エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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後日談《保護者の役割と資質》

 

~引く手数多~

 

 翌朝、レイは学校ではなくネルフ本部へと向かっていた。緊急の呼び出しを受けた為だったが、それが無くてもレイは乗り込むつもりであった。

 何せ昨日本部へ行ったっきり、シイが戻ってこないのだから。

(シイさん……何かあったの?)

 急用で一晩泊まるとマヤから連絡はあったのだが、そもそもそれがおかしい。普段のシイなら、自分で携帯に電話を掛ける筈。レイは嫌な予感を抱きつつ、急ぎ足で本部へと向かうのだった。

 

 

「おはよう、レイ」

「よう」

「……おはようございます」

 出迎えたミサトと加持に、レイは不審な物を感じつつ挨拶を返す。この二人が出てきた時点で、嫌な予感は確信へと変わっていた。

「……シイさんに、何があったんですか?」

「あ~やっぱ気づいてた?」

「ま、当然だろうな」

「……何かあったんですね」

 二人のリアクションを見て、自分の予感が正しかった事を理解したレイは、険しい表情でミサト達を見つめる。

「俺たちが説明するよりも、見て貰った方が早いだろう」

「案内するわ。ただ」

「……ただ?」

「覚悟はしておいてね」

 ただならぬミサトの言葉に、レイは激しい動揺をどうにか抑えて頷く。事態はそれ程悪いのかと、底知れぬ不安を抱きながら、二人の後に続いて歩き始めた。

 

 

 案内されたのはネルフ中央病院。もうレイの心は不安と緊張で、今にも押しつぶされそうだった。嫌な想像ばかりが頭に浮かび、握った拳が小さく震える。

 そして彼女はある病室へと辿り着く。ドアの脇にあるプレートに『碇シイ』とはっきり示されていたのを見て、レイは目の前が真っ白になった。

 ふらっとぐらつくレイの身体を、加持が優しく支える。

「驚かせて済まない。一応言っておくと、シイ君は病気も怪我もしていない」

「……なら何故ここに居るの?」

「口で言っても信じられないと思うわ。でも見れば分かるから」

 自動で開いたドアを通り、三人は病室へと足を踏み入れた。

 

 病室にはベッドに俯せになって絵本を読んでいる、小さな女の子の姿があった。だが肝心のシイは何処にも居ない。レイは疑惑の視線をミサト達に向けた。

「……シイさんは?」

「あのね。どうか心を落ち着けて聞いて欲しいんだけど」

「そこに居る子が、シイさんだ」

 加持の言葉を聞いたレイは、珍しく怒ったように鋭い視線で二人を睨む。

「……冗談は嫌い」

「ねえレイ。よ~く見てみて」

 ミサトに言われて、レイは少女をじっと見つめる。歳は三、四歳だろうか。黒いショートカットに、くりっとした大きな瞳。思わず抱きしめたくなるような、庇護欲をそそる可愛らしい少女だ。

 と、そこでレイは妙な感覚を抱く。この子は誰かに……いや、もう誤魔化す事もないだろう。目の前の少女から、碇シイの面影がはっきりと感じ取れたのだから。

「どうやら、気づいたみたいだな」

「……まさか」

「まあ、そう言う事よ。この子は間違い無くシイちゃんなの」

 足を楽しげに揺らしながら絵本に没頭する少女に、レイは言葉を失ってその場に立ち尽くした。

 

 やがて少女は来客に気づいたのか、絵本からレイ達へと視線を移す。

「おはよう、シイちゃん」

「やあ、お邪魔しているよ」

「みさとしゃんと、かじしゃん。おはよ~ごじゃいます」

 シイはベッドから床へ飛び降りると、礼儀正しく挨拶をする。舌っ足らずの話し方が、彼女の身体が相当幼くなっている事を、嫌でもレイに分からせる。

「……シイさん」

「おはよ~れい」

 屈託の無い笑顔を向けられ、レイの胸が大きく跳ね上がる。ひょっとしたら自分を憶えていないのではないか。そんな不安は一掃されて、更に名前を呼び捨てにされた嬉しさが全身に沸き上がってきた。

