~人類の母~
ゼーゲン本部の地下深くに存在するターミナルドグマ。その最深部に巨大な十字架に貼り付けにされた、白い巨人が居た。ゼーレの紋章が刻まれた仮面をつけ、両手の平を杭で、胸を赤い槍で突き刺された姿は、罪人を連想させる。
巨人に下半身は無く、球根の様に枝分かれした組織が、腹部から幾多にも伸びていた。
「第二使徒リリス。いや、使徒と言うのは些か不敬かもしれんな」
「ああ。我々人類の母たる存在。このジオフロント……黒き月の主だ」
冬月とゲンドウは、巨人を見上げながら言葉を交わす。
「しかしこれから先、私達が進む未来には危険な存在、か」
「子はやがて親から巣立つ。人類もその時を迎えただけだ」
二人の視線を受けたリリスは物言うこと無く、十字架に貼り付けにされたまま動かない。動くはずが無い。ここにいる彼女は抜け殻なのだから。
「処理はどうする?」
「……検討中だ。ゼーレもこの件に関しては、特に神経質になっているからな」
「それも当然か」
「ああ。結論が出るまでここは完全閉鎖。一切の出入りを禁止する」
ゲンドウの言葉に冬月は納得したように頷く。せっかく死海文書の、神のシナリオの外へと踏み出したのだ。それをサードインパクトで台無しにするわけには行かない。
「……そろそろ行くか。他にも問題は山積みだ」
「分かっている。我々大人が残した問題を、子供に任せるつもりは無い」
二人はリリスに背を向けると、並んでターミナルドグマを後にした。
第一中学校の屋上、そこではシイ達がいつものように昼食を食べていた。中学三年になっても、七人の少年少女達は何一つ変わらず、学生生活をエンジョイしている。
「こない良い天気やのに、憂鬱やな」
「そりゃ日頃の行いが悪いからだよ。って、これは前にも言ったと思うけど」
ヒカリお手製の弁当を食べながら、渋い顔で空を仰ぐトウジに、ケンスケが鋭い突っ込みを入れる。
「ほ~。ならお前は全然平気やっちゅうんか?」
「これも前に言ったけど、僕はそれなりの成績を取ってるからね」
「結局、あんたが馬鹿ってのが原因よ」
ケンスケとアスカの手厳しい言葉に、トウジは反論できずにぶーたれてしまう。彼が頭を悩ませて居るのは、来週行われる三者面談だった。
「先生の話は聞き流していたけど、三者面談とはどんなイベントなんだい?」
「えっとね……先生と私達と保護者の人の三人で、将来について相談するの」
「特に私達は受験生だから、成績の話が多くなると思うわ」
シイとヒカリの説明に、カヲルは成る程と頷く。確かにそれならばトウジが嫌がる理由も、それ以外の面々があまり問題視していないのも理解出来る。
「ふふ、リリンの文化は面白いね」
「面白無い!」
「あはは……私も来てくれるのは嬉しいけど、成績の話はちょっと」
この七人の中で、トウジと並んで成績の悪いシイは、苦笑いでトウジに同意する。勉強時間が以前よりも確保出来たため、僅かながら盛り返しているのだが、まだ先行きは暗かった。
「てか、あんたの場合は洒落になんないんだから、マジで気合い入れなさいよ」
「う、うん。分かってるんだけど」
「何なら僕が家庭教師をしようか? 手取り足取り教えてあげるよ」
「……必要無いわ」
黙々とお弁当を食べていたレイが、完食と同時にカヲルを制する。
「……シイさんには私が勉強を教えているもの」
「ふふ、より優秀な教師役を務める自信はあるさ」
レイとカヲル、二対の赤い瞳が激しい火花を散らし合う。どちらも成績優秀な優等生であるが、テストの結果だけを見れば、僅かにカヲルがリードしていた。
言外に自分の方が優秀だと告げるカヲルを、レイは忌々しげに睨み付ける。
「まあまあ。二人とも甲乙つけがたいって事で」
「ドングリの背比べね。ま、どっちかって言うなら、レイの方が良いんじゃ無い?」
