~男の決意~
「ただいま。今帰ったぞ」
「お帰り加持。キリンにする? サッポロにする? それともエビス?」
「おいおい、何だそりゃ?」
「ドラマで見てね、ちょっちやってみたかったのよ」
「出来れば忠実に再現して欲しかったな」
玄関まで出迎えてくれたミサトに、加持は苦笑しながら鞄を手渡す。同棲生活にもすっかり慣れ、そんな動作が自然と出来るようになった。
「もち風呂は沸かしてあるわ。食事は……インスタントだけど」
「十分さ。先に飯を貰おうかな」
加持が自室で着替えを終えてダイニングに向かうと、温められたインスタント食品が湯気を立てて並べられていた。これを手抜きと捉えるか愛情と捉えるかは、ミサトをどれだけ知っているかによるだろう。
因みに加持は後者だ。出された食事に何の不満も持たずに、箸をつける。
「最近忙しいみたいね」
「ん、ああ。規制する情報と開示する情報の線引きで、ちょいと揉めててな」
「いきなり全部は出せないか……」
「少しずつ、だな」
ネルフが所持隠蔽していた情報はあまりに多い。その中には地下の巨人やロンギヌスの槍、カヲルとレイの正体など、開示できない情報も存在する。
情報部と保安諜報部には世界のバランスを崩さない、繊細な仕事が求められていた。
「そっちはどうだ?」
「開店休業って感じね。エヴァも凍結してるし、規模の縮小と配置転換の話も進んでるわ」
加持の問いかけにミサトは肩をすくめて答える。使徒の襲来が終結し、他組織との関係も良好な今、戦術作戦部はその役割をほぼ終えていた。
事実ミサトが現在行っているのも、過去の出撃や戦闘の詳細な報告書作り。直属の部下である日向にも、他部署から異動の話が出ていた。
「まあ、その方が平和な証だな……」
「何よ、どうしたの?」
不意に真剣な表情に変わった加持に、ミサトはビールを飲みながら尋ねる。
「……なあ、葛城。お前はこれからどうするんだ?」
「いきなり何言い出すのよ」
「使徒はもう殲滅した。真実も知った。お前がゼーゲンに残る理由は無いだろ?」
「そ、そりゃそうかもしれないけど」
「組織の再編は良い機会だと思う。ここらで身を落ち着けないか?」
ミサトは缶ビールを手放して、加持と視線を合わせる。冗談や思いつきで言っている目ではなく、間違い無く本気の提案だと伝わってきたからだ。
「でも流石にこの歳で無職って訳にもいかないじゃない」
「……自分で言うのも何だが、俺はそこそこの給料を貰ってる」
「知ってるわよ」
ゼーゲンの職員は国際公務員なので、平均以上の給料を貰っている。加持は特殊監査部の主席監査官なのだから、給料も相当なものだろう。
「今の状況でゼーゲンが潰れる可能性は、限り無く低いだろう」
「でしょうね」
「まあつまり……お前を養う事くらいなら出来るって事だ」
加持が言わんとしている事を察し、ミサトは緊張した面持ちでその先の言葉を待つ。喉はからからだったが、ビールを飲む余裕は無かった。
「それに、何だ。俺もお前もいい歳だし、何時までも同棲って訳にもいかないだろう」
「……加持、それって」
「もしお前にその気があるなら……結婚しないか?」
加持の瞳は何処までも真っ直ぐに、ミサトを見つめていた。
翌日、ミサトはリツコを無理矢理連れ出し、本部のバーで飲んでいた。加持から突然告げられた結婚の申し込みに動揺した彼女は、誰か相談できる相手が欲しかったのだ。
「て、訳なんだけど……」
「呆れた。貴方、惚気話を聞かせる為に私を連れ出したの?」
カウンター席に並んで座るリツコは、ため息をつきながらカクテルを飲み干す。仕事が山積みなのに、大事な相談があるからと付き合ったのに、まさか惚気話を聞かされるとは思いもしなかった。
そんなリツコの態度に、ミサトは頬を膨らませて不満を表す。
「ちょっと、本気で悩んでるんだって」
「はぁ。あのね、何を悩む事があるのよ。貴方、リョウちゃんの事好きなんでしょ?」
「そ、それはそうだけどさ」
「もう子供じゃ無いのよ? 同棲までしてる男女が、結婚するのは当然の流れじゃない」
リツコの言葉は的確だった。大学時代ならいざ知らず、今ではもうミサトも加持も立派な大人だ。社会的地位も財産もあり、結婚するのに何一つ障害が無い。
寧ろ何時までも同棲生活を続けている方が、世間体は良くないだろう。
「分かってるんだけどさ。いざそうなると……」
「それでプロポーズを保留したの? 今回は全面的にリョウちゃんに同情するわ」
「むぅ~」
返す言葉が見当たらず、ミサトはテーブルに頭を着けてうなり声をあげる。
プロポーズに動揺してしまったミサトは、加持への返事を待って貰っていた。彼も自分の申し出が突然だと自覚していたのか、文句一つ言わずにそれを了承した。