「……私の事、分かるの?」

「れいはしいのいも~と。しい、しってるもん」

「そ、そう」

 自慢げに胸を張るシイの姿に、レイはもう平常心ではいられない。ここにミサト達が居なければ、間違い無くシイを思い切り抱きしめていただろう。

 それだけの破壊力を目の前の少女は持っていたのだ。

「覚悟しといて、良かっただろ」

「……そう言う事だったのね」

「因みに副司令とリツコは、出血多量で現在輸血中なのよね」

 ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべるシイを見れば、それもあり得るとレイは納得する。冷静を装ってはいるが、自分もその仲間入りをする寸前なのだから。

「詳しい話は本部でするわ。良い?」

「……はい」

「それじゃあシイさん、また来るよ」

「うん、まらね~」

 バイバイするシイに、レイは後ろ髪を引かれる思いを振り切って本部へと向かった。

 

 

 会議室に連れてこられたレイは、鼻にティッシュを詰めた冬月から事情を聞いた。

「……また赤木博士ですか」

「ま、またって何よ!」

 こちらも鼻に栓をしているリツコが反論するが、誰一人賛同する者はいなかった。事故だろうが過失だろうが、原因となったのは間違い無いのだから。

「ごほん! では赤木君、これまでに分かった事を報告したまえ」

「ええ。まずシイさんの身体は、十歳以上若返っていると思われます」

 会議室のディスプレイに表示されるシイの身体データ。それは就学前の子供のそれに近かった。発育は個人差が大きいので一概には言えないが、リツコの報告は概ね正しいのだろう。

「そして心、精神、そう呼ばれる物も、肉体年齢と同じレベルまで逆行しています」

「どうしてよ? あんたの薬は、身体を若返らせるものだったんでしょ?」

 ミサトの疑問にはカヲルが答える。

「ふふ、肉体と精神は密接な関係があるからね」

「幼くなった身体に引っ張られてしまった、と」

「いやはや、こりゃ厄介だな」

 ただし十四歳になってから出会ったミサトや加持、レイの事を理解していたので、恐らく人に関しては最近の記憶があるのだろう。

 ゲンドウとユイ不在の現状では、不幸中の幸いと言えた。

 

 

「以上の事から今のシイさんは、私達の事を知っている幼い女の子と言えるかと思います」

「ふむ、それで赤木君。シイ君は何時、元に戻るのかね?」

「MAGIの判断では、遅くとも四日以内には薬の効果は切れるかと」

「四日、か……」

 冬月の顔に一層しわが深く刻み込まれる。今回の一件は、何が何でもゲンドウ達が戻る前にケリをつけなければならない。そうしなければ、間違い無くユイが暴走してしまうだろう。

 出張日数を考えれば間に合う計算ではあるのだが、それでもギリギリなのには変わりない。

「自然に効果が切れる以外に、何か解毒剤の様な物は無いのかね?」

「シイさんの身体に負担がかかりますので、おすすめしかねます」

「待つしか無い、か」

 議論の余地は無かった。自分達の都合でシイに負担を掛ける事など、彼らの選択肢に無いのだから。

 

 

「さて。ではそろそろ、本題に入るとしよう」

 冬月がゲンドウを真似たポーズで、重々しく口を開く。するとそれに呼応するように、会議室が緊張感に包まれ、室温が数度下がった様に感じられた。

「碇とユイ君が、シイ君を残してドイツに行けた理由が何か、分かるかね?」

「えっと、やっぱり家事全般が出来るからですか?」

「正解だ、葛城三佐」

 満足げに頷く冬月だが眼光は鋭いままだ。この質問はあくまで前振り。本題はこれからなのだから。

「だが今のシイ君に、それを望む事は出来ない」

「でしょうな」

「つまり、薬の効果が切れるまでの間、誰かがシイ君と共に生活し、彼女を保護する必要があるのだ」

 冬月の言葉に誰も返答をしない。いや、出来ない。今この瞬間、会議室は狼達が牙を隠す事無く、互いを牽制し合っている戦場と化したのだから。迂闊な発言は命取りになる。

「……必要ありません。私はシイさんの妹。私が保護します」

「なるほど正論だね。だがレイ、君は料理が出来るかな? 掃除は? 洗濯は?」

「……うっ」

「今のシイ君に必要なのは、安心できる生活環境を用意できる保護者なのだよ」

 レイはこれまで人間らしい暮らしをしていなかった。碇家で暮らすようになってからは、少しずつ家事も手伝って居るが、幼いシイと二人きりで生活出来るかと言われれば、疑問が残る。

