エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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26話 その3《始まる世界》

 

 碇ユイ強制サルベージ計画はナオコの指揮の下、急ピッチで準備が進められていた。万能の天才と呼ばれた彼女の手腕は衰えを知らず、リツコも舌を巻くばかりだ。

 技術局の面々はそんなナオコと仕事が出来る事に、大きな喜びと刺激を感じており、それも作業の速度を速める要因となっていた。

 本来この計画はネルフの使命とは何の関係も無い。ユイのサルベージが成功しても失敗しても、人類の未来に影響が出る訳でも無い。あくまでこれは碇シイが望んでいると言うだけなのだ。

 それでも誰一人として文句を言うスタッフは居なかった。シイの望みを叶えようと、ネルフの全職員は一丸となってサルベージの準備を進めていた。

 

 

 そしてサルベージ計画実行の日がやってきた。

 発令所には責任者であるナオコを筆頭に、リツコやミサト、加持に時田、ゲンドウと冬月のコンビ、そしてシイ達チルドレンが集まり、開始の時を待っていた。

「……りっちゃん。準備は良いかしら?」

「ええ。いつでも」

「ではこれより、碇ユイの強制サルベージを開始するわ」

 ナオコのかけ声で計画はスタートした。

 

 ナオコの策とは、エヴァの中に居るユイと意思疎通を行う事だった。こちらからの呼びかけでユイに生への執着を、リビドーを呼び起こさせて魂を引き戻す。

 魂の受け皿にはユイの遺伝子から造られたクローンが用意されていた。プラグに漂う身体に魂を定着させられれば、サルベージは成功となる。

「私は道を繋げて機会を作るだけ。ユイさんを説得出来るか否かは、シイちゃんと司令次第よ」

「はい。頑張ります」

「……ああ」

 シイとゲンドウは二人並んでユイとの対話に備える。プレッシャーからか震えるゲンドウの手を、シイはそっと握った。手袋を外しているゲンドウの手の平は汗で濡れており、彼が相当緊張しているのが分かる。

「大丈夫だよ。お母さんはきっと応えてくれるから」

「……そうだな」

 シイの手を握り返すゲンドウ。二人は親子の絆を確かめ合い、心を落ち着かせてその時を待った。

 

「サルベージ、サードステージをクリア。最終ステージへ移行します」

「初号機との接触を開始」

「……拒絶反応はありません」

「プラグ深度を限界まで下げなさい。双方向回線を擬似的に解放するのよ」

「了解」

 パイロットのエントリー無しで、強制的に初号機との接触を試みる。ナオコが十年の歳月をかけて苦心の末に作り上げたプログラムは、見事にそれを成し遂げて見せた。

「回線開きました!」

「通信回線をMAGIの管理下に回して」

「あ、赤木博士。エヴァからこちらにアクセスが!」

「……ようやくね。主回線を開きなさい」

 こちらからの呼びかけにユイが応えた事に、ナオコは少し抱け安堵の表情を浮かべる。少なくとも門前払いは避けられた様だ。

 やがて初号機から発令所に、ノイズ混じりの通信が入る。

『……相変わらずですわね、ナオコさん』

 少し困ったように呟く声は、碇ユイのそれだった。

 