「へぇ、聞き捨てならないね」
「だってあんた、余計な事まで教えそうだし」
ジト目でカヲルを見据えるアスカに、トウジ達はつい納得してしまう。人を疑わないシイに、カヲルが教師役を務めるのは色々な意味で危険だ。
「やれやれ、酷い言われようだね」
「……自業自得」
散々言葉巧みにシイへアプローチをかけていたカヲル。一度ついたイメージと言うのは、そう簡単に消し去る事は出来なかった。
「そーいや、渚はどないするんや?」
「ん? ああ、三者面談の事だね」
トウジの言葉に一瞬考え、カヲルは彼の言葉の意図を察する。
「書類上だけど保護者役は居るからね、ご足労願うとしよう」
「あんたの保護者って、ゼーゲンの誰かなの?」
「そうだね……ゼーゲンの一員には、間違い無いかな」
碇家に引き取られる前のレイは、リツコが保護者役を務めていた。ならばカヲルも、レイと同じ様な対応をするのだろう。
「アスカはお母さんが来るの?」
「モチよ。ママったら張り切っちゃって……大丈夫かしら」
「惣流のお母さんか。やっぱ美人なのか?」
この中で一人キョウコと会っていないケンスケは、興味深げに尋ねた。
「あったり前でしょ。なんたって、あたしのママなんだから」
「ふふ、まあ彼女がリリンで言う美人の部類に入るのは、僕も認めるけどね」
「……そうね」
キョウコは文句なしに美人なのだが、慰安旅行などで彼女に直接被害を受けた面々は、何とも言えぬ微妙な笑みを浮かべている。
彼女が学校に来て、何のトラブルも起きないはずが無いと、誰もが思っていたのだ。
「ま、良い機会だし、あんたとシイはしっかり説教される事ね」
「そない言い方あらへんやろ」
「あんた馬鹿ぁ? 今のままだったら、ヒカリと同じ高校に行けないわよ」
アスカにビシッと指を刺され、トウジは思わず言葉に詰まる。第三新東京市には高校が少なく、必然的にここに居る面々は同じ高校に進学するだろう。
決して難関校では無いのだが、今の自分には厳しいとトウジにも分かっていたからだ。
「そ、そやな。……ヒカリ、わしに勉強を教えてくれ」
「勿論よ。一緒に頑張ろ」
((ごちそうさま))
すっかり惚気ムードに入った二人に、アスカ達は苦笑を浮かべるのだった。
~碇レイの三者面談~
授業が午前中で終わり、生徒達が居なくなった三年A組の教室に、三人の人影があった。担任の老教師、碇レイ、そして……サングラスをかけた髭面の男、碇ゲンドウだ。
「ふむ、碇さんのお父さんですか」
「はい。レイは養女ですが、シイと変わらぬ愛情を持って育てております」
「いやいや、ゼーゲンの司令がお忙しい中いらしたのです。それは十分分かってますよ」
ゲンドウの迫力にも全く動じず、老教師は穏やかな微笑みで答える。
「それで先生。うちのレイはどうですか?」
「学業に関しては何も問題ありません。非常に優秀な成績です」
「……良くやったな、レイ」
「……はい」
娘を褒められたゲンドウは、口元に笑みを作りながらレイの頭を撫でた。
ネルフの関係で欠席や早退が多かったレイだが、それらはネルフの権限で出席扱いになっていた。更に碇家に引き取られてからは、それらは激減しており、正しく模範的な生徒と言えるだろう。
老教師の報告を聞き終えた頃には、もうゲンドウの頬は緩みっぱなしだった。
「それで今後の進路ですが……何か考えていますか?」
「進路?」
「ええ。碇さんほど優秀ならば、京大付属などの難関校も狙えると思いますよ」
「……シイさんと同じ高校に行きます」
即答するレイに、ゲンドウは苦笑しながらも頷いて見せた。かつて自分が人形同然に扱った少女が、自らの意思で道を選んだ。確かな成長を感じたゲンドウは、彼女の意思を尊重する。
「レイのやりたい様にさせます」
