~総員第一種戦闘配置~
浅間山麓で営業している温泉旅館に、ゼーゲン一行を乗せたバスが到着した。良く言えば歴史を感じさせる建物、悪く言えば古い建物、それが近江屋の印象だ。
ただ老舗旅館らしく女将や仲居の教育は行き届いており、不満が出ることは無かったが。
「ほう。これはなかなか良い部屋だな」
「ああ」
仲居に案内されたゲンドウ達は、広々とした和室を見て満足げな表情を浮かべる。参加者があまりに大人数のため、階級や部署で部屋割りをする事が出来ず、結局男女別に大部屋に泊まることになった。
「畳と木の香り、良い物ですね」
「時田さんも分かりますか?」
「勿論ですとも。最近は畳に横になる事も減りましたから、余計にそう思えますよ」
「確かに」
第三新東京市でも畳は存在するが、それらは化学物質で作られたイミテーション。セカンドインパクトによる気候変化で、畳の材料であるイグサが激減してしまい、本物の畳は希少な物となっていた。
今では老舗旅館などに、セカンドインパクト以前から使用していた物が残るのみだ。
「「はぁ~良いな~」」
荷物の整理もそこそこに、男性職員達は畳にごろんと寝転がり、懐かしい香りを感じながらリラックスする。早くも慰安旅行の目的、癒やしを十分に体験していた。
「あら? うふふ」
そんな男部屋にやってきたユイは、寝転がる男達を見て笑みを漏らす。
「む、ユイ。どうした?」
「先程女将さんから聞いたのだけど、夕食までは少し時間があるらしいわ」
「そうか。どうしたものか……」
「私達はご飯の前に温泉に入ろうと思うのだけど、貴方達はどうします?」
「折角の機会だ。私達も入るとしよう。まあ、君達ほど長くは入っていないだろうが」
このまま寝転がるのも悪くないが、折角の温泉旅館だ。ご飯の前に一度入浴するのも良いだろうと、ゲンドウはユイに答えた。
「ではご飯の時に集合しましょう。……覗いたら怒りますよ?」
「ああ、分かっているよ、ユイ」
ゲンドウの言葉に頷くと、ユイは男部屋から離れていった。
「……全員集合」
ユイが完全に居なくなったことを確認すると、ゲンドウは寝転がる男達に低い声で告げる。その威厳に満ちた命令に男達は一斉に起き上がり、ゲンドウの前に正座した。
「聞いての通りだ。女性陣はこれから温泉に入る」
「ではやるのか?」
「ああ。総員第一種戦闘配置だ」
サングラスを軽く直しながら、ゲンドウは正座する男性職員を見回して告げる。その言葉が意味する事を察し、男部屋に緊張が走った。
「しかし碇、あまりに危険過ぎないか?」
「この場にはエヴァもMAGIも無い。チャンスだ冬月」
力強く答えるゲンドウに男達はゴクリとつばを飲む。スーパーコンピューターMAGIが存在しない。それは彼らの行動が相手に補足される心配が無いと言う事だ。
「加持君」
「ご依頼の品はここに。計画の要ですね」
「ああ。近江屋の見取り図。これが我らの望みを叶える鍵となる」
ゲンドウは加持から受け取った紙を、畳の上に広げる。それをスタッフ達はぐるりと囲い込む様に見入った。
「我々の陣地はここだ。そして目標はこの地点に展開すると思われる」
「ふむ、位置は悪くないな」
「問題となるのは垣根だ。この最終防衛ラインを突破するのは困難だろう」
ゲンドウの指が、温泉の男湯と女湯を仕切る垣根の上をなぞった。
「よって正面突破を諦め、周囲に部隊を展開。包囲作戦が有効だと考えられる」
「リスクは高いが、やるしかないな」
覚悟を決めたように頷く冬月。それは他の男達も同じで、全員が強い意志を瞳に宿していた。しかしただ一人、トウジだけが困ったような表情を浮かべている。
「あ、あの~、これって、ひょっとして覗きちゃいますか?」
「……加持君」
「ええ。さあ鈴原君、ちょっとこっちに」
加持はすっと立ち上がると、トウジを連れて部屋の隅へと移動した。
