~休日の終わり~
ゲームセンターを十分過ぎる程堪能したシイは、ご機嫌な様子で繁華街を歩いていた。その胸には猫のぬいぐるみが大切そうに抱かれている。
「ふんふふ~ん」
「良かったね、シイちゃん」
「うん。ありがとうね、レイさん」
「……ええ」
満面の笑みを向けるシイに、レイは少しだけ照れたように視線を逸らす。大分慣れたとは言え、好意をストレートに受ける事にはまだ戸惑いがあった。
「にしても、レイにあない才能があったとは驚きやで」
「確かに。まさか一度で取ってしまうとはね」
当初は攻略困難と思われていた猫のぬいぐるみを、レイは一度のトライでゲットしてみせた。初心者とはとても思えないテクニックに、カヲルも素直に賞賛を口にする。
「何かコツとかあるの?」
「……対象の重量と重心、アームの角度と可動範囲、それに挟力を計算しただけ」
エヴァの操縦はイメージで行う。だがシイ達に比べシンクロ率が高くないレイには、特に繊細なイメージが求められていた。狙撃役が多かった彼女は計算能力に優れており、それがUFOキャッチャー攻略に役立ったのだ。
ゲームセンターを後にした五人は、そのまま幾つかの店を回った。気の置けない友人と過ごす時間は楽しいもので、最後にファンシーショップから出てきた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「もうこんな時間? どうして楽しい時間って、過ぎるのが早いんだろう……」
「……精神状態によって、体感時間は変化するわ」
「楽しい事は早く、辛い事は遅く感じられると言うね」
「まあ、そんだけ楽しかったっちゅうことやな」
「私も楽しかったわ。また今度、みんなでこうして遊べたら良いわね」
ヒカリの言葉に全員が賛同する。いずれ学校を卒業しそれぞれの道へ進めば、こうして揃って遊ぶ機会は少なくなるだろう。だから今は、友達と一緒に過ごす時間を大切にしたかった。
その後、シイ達はカヲルが予約していたレストランで、ディナーを食べる事になった。トウジとヒカリは遠慮したのだが、一緒に食べたいとシイに強く言われ、結局押し切られた。
流石にジャージでは不味いので、トウジは特売のジャケット購入して身に纏う。着替えたトウジを目にした女性陣の反応は、お世辞にも良いとは言えなかった。
「トウジ……」
「その、何て言ったら良いのか……」
「……ごめんなさい」
「ええって、自分でも分かっとるから。ただなレイ。頼むから謝らんでくれ」
着慣れていないせいもあるのだろうが、トウジのジャケット姿は何とも微妙な物であった。その隣に同じく学生服からジャケットに着替えたカヲルが居るから、彼のミスマッチさがなおさら目立つ。
「渚はえらい似合ってるのう」
「ふふ、ありがとう。君も回数を重ねていけば、その内着慣れてくるさ」
微笑みを浮かべるカヲルの姿は、容姿も相まってまるでホストの様にも見える。とても中学生に見えない色気が、道行く女性達から熱い視線を集めていた。
「準備も出来たし、行こうか」
余裕のカヲルを先頭に、シイ達は緊張した様子でレストランへと入店していった。
カヲルが予約していたレストランは、世間で高級店と呼ばれるお店であった。煌びやかな店内に入った瞬間、トウジはジャージで入店させなかったカヲルに心底感謝する。
「こ、こない高そうな店……ほんまに大丈夫なんか?」
「前にテレビで紹介してたわ、ここ」
トウジとヒカリはお店の雰囲気に完全に飲まれていた。それはシイも同様で、今日一日で大分少なくなった財布の中身をしきりに気にする。
「ど、どうしよう。私そんなにお金持って無い……」
「……大丈夫。私が守るから」
戸惑う四人を尻目に、カヲルはウエイターに予約している旨を告げる。すると直ぐに一同は窓際の席へと案内されていった。
高級そうな椅子を店員に引いて貰い、シイ達は恐縮しきった様子で席へと着いた。
「そんなに緊張する事は無いさ」