「まあ、それが良いでしょう。……しかし彼女と同じ高校ですか」
表情を曇らせる老教師に、ゲンドウとレイは首を傾げる。
「何か問題が?」
「彼女の志望校は、第三新東京市第一高校ですが……今から頑張ってもギリギリのラインです」
「「…………」」
暫しの沈黙が、三人の間に流れた。
「まあ真面目な生徒ですから、何とかなるでしょう。……碇は第一高校志望だね?」
「……はい」
「ではこれで面談を終わります。お忙しい中ありがとうございました」
「ああ、問題な……ありません」
いつもの癖で返事をしそうになったゲンドウは、慌てて丁寧語で返事をすると、レイと共に教室を後にするのだった。
「……司令。どうしてここに?」
「ふっ。ユイに駄々をこねて、無理矢理参加させて貰った」
ゲンドウはサングラスを直しながら、情けないことを堂々と言ってのける。面談を終えて廊下を並んで歩く二人の姿は、事情を知らなければ親子には見えないだろう。
「ユイの方が良かったか?」
「……いえ。司令は私の父親ですから」
レイを生み出したのは、碇ゲンドウ。目的はともかくとして、その事実だけは揺るがない。
「父親と……思ってくれるか」
「……はい」
「そうか。ならばレイ、私の事をお父さんと――」
「ふふ、お義父さん」
不意に背後から聞こえた声に、ゲンドウとレイは同時に振り返る。そこには愉快そうな笑みを浮かべている、カヲルの姿があった。
「……何故ここに居るの?」
「次は僕の番だからね。居てもおかしく無いさ」
「そう言えばお前の保護者は……」
「私だ」
ゲンドウの疑問に答える形で、廊下の角からすっと一人の老人が姿を現す。バイザーを着けた独特の風体は、見まごうはずも無いキール・ローレンツだった。
「き、キール議長!?」
「何を驚く。君がレイを生み出した様に、我らもまたカヲルを生み出した。それだけだ」
「……良いの?」
「まあ、大した問題では無いからね」
かつては造物主を気取ったゼーレとカヲルは離別した。だが転入手続きなどは全てキールの名義で行われており、あの騒動の後に一応の和解をしていた為、カヲルにしてみれば特に問題は無いと認識していた。
「キール議長。貴方はお忙しいのでは?」
「仕事は他の議員に任せてきた」
「またですか……。この間の時も、あの方々は不満だった様ですが」
「良い。全てはこれで良い」
ゲンドウの言葉を右から左に流し、キールは満足げに頷きながら教室へと入っていった。
「……呆けたの?」
「どうだろうね。リリンにしては、相当長い時を生きているから」
「カヲル。何をしている。先生がお待ちだぞ」
「はいはい。ではお爺さんが呼んでいるのでこれで」
教室から顔を覗かせるキールに苦笑しながら、カヲルも三年A組へと姿を消すのだった。
~アスカの三者面談~
「え~長いこと教師をやっておりますが……校内で迷子になった方は初めてです」
「アスカちゃん。ママ褒められちゃったわ」
「……褒めてないってか、寧ろ馬鹿にされてるの」
脳天気に笑うキョウコに、アスカは疲れたようにため息をついた。まさか母親が校内で迷い、校内放送で呼び出されるとは思っていなかった。
友人達が先に面談を終え、校内に居なかった事だけが幸いだろう。
「先生。早く始めて早く終わって下さい。長引けば……」
「ふむ、そうだね」
アスカの意図を察して老教師は手早く面談を行う。元々学卒のアスカに成績面で問題がある訳も無く、また外面も良いために彼女の評判は、まさに優等生そのものだった。
娘をべた褒めされたキョウコは、女神の様な微笑みを浮かべながらアスカを抱きしめる。
「も~アスカちゃんったら。良い子良い子」
「止めてよママ。先生が見てるってば」
「気にしなくて良い。私は見てるだけだから」
「それが問題だって~の!」