 最も厄介な羊飼いを黙らせた冬月は、にやりと笑みを浮かべて議論を進めた。

 

 レイと同様の理由で時田と青葉、日向が候補から脱落する。冬月はさらにふるいに掛けるべく、ピンポイントで候補者を減らすことにした。

「葛城三佐と加持君も、やめておいた方が良いだろうね」

「何故ですか?」

「一応、俺は料理も出来ますよ」

「若いカップルの家に預けるのは、教育上不安が残ると思うが?」

 あの光景を見られた加持とミサトは、何も反論すること無く候補から辞退した。

 

「残るは私と、ナオコ君、伊吹二尉、そして……」

「ふふ、僕みたいだね」

「……駄目に決まってるわ」

 微笑みながら立候補するカヲルに、レイは即座に却下を申し出る。

「おやおや、どうしてだい? 僕は一人暮らしをしているから、当然家事も一通り出来るよ」

「……危険すぎる」

「それこそ問題無いよ。どんな危険が迫っても、僕ならシイさんを守ってあげられるからね」

 無駄にハイスペックなカヲルに、レイは敵意むき出しの視線を向ける。だがそれをカヲルは軽く受け流す。絶対的有利な立場が、彼に余裕を与えていた。

「私はりっちゃんを育てましたので、子供の扱いはお手の物ですわ」

「わ、私は歳も近いですから、ちゃんとやれます」

 ナオコとマヤも自分こそがと、思い切りアピールする。議長である冬月が候補者である以上、ここで結論を出す術は無かった。

「……分かった。大切なのは本人の意思、ここはシイ君に選んで貰おう」

 冬月は大きなため息を共に、確率1/4の賭けに出る事にした。

 

 

 病室の床に寝転がりクレヨンで絵を描いていたシイは、冬月達の姿を見てその手を止めた。大勢の来客が珍しいのか、不思議そうに目をぱちぱちさせる。

「んん~?」

「やあ、お楽しみの所をすまないね」

「ふゆちゅきてんて~。ろ~したの?」

 笑顔で駆け寄ってくるシイに、冬月は鼻を押さえながら上を向く。静まっていた筈の熱い血潮が、再び滾ってしまったようだ。

 彫刻のように動きを止めた冬月に替わり、ナオコがシイの前にしゃがんで視線の高さを合わせる。

「冬月先生は、ちょっと具合が悪いみたいなの。お姉さんとお話してくれる?」

「あい」

「シイちゃんのお父さんとお母さんは、お仕事でちょっとの間帰ってこられないの」

 子供にも理解出来るよう、ナオコはゆっくりと言葉を紡ぐ。この中で唯一子育て経験のある女性と言うのは、伊達では無いようだ。

「だから帰ってくるまで、お姉さんと一緒に暮らさない?」

「ま、待って下さい。赤木博士、それはずるいです」

「油断も隙も無いね」

 さらっと自分と暮らすように誘導するナオコを、マヤとカヲルは慌てて食い止める。シイの前に三人が並んでしゃがむ姿は、何ともシュールな光景だった。

 

「こりゃ駄目だわ。ねえシイちゃん、この中で一緒に暮らしたい人って居る?」

 すっかり傍観者になっていたミサトが、助け船とばかりにシイへ尋ねてみた。その問いかけにシイは一切の迷い無く、一人を指さす。

 それは寂しげに事態を見守っていた、レイだった。

「しい、れいといっしょ」

「……シイさん?」

「で、でもね、レイは――」

「れいといっしょらいい!」

 トテトテとナオコ達を通り過ぎると、シイはレイの足にしがみつく。小さな身体を目一杯使って、離れないと強い意思を周囲に示した。

 そんなシイの頭を、レイは戸惑いながらも優しく撫でる。

 

