~惣流母娘の一歩目~
キョウコの目覚めより数日が経った。お見舞いにやってきたユイは、キョウコを病院の談話スペースへ連れ出すと、医師からの状況報告と今後についての話をする事にした。
「まずは検査の結果は異常なし。今日にでも退院出来るらしいわ」
「よかった~。これでアスカちゃんと一緒に暮らせるのね」
ユイの言葉にキョウコは心底嬉しそうな笑みを浮かべる。愛娘との再会を果たした今、少しでも早く退院したかったのだろう。
「でも、無理は禁物よ。体力や筋力は相当落ちてるのだから」
「ユイは心配性ね。大丈夫だってば」
「だと良いけど」
小さくため息をついたユイは、後でアスカに良く言っておこうと決意した。
「……それで、退院後の事だけど」
「アスカちゃんと一緒に暮らすわ」
「そっちじゃなくて、仕事の方よ。もしキョウコが望むなら、ゼーゲンで働いて欲しいわ」
キョウコはお世辞抜きに、世界でも屈指の科学者だ。そんな彼女がゼーゲンに参加してくれるとあらば、今後の活動に大きなプラスとなるだろう。
しかしキョウコは即答せず、唇に指を当てて悩む仕草を見せる。
「ん~どうしましょ~」
「何かネックがある? 待遇はそれなりの物を用意するつもりよ」
「だって私、まだネルフの所属だもの。簡単に他の組織に移籍出来ないじゃない?」
「……え? ああ、そう言う事ね」
一瞬キョウコが何を言っているのか分からなかったユイだが、直ぐに状況を理解する。長き時を殻の中で過ごした彼女は、ネルフがゼーゲンに移行したと知らないのだ。
ユイがかいつまんで事情を説明すると、キョウコは拗ねたように唇をとがらせた。
「も~。そうならそうと早く言ってよ~」
「そうね、ごめんなさい。因みに今の貴方は休職扱いになっているけど、希望すれば直ぐに復帰出来るわ」
ドイツ第二支部長の計らいで、キョウコは長期療養のために休職している職員となっていた。ネルフのスタッフは本人が望めばそのままゼーゲンに転籍可能で、キョウコも例外では無い。
「アスカちゃんの事もあるから、少し二人で相談してから結論を――」
「良いわよ。私もゼーゲンで働いちゃう」
ユイの言葉を遮って、キョウコは即答でゼーゲンへの参加を表明した。
「今返事をしなくても良いのよ? アスカちゃんと一緒に居たいだろうし……」
「私がしっかり働いて、アスカちゃんを養わないとね。頑張っちゃうわよ~」
「はぁ、聞こえて無いわね」
母親としての責任感なのか、やる気満々のキョウコを見てユイは小さくため息をつく。もう誰が何を言っても、キョウコは自分の意志を曲げる事をしないだろう。
彼女はある意味で、自分以上の頑固者なのだ。
(……一度アスカちゃんに報告しなくちゃ駄目ね)
ユイはキョウコに一言告げてから席を外すと、アスカに電話で事の経緯を伝える事にした。自分の提案が、母親と娘の時間を奪ってしまうのだから。
※
休み時間にユイから連絡を受けたアスカは、ショックを受けた様子も無く事態を受け入れた。申し訳なさそうなユイに問題無いと告げて通話を終えると、隣に居たシイにもキョウコの職場復帰を教える。
「良いのアスカ?」
「ママは一度決めたらテコでも動かないもの。何を言っても無駄よ」
「でも一緒に居たいんでしょ?」
「別に離れて暮らす訳じゃ無いしね。それにあたしが大人になったら、ママと一緒に働けるもの」
アスカは既にチルドレンを解任されているが、この年で大学を卒業している才女だ。いずれキョウコと共にゼーゲンで科学者として働く事も可能だろう。
もう彼女の中では未来のビジョンが、ハッキリと描かれている様だった。
「アスカは凄いね」
