~暗黙の了解は守りましょう~
「……碇ゲンドウだ」
仲人としてマイクの前に立ったゲンドウの一言に、披露宴会場が嫌な緊張感に包まれた。本日出席している大多数の者がネルフ関係者なので、前回の長いスピーチは彼らの記憶にハッキリと残っている。
「まずは、新郎新婦の新たな門出を祝いたい。おめでとう」
(あなた、その調子よ)
「新郎の加持リョウジは、地元の小学校を優秀な成績で卒業して……」
(ここまでは定型文で良いの。変に凝る必要は無いのよ)
「……現在もゼーゲンの特殊監査部主席監査官として、大変重要な役割を果たしている」
つつがなく加持の紹介を終え、参列者達からは僅かに安堵のため息が漏れる。
「続いて新婦の葛城ミサトだが……」
(ふぅ、どうやら心配しすぎたみたいね)
「……ネルフでは戦術作戦部長として、見事な指揮を……そこそこな指揮を……まあ、時にはパイロットを危険に晒すこともあったが、どうにか己の責務を全うした」
素直すぎるゲンドウに、披露宴会場は微妙な空気になってしまった。暗黙の了解として、基本的に新郎新婦の紹介はひたすら褒める事になっている。真実が正解とは限らないのだ。
「また、彼女はパイロット二名の保護者役を買って出る、大変心優しい女性だ」
(そうよ。そうやってフォローを入れるの)
「私の娘、シイの家事能力が向上したのも、ひとえに彼女のずぼらさが大きな要因……な、何をする!?」
「つまみ出しなさい」
ユイの指ぱっちんで、待機していた保安諜報部員がゲンドウの身柄を拘束し、そのまま会場の外へと引きずっていった。
「……新郎新婦のお二人は、どちらも大変素晴らしい方ですわ。以上でスピーチ終わります」
加持夫妻の披露宴は、波乱に満ちたスタートとなった。
~一芸披露~
微妙な空気を振り払おうと、参列者達は己の持ちうる技能を最大限に生かした芸を披露する。ある者は歌を、ある者は隠し芸を、ある者は漫才を披露する。
少しずつ場の空気が和んできた所で、遂に恐れていた事態、ネタ切れが起こってしまった。
「不味いわね。もう少しでスタート地点まで、空気を戻せるのに」
「お客様の中で、芸をお持ちの方居ませんか~?」
マヤがマイクで参列者に呼びかけるが、ほぼ全員が持ちネタを出し尽くしてしまった為、その要請に応えることが出来ない。
「ったく、だらしないわね。あんた達は何か特技とか無いの?」
「そない事言われてもな、わしらは普通の学生やで」
「……アスカは?」
「あんた馬鹿ぁ? あったらとっくにやってるわよ」
いつも通り理不尽なアスカだったが、目立ちたがり屋の彼女が舞台に上がらない以上、それは真実なのだろう。
「ふふ、こうなったら僕が得意の鼻歌を披露しよう」
「……逆効果だと思うわ」
「あ~も~。シイはどう? 何かこう、チェロとか弾けない?」
「うぅぅ、私は音楽苦手だもん。チェロなんて大きくて手が届かないし……」
もはやここまでかと思われたその時、不意にアスカが閃いた。
「そうだ! あんた妙な特技持ってたでしょ。それで良いからやりなさいよ」
「何かあったっけ?」
「ほらあれよ」
ゴニョゴニョとアスカに耳打ちをされ、シイは彼女が言わんとしている事を理解した。同時にそれが、こんなお目出度い場所で披露するもので無いことも。
「ねえアスカ。流石にそれは……」
「良いからほら、行くわよ」
アスカに引きずられながら、シイはステージへと強制的に上がる事になった。
「シイ? あなた何か披露できる芸があるの?」
「ユイお姉さん、これです」
アスカは何処から持ってきたのか、ソロバンをユイに見せつける。それを見てユイは、アスカがシイに何をさせようとしているのか察した。
「……ごめんなさいお母さん。アスカが無理矢理……」
「いえ、この際構わないわ。やってごらんなさい」
「え!?」
「マヤさん。アナウンスお願い」
「はい! 参列者の皆様。これよりシイちゃんによる、ソロバンの披露が行われます!」
マヤのアナウンスに、会場の視線が一斉にシイへと集まる。カメラを構えた撮影班は、まるでケーキカットの瞬間を撮るかのように、一瞬でステージの前へと集結した。
異常な緊張感の中、シイは運ばれてきた椅子に座り、机の上のソロバンに手を触れる。
「じゃあシイ、行くわよ。願いましては…………」
