~発端~
加持夫妻の結婚式が終わって数日が過ぎたある日、ミサトはゼーゲンの司令室に姿を見せた。ゲンドウ、冬月、ユイと向き合う彼女が差し出したのは、退職届であった。
「一身上の都合により、明日0時を持って、ゼーゲンを退職させて頂きます」
「うむ。手続き一切は全て完了しているよ。……今までご苦労だったね」
組織の事務面を取り仕切っている冬月は、退職届を受け取りながら労いの言葉をかける。ネルフの作戦本部長と言う大任を、良く果たしてくれたと言うのが素直な気持ちであった。
「シイの事も含めて、貴方には本当に感謝してますわ。ありがとうございます」
「いや~。シイちゃんにも迷惑かけっぱなしで……」
「これからは専業主婦に?」
「はい。まだまだ未熟ですけど、少しでもリョウジのサポートを出来ればと」
微笑みながら答えるミサトからは、一皮むけた大人の余裕が感じられた。愛する人と添い遂げる覚悟を決めた事で、色々なものが吹っ切れたのだろう。
「……葛城三佐。いや、失礼。加持三佐」
「はい」
「これまでの君の功績に、感謝と賞賛を贈りたい」
ゲンドウは椅子から立ち上がると、深々とお辞儀をする。司令であるゲンドウが、部下のミサトに行うには不適当な行動かもしれない。だがそれでもゲンドウは、目の前の女性に感謝を表さずにいられなかった。
「司令……お言葉、ありがたく頂戴します」
そんなゲンドウに、ミサトも最敬礼で思いを伝える。
「夫を支え、そして子供を産み育てる。これからも君の戦いは続くだろう。健闘を祈る」
「はい。ありがとうございます」
こうしてミサトは人生の戦いのステージを、ゼーゲンから家庭へと移行するのだった。
「さて、退職は明日の0時で受け付けたが……本部のパスは今週一杯まで使えるようにしておこう」
「荷物の整理と業務の引き継ぎは終わっていますが?」
猶予期間は不要だが、とミサトは冬月に答える。
「実は今週の土曜日にシイの誕生会があるの」
「ええ知ってますよ。ちゃんとプレゼントも買ってありますから。でもそれが何か関係が?」
「うむ。少々厄介な事になっていてな。彼女のパーティーは本部で行う事になったのだよ」
冬月の言葉にミサトは目を丸くする。確かにゼーゲン本部には先のパーティーで使ったような、大きなホールが存在する。だがそれを個人の誕生会で使用するなど、いくらシイとは言え考えづらかった。
「……最初は家で行う予定だった」
「ですよね」
「だが、ゼーゲンの職員達から……不満の声が上がってね」
「それはつまり、シイちゃんの誕生会に参加させろ、と?」
ミサトの確認に冬月は困り顔で頷く。彼にしてもこの事態は予想外だったのだろう。
「家ではそれ程多くの人を受け入れられないので、特例として本部を使う事にしましたわ」
「はぁ……流石はシイちゃんと言いますか」
「まあそんな訳で、パーティーの日まで君のパスは残しておくことにした」
ゼーゲンに移行したネルフだったが、まだ世間に公表していない機密情報や独占技術が山ほどある。部外者も申請さえすれば入館可能だが、それがまた非常に面倒な手続きを必要とした。
「難しく考えず、パーティーの招待状と思って下さい」
「そう言う事でしたら」
ミサトは手にしたIDカードを軽く見つめて、再びポケットにしまい込むのだった。
~敬老会~
「碇シイ。我らに人類の希望を説いた少女」
「我らのシナリオを破り、新たなシナリオを紡ぐ希望の象徴」
「だが、彼女はこれまでまともに誕生日を祝われた事が無いと聞く」
「祝わねばなるまい。我らの手で」
「約束の日……六月六日に」
「それまでプレゼントを揃えねばならぬ。……ゼーレの総力を結集してな」
~ゼーゲン職員達~
ゼーゲン本部第一発令所では、通常業務を大急ぎで終えたスタッフ達が、シイの誕生会に向けての準備を進めていた。
「整備班より、会場の装飾は何時から可能かとの確認が来てます」
「14:00からだ。それまでに通常業務を終わらせ、作業に備えろと伝えろ」
「了解」
「ネルフの他支部より、後何人参加出来るのかとの問い合わせが殺到してます」
「各支部五人までだ。プレゼントは事前に輸送させろ」
「はい」
「ゼーゲン特別審議室(旧ゼーレ)から、プレゼントは何トンまで持ち込み可能かと――」
「常識の範囲内にしろと言っておけ!」
「りょ、了解」