「鈴原君。こう言った状況では、男は女湯を覗くというのがお約束なんだ」
「そ、そない話、聞いたこと無いですって」
「これが大人の世界だよ。そこに飛び込むか逃げるかは……自分で考え自分で決めろ」
「んなアホな……」
真剣な加持の表情に、トウジは本気で困惑してしまう。健全な中学生として、当然そう言った事に興味はあるが、流石に知り合いばかりの風呂を覗くのは気が引けた。
「……君は、洞木さんの裸を見たことはあるかい?」
「な、ななな、何言っとるんですか」
「どうやらまだみたいだな。見たくはないかい?」
「そ、そりゃ……」
「今回は碇司令主導だ。万が一バレても、君に及ぶ責任は少ないだろう」
言葉巧みにトウジを誘導していく加持。その自信に満ちた語り口と態度に、トウジからは徐々に悪いことをすると言う意識が薄れていった。
「臆病者はいらない。ただもし君が共に戦おうと言うのなら、俺達は喜んで迎え入れる」
「…………」
「まあ、後悔の無いようにな」
「……やります。わしもやります」
他の男達と同じように、トウジの瞳にも強い意志が宿ったことを確認して、加持は満足げに頷いた。
男達の輪に加持とトウジが戻ると同時に、部屋のふすまを開けてカヲルが姿を見せた。
「やあ、戻ったよ」
「ご苦労だったね。それでどうだった?」
「彼女達はまだ準備中のようだ。先手を打つなら、今すぐ動くべきだろう」
密偵してきたカヲルの報告を聞き、男達に緊張が走る。
「……総員第一種戦闘配置だ。現場へ急行しろ」
「「了解」」
ゲンドウの号令に男達は凜々しく答えると、手早く準備をすませて温泉へと移動するのだった。
※
そんな男達の動きなど知るよしも無く、女性達はぞろぞろと温泉へと向かった。
「貸し切りですから、思い切り羽を伸ばせますね」
「ふふ、そうね。余計な気を遣わなくても良いのは助かるわ」
「母さんは元々気にしないでしょう」
「アスカちゃん~。ママが脱がしてあげるわね」
「い、良いってば。もう子供じゃ無いんだから」
「う~ん、風呂上がりの一杯も良いけど、お風呂で一杯ってのも捨てがたいわね……」
「葛城さん。お風呂でお酒を飲むのは危険ですよ」
「うふふふふ、私幸せ」
賑やかな脱衣所だったが、その中でシイだけが表情を曇らせる。みんなとお風呂に入ることは嬉しいのだが、圧倒的な戦力差は彼女の心にダメージを与えていた。
(うぅぅ、お母さんも、ナオコさんも、キョウコさんも……みんなも凄い)
以前ミサトとアスカと共に、この温泉に入ったときにも劣等感を覚えた。だが周囲に大勢の女性達が居る今の状況は、絶望感すらシイに与えてしまう。
そんなシイの背後に、そっとレイが近づく。
「……大丈夫よシイさん」
「れ、レイさん!?」
「……前に聞いたことがあるもの。大切なのはバランスだって」
「何の事?」
「……小柄な貴方には丁度良いと思うわ」
「うわぁぁぁぁぁん」
スパッとレイに心を叩き切られ、シイは泣きながら温泉へ向けて脱衣所を駆け抜けた。
※
「警戒中の同士より入電。『我、女湯に人影の侵入を確認。データを送る』との事」
「受信データを照合。パターンピンク、目標と確認」
こっそり持ち込んだ防水携帯端末を操作していた青葉と日向が、ゲンドウ達へ報告を行う。既に別働隊は厳しい自然の中で待機をしており、臨時作戦司令部と化した男湯には、ごく少数の男達が残るのみだ。
「始まったな」
「ああ、全てはこれからだ」
頭にタオルを乗せたゲンドウと冬月は、落ち着き払った様子で頷く。血気盛んな若者達と違い、彼ら年長組には大人の余裕が漂っていた。
「で、加持の兄さん。わしらはこれからどないするんです?」
「別働隊の動きをフォローする。ここに男達が揃っているぞ、とアピールするんだ」
「流石に全員がここから離れてしまえば、人気が無い事をご婦人方も警戒するでしょうからね」