「うぅぅ、カヲル君はこう言ったお店に慣れてるの?」
「いや、初めてだよ」
さらっと告白するカヲルに、一同は驚きの表情を浮かべる。今までのカヲルの態度からは、とても初めて来るようには見えなかったからだ。
「知識だけは与えられて居たからね。後はその通りに行動しているだけさ」
「それはゼーレの奴らにか?」
「ああ。まあその点だけは、老人達に感謝すべきかな」
過去を過去として受け止められる強さを、今のカヲルは持っていた。
※
「ずるずる……このラーメンはいけるな」
「ええ、そうですわね。ずるずる」
冬月達はモニターを見つめながら、売店で購入したカップラーメンをすすっていた。高級レストランとは比べるまでも無い質素な食事に、何とも言えぬ味気なさを感じてしまう。
「はぁ、シイちゃん達良いな~。ずるずる」
「てかあそこって、かなり値段が張ったはずだぞ。もぐもぐ」
「そうっすよね。俺らの給料じゃ、そうそう入れないってのに……ごくごく」
ネルフの職員は国際公務員だったので、それ相応の給料を貰っている。そんな彼らですら尻込みする様な高級店。羨ましくない筈が無い。
「やりますわね。男の懐の広さをアピールしてくるとは」
「これは、なかなかポイントが高いぞ」
「でもシイちゃんは、戸惑ってるみたいですけど」
「そりゃな。誰だって最初は緊張するだろうよ」
「やっぱ男なら、こういう時にビシッとエスコート出来たら、格好良いっすよね」
モニターの向こうでは、食前酒代わりのソフトドリンクが配られ、食事が始まろうとしていた。
※
軽くグラスを合わせて、シイ達が初めて体験する高級レストランの食事が始まった。順番に出されてくる料理の美味しさに、緊張は次第に和らいでいく。
会話も弾み、五人は美味しい食事を心から満喫していた……のだが。
「…………はれ?」
メインディッシュのステーキを食べていたシイが、不意に上半身を左右に揺すり始めた。見れば顔は赤く染まり、目も何処か虚ろだ。
明らかに様子のおかしいシイに、カヲル達は心配そうな視線を向ける。
「大丈夫かいシイさん?」
「ん~へ~きらよ~」
「大丈夫や無さそうなや」
呂律の回っていないシイに一同は異常を確信した。だが何が原因かが分からない。レイ以外は同じメニューを食べているが、他には誰一人おかしくなって居ないのだから。
「体調が悪いの?」
「んん~れんれんへ~き~」
「…………」
「何か心当たりがあるのかな?」
無言のまま険しい表情を浮かべるレイに、カヲルが尋ねる。
「……前に一度、こんなシイさんを見た事があるわ」
「出来れば聞かせて欲しいね」
「……ウイスキーボンボンを食べた時」
レイの記憶には、以前本部内で猛威を振るったシイの姿がしっかりと残っていた。あの時の原因は、リツコがあげたウイスキーボンボンで酔っ払ったと聞いている。
「はぁ? なんやそれ?」
「酔っ払っちゃったって事かな? でも今日はシイちゃん、お酒なんて飲んでないわ」
「そうだね……ん、待てよ」
カヲルはハッと何かに気づくと指を鳴らし、近くに居たウエイターを呼び寄せる。
「ご用でしょうか?」
「このメインディッシュ。アルコールが入ってるのかな?」
「はい。ステーキのソースに赤ワインを使っております。ただ加熱調理してますので、アルコールはほとんど飛んでしまっておりますが」
丁寧に答えるウエイターに礼を言って下がらせると、カヲルは改めてシイをじっと見つめる。回らない呂律、上気した顔と所在なさ気に揺れる身体。そしてぼんやりした瞳。
もはや間違い無く、碇シイは酔っ払っていた。
「どうやら、予想通りみたいだね」
「……僅かに残ったアルコールで、酔ったのね」
「えへへ~れい~」
シイは椅子から立ち上がると、隣に座るレイに思い切り抱きついた。そのままレイへ頬ずりするシイを、トウジもヒカリも呆然と見つめる事しか出来ない。
「あ、あのシイが、こないなるんか……」
「お酒って怖い……」
