切り札であったエヴァ量産機を失った今、ゼーレに手は残されていなかった。戦闘終了後、彼らからゲンドウの元に一本の通信が入ってきた。
『君とタブリス、そして……碇シイと話がしたい』
もはやゼーレに従う義理も義務も無かったのだが、ゲンドウはそれを了承する事にした。まだ本当の意味で、ケジメが付いていないからだ。
負傷したシイの両腕に応急処置を済ませてから、三人はゼーレとの直接対話を始めるのだった。
「来たか……」
暗闇でシイ達を待っていたのはモノリスでは無く、人の姿をしたゼーレの面々だった。一様に絶望した表情を浮かべており、キールの声にも何処か力が無い。
「今更何の話でしょうか?」
「君達に聞きたい事がある」
「おやおや、それなら貴方達が出向くのが礼儀では?」
「……非礼は詫びよう」
カヲルの皮肉にも、キールは疲れ切った様子で素直に謝罪する。あまりに意気消沈した様子を見て馬鹿らしくなったのか、カヲルは口を閉ざしてしまう。
「それで、何を聞きたいのですか?」
「何故我々の計画を……人類補完計画を阻んだ? お前達は人類の滅びを望んでいるのか?」
「以前も言った筈です。私達は未来を望んでいると」
「……碇、お前には分かっている筈だ。補完計画をなさねば、人類は確実に滅びると」
キールの言葉は単なる脅しでは無い。環境問題、食糧問題、難民問題、その他数多くの問題は、確実に人類を滅びへと誘っている。今まで人類は科学を発展させる事で、度重なる苦難を乗り越えてきたが、既に科学の進歩は限界を迎えているのだ。
例え使徒の脅威が無くなっても人類に未来は望めない。それがゼーレの結論だった。
「……勝手に決めつけないで下さい」
「何?」
「私達の未来を、貴方達だけで勝手に決めつけないで下さい」
今まで黙って話を聞いていたシイは、真っ直ぐにゼーレの面々を見据えて告げた。以前の気弱な少女ではなく、強い意志を抱いたシイの姿にゼーレは戸惑う。
「決めつけるも何も無い。人類の滅びを免れる為に、我らは動いてきた」
「そこにみんなの、今生きてるみんなの意志がなければ、それは決めつけなんですよ」
「補完計画が唯一人類の救い。そこに議論の余地は一切無い」
「ううん、きっとある筈です。みんなが力を合わせれば、きっと何とかなりますよ」
力強く言い切るシイに、キールは呆れたようにため息を漏らす。シイの言葉には何一つ根拠が無く、キールには理想論にしか聞こえなかった。
「……彼女の娘とは思えない程、思慮が浅いな。所詮は子供か」
「ふふ、やれやれだね。君達は何も分かっていないよ」
「キール議長。未来を作り、未来を生きるのは子供達なのです。その子供が未来を望み、希望を持ち続ける限り、私達大人が諦めるのは些か情けないのでは?」
カヲルとゲンドウの言葉に、キールは何かを考え込んで黙ってしまう。だが代わりとばかりに、それまで沈黙を守っていたゼーレの面々が口を開く。
「だが我々ヒトは、不完全な生命体だ」
「左様。個として脆弱な我らは、群れねば生きていけないよ」
「だからこそヒトは完全な生命体に、一つになるべきだった……」
「何故それが分からぬ……」
弱々しい老人達の嘆きを、シイは首を横に振って否定する。
「不完全で良いじゃ無いですか」
「何だと?」
「私は臆病で弱虫で一人じゃ何も出来ないけど、みんなに助けて貰ってここまで来ました。ヒトにとって他人の存在は恐怖なんかじゃなくて、とっても優しくて大きな力になるんです」
「確かにリリンは個としての存在では弱い。でもそれを補い合う事が出来るのもリリンの力さ」
「補完計画など無くとも、人類は欠けている物を補えるのです」