「な~に人ごとみたいに言ってんの。あんたはそこのトップになる予定なんでしょ?」
「うぅぅ、そうだった……」
「はぁ~。ま、その時はあたしとママが支えてあげるから、精々頑張んなさい」
ポンとシイの頭に手を乗せて呟くアスカ。キョウコが目覚めてからの彼女は、精神的なゆとりが生まれたせいなのか、以前よりも大人びた印象を周囲に与えていた。
(本当に良かったね、アスカ)
シイは心の底から大切な友人の幸せを祝福するのだった。
~新居は何処に?~
再びキョウコの元に戻ったユイは、もう一つ決めておきたい話を切り出す。
「ねえ、キョウコ。貴方はアスカちゃんと一緒に暮らすのよね?」
「勿論よ~。一緒に寝て、一緒にご飯食べて、一緒にお風呂入って……楽しみだわ」
「……残念だけど、それはもう少し先になるわ」
娘との生活を想像して頬を染めるキョウコに、ユイはそっと釘を刺す。確かに今日にでも退院出来るのだが、まだ大切な事が決まっていないのだ。
「え~どうして~?」
「貴方達が暮らす家がまだ決まって無いもの。当分の間は、ゼーゲンの居住区で暮らす事になるわね」
「なら私はアスカちゃんと同じ部屋に住むわ」
「……一人用なのよ」
旧ネルフの居住区は、原則的に独身職員の為に用意されており、サイズも当然一人用に出来ている。食事とお風呂は共に出来るだろうが、一緒に寝るという望みは叶えられない。
「ずるいわ~。ユイはシイちゃんやレイちゃんと一緒に暮らしてるのに~」
「住居が見つかれば、キョウコだってアスカちゃんと暮らせるわ。少しの辛抱よ」
「むぅぅぅ~」
頬を膨らませて不満を露わにするキョウコを宥めながら、ユイは一刻も早く二人の住居を探そうと決意した。この状況が長引けば長引く程、暴走の可能性が高くなるのだから。
~夜の来訪者~
その日の夜、夕食の席でユイはキョウコとのやり取りを話した。三人はキョウコの退院を祝いつつも、その奔放な言動に苦笑を浮かべる。
「成る程。君が今日業務を行えなかったのはその為か」
「ええ。宥めながら本部の居住区に連れて行くのに、半日かかりましたから」
「キョウコさんって、凄い人なんだね」
ユイすらも圧倒するキョウコに、シイは色々な意味で感心してしまう。
「それで、キョウコ君は納得したのか?」
「渋々と言った感じですわ。あの子が暴走する前に、明日にでも住居を手配します」
「任せる」
本来であればユイが直々にやる仕事では無い。ただ二人が友人である事と、キョウコを少しでも抑えられる人材がユイ以外に居ない為に、ゲンドウはユイに一任する事にした。
「アスカもキョウコさんと暮らすの、凄い楽しみにしてたよ」
「……浮かれてたわ」
「そうね……。あの子の為にも、しっかりとした家を選ばないと」
既にゼーゲンの情報網とMAGIを無駄遣いして、第三新東京市のめぼしい物件をリストアップしている。明日にでもキョウコと共に現地を回れば、問題は全て解決するだろう。
「なので、あなた。明日も一日席を外しますわ」
「ああ、分かっているよユイ」
優秀な科学者確保と、十年来に再会した母娘の為だ。ゲンドウは悩む事無く許可を出した。
「あ、レイさん。おかわりいる?」
「……ええ」
レイからお茶碗を受け取ったシイは、席を立つとジャーからご飯をよそう。そんな光景を見ていたゲンドウとユイは、ホッとしたような表情を浮かべる。
「元通りだな」
「そうですわね。一時はどうなる事かと思いましたけど」
幼児化事件を乗り越えて、再びいつもの姉妹へと戻ったシイとレイ。幼いシイは確かに可愛らしかったが、やはり今の姿が一番だと二人は思わずにはいられない。
「……聞きたい事があります」
「あら、何かしら?」