「久しぶりね、ユイさん」

『ええ、本当に』

 ゲヒルン時代から共に働いてきた友人同士、語りたいことは山ほど在る。だが今はその時では無い。

「積もる話は貴方がこっちに来てからにしましょうか」

『……そのつもりはありませんわ』

 ナオコの言葉に、ユイは穏やかな口調ながらも明確に拒絶を示す。声から伝わってくる強い意志に、発令所の面々は説得の困難さを改めて感じた。

 自分の出番は終わりとナオコはため息をつき、シイとゲンドウに視線を送る。

「お母さん聞こえる? シイだよ」

『…………』

 シイの呼びかけに、しかしユイは応えない。不安にかられたシイは焦った様子で再度呼びかける。

「お、お母さん? 聞こえて無いの?」

『……はぁ。もうシイったら、相変わらず可愛い声なんだから』

 うっとりとしたようなユイの声に、一同は思いきり脱力する。話には聞いていたが、相当の親馬鹿と言うのは間違い無いらしい。

 出鼻を挫かれたシイだが、気を取り直してユイに語りかける。

「お母さん、お願いだから戻ってきて。私はお父さんとお母さんと一緒に暮らしたいの」

『……ごめんね、シイ。それは出来ないの』

 ユイは優しい口調ながらも、娘の願いをハッキリと拒否する。

「どうして? だってお母さん、ひとりぼっちになっちゃうんだよ?」

『そうね。でも生きていけるわ。例え地球も太陽も無くなっても、人の生きた証は残せるの』

 例え人類が滅亡しても、地球が人の住めない死の惑星になっても、S2機関を搭載した初号機は残る。仮に地球が無くなっても、初号機は宇宙を漂い人が生きた証として存在し続けるだろう。

 それこそが碇ユイの望み。その為には愛する者との決別すらも覚悟していた。

 

『だからシイ。貴方は貴方の未来を生きて。それが私の幸せだから』

「……お母さんはもう、私を抱きしめてくれないの?」

『…………』

「私はお母さんに抱きしめて欲しい。もっと、一緒に居たいのに」

『し、シイ……わ、私だって……』

 愛娘と直接交わす言葉は、ユイに動揺を与える。

「初号機のリビドーが上昇しています!」

「ふふふ、良いわよシイちゃん。ユイさんの心が揺れてるわ」

 訴えかけるシイの言葉は、ユイの強靱な精神力すら揺るがす破壊力があった。リビドーグラフは急上昇し、ユイが生への欲求を再び宿した事を示していた。

「ここは畳みかけるべきね。司令、お願いします」

「……ああ」

 満を持して夫であるゲンドウが、サングラスを直しながら一歩前に出た。

 

「ユイ……久しぶりだな」

『はい、あなた』

 初号機の中で再会したシイとは違い、ゲンドウとユイはあの事故以来、初めて言葉を交わす。求め続けていた妻の声を聞き、ゲンドウは思わず涙ぐんでしまう。

「……この時を……どれだけ待ち望んでいただろう」

『ふふ、全くもう、困った人なんだから』

 少し涙声のゲンドウに、ユイは少し嬉しそうな声色で答える。サルベージを拒否しては居るが、彼女は今でも変わらずにゲンドウとシイに対して、深い愛情を持っているのだ。

「ユイ。戻ってきてはくれないか?」

『……ごめんなさい、あなた』

「私は君との思い出がある。だがシイにはそれが無いのだ」

 以前墓参りをした時、ゲンドウはユイについてシイから質問された。それはシイが自分の母親の事を、何も知らない事を意味する。

「シイもいずれは親の元から巣立つだろう。だが今はまだ巣箱の中で、羽ばたくための翼を育む時なのだ。失われた時は戻せないが、これからそれ以上の愛情を注ぐことは出来る」

『…………』

「私だけでは駄目だ。シイの周りには良い友人と大人達が居るが、それでも足りない。シイには君が、母親が必要なのだ。頼むユイ」

『あなた……』

 見えないと分かっていても、ゲンドウはユイに深々と頭を下げる。ゲンドウが初めて見せる姿に、発令所の面々は驚きと同時に、彼の想いが本気であることを察した。

 

 本心をさらけ出したゲンドウの言葉は、シイのリビドーを上昇させた。だがそれでもまだサルベージクリアラインには到達していない。

「……疑似双方向回線を開いていられるのは、後数分よ。ここまでかしら」

「うぅぅ……お母さん」

 タイムリミットを告げるナオコに、シイが涙を流しながら俯く。もはやここまでかと思われた時、一人の男が小さく頷いてからユイへ言葉をかける。

 

