~女神の目覚め~
ネルフ中央病院の特別病室には、安らかな寝息を立てているキョウコと、その傍らで目覚めを待つアスカの姿があった。サルベージされてから今まで、この光景は変わっていない。
そう、キョウコは未だ目覚めてはいなかったのだ。
「ママ……」
一睡もしていないアスカは、目の下に深い隈をつくった顔でキョウコを見つめる。ひょっとしたらサルベージは失敗したのでは無いか。そんな気持ちを抱いては打ち消すの繰り返し。
アスカの心は不安に押しつぶされそうだった。
静寂が支配する病室にドアの開く音が聞こえる。アスカは視線を向けて来訪者を確認すると、椅子から立ち上がって一礼した。
「こんにちは、ユイお姉さん」
「お邪魔するわ。様子を見に来たのだけど……」
「はい……まだ眠ったままです」
辛そうに告げるアスカにユイは小さく頷くと、ベッドサイドへ近寄る。日差しを浴びて鮮やかに輝くキョウコの金髪を、慈しむように優しく指で梳く。
何気ない動作だったが、アスカは二人の間に深い友情があるのを感じた。
「まったく、キョウコにも困ったものね。昔から朝は苦手だったけれども」
「そうなんですか?」
「ええ。私の知る限り、キョウコが時間通りに起きたことは一度も無いわ」
「もう、ママったら。こんな時まで寝坊しなくても良いのに」
ユイの言葉に幾分不安を和らげたアスカは、苦笑しながらキョウコの手を握った。
「ナオコさんの話だとキョウコが目を覚ますまで、少し時間が掛かるかも知れないそうよ」
「……はい」
ユイのケースと違い、キョウコは二つに分かれた魂を一つに融合させた。長く離れていた心が完全に一つになるには、相応の時間が掛かるというのがナオコの見解だ。
「だからアスカちゃん。少し休んだ方が良いわ。このままでは、貴方の方が参っちゃうもの」
「ママが目を覚ました時、側に居てあげたいんです」
強い決意を込めたアスカの言葉に、ユイは少し困ったように眉をひそめる。キョウコが目覚めるには数日、あるいは数十日、下手をすれば数ヶ月かかる可能性もある。
いつ目覚めるか分からない人を待つのは、精神的な負担が大きい。アスカの身体と心を考えた場合は、直ぐにでも休ませるべきなのだが、側に居たいと言う気持ちも分かる為、ユイも強くは言えなかった。
再び沈黙が病室を支配する。すると頃合いを見計らったかのように、病室のドアの向こうから何やら人の話し声が聞こえてきた。
「ど、どうしよう。面会謝絶って書いてあるよ」
「……問題無いわ」
「でも。勝手に入ったら怒られちゃうかも」
「……読めませんでした、と言えば良いわ」
「それは流石に無茶なんじゃ」
「……なら諦める?」
「うぅぅ、それもやだ」
「……大丈夫。貴方は怒られないわ」
「え?」
「……私が守るもの」
「レイさん……ううん、駄目。怒られるなら、私も一緒だよ」
「あ~も~、うっさい! 人の病室の前で、グダグダやってんじゃ無いの!!」
堪えきれなくなったアスカが、中から病室のドアを開けて叫ぶ。
「迷惑になるから、とっとと中に入りなさいよ」
「……アスカの大声が迷惑」
「何ですってぇぇ」
数日ぶりに見る二人のやり取りに、シイは自然と笑顔を浮かべてしまう。じゃれ合う二人に続いて、シイは病室の中へと入っていった。
「あらあら、賑やかね。……シイ、もう身体は大丈夫なの?」
「うん。あの、お母さん。お帰りなさい」
「ただいま、シイ」
母娘は優しい抱擁で再会を喜び合った。そしてシイは、ベッドで眠り続けているキョウコへ視線を向ける。
「この人がキョウコさん……アスカのお母さんなんだね」
「ええ、そうよ」
「凄い綺麗な人」
「ふふ~ん。でしょ?」
レイと一戦終えたアスカが自慢げに胸を張る。母親を褒められて悪い気はしなかった。
ユイから事情を聞いた二人は、複雑な表情でアスカを見つめる。
「ったく、そんな辛気くさい顔するんじゃ無いわよ」
「うん……」
「ママはちょっと眠ってるだけなんだから。まあ気長に待つ事にするわ」
「……その前に貴方が倒れるわ」
レイはアスカの隈と疲れた顔を指摘する。側に居たいと言う気持ちは分かるが、アスカが倒れてしまっては本末転倒だ。一度休息を取らせる必要があった。
「はん。あんたに心配される程やわじゃ無いって~の」
「……そう」
「ん~」
そんなやり取りを聞いていたシイが、あごに指を当てて小さく唸る。
「どうしたのシイ?」
「うん。アスカはキョウコさんの側に居たくて、でも休まないと大変なんだよね」
「そうね」
「ならアスカは、キョウコさんと一緒に寝れば良いんじゃないかな?」
何気なく呟くシイの言葉にユイとレイは、ああと同時に頷いた。お見舞いと言うスタンスで考えていたが、一緒に居たいならそれに拘る必要は無い。
同じベッドで寝ていればアスカは身体を休める事が出来、キョウコが目覚めた時にも一緒に居られる。
「……それナイス」
「確かに良い案かもしれないわ。どうかしら、アスカちゃん」
「そ、それは……」
「キョウコさんが起きた時、アスカが疲れた顔してたら、きっと悲しむと思うよ」