誕生会幹事の冬月は絶え間ない問い合わせの嵐に、頭痛を堪えるように頭をさする。優秀な事務処理能力を持つ冬月だったが、今回の誕生会は彼の想像を遙かに超える規模へと膨らんでいた。
(赤木君達が居なければ、とっくに倒れているな)
共同幹事のリツコとナオコ、時田も明日に迫った誕生会を無事執り行う為、忙しなく駆け回っている。だがそれでも追いつかない程、シイの誕生日へ向けられる期待は大きかった。
「副司令。搬入されたプレゼントが、用意していた第一格納庫に入りきりません」
「馬鹿な! ……ええい、第二、第三格納庫を開放。少しでも良い、スペースを稼げ」
「了解」
大きく深呼吸をして、冬月はどうにか平常心を保とうとする。ファンクラブの会長として、シイの人気は誰よりも知っているつもりだったのだが、事は彼の予想を遙かに超えていた。
『副司令』
「加持君か。何かあったのかね?」
『ええ。日本政府の高官が数名、誕生会に参加したいと』
「……五人までだ」
加持からの通信に、冬月は疲れ切った声で答えるのだった。
~そんな事はつゆ知らず~
第一中学校の教室では、シイがケンスケとヒカリに本部の入館許可証を手渡していた。
「はい、これで本部に入れるよ」
「ありがとうシイちゃん」
「おぉぉ、こ、これがゼーゲンのパス。……写真撮っても良いかな?」
職員が持つIDパスとは違う、白地に名前と顔写真が着いただけの臨時カードだったが、それでもケンスケにとっては宝物に見えるのだろう。
事実一般人がこれを貰うには、相当な理由と長い月日が必要なのだから。
「ふふ、問題無いと思うよ」
「そんなカードで喜ぶなんて、ホント馬鹿ね」
呆れるアスカだったが、彼女にもケンスケの気持ちが少しだけ理解出来る。この中で誰よりもエヴァとネルフに憧れ、しかし最後まで直接関わることが出来なかった。
だが今回はシイの誕生会に参加する為とは言え、本部へ立ち入ると言う望みが遂に叶うのだから。
「にしても、本部でやるって聞いた時は、ホンマ驚いたで」
「私も驚いたけど、リツコさん達も参加してくれるって言ってくれて」
「……家では狭すぎるもの」
この時点でシイ達は、詳しい話を聞いていなかった。なので精々顔見知りの職員達が、数名参加してくれるのだと思っていた。実際には参加者が百名を超える、大規模なパーティーに変貌しているのだが。
「ところでシイさん。君は何か欲しい物があったりするかい?」
「何よあんた。まだプレゼント買ってないの?」
「二つに絞ってはいるんだけどね。やはり喜ばれる物を贈りたいだろ」
「ありがとう。でも前に言ったけど、本当に何でも嬉しいの。だって今まで誕生日なんて……」
すると今まで笑顔だったシイの表情が陰る。
「……祝って貰えなかったの?」
「ううん。ちゃんとおめでとうって言ってくれたよ。でも私の誕生日が来ると、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、お父さんとお母さんの事を思い出しちゃうみたいで」
碇家の祖父母はシイを溺愛していた。当然誕生日を祝いたかったのだろうが、ユイを奪ったゲンドウへの憎しみが邪魔をしてしまい、素直にシイを祝福出来なかった。
シイに全く非は無いのだが、結果として食事が豪華になる以外は普段通りの、ケーキやプレゼントと無縁の誕生日を、十年近く送ることになった。
「話には聞いてたけど、あんたんとこの人達は、相当司令の事を恨んでるのね」
「うん。この間お祖母ちゃんから、お母さんとレイさんと一緒に、顔を見せに来いって言われたけど」
「……司令は絶対に家に入れないって」
碇家からすれば、ゲンドウはユイを殺した張本人。それはユイがサルベージされた今も変わっていなかった。意固地になっている面もあるのだろう。
「そらまた、えらい難儀な話やな」
「お母さんは怒っちゃって、お父さんと一緒じゃなきゃ絶対に行かないって」
ユイにとって、ゲンドウは愛すべき夫だ。レイを養女にした事と、自分のサルベージの報告をしたくとも、夫を否定されて黙って居られる訳が無い。
両者の関係は、修復不能に近いほど拗れてしまっていた。
「部外者が口を挟める問題では無いけど、一つだけ言わせて欲しい」
「カヲル君?」
「シイさんはどうしたいんだい?」
赤い瞳で真っ直ぐ見つめられ、シイは暫しの間自分の気持ちを確かめる。
「私は……やっぱりお父さん達とお祖父ちゃん達に、仲良くして欲しい」