「どうやらあの二人の間には、入れそうにありませんわ」

「そうですね。……はぁ~二人とも可愛い」

「本能でリリスを求めたのか……いや、二人の絆をそれで語るのは無粋だね」

「シイ君が選んだのだ。もはや我々に異議を唱える事は叶わんな」

 親子のように姉妹のように、互いを信頼している二人を見て、他の面々は自らの敗北を認めた。

 

 

 

「……今戻った」

「お疲れ様、あなた」

 ドイツでの活動拠点としているホテルで、ユイは疲れ切ったゲンドウを優しく出迎える。朝から日付が変わる今まで会議を続けていたのだ。疲労も相当溜まっているだろう。

「彼女は?」

「もう寝かせましたわ。あなたが戻るまで起きてると聞かなかったですけど」

「そうか……」

 ゲンドウは椅子に腰掛けながら、ユイが差し出したペットボトルの水を飲む。全身に冷たい水が染み渡り、ゲンドウはようやく心から落ち着くことが出来た。

 支部の宿泊施設ではなく、わざわざ一般の宿を利用しているのは、盗聴の可能性を考えただけでなく、こうして気持ちを安らげる為でもあった。

「難航している様ですね」

「ああ。流石はツェッペリン博士と言う所だろう」

「キョウコは人気者ですから」

 ドイツ支部がキョウコの移動、サルベージに反対している理由は、彼女の命が失われる事を恐れて居るからだ。シイやユイと言う事例はあるのだが、失敗の可能性は必ず残る。

 彼らにとって、キョウコはアイドルのような存在だった。本部におけるシイが、ドイツ支部におけるキョウコなのだ。そしてそれは今も変わらない。

 そうでなければ、戸籍上アスカの母親で無くなっているキョウコが、アスカからの仕送りがあるとは言え、莫大な医療費のかかるネルフの病院で、長期療養を続けられる筈が無いのだから。

 

「だが手応えはある。意固地になって反対しているのは、彼女を娘の様に思っている老人ばかりだ。実際、ほとんどの者は彼女のサルベージを望んでいる」

「私も手伝いますか?」

「これは私の仕事だ。任せておけ。それに君にもやる事があるだろ」

 ゲンドウの言葉にユイは小さく頷く。会議に参加していないユイだったが、彼女にはゲンドウとは違う役割をもってドイツに来ていた。

「君の方は順調なのか?」

「ええ、概ね済みましたわ。明日にでも全て揃え終わると思います」

「……終わったらアスカと居てやれ。精神的に疲れている筈だ」

 少し照れたように告げるゲンドウに、ユイは嬉しそうに微笑む。自分の夫は昔から何一つ変わらず、不器用な優しさを持った可愛い人だと、改めて思えたからだ。

「分かりましたわ。さあ、あなたも休んで下さい。明日も朝からなのでしょう?」

「ああ。そうさせて貰う」

 ゲンドウは立ち上がると、シャワーを浴びに浴室へと入っていく。ユイはゲンドウを見送ると、寝室で眠っているアスカの元へ近寄り、そっと優しく髪を撫でる。

(大丈夫よ、アスカちゃん。私の自慢のあの人が、きっとキョウコを連れて帰るから)

 気のせいか、アスカの寝顔は先程までより穏やかに見えた。

 

 




シイとレイ、二人の絆はどんなトラブルでも切れる事は無いでしょう。
妹から母親代理になったレイですが、果たして幼いシイを上手く抑えられるのか。

同時進行で進んでいるゲンドウ奮闘記。作者のイメージが偏っていたせいで、情けない印象が強いゲンドウですが、ゼーレにネルフを任されるだけあって、相当優秀だと思います。
父親として、司令として、頼りになる一面を表現出来ればなと。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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