いまいち理解出来ないトウジに、加持は手本を見せようとそっと湯船から立ち上がる。
「葛城~。そっちの湯加減はどうだ~?」
「か、加持? あんたも入ってたの?」
「ああ。温泉ってのは良いもんだな」
「ま~ね」
垣根越しに交わされる会話。それは恋人同士の何て事の無いやり取りなのだが、少なくとも加持は男湯に居て、温泉を満喫しているぞと相手に印象づけられる。
「こうしておけば、別働隊への注意が逸れるだろう。さあ、君もやってみろ」
「は、はいな」
トウジは緊張した面持ちで、そこにいるであろうヒカリへと声を掛けた。
「ひ、ヒカリ。湯加減はどや?」
「ととと、トウジ!? そこに居るの?」
「あ、ああ、みんなとおるで。こっちはこっちで楽しんどるわ」
「そ、そう。こっちも楽し……きゃっ!」
初々しい恋人達のやり取りは、ヒカリの可愛らしい悲鳴で中断した。何事かと訝しむトウジだったが、直ぐに原因は判明する。
「惚気話聞かせてくれちゃって~。ねえ鈴原、ヒカリの肌ってとっても綺麗なのよ」
「その声、惣流か?」
「白いしすべすべだし、そして何と、ヒカリってば着やせするタイプだったの」
「も、もう止めてよアスカったら」
時々漏れ聞こえるヒカリの嬌声に、トウジは思わずゴクリとつばを飲み込む。垣根の向こうで何が行われているのか、想像が次々と溢れ出してとどまることを知らない。
トウジは顔を赤く染めると、静かに湯船へ身体を沈めた。
「えへへ~、肌が綺麗って言ったら、シイちゃんもよね、っと」
「きゃぁ。ミサトさん、いきなり背後から抱きつかないで下さい」
「このもちもち肌、羨ましいわ」
「あはは、くすぐったいですって」
「でも、着やせするタイプじゃ無いけどね~……って、し、シイちゃん!?」
「うぅぅぅ」
シイのうなり声と同時に、今度はミサトのなまめかしい声が男湯に聞こえてくる。彼女達にしてみれば軽いスキンシップなのだろうが、男達にとってはたまったものでは無い。
「ちょ、直撃です!! 理性が融解……」
「精神的ダメージが倫理観を掘削。本能が露呈していきます!」
「まだ聴覚的衝撃だ。アブソーバーを最大にすれば耐えられる」
湯船の中で身体をくの字に曲げて、全力で欲望に抗う男達。そんな彼らを余所に、沈黙を守っていたゲンドウが雄々しく立ち上がる。
「冬月先生、後を頼みます」
「分かっている。ユイ君によろしくな……とでも言うと思ったか!」
おもむろに女湯へ近づこうとするゲンドウの足首を掴み、冬月は強引に湯船へと引き込んだ。温泉の中でもがくゲンドウ。湯船にはサングラスだけがぷかぷかと浮かんでいた。
「ですが、司令の考えも分かります。このままでは理性の占拠は時間の問題です」
「分が悪いよ。女性と触れ合う機会はそうそう無かったからな」
「彼女達が本気を出したら、俺達なんてひとたまりも無いさ」
悲しいことを言い合う日向と青葉だったが、それはここに居る面々のほとんどが思っている事だった。ネルフ時代はとにかく多忙で、職場以外で女性と過ごす時間など無かったのだから。
「人間の敵は人間か……」
「ふふ、お困りのようだね」
劣勢に立たされた男達の前に、カヲルが悠然と歩いてきた。透き通るような真っ白な肌を、惜しげも無く晒すその姿を見て、彼らは何故か落ち着きを取り戻す。
視覚イメージというのは、時に聴覚イメージを凌駕するのだ。
「渚君か。何かあったのかね?」
「大した事では無いけど、報告を一つ。別働隊が壊滅したよ」
衝撃の事実に冬月達は表情を強張らせる。直ぐさま青葉と日向が端末で確認をするが、それはカヲルの言葉を肯定する結果に終わった。
「反応ロスト。応答ありません」
「マジかよ。あのメンツには、保安諜報部も……プロも入ってたのに」
「トラップが仕掛けてあったのさ。それも、かなりえげつない物が」