「迂闊だったよ。まさかここまでアルコールに弱いとは」
自らの失策を悔やむカヲルの前で、シイは子供のようにレイに甘え続けていた。
※
「これはいかんな。至急、待機している保安諜報部を向かわせろ」
「私達が監視していた事が露見しますが?」
「構わん、最優先だ」
力強く言い切る冬月。確かに未成年のアルコール摂取は危険だが、そのあまりに過剰な焦り具合に、リツコ達は首を傾げてしまう。
「アルコールと言っても少量です。それ程焦る事は無いのでは?」
「甘い! シイ君があの状態になったらどうなるか、忘れた訳ではあるまい」
「「…………あっ!!」」
そこまで言われて、マヤ達はようやく合点がいった。酔ったシイは幼児退行し、とにかく甘えん坊になる。誰彼構わず抱きつき、かつては保安諜報部すらも打ち砕いていった。
そして今、彼女の側には最も危険な男が居る。
「シイ君に抱きつかれた渚が、どんな行動に出るか……考えたくも無い」
「そ、それは一大事。マヤ、至急手配して」
「了解!」
「こちら本部。保安諜報部は第一級戦闘配置だ」
「……ああ、最悪の場合銃器の使用も許可する」
一気に慌ただしい空気に包まれる発令所。まるで使徒との戦いを思い出させるような緊張感に、自然とスタッフ達の顔も引き締まる。
「ですが副司令。レイも側に居る以上、シイさんは安全なのでは?」
「無論レイは頼りにしている。だが彼女が手を下すと、被害が洒落にならんからな」
「……保安諜報部は情報規制のためですか」
「ある意味渚とレイの二人は、我々の最重要機密だからな」
冬月が穏便な決着を祈る間にも、ネルフは戦闘態勢へと移行していくのだった。
※
早々に食事を切り上げたカヲル達は、トウジとヒカリと別れて夜の街を歩いていた。千鳥足のシイはレイにべったり寄り添って、温もりを満喫している。
「れい~あったかい~」
「……ええ」
「まさかシイさんに、こんな酒癖があるとはね」
べったりくっつく二人に、カヲルは少しだけ楽しげに呟く。知らなかったシイの一面を見られた事は、彼にとって十分な収穫であった。欲を言えば自分にも抱きついて欲しかったのだが、レイがそれを許さない。
「やれやれ、そこまで警戒しなくても良いだろうに」
「……自業自得ね」
「ん~? かをるもだっこしたいの~?」
「是非お願いしたいね」
寂しげな空気を察してか、シイはカヲルの元へと近づこうとするのだが、そっとレイがその身体を包む。
「……彼に近づいては駄目」
「ろ~して~?」
「……食べられてしまうわ」
「ん~?」
首を傾げるシイに、レイは視線の高さを合わせると、優しく言葉をかける。
「……シイさんは良い子だから、言う事を聞いてくれるわね?」
「うん。しい、いいこらよ」
そんな二人のやりとりに、カヲルは苦笑を漏らす。こうして見れば、血縁関係の有無など気にするよしも無く、シイとレイは姉妹そのものだったからだ。
「デートはこれでお開きかな。シイさんが楽しんでくれたのなら良いけど」
「……楽しんで居たわ。久しぶりに見たもの。心からの笑顔を」
「なら何よりだ」
三人はゆっくりとしたペースで、マンションへと向かう。
マンションへの帰り道、不意に何かに気づいたシイが、レイの服を引っ張りながら未知の先を指さす。
「あれ~、ね~あれ~」
「ん?」
「……葛城三佐と、加持監査官」
カヲルとレイが視線を向けると、そこには二人並んで歩くミサトと加持の姿があった。どちらも私服を着ており、プライベートな時間なのだろう。
「ふふ、彼らもデートかな」
「……そうね」
夜は大人の時間。邪魔する野暮はすまいと、スルーしようとした二人だったが、シイがそれを許さない。そっとレイから身体を離すと、頼りない足取りで二人の元へと近寄っていく。
「みさと~」
「おっと、それは流石に不味いよ」
咄嗟にシイの身体を押さえようとするカヲルだが、伸ばした手をレイに止められてしまう。
「……駄目」
「君はこの状況で、それを言うのかい?」
