エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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後日談《根本的な問題》

 

~誤算~

 

 暗闇の会議室で、ゲンドウはキール達から急な呼び出しを受けていた。

「……碇。此度の呼び出しの理由、分かっているだろうな?」

「ええ」

「予想外の事態だ。修正は容易では無いぞ」

「分かっております。私も内心動揺しておりますので」

 いつものポーズで返答するゲンドウに全く動揺は見られない。だが頬を流れる汗が彼の言葉が本心である事を、何より雄弁に語っていた。

「碇君。これは君の監督責任だと思うがね」

「左様。我々の、いや人類の未来をどうするつもりかね」

「……どうしましょう」

 本気で困っているらしいゲンドウは、思わずゼーレの面々に問い返してしまう。

「碇……君は良き友人であり、協力者であり理解者であった」

「…………」

「だが、良き父親では無かったようだな」

「……そもそもは、碇本家に原因があると思われますが?」

 キールの言葉に反論するゲンドウだったが、直ぐさま他の面々からの突っ込みが入る。

「いや、過去のデータを見る限り、君の元を訪れてから急激に事態は悪化している」

「責任転嫁とは見苦しいぞ」

 口々にゲンドウを責め立てるゼーレの面々だが、そこにははっきりと焦りの色が浮かんでいた。以前のように余裕が感じられず、本気でどうにかしろとゲンドウへ訴えかけている様だった。

「……キール議長があんな事言い出したのが原因です」

「君とユイの娘だ。何の問題も無いと思って当然だろう」

「子は親のコピーではありませんよ」

「だがな……まさかこれ程とは夢にも思わなかった」

 キールは手元の資料を一瞥して深いため息をつく。それに他のメンバー達も続き、会議室はまるでお通夜のような空気になってしまった。

 彼らを沈ませた原因は手元の資料……碇シイの学力調査の結果だった。

 

 発端は先日、キールがゲンドウにシイの学力調査を依頼した事からだ。シイが組織の長となる条件は大学の卒業。シイはまだ中学生とは言え、大学に進学するならそれなりの成績は必要である。

「念には念を、だ。まあ君とユイの娘なら心配無用だろうがな」

「……後日結果をお持ちします」

 断る理由が無いゲンドウは快諾し、直ぐに保安諜報部を通じてシイの学力調査を行った。だが報告されてきた結果は想像を大きく裏切るものであった。

 

「よもや大学どころか高校進学すら危ういとは……」

「圧力を掛けて入学させますか?」

「馬鹿を言え! そんな事をあの子が望む筈もあるまい」

「左様。彼女は純粋な子だよ。そんな事を知れば、長を受け入れる事も無いだろう」

「そうだ! 君は娘を信じられないのか!」

 すっかり毒気が抜かれてしまったゼーレの面々に、ゲンドウも内心同意する。ゼーレとネルフの力を持ってすれば裏口入学など容易だが、それはシイが望む事では無い。

「とはいえ、楽観視していられる状況で無いのも確かだ」

「……はい」

「碇、至急対策を立てろ。碇シイの学力を……まずは人並みに戻すのだ」

「はい。では失礼します」

 ゲンドウは頷くと静かに会議室を後にした。

 

 

「お帰りなさい。あなた」

「連中の呼び出しは、やはりシイ君の事か?」

「……ああ」

 司令室に戻ったゲンドウを、ユイと冬月が出迎える。二人は事前にシイの学力調査を知っていたので、ゼーレの呼び出し理由も理解していた。

「困りましたわね」

「うむ。原因が我々にある以上、シイ君を責めるつもりは無いが」

 元々シイは真面目な学生だったが、ネルフに来てから歯車が狂った。度重なる入院と訓練や実践の繰り返しで、勉強する時間がごっそり削られてしまったのだ。

 必死に追いつこうとするも、その勉強時間すらネルフが奪ってしまった。シイは大人達の都合に振り回された被害者とも言える。

「……私達がシイにしてやれることは何だ?」

「それはやはり、勉強を教えてやる事じゃないか?」

「ですわね。あまり好きではありませんが、シイには特別補習を受けて貰いましょう」

 シイには出来る限り自由を与えたいユイは渋い表情で決断した。それにゲンドウと冬月も同意する。

 かくしてシイの学力再生計画は、本人が全く知らぬところで幕を開けるのだった。

 