三人に言われてアスカはちらりとキョウコを見る。自分の身体が休息を求めているのは、嫌と言うほど自覚していた。そして目の前の母と一緒に眠れたら、どれだけ幸せだろうとも考えてしまう。
シイの提案は渡りに船だったが、素直に頷くのも気恥ずかしかった。
「あまり長居しては悪いわね。シイ、レイ、一度戻るわよ」
「……そうですね。シイさん、行きましょう」
自分達が居てはアスカは動かないだろうと判断したユイとレイは、病室を出る事にした。
「また明日来るから、それまでキョウコの事をよろしくね」
「……さよなら」
「え、あ、じゃあアスカ、また明日」
三人はそそくさと病室を後にするのだった。
一人残ったアスカは暫くの間、眠るキョウコと病室のドアを交互に見ていたが、やがてその身体をベッドに滑り込ませた。二人並んで寝るには少し狭かったが、その分母親の温もりが感じられる。
(ママ……暖かい……)
休息を求めていたアスカの身体は、襲い来る睡魔に抗うことは出来ない。キョウコの温もりと確かに伝わってくる鼓動を感じながら、深い眠りへと落ちていくのだった。
※
「……寝……わ……」
「え……子……ね」
眠っているアスカの耳に、誰かの話し声が聞こえてきた。まだ頭は睡眠の途中だった為、誰が何を話しているのかを聞き取ることは出来ない。
「……顔……いい……」
「………………ぷっ」
「もう……よ、レイ……」
それでも段々と意識が覚醒し始めたのか、話声がよりクリアに耳に入ってくる。どうやら複数人がこの場に居るようだ。楽しげな空気が言葉の断片からも伝わってきた。
(ん~なによ、うっさいわね……)
「でも……かったです」
「……そうね」
「まった……たは昔から……」
(シイとユイお姉さん。それにレイ? あ、そっか。もう半日以上寝てたのね)
意識の覚醒と同時に頭も回り始める。シイ達三人が居ると言う事は、自分はあれから翌日まで眠り続けてしまったのだろう。仮眠のつもりが本格的な睡眠になったようだ。
「えへ…………」
(あれ、もう一人? 誰かしら……どっかで聞いたことのある声……って!!)
カッと目を見開いて掛け布団を跳ね上げ、アスカは飛び起きる。そして目の前の光景……病衣を纏ったキョウコがシイ達と談笑している光景を見て、思わず言葉を失う。
「あ、アスカ起きたの? おはよう」
「……おはよう。おねしょはしていない?」
「駄目よレイ。子供の内は、みんなおねしょ位するものよ」
「おはようアスカちゃん。随分お寝坊さんだったわね~」
眠り姫の様だった母親が、自分に優しい微笑みを向けてくれている。嬉しくない訳が無いのだが、あまりに突然すぎる展開に寝起きの頭が着いていかない。
混乱する頭と煩いほど高まる鼓動を押さえ、どうにか絞り出した言葉は、
「ママ?」
僅か二文字の単語。だがその言葉には万感の思いが込められていた。
「はい、ママよ。久しぶり過ぎて、顔を忘れちゃったかしら?」
ニッコリと微笑みながら、アスカの頭を優しく撫でるキョウコ。その声、その手、その笑顔、見間違える筈も無い。何よりも求めていた母親が今、目の前に居るのだ。
「ママ~~」
もう邪魔なプライドなど欠片も残っていない。アスカは人目を気にすること無く、キョウコの胸へと顔を埋めて子供のように泣き続けるのだった。
落ち着いたアスカはユイから事の次第を聞いた。キョウコが目覚めたのは今朝早く。彼女の脳波は常に測定されていたので、目覚めを知ったユイは大急ぎで病室を訪れ、キョウコと十年ぶりの対面を果たした。
「本当は直ぐにでも検査を受けて欲しかったけど、アスカちゃんが目覚めるまでは、って聞かなくて」
「だって~。アスカちゃんと一緒に寝るのなんて、久しぶりなんだもん」
「そんなわけで、貴方が起きるまで待っていたのよ」
ため息混じりに告げるユイだったが、その表情は何処か柔らかい。キョウコが目覚めた事と比べれば、多少予定が狂った程度は、大した問題では無いのだろう。
「でも良かったね、アスカ。キョウコさんが起きてくれて」
「ま、まあね」
「……素直じゃ無い」
「うっさいわね。あたしだって驚いてるんだから、仕方ないでしょ」
朝目覚めたら母親も目覚めていた。驚かない方がおかしいだろう。
「アスカちゃんが一緒に寝たのが、良い方向に働いたんでしょうね」
「どう言う事ですか?」
「人の五感の内、嗅覚は寝ている時も鋭敏に働いているわ。そして嗅覚は人の記憶と感情に、深い関わりを持っている。アスカちゃんと一緒に寝ていて、キョウコの脳が刺激されたんでしょうね」
あくまで仮説だが、目覚めたタイミングを考えると、アスカの行動が無関係とも言えないだろう。サルベージで証明された様に、キョウコのリビドーはアスカなのだから。
かくして眠り姫は目覚めた。王子のキスではなく、純粋に母を求めた娘の愛情によって。
後日談で絶対に入れたかったキョウコのサルベージ、これにて完結です。最後までリタイアすること無く、リーダーとしてシイ達を引っ張ったアスカへの、ある意味でご褒美かもしれません。
彼女のハッピーエンドには、キョウコの存在が必要でしょうから。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。