意地でもシイに触れさせないとするレイに、流石のカヲルも眉をひそめる。
「……ええ」
「もう少し臨機応変に物事を――」
カヲルとレイが言い争いをしている間に、シイはとことことミサト達の後をついて行ってしまった。
「みさと~」
「えっ!? し、シイちゃん!?」
「こ、こいつはまた……どうしてここに」
近づいてきたシイに気づいた二人は、思い切り表情をゆがめる。一番出会いたくない場所で、一番出会いたくない人と出会ってしまったからだ。
「えへへ~」
「シイちゃん……酔ってる?」
ふらふらとした千鳥足で、ミサトに抱きつくシイ。そのただならぬ様子を見たミサトは、彼女の身に何が起きているのかを察した。
「ううん~しいね、よってらいよ~」
「……酔ってるな」
ミサトの胸に顔を埋めるシイを見て、加持はシイの状態が正常で無いと理解した。そもそもこんな時間に、こんな場所に居る時点でおかしいのだから。
「ね~ろこいくの~。しいもいく~」
「え゛……」
「そりゃ……駄目だろ」
「ろ~して~? ね~しいも~」
駄々をこねるシイに、ミサトと加持は本気で困ってしまう。そこにカヲルとレイが遅れてやってきた。
「葛城三佐、加持監査官」
「……シイさんが失礼しました」
「あ、あら、貴方達も一緒だったのね……」
「よ、よう」
助け船の登場にも、何故か二人の表情は引きつったままだ。不思議に思ったレイとカヲルは周囲を見回し、その理由を理解した。
今五人が立っているのは、男女が一時を過ごすあの場所の前だったのだから。
「あ、あのね、これはその……」
「いえ、お気になさらず。二人は恋人ですから、誰にも咎められる理由はありませんよ」
「……ええ」
中学生であるレイとカヲルに大人の気遣いされ、ミサト達は割と本気で凹んだ。
「さあシイさん。邪魔をしちゃ悪いから、一緒に帰ろう」
「やら~。しいもいっしょ~」
「……それは駄目」
レイは首を横に振って絶対に駄目だとシイの肩を掴む。ゲンドウとユイからシイを任された姉として、それだけは許してはいけない一線だった。
「ろ~しれ~?」
「あのね、シイちゃんはまだ子供だから」
「しい、ころもらないもん」
ミサトの失言が、シイを一層刺激してしまう。
「いやはや、参ったな」
「ね~ろ~しれ~? ろ~しれらめなの~?」
「シイさん。ここは男と女が一人ずつじゃないと、入っちゃいけない場所なのさ」
どうにか事態を収拾しようと、カヲルが表現をぼかしつつ説得する。だがこれが不味かった。
「むぅ~、なら~、かをるといっしょにいく~」
「「!!??」」
とんでもない爆弾発言だった。ミサトも加持も、カヲルもレイも、全員が一斉に凍り付く。それを全く意に介さず、シイはカヲルの手を引っ張って店内へと入ろうとする。
「ね~かをる~いこ~」
「…………全てはリリンの流れのままに」
その瞬間、店の前は戦場と化した。
結局、鬼と化したレイの活躍もあって、カヲルの野望は未遂で終わった。
保安諜報部の情報規制によってこの事件が表に出る事は無く、レイによって家に運ばれたシイは、食事の最中からの記憶を全て失っており、全ては闇に葬られた。
だが……。
「葛城三佐は減給だな」
「ええ。全く、子供の前で何をしてるんだか」
「……不潔」
「か、葛城さん……」
「日向さん、今日は飲みましょう」
発令所の面々に、プライベートを赤裸々に見られてしまったミサトだけが、流れ弾に当たったような、本当に不条理なダメージを受けてしまうのだった。
何とも言えぬ犠牲を出しつつ、疑似デート編は終了です。
ミサトと加持の件は、テレビ版のアレをイメージしました。子供の時は正直意味不明でしたが、今思うと結構きわどいシーンでしたね。
碇夫妻出張シリーズは、前半戦が終了しました。
後半はちょっとシリアス? に頑張ります。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。