 

 シイの特別補習が始まって、一週間が過ぎた。ゲンドウ達は業務が山積みだったこともあり、シイの教師役をネルフのスタッフに委ねていた。そしてようやく時間がとれた今日、シイの様子を見学することにした。

「今日は確か……伊吹二尉が担当だったな」

「ああ。彼女は赤木君の右腕と言われる逸材だ。きっと上手くやってくれているだろう」

「優秀な人材が居て、本当に助かりますわ」

 マヤはシイとも比較的接点が多く、教師役としてはうってつけとも言える。三人は安心した様子で、補習が行われている部屋へと向かう。

 だが、何故かそこには誰も居なかった。

「ふむ、妙だな。まだ終了時間では無い筈だが」

「……私だ。伊吹二尉は何処に居る?」

 発令所に連絡を入れたゲンドウは、日向から二人の居場所を聞く。

『食堂です。シイちゃんも同じ場所に居ます』

「休憩中かしら?」

「むしろ都合が良いね。邪魔をせずに状況を確認できる」

 三人は頷き合うと、食堂へ向けて再度移動を開始した。ネルフのトップ達が揃って歩く姿に、スタッフ達が何か事件かと戦々恐々とするのだった。

 

 やがて三人は食堂へと辿り着く。そこで彼らが見たのは、食堂の厨房で楽しそうに料理をしている、エプロンと三角巾を着けたマヤとシイの姿だった。

 食堂に漂う甘い香りから、お菓子作りをしていたと想像出来る。

「ね、簡単でしょ?」

「お菓子って、もっと難しいと思ってました」

「中にはそう言うのもあるけど、ちゃんと分量を量れば失敗する事は少ないの」

「勉強になります」

 優しく語りかけるようなマヤにシイは真剣な顔で頷く。まるで仲の良い姉妹の様な二人に、ゲンドウ達は暫し呆然としていたが、ハッと我に返って足を踏み出す。

「伊吹二尉。シイ君」

「あ、冬月先生。それにお母さんとお父さんまで。どうしたの?」

 ゲンドウ達の姿を見つけて、シイはパタパタと厨房から入り口へと駆け寄る。

「……それはこちらの台詞だ」

「ねえシイ。今は休憩中なのかしら?」

「ううん、違うよ。マヤさんにお菓子作りを教わってたの」

 さらっと言い放つシイに、ゲンドウ達はジロリとマヤに視線を向ける。ネルフのトップ達に揃って見られ、マヤは思い切り狼狽してしまう。

「な、何か不備があったでしょうか」

「……無いと思うか?」

「も、申し訳ありません。正直見当がつきませんが……」

 じっと睨むゲンドウに、マヤは直立敬礼の姿勢で答える。その姿を冬月とユイは訝しむ。

「伊吹二尉。君はシイ君の教師役、そうだな?」

「はい。その通りです」

「では君は今、シイ君に何を教えていた?」

「お菓子の作り方です」

 どうも会話がかみ合っていない。マヤは自分がシイにお菓子作りを教えている事を、おかしな事だと認識していないようだった。

「……ねえマヤさん。貴方はゲンドウさんに、教師役を依頼されたのよね?」

「はい」

「何て言われたのかしら?」

「司令からは各々得意な分野を、シイちゃんに教えるようにと指示されています」

 マヤの答えを聞いてユイと冬月は得心がいった。確かにそれならマヤの行動は正しいだろう。

 間違っていたのはゲンドウの方だ。

「……何故私を見る?」

「碇。お前は教師役を頼む時、シイ君の学力について告げたか?」

「……いや」

「何故教師役を頼むのか、理由を話したか?」

「……いや」

「シイ君にこの補習の目的を説明したか?」

「……いや」

「なるほど。犯人はお前だ」

 呆れたように冬月は大きなため息をつく。理由も言わずに得意な事を教えてくれと言われれば、勉強に結びつけられる者は少ないだろう。

 マヤも例外ではなく、得意なお菓子作りをシイに教えていたのだから。

 