マイペースな大人達に、すっかり自分のペースを乱されたアスカだった。
~碇シイの三者面談~
「碇さんですが……やはり欠席と早退が響いたのか、成績は芳しくありません」
「うぅぅ、ごめんなさい」
「それに関しては、私達両親の責任ですわ。反省しております」
「ただ二年生の三学期からは、少し盛り返してますね。これを維持出来れば、高校合格も見えてきます」
「はい。これからもご鞭撻をよろしくお願いします」
「お願いします」
スーツ姿のユイとシイは深々と老教師に頭を下げる。
「学校生活は問題ありません。友人も多く、いつも生徒達の中心に居ますよ」
「ふふ、それを聞いて安心しましたわ」
「特に妹さんと渚君とはいつも一緒で――」
「あら」
老教師の言葉を聞いた瞬間、ユイの眉がピクリと動く。自分の目が届かない学校で、やはりあの狼はシイに接近していたのかと。
「そうなの、シイ?」
「うん。アスカとかヒカリちゃん達も一緒だけど、レイさんとカヲル君は一番一緒に居るかも」
「まるで仲の良い兄妹みたいですよ」
実際には異父兄妹に近い関係だが、当然老教師がそれを知るはずが無い。カヲルの外見はシイと特に似ている訳でも無いので、そう思わせる雰囲気があるのだろう。
「兄妹でしたら、安心なのですけど」
「ええ。兄妹は良い物です。私にも二人の兄と――」
老教師は昔を思い出した様に、遠い目をしながら昔話を始めてしまう。結局シイの三者面談が終わったのは、それから一時間も経ってからだった。
「うぅぅ、先生のあの話、もう何回目だろう」
「それだけ大切なお話だって事よ」
学校からの帰り道を、シイとユイは手を繋ぎながら歩いていた。
「ごめんね、お母さん」
「あら、何かあったのかしら」
「私成績悪くて……」
申し訳無さそうに俯くシイの手を引っ張り、ユイは自分の胸元に抱き寄せる。そして驚くシイの頭を優しく慈しむように撫でた。
「成績はこれからいくらでも良く出来るわ。それに、今日私が聞きたかったのは、別の事だもの」
「別の事って?」
「貴方が学校でどんな事をしてるのかよ」
ユイはシイの肩を掴むと、目線を合わせるようにしゃがむ。
「ねえシイ。学校は楽しい?」
「え、うん楽しいよ。みんな一緒だし」
「それが一番大切な事なの。勉強だけ出来たって、決して立派な大人になれるわけでは無いの。色々な人と出会い過ごし、様々な物を見て感じて、沢山の思い出を作りなさい。それが貴方の財産になるわ」
碇家の娘として育ったユイには、自由がほとんど無かった。そしてシイも将来ゼーゲンの司令として、自由を奪われる事が決まっている。
だからこそ、今この時を精一杯楽しんで過ごして欲しかった。
「この世界には、まだまだ貴方の知らない楽しい事で溢れているもの」
「お母さん……うん」
頷いたシイに微笑むと、ユイは再びシイと手を繋いで歩き出す。
(自由なんて、逃げている私に言う資格は無いわね。……覚悟を決める時かしら)
沈みゆく夕日を眺めながら、ユイは静かな決意を固めるのだった。
原作でシンジの成績がどうだったのかは、ハッキリは分からなかったと思います。ただマグマダイバーでミサトから、勉強しなさいと言われていたので、あまり良好では無かったようですね。
仲良しグループで、トウジとシイが成績不味いペアです。まあ周りにあれだけ優秀な面々が揃っているので、魔の受験もきっと乗り越えてくれるでしょう。
放り投げ回収編も、ようやく今回から動き始めます。『アダムとリリス編』『そうだ、京都に行こう編』を近々予定しています。
ただその前に、ネルフのアイドルが誕生日を迎えるそうなので……アホタイムからですね。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。