に結びの言葉、文章の書き方もなっていない。それにくせ字も酷いな」

 捻くれた言い回しをするイサオに、メイは呆れながらも微笑んで頷く。シイがここに来る条件であるゲンドウの同行を、彼が認めたのだから。

「ユイは綺麗になったな……母親になったからか」

「それもありますし、今でもゲンドウさんに恋をしているのでしょう」

 幸せそうにシイの肩に手を添えて微笑むユイに、二人は昔を懐かしむように頬を緩めた。

「……シイも少し大人になったな。だがやはり変わらん」

「ええ。あの子の笑顔は、周りの人も巻き込む魔法ですから」

 満面の笑顔でピースサインをするシイからは、今彼女がどれだけ幸せなのかがハッキリ伝わってきた。

「この子が……レイか」

「ええ。ユイの遺伝情報を元に造られた少女。戸籍上は養女となってますわ」

「ユイとシイに家族と認められたのなら、レイも碇の娘だ。生まれなど問題では無い」

 その理屈ならゲンドウも、と思うのだが、過去の因縁は彼を意固地にしているのだろう。ただ少なくともイサオは、レイを碇家の一員として素直に迎え入れていた。

 

「そして……」

「あらあら、ゲンドウさんったら立派なお髭」

「身だしなみも整えられんのか。それに人相も悪い。やはりろくな男では無い」

 途端厳しく叱責するイサオだったが、それでも大きな進歩だった。今までの彼はゲンドウと向き合う事をせず、酷い男としか見ていなかった。だが今は、彼個人について文句を口にしている。

 好意の反対は無関心。そう言った意味では、まだ両者が和解する可能性は残っているかもしれない。

 

「何時になさいます?」

「任せる。どうせ暇な身だ、せめてあちらの都合に合わせてやるさ」

「分かりました。ではお返事をして、日にちが決まったらお伝えしますわ」

 静かにその場を離れていくメイ。彼女が完全に立ち去ったのを確認してから、イサオは再び写真と手紙を手に取る。

「……六分儀ゲンドウ、か」

 かつて自分達の大切な宝物であるユイを奪い去った男。ユイを殺した男。唯一残されたシイすらも、再び奪い取った男。憎んでも憎みきれない男。

 だが……ユイとシイが愛し、ユイとシイを愛した男。永遠を望んだ娘を救い出した男。娘と孫が幸せで居るためには必要不可欠な男。レイと言う新たな家族を産みだした男。

 イサオにとってゲンドウは、負と正の両面を持った男だった。

(分かっている。ユイがこいつを本当に愛していた事も、あれはユイが自らの意思で起こした事故だとも、人類を守る為にシイが必要だと言う事も……分かっている)

 碇家の当主を務める男が馬鹿な筈が無い。ゲンドウへ抱いている負の感情のほとんどが、ある意味で八つ当たりなのも理解している。

 だが頭で分かっていても、心で納得出来ない事もある。

 

「頃合いだったのかもしれん。……孫に諭されるとは思わなんだが」

 再び中庭へと降り立ったイサオには、世界が少しだけ明るく見えた。ユイを失って、シイを失ってからずっと陰っていた世界に、一筋の希望が差し込むように。

「良かろうシイ。会おうではないか。だがもし奴が下らぬ男なら……覚悟は出来ているな」

 不意にイサオの纏う空気が変わる。好々爺の様な風体からは想像出来ない、冷たい空気が辺りを包む。半分隠居の身とは言え、世界経済に大きな影響力を持ち、ゼーレの協力者である男の、もう一つの姿。

 碇ゲンドウが彼の眼鏡にかなわなければ……最悪の結末が待っているだろう。

 

 イサオが指を軽く鳴らすと、草木の影から黒服の男がそっと姿を現す。

「キールに伝えろ。『我が友よ、協力に感謝を。わしも覚悟を決める』とな」

「畏まりました。……当主様、縁側の片付けも行いましょうか?」

「それは……ふん、わしがやる」

 一礼して再び姿を消す黒服を見送ると、イサオは箒とチリトリを取りに、屋敷の中へと入っていくのだった。

 

 




そうだ、京都に行こう編スタートです。

え~碇イサオと碇メイは、完全なオリジナルです。ゲンドウとユイの二人を、ちょっと違うベクトルで強化したイメージで描いています。
今後メインで登場する訳ではありませんが、オリキャラのタグを入れた方が良いんでしょうか? むぅ、微妙だ。

芦ノ湖に沈むゲンドウは書きたくないので、気合いを入れてハッピーエンド目指します。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。


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