ユイが読み上げる数字を聞いて、シイは右手が見えないほどの速度でソロバンをはじく。相当恥ずかしい状況下なのだが、身体に染みついた技能は本人の精神状態に左右されない。
電卓全盛期の今、彼女のそれは参列者とミサト達にとって達人技に見えた。
「…………では?」
「はい。百四十五万三千五百二十一円です」
「「おぉぉぉ」」
迷い無く答えるシイに、会場からは感嘆の声と拍手が溢れる。実際にその答えがあっているかなど、彼らにとってどうでも良かった。
ただシイが普段見せない真剣な表情で、見事な技術を披露した。それで十分だったのだ。
「えっとお母さん……正解は?」
「うふふ、みんなの反応が答えよ」
ユイは場の空気を盛り上げた娘の頭を、愛おしげに撫でるのだった。
~二次会にて~
「がづらぎさん、ほんどうに゛おめでどうございまず」
「あ、ありがと……」
二次会会場で、泥酔した日向から涙混じりに祝福され、ミサトは引きながらもお礼を述べる。気心知れた面々だけで行われた二次会は、あっという間に酒宴へと変貌を遂げていた。
「ぼぐは、ぼぐは、あなだのごどが、ずぎでした……」
「そうだったの?」
「おいおい、気づかなかったのか?」
「日向さん……」
ミサトに日向が恋心を抱いていた事など、オペレーター達だけでなく、発令所スタッフのほぼ全員が知っていた。知らぬは当人ばかりなり、とは良く言ったものだ。
「だがら、あなだがじあわぜなら、ぼぐもじあわぜでず」
「日向君……」
「がじざん、どうが、どうががづらぎさんを……おね゛がいじまず」
「ああ、約束する」
加持とがっしり握手をした日向は、満足したようにそのまま眠りに落ちた。余りに純粋な男の、思いを告げられぬ片思いは幕を閉じた。
と、そんな彼を数名の女性スタッフが、介抱しようと会場の隅へと移動させる。
「あの子達、確か技術局の子よね?」
「ええ。日向二尉は若い女の子に、こっそり人気があるのよ」
「ま、マジっすか!?」
「清潔感のある好青年よ、彼。真面目で実直な人柄だから、当然とも言えるけど」
予想外のリツコの言葉に、青葉はガックリと肩を落とす。侮っていたわけでは無いが、まさか自分よりも日向の方が人気があるなんて、本気で考えていなかった。
「今のやり取りも、彼の株を上げたでしょうし……新たな恋が生まれるかもね」
「ちくしょぉぉぉ」
絶叫する青葉シゲル……未だ彼女無し。予定も無し。見込みも無しだった。
~祭りの後~
「ねえ、加持」
「ん、何だかつら……ミサト」
夜が明け始めている第三新東京市を歩きながら、ミサトはそっと加持へと視線を向ける。
「あんたはさ、本当に私を選んで良かったの?」
「おいおい、結婚初日でそれか?」
「私はずぼらで、がさつで……ずるい女よ?」
「知ってるよ」
伊達に同棲生活を送っている訳では無い。加持はミサトという女性の、良い面も悪い面も全て知り尽くしていた。今更何を言われても、動じる事などありえない。
「俺は家政婦を雇ったわけじゃ無いさ。加持ミサトって言う、最愛の女性を妻にめとった。それだけだ」
「ん、ごめんね。ちょっち不安になっちゃって……」
「それを受け止めるのは夫の役目だな」
加持は歩み止めると、ミサトの身体を優しく抱きしめる。登り始めた朝日が照らす街道で、若き夫婦は互いの温もりを確かめ合うのだった。
~蛇足~
「ねえリョウジ。子供欲しい?」
「ああ、子供が居る暮らしってのも悪くないな」
「良かった」
ほっとするミサトに、加持は小さく首を傾げる。そんな加持にミサトは頬を染めながらそっと耳打ちする。
「……来てないの」
「!?」
「今度病院に行くつもり。シイちゃんに言われたときは、ちょっち驚いちゃった」
「そうか……そうか」
ミサトを見つめる加持は、今までで一番優しい顔になっていた。
ミサトと加持の結婚編は、ひとまず幕を降ろします。若き夫婦の旅立ちに幸あれ、ですね。
登場人物達のエピソードは大体消化出来たので、これからは放り投げ回収編と、シイの成長編をメインに進めていきます。
放り投げ回収編は本編チックなシリアス、シイ成長編は彼女の日常を描いたアホタイムですね。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。