「ふっ、無茶をしおる。伊達に老舗旅館を名乗っていないか」
絶望的な状況下だが、男達は何処か心躍る物を感じていた。リスクの無いゲームは楽しくない。これこそが、覗きの醍醐味なのだと本能で理解していたのだ。
「戦況は圧倒的不利か。さてどうする……」
「正面突破がおすすめですね。手入れは行き届いて居ますが、古き建物には必ず穴が存在する」
「なるほど。古典的ですが、それもまた面白い」
「気配を殺して近づこう。心を落ち着けて、呼吸を乱すな」
「さあ行くよ。おいで、リリスの子供達」
カヲルに導かれる様に、男達は湯船からそっと立ち上がり、最後の戦いへと挑むのだった。
数時間後、男達は近江屋の中庭に居た。身体に布団を巻かれ、足首を縛った縄で木から吊されている姿勢で。
「あなた……少しはご自分の立場を考えて下さい」
「ゆ、ユイ……」
「冬月先生もです! 全くいい年して、何を考えているんですか!」
「す、すまないユイ君」
逆さづりのまま、浴衣姿のユイからお説教を受けるトップ二人。当然女性職員達からの株は大暴落だったが、それでも二人は何処か満足気だった。
「あんたね~……呆れて言葉も出ないわよ」
「面目ない。だが葛城、一つだけ言わせてくれ」
「何よ?」
「……綺麗だった。他の誰よりもお前が一番、な」
「な、何馬鹿言ってんのよ……」
お説教の筈が、すっかり惚気ムードになっている加持とミサト。元々恋人関係の二人には、今回の一件もそれ程影響を与えなかった様だ。
「時田博士。貴方はもう少し理性的な人だと思ってましたわ」
「ははは、すいません。ただ美しい女性を前にして、どうしても歯止めが……」
「あら、良かったじゃないのりっちゃん。脈ありみたいよ?」
「母さんは黙ってて! 時田博士、覚悟して下さいね」
「お手柔らかに頼みます」
赤木親子に説教を受ける時田は、引きつった笑みを浮かべるのだった。
「トウジの馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!」
「す、すまん。ホンマにすまん。出来心やったんや」
「ウルトラ馬鹿ね。男の子ってどうしてこうエッチなのかしら」
「トウジの事信じてたのに……」
「言い訳のしようも無いわ。わしはお前の裸がみたくて、やってはいかん事をやってもうた」
「ふ~ん。で、どうだったの?」
「……ホンマに綺麗やった」
「トウジ……」
二人の空気に当てられたように、アスカは舌を出しながらその場を離れた。
「……言い残す事はある? あっても聞かないけど」
「ふふ、悔いは無いよ。君達には未来が必要だ。特にシイさんにはね」
「う゛ぅぅぅ」
「……さよなら」
カヲルはレイにサンドバッグにされながら、それでも幸せそうだった。
「不潔、不潔、不潔、不潔」
「あらあら、困った子達ね~」
「青葉……俺はもう、何も思い残す事は無い」
「俺もっすよ、日向さん。凄かったっす」
日向と青葉は女性職員達にボコボコにされ、真っ赤に腫らした顔で、満足げに笑いながら意識を絶たれた。
こうして近江屋戦線は膜を閉じた。被害甚大の男達だったが、満足げな彼らをみれば、結果として痛み分けといえるだろう。
ただ別働隊の男達の消息は、依然として不明のままだった。
久しぶりに、本気で馬鹿をやった気がします。温泉旅行と言ったら、やっぱり覗きはお約束ですよね。……勿論リアルだと不味いですが。
慰安旅行は一応次回で終わりです。
後日談もこれで20話目。そろそろ折り返し地点を過ぎたと、思いたい所です。因みに以前投稿していた時は全30話だったので、これは確実に超えます。
慰安旅行編と次の話が終われば、割とテンポ良く進むかな~と。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。