「……初めまして。お母さん」

『貴方は?』

「渚カヲルです。貴女とアダムの遺伝子によって生み出されました」

「「えっ!?」」

 自己紹介するカヲルに、シイ達は揃って目を丸くする。人とアダムの遺伝子を融合させた存在、と聞いていたがまさかユイの遺伝子だとは思いも寄らなかったからだ。

「カヲル君が……お母さんの子供? 私の弟?」

「いや、どっちかっちゅうたら兄貴やろ」

 トウジの突っ込みにうんうんと一同は頷く。どうひいき目に見てもシイが妹だろう。

『そう……ゼーレに提供した遺伝子は貴方を生み出したのね』

「経緯はどうであれ、今僕が存在しているのはお母さんのお陰です。感謝しています」

『私は貴方に母親と呼ばれる資格は無いわ』

 ユイに言葉に、しかしカヲルはニヤリと笑みを浮かべる。

「いえいえ、紛れもなく貴女は僕の母ですよ。なにせシイさんのお母さんですから」

『それはどう言う事かしら?』

「こう言う事ですよ」

 カヲルはシイの側に近寄ると、不意打ちでその小さな身体を抱きしめた。

 

「ひゃっ。か、カヲル君?」

「あ、あんた何してんのよ!」

「けしからん!」

「渚君、今すぐシイさんから離れなさい!」

 我に返った冬月達がカヲルを止めようとするが、ATフィールドに阻まれてしまう。音声しか繋がっていない為、事態が掴めないユイは訝しむ様に声をかける。

『一体何が起きてるのかしら?』

「渚カヲルという少年が、シイちゃんを思いきり抱きしめて居るわ」

『!!??』

 ナオコの言葉を聞いてユイが動揺しているのが、スピーカー越しにも伝わってきた。可愛くて仕方ない娘が、いきなり男に抱きしめられたと言われれば、当然だろうが。

「ふふ、改めて呼ばせて頂きますね。お母さんと」

『だ、駄目よ。シイはまだ子供……』

 混乱しているのか、ユイは先程までの優雅さを何処かに置き去り、狼狽した様子でカヲルを止める。

「青い果実を摘み取るのもまた一興。ああ、安心して下さい。幸せにしますから」

『許さないわ。私の可愛いシイを……』

「ふふ、貴女がそこに居る限り、シイさんが僕のものになるのを、止める事など出来ませんよ」

 カヲルのATフィールドを破ろうと、アスカ達が必死に挑むのだが効果は無い。調子に乗ったカヲルは、シイの顔を引き寄せると自分の唇を近づけていく。

「か、カヲル君?」

「そう緊張しなくて良いよ」

 意味深なカヲルの言葉に、ユイはもう平常心ではいられない。

『何、何をしようとしているの?』

「そうね……渚カヲルがシイちゃんにキスを迫ってる、かしら」

『キス!? 私のシイが……そんなの駄目よ』

 ナオコから状況説明を受けて取り乱すユイだが、もはや言葉で止める事は出来なかった。実力行使しようとしているアスカ達ですら、彼を止められないのだから。

『ナオコさん、止めて』

「無理ね。渚カヲルはATフィールドを展開してるもの」

『っっっ~!!』

(……あら、これは。ひょっとして彼はこれを狙っていたの?)

 ナオコはユイのリビドーが、かつて無い程上昇しているのに気づいた。娘の危機に駆けつけたいと言う思いが、生への欲求として表れているのだろう。

 

 カヲルはシイの唇ではなく耳元に口を近づけると、ユイに聞こえない様にそっと耳打ちする。

「シイさん、お母さんに助けを求めるんだ。今の彼女なら、きっと応えてくれるよ」

「カヲル君……うん」

 意図を察したシイは頷くと大きく息を吸い込み、力の限り叫んだ。

「お母さぁぁん。助けてぇぇぇ!!」

『シイ! 今行くわ!!』

 瞬間、初号機のプラグに漂っていたクローン体にユイの魂が宿った。

 