「……赤木博士と冬月副司令の姿を、あれ以来見ていません」
ユイ達にしょっ引かれた二人は、それから一切姿を見せなかった。キョウコのサルベージの時にすら、二人は立ち会っていないのだ。
「ああ、言っていなかったな」
「……生きてますか?」
「あらあら、レイは私をそんな風に見てたのかしら」
苦笑しながら尋ねるユイに、レイは上手い返答が出来ずに黙ってしまう。
「ふっ。あまりからかうな」
「うふふ、ごめんなさい」
「レイ、心配する事は無い。あの二人は無事だ。今は特別な仕事で本部を離れているがな」
ゲンドウはユイを軽く窘めると、レイの疑問に答える。リツコの軽率な行動と冬月の監督不行届を、確かにゲンドウとユイは注意した。だがレイが考える様な罰を与えてはいない。
「……仕事とは?」
「ゼーゲンの支部建設予定地を、下見して貰っているわ」
「近いうちに戻るだろう」
二人の言葉にレイは小さく頷いて納得の意を表した。てっきり入院でもしているかと思ったが、どうやらタイミングが絶妙すぎただけらしい。
「はい、レイさんお待たせ」
「……ありがとう」
お礼を言いながら、レイはシイからご飯山盛りのお茶碗を受け取る。旺盛な食欲を見せるレイを、ユイとゲンドウは微笑ましく見つめた。
「レイは最近、良くご飯を食べるな」
「……はい」
「成長期ですもの。シイも沢山食べないと、大きくなれないわよ?」
シイは好き嫌い無く何でも食べるが、どちらかと言えば食が細い方だ。アスカやレイとの身体の差は、やっぱり食事なのかとシイはお腹を軽くさする。
「うぅぅ。分かってるけど、もうお腹一杯だし」
「成長には個人差がある。私も高校までは背が低かったからな」
「そうなの?」
「ああ。だから焦らず、規則正しい生活をしていれば問題無い」
小さい事がシイのコンプレックスだと知っているゲンドウは、不安を取り除くように微笑む。そんな父親の言葉を聞いて、シイは嬉しそうに頷いた。
和やかな空気で食事が進む中、不意に来客を告げるチャイムがダイニングに聞こえてきた。既に時計の針が九時を回ったこの時間に、碇家を訪れる人は多くない。
「ミサトさんかな?」
食事を終えていたシイは立ち上がると、小走りで玄関に向かう。ロックを外してドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべるキョウコと、困惑顔のアスカが並んで立っていた。
「こんばんわ~」
「き、キョウコさん? それにアスカも」
予期せぬ来客に戸惑うシイの背後から、声を聞きつけた三人が何事かと玄関に姿を見せる。
「キョウコ、何かトラブルがあったの?」
「違うわ。これを渡しに来たの~」
そう言いながらキョウコがユイに手渡したのは、コンビニで買ったと思われるそばだった。ますますもって理解出来ないと、四人は首を傾げる。
「ありがとう。でもどうしておそばを? それもこんな時間に」
「日本では、引っ越し先のご近所におそばを渡すのよね?」
「……そうなの?」
「う、うん。今はあまり無い習慣だけど」
レイの問いかけにシイは困惑しながら答える。自分も今までに経験が無いが、碇家で暮らしていた時に祖母から聞いたことがあった。
「これはご丁寧に……引っ越しだと?」
頭を下げたゲンドウだったが、聞き逃せない単語に思わず眉をひそめる。
「ねえキョウコ。まさか貴方……」
「うふふ、今日から私とアスカちゃんは、ユイの家の隣に住むことに決まりました~」
「「……え゛」」
突然の報告に、この場に居たキョウコ以外の全員が、呆然と口を開けて立ち尽くすのだった。
~新居決定、でも……~
どうにかショックから立ち直ったユイは、キョウコとアスカを家の中に招き入れ、リビングで詳しい話を聞くことにした。