「ふふ、ならそうなるように努力すれば良い。大切なのはその人が何をしたいのか、だからね」
「……無責任」
「かも知れないけど、何もしないで後悔するシイさんの姿を、僕は見たく無いのさ」
人は自分の選んだ道を後悔ない為に、精一杯生きる。例えそれが間違った選択でも、自分で選び全力を尽くした結果ならば、受け入れる事が出来るだろう。
それは以前、シイが悩めるカヲルに向けて言った言葉。シイが使徒とゼーレとの対決の中で、自分の支えとしていた信念だった。
「……ありがとうカヲル君。何が出来るか分からないけど、私なりに頑張ってみる」
「ふふ、それで良い」
瞳に決意の色を宿したシイに、カヲルは心底嬉しそうに微笑む。決して絶望せずに前を見続ける事、それが彼が好意を抱く碇シイの本質であり魅力だった。
「へぇ~あんたにしちゃ、まともな事言うのね」
「だね。渚ってこう言う事に、あんまり口出ししないタイプだと思ってたよ」
「ちょっと意外かも」
褒めているのか微妙な言葉を、アスカ達は口々にカヲルに向ける。
「まあ、本来は部外者が口出す事でも無いけど……あながち無関係でも無いからね」
「どう言う事や?」
「将来的には、僕も碇カヲルにぃぃぃぃ」
背後に忍び寄ったレイに思い切り手首を捻られて、カヲルは苦痛に表情を歪める。誕生日の一件以来、比較的カヲルへの制裁が甘くなったレイだが、シイに関しては見逃してくれないらしい。
「れ、レイさん。駄目だよ」
「……不穏分子の殲滅が、私の使命だから」
「でも、カヲル君何も悪いことしてないし……」
「……未然に防ぐ事が大切なの」
(い、碇家か……一度キールに話をしておこうかな。……これをどうにかした後に)
カヲルは痛みに耐えながら、何とかシイの助けになれないかと思考を続けるのだった。
~一抹の不安~
誕生会前日の夜、加持は疲れ切った様子で家へと帰ってきた。
「お帰り。随分と忙しかったみたいね」
「ああ。明日は重要人物がこぞって本部に来るからな、警備計画で相当揉めたよ」
日本政府の高官だけでなく、各国の要人達も誕生会への参加を求めてきていた。万が一何かが起これば、ゼーゲンの責任問題になるだろう。
保安諜報部と警備隊には、万全の警備態勢が求められていたのだ。
「お疲れ様。それにしても、シイちゃんの人気を改めて思い知らされるわね」
「……ま、一部の人間は素直に祝いに来るんじゃ無いだろう」
シャツを脱いで部屋着に着替える加持は、少し不機嫌そうに呟いた。
「彼女がゼーゲンの次期総司令になるって事は、ほとんどの人間が知ってるからな」
「コネ作りって訳?」
「ああ。そして実質ゼーゲンを纏めている碇本部司令にも、良い印象を与えたいんだろうさ」
勿論純粋にシイを祝いたいと言う人間が大多数だろう。だが一部には加持の言うとおり、ゼーゲンと深い繋がりを持ちたいと考える者達が、下心を出して参加するのも確かだ。
政治の世界では当たり前の事だろうが、ミサトは不快感を隠せない。
「シイちゃんを大人の都合に巻き込むのは、ちょっち嫌ね」
「遅かれ早かれ、彼女はそう言う世界に足を踏み入れるさ。それに悪いことばかりじゃ無い」
「どう言う事?」
「直接彼女と触れ合った彼らがどうなるか、見物だと思わないか?」
加持の言葉の意図を察し、ミサトは苦笑を浮かべる。シイにはユイ譲りの人を惹き付ける魅力があり、それは老若男女を問わない。あのゼーレですら、シイには骨抜きにされてしまったのだから。
取り込むつもりが、取り込まれていたと言う事も十分あり得るだろう。
「そんな訳だから、そっちの方はさほど心配いらないさ」
「そ~ね。って、他に何か心配事があるの?」
「……シイさんの個人データ、簡単なプロフィールは参加者のほとんどが入手してるからな」
「大した情報なんて載ってないわよ?」
「杞憂で終わってくれれば良いんだが……」
加持が何を心配しているのか分からず、ミサトはただ首を傾げる事しか出来なかった。
夜は更け朝日が昇り、約束の時はやってきた。
遂にシイの誕生日がやってきました。……後日談をこれだけやって、まだ四ヶ月弱しか時間が流れていないことに、自分でも驚いています。
とんでもない事になりつつあるシイの誕生日。
果たして彼女は無事、十五才を迎える為の試練に打ち勝てるのか?
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。