加持は笑っていたが、心の中ではショックを受けていたのかもしれない。
「戸惑っているだけなら、もう返事は決まってるんでしょ? 何をそんなに悩むのやら」
「……本当に私で良いのかなって」
「どう言う事かしら」
不安げに呟くミサトに、リツコは意味が分からないと問い返す。
「私は料理出来ないし、家事だって素人同然。誇れるものなんて、白兵戦技能くらいでしょ?」
「否定はしないわ」
「そんな私が妻として、加持を支えていけるのかなって、ちょっち不安なのよ」
自分がだらしない人間だとはミサトも認識している。加持と同棲する様になってから、以前よりも大分マシになったとは言え、家事も余所様から見ればまだまだだろう。
果たしてそんな自分が加持の妻となる資格があるのか。ミサトは答えを出せないでいた。
「……前から思ってたけど、貴方って本当に馬鹿ね」
「な、何よそれ」
バッサリと自分の悩みを切り捨てるリツコに、ミサトは顔を上げて反応する。
「あのね、貴方達は結構長い付き合いで、しかも今は同棲してるんでしょ?」
「まあそうなるわね」
「貴方が家事能力全滅なのも、ずぼらなのも、だらしないのも、リョウちゃんは全部知ってるの」
リツコの言葉は一切の容赦が無い分、気遣いの嘘も含まれてはいない。
「それを承知で、リョウちゃんは貴方を選んだのよ。何を悩むって言うのよ」
「…………」
「男と女はロジックじゃないわ。世間一般の価値観では貴方が妻として不適当だとしても、リョウちゃんにとっては貴方以上の妻は居ないの。……もう少し素直になっても良いんじゃ無い?」
リツコにとって、ミサトと加持は親友と呼べる数少ない存在。その二人が結ばれる事を喜びこそすれ、下らない理由ですれ違う事を黙って見過ごすのは忍びなかった。
黙り込むミサトの表情が、先程とは変わった事を察して、リツコは満足げにカクテルをあおった。
※
同時刻、第三新東京市の繁華街にある居酒屋で、加持は時田と酒を酌み交わしていた。二人は年齢も近く常識人同士と言う事もあってか不思議と馬が合い、今でも付き合いが続いている。
こうして男二人で飲むことも珍しいことでは無い。だが酒の肴に加持から告げられた話は、時田にとって少々予想外な事であった。
「ほう、遂に決断されましたか」
「ああ。ま、返事は保留されちまったがな」
「照れているだけですよ。貴方達二人は今でも、夫婦に見える程お似合いですから」
ミサトと加持は年も近く、どちらもネルフの優秀な職員。そして並んで歩く姿は美男美女のカップルと言う、時田からすればまさにお似合いの二人だった。
更に加持とミサトが相思相愛なのは、誰の目にも一目瞭然。それは同棲を始めてから一層顕著で、職員の間からは、まだ結婚していないのかと言う声すらあがっていた。
「では今日は、少し早い祝杯と行きますか」
「奢ってくれるのは助かるな」
「おや、抜け目が無い。まあ良いでしょう。今後は色々と物入りでしょうから」
加持と時田は苦笑しながら、日本酒の入ったコップを軽く合わせた。
「結婚と言っても戸籍上夫婦になるだけで、生活自体は今と変わらないさ」
「心構えが変わりますよ。守る者が居るというのは、男にとって何よりの支えになりますから」
「時田博士は確か……」
「ええ、妻とは死別しました。セカンドインパクトでね」
加持がかつて謎に挑んでいた時、協力者となった時田の個人情報を調査していた。データ上では離婚と記されていたが、あの惨劇によって幸せを奪われた犠牲者だったのだ。
「もう十五年も前の話です。お気になさらず」
「そう言ってくれると助かるよ」
「一度結婚を経験してますから、段取りなど何でも相談に乗りましょう」
ドンと胸を叩く時田に加持は本心から感謝する。社交的な加持だが、本音をさらけ出せる相手はほとんど居ない。時田の存在は彼にとって、密かに大切なものへと変わっていた。
その後、家に帰った加持は、ミサトからプロポーズの返事を貰った。
友人、恋人、同僚、同士、そしてまた恋人と、様々な関係を過ごした二人だったが、遂に夫婦という男女の終着点に辿り着くのだった。
『真実は君とともにある。迷わず進んでくれ。もしもう一度会えることがあったら、8年前に言えなかった言葉を言うよ』
原作で加持がミサトの留守電に残したメッセージです。その後二人が出会うことは無く、結局加持の伝えたかった言葉は不明でしたが……プロポーズだったのかも知れません。
悲恋に終わったカップルでしたが、この小説では結婚という結末を迎えます。ネルフの数少ない常識人として頑張ってきた二人ですので、報われても良いですよね。
ここから少しの間、結婚狂騒曲が続きます。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。