「ねえシイ。昨日は誰に何を教わったのかしら?」

「青葉さんにギターを習ったの。青葉さん凄いんだよ。こう、じゃかじゃかじゃーんって」

 嬉しそうにエアギターを披露するシイに、ユイは何も言えずに微笑むしか無い。シイ本人も勉強しろと言われておらず、教師役の人に習えとしか言われていないのだから。

「一昨日はね、加持さんに暗号解読を習ったんだよ。加持さんスパイみたいだよね~」

「そう、良かったわね」

「でねでね、その前は……」

 子供がその日学校で習った事を母親に報告するかのように、シイは嬉しそうにユイへ話し続ける。彼女にとって、この一週間はある意味で有意義な時を過ごしたのだろう。

 ただ学力向上には繋がらなかったが。

 

「頑張ったのね。偉いわ、シイ」

「えへへ」

 ユイに優しく頭を撫でられて、シイは嬉しそうに目を細める。

「お母さん達はもう行くけど、ちゃんとマヤさんの言う事を聞くのよ」

「うん」

 ユイは手をシイの頭からどかすと、そのままゲンドウの襟首を掴む。

「あなた、ちょっとお話があります。良いですわね?」

「……私が悪いのか?」

「他に居るのか?」

「むぅぅ」

「じゃあマヤさん。シイの事をよろしくね。……あなた、覚悟して下さいね」

 ユイは微笑みを残すと、ゲンドウを引きずるように食堂を後にした。この後ゲンドウの身に、何が起こったのかは誰も知らない。

 だがこれから一週間、ゲンドウが人前に姿を見せる事は無かった。

 

 

「……失敗か」

「いえ、十分な成果だと思いますわ」

 ゲンドウの代わりに会議に出席したユイは、堂々とした態度でキールに答える。

「学力はこれから、いくらでも向上出来ますもの。今シイに必要なのは見聞を広げる事です」

「……井の中の蛙大海を知らず、か」

「ええ。今回の経験はシイの器を広げましたわ。それは勉強で得られない大切な事と思います」

「君がそう言うなら、それが正しいのだろう」

 キールはユイの言葉に素直に頷いた。ゲンドウには口を出す他の面々も、流石にユイには下手な事を言えずに、黙って頷くしかなかった。

「因みにシイはどんな事を学んだのだ?」

「そうですわね……ギターのひき方、暗号解読法、銃の撃ち方、高速ブラインドタッチ、お菓子作りの基礎、プログラミングの基礎、エネルギー理論の基礎、他にも沢山ですわ」

 ネルフは優秀な人材の宝庫。どれも一流の人間による直接指導であったこともあり、シイは妙に専門的なスキルを身につけてしまっていた。

 これらはいずれ、シイの財産になるとユイは確信する。

「まあ良い。最終的に彼女が大学を卒業し、ゼーゲンの長となればそれで良いのだ」

「ご心配なく。あの子は私の娘ですもの」

 自信に満ちた笑みを浮かべるユイの言葉には、一切の反論を許さない絶対の説得力があった。

「……そう言えば、碇はどうした?」

「疲れが溜まっていたので、休養しておりますわ」

「そ、そうか。体調管理に気をつけろと伝えておいてくれ」

「ええ。では皆さん、ごきげんよう」

 優雅に一礼して、ユイは会議室を後にした。

 

 シイの学力再生計画は、現時点では失敗に終わった。だが元々真面目な性格である彼女だ。いずれその問題は自然と解決するだろう。

 今のシイはシナリオに翻弄される少女ではなく、自由な未来を生きる少女なのだから。

 




本編中にも何度か出てきましたが、シイの学力は芳しくありません。あれだけ入退院を繰り返して、ネルフの仕事に家事も引き受けていれば、仕方ない部分もあるでしょう。

まあユイが大丈夫だと言っているので、最終的にはちゃんと大学を卒業すると思います。と言いますか、卒業してくれないとこの小説が終わらないので……。

少々大人しめにスタートした後日談。そろそろ慣らし運転も終わりそうです。

今後もお付き合い頂ければ幸いです。

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