 

「シイ、もう大丈夫よ。お母さんが守ってあげるから」

「うぅぅ、お母さん苦しい……」

 発令所に飛び込んできたユイは、シイを全力で抱きしめる。その姿に一同は苦笑しながらも、最高の結末を迎えられた事を心から喜んでいた。

「ふふ、これにて一件落着かな」

「ったく、演技なら演技って最初に言っておきなさいよね」

「彼女は聡明だからね。本気でやらなくては、とてもだませなかったさ」

 カヲルは抱き合う親子の姿を見ながら、アスカの文句を軽く流す。もしシイとゲンドウの説得が失敗した時に、最後の手段として用意していた作戦。

 事前に相談しなかったのは、何を言わなくてもアスカ達が取る行動が予想出来たからだ。

「む、無論私は最初から気づいて居たとも」

「わ、私もよ」

「お二人とも、気づいてた人間の気迫とちゃいましたわ」

 汗を流しながら強がる冬月とリツコに、トウジは呆れ混じりの突っ込みを入れる。まあそのお陰で、ユイすらも欺けたのだが。

「そう言えば、君達は冷静だったね」

「ははは。短い付き合いですが、渚君の事を少しは分かっているつもりですから」

「何だかんだで、君はシイ君を最優先に考えているからな」

「きっと何か考えがあるんだろうって、ね」

 時田達は大人の余裕を漂わせて、さりげなく冬月とリツコをチクリと責める。思い切りカヲルに乗せられた二人は、居心地悪そうに身体を縮ませた。

 

「冷静に考えてみると、あんたの作戦は結構危ない橋渡ってたわよね」

「まあね。サルベージされるか初号機が暴走するかは、一種の賭だったよ」

 初号機はS2機関を搭載しているので、外部電源無しでも稼働出来る。もしユイが初号機で発令所に乗り込んできたら、間違い無くカヲルは握りつぶされていただろう。

「あんた馬鹿ぁ? そうじゃなくて、レイが暴走してたらって話よ」

「そやな。綾波がいつもの調子で暴れとったら、全部台無しやったろうし」

「ああ、そう言う事か。それなら問題無いよ。彼女にだけは事前に話をしておいたからね」

 流石のカヲルも、レイには自分の狙いを話しておいた。もしレイが本気で暴走すれば、ユイが戻る前にシイを救出されてしまうからだ。

 演技とは言えシイに迫る事にレイは難色を示していたが、全てはシイの為と言う事で納得していた。ただカヲルがあのままシイの唇を奪っていたら、間違い無くサードインパクトが起きていただろう。

 その意味ではアスカが言った綱渡りは正しかったのかもしれない。

 

 

 サルベージは成功した。ユイの心を動かしたのは、最愛の娘であるシイへの思い。自分の目的と相反する感情を、ユイは消し去る事が出来なかったのだ。

 生き続けたい、生きた証を残したい。それは紛れもないユイの願い。だが同時に、娘ともう一度触れ合いたい、共に暮らしたいと言うのも、ユイの願いであった。

 カヲルの行動はきっかけに過ぎない。ユイは自分の意志で、この世界で生きる事を選んだのだから。

 




碇ユイのサルベージは成功しました。どうにか誤魔化そうとしていますが、結局は娘に悪い虫が付くのが我慢できないと言う、親心が決め手でした。

レイが一言も発していないのは、必死で自分を抑えている為です。演技が出来るタイプではありませんし、拳を振るわせながらカヲルを睨んでたのでしょう。

次でひとまず、本編は完結となります。
ただ、その後の世界でシイ達がどう生きているのか、と言う後日談を投稿させて頂こうと思っております。
活動報告にもありますが、本編の後に続けるか別の小説として投稿するかは、今も悩んでいます。

最終話の後書きにて、後日談の投稿方法をご連絡致します。

どうぞ最後までお付き合い頂ければ幸いです。

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