シイが出したお茶をすすりながら、キョウコは幸せそうなため息をつく。
「はぁ~美味しい。シイちゃん、おかわり貰っても良い?」
「あ、はい。直ぐに」
「……で、どう言う事かしら?」
すっかりリラックスモードに入ったキョウコに、ユイがジト目で説明を求める。
「も~ユイったら、ちゃんと聞いて無かったの? 今日から隣の家に住むの」
「……私は明日、一緒に家を探しましょうって言ったわよね?」
「だって~。アスカちゃんの顔を見たら、我慢出来なかったんだもん」
他の人間なら震え上がるユイの追求にも、キョウコは全く意に関さず答える。ただ隣に座っているアスカは、流石に気まずいのか申し訳無さそうにうなだれていた。
「……アスカは止めなかったの?」
「知ってたら止めたわよ。でもママにちょっとお出かけしましょうって言われて、着いてきたら……こんな事になってたの」
「気にしなくて良いのよ、アスカちゃん。悪いのは全部キョウコだから」
本来なら新居決定は喜ぶべき事だが、自分との約束をあっさり破られたユイは内心面白くない。折角優良物件をリストアップしていたのに、全てが無駄になったのだから。
「まあ、そう言うな。キョウコ君の行動は急だったが、無事に新居が決まったのだからな」
「そうだよお母さん。それに私はアスカがお隣さんになって、凄く嬉しいよ」
「……はぁ。そうですわね」
夫と娘の言葉に冷静さを取り戻したユイは、ため息を吐くと気持ちを切り替えた。何にせよ、これで悩みの種が一つ消えたのは確かなのだから。
「……アスカは不満じゃ無いの?」
「別に。あたしはママと一緒なら何処でも良いし、このマンションは住み心地良かったし」
「えへへ、そうだね」
かつてミサトと同居していた日々を思い出し、シイは嬉しそうに微笑む。碇家の左隣にミサトと加持、右隣にアスカとキョウコが住むのは、何とも面白い構図だった。
「それにしても……良くこんな短時間に手続き出来たわね」
「手続き?」
呆れと感心が入り交じった視線を向けるユイに、キョウコは不思議そうに首を傾げてみせる。
「ええ。住居の契約と転居届け、それに水道やガスの契約。誰かにお願いしたの?」
「いいえ、何もしてないわよ」
「「え゛っ!?」」
あっさりと言ってのけるキョウコに、全員の表情が強張る。転居届けはともかくとして、最低でも住居と水道ガスの契約を済ませていなければ、話にならないからだ。
「……ねえキョウコ。私と別れた後、どう言う経緯でここに来たのかしら?」
「えっと~。本部に戻ったらアスカちゃんが居て、別々に寝るなんて我慢出来なくなっちゃって~。それで思いついたの。ユイのマンションなら一緒に暮らせるわって」
「ママ……」
非常に残念な事を告げるキョウコに、アスカはもう言葉を掛けられなかった。
その後、キョウコは大いに駄々をこねたのだが、手続きをしていないので勿論入居は出来ない。絶対にアスカと一緒に寝ると言って聞かなかったので、妥協案として今夜は碇家に泊まることになった。
結果として、キョウコの望みは果たされた。
(……全くもう。この借りは仕事で返して貰うわよ)
客間でアスカを抱きしめながら、幸せそうな寝顔を浮かべるキョウコを見て、ユイはそっと襖を閉めた。
長く続いていたキョウコサルベージ編のおまけ話です。
ユイ、ナオコ、キョウコ、良く言われている三賢者が勢揃いしました。三人の美しき天才達は、きっとゼーゲンの力になるでしょう。
リツコは……天才であり天災ですね。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。