シイ達が出した結論に、ゼーレの面々は瞳を閉じて沈黙してしまった。
長い無言の時が過ぎ、やがてキールが静かに口を開く。
「碇シイ。君の望む未来には、想像を絶する困難が待ち受けているぞ。それでも望むのか?」
「はい。みんなで頑張れば、きっと乗り越えられると思うから」
何処までも真っ直ぐなシイの眼差しを確認して、キールは小さく頷いた。
「……ならやってみるが良い。もはや我らには何も出来ないのだから」
「はい。でも皆さんもですよ」
シイの言葉にキール達は、何を言っているのか理解出来ないと首を傾げる。
「シイさんの話を聞いてたかい? みんなでと言っただろ。当然それには、貴方達も含まれているさ」
「「何っ!?」」
「世界中を一つにまとめるには、ゼーレの力は必要不可欠です。無論、表の世界に出て貰いますが」
ゼーレの存在は良くも悪くも、世界の安定に貢献していた。表沙汰に出来ない事も多々あったが、今日まで仮初めでも世界が平穏だったのは、彼らの力があってこそだ。
戸惑うゼーレの面々に、シイは姿勢を正してから深々と頭を下げる。
「お願いします。どうか力を貸して下さい。私は……みんなと未来を生きたいんです」
「あ、頭を上げたまえ」
「そんなに頼まれてしまっては……」
「断る訳にもいかない、よな?」
「左様。こんな年寄りが力になれるとも思えんが」
「必要としてくれるなら、少し頑張ってみるか、なんてな」
ゼーレの面々はおろおろと動揺しながら、キールへと視線を向ける。彼らの気持ちは決まっていたが、最終決定はやはりキールに委ねてしまう。
「……一つ、条件がある」
「何でしょうか?」
「ネルフとゼーレを即座に解散することだ」
予想外の発言にシイだけでなく、その場に居た全員が驚きの表情でキールを見つめる。だがキールは落ち着き払った様子で言葉を続ける。
「そして人類の未来を守る組織として生まれ変わらせる。どうかね?」
「あっ……はい!」
もう使徒殲滅機関は必要無い。世界を裏で牛耳る秘密結社もだ。キールがシイの意志に賛同した事を理解して、ゲンドウ達はようやく胸をなで下ろした……のだが。
「そして、その組織の長を碇シイ、君にやってもらう。それが条件だ」
「はい……って」
「「えぇぇぇぇぇ!!」」
キールの出した条件に、ゼーレの面々も加わって驚きの声を上げるのだった。
「驚く事はあるまい。そもそもこの状況を作り出したのは彼女なのだから」
「き、キール議長。流石にそれは無いでしょう」
悪びれないキールに、ゲンドウは珍しく戸惑いながら反論する。それはゼーレの面々も同じで、口にこそ出さないがキールへ目で反対を訴えていた。
「碇シイには責任がある。どんな結末を迎えようとも、その時まで諦めないと言う責任が」
「も、勿論そのつもりですけど……。私にそんな大役は……」
「無論直ぐでは無い。資質はあるだろうが、今のお前はあまりに幼く無知だからな」
予想外の展開にすっかり混乱してしまったシイに、キールは落ち着かせるように言葉を続ける。
「なら、どうするつもりなんだい?」
「碇シイが大人に……そうだな、大学を卒業するまで待とう」
それまでの間に長に相応しい人間になれと、キールは言外に告げていた。協力要請を受けたとは言え、敗北した人間の言葉とは思えない無理難題に、流石にゲンドウ達も呆れ顔になる。
だがキールは大真面目だった。
「未来を作るのは我々の様な老人ではなく子供……なるほど、それは正しいのだろう。だからこそ人類の未来を守る組織の長に、我々は相応しく無い」
「それは、そうですが……」
「全ては本人の意志次第だ。さあ、どうする碇シイよ」
バイザーに隠された瞳で、シイを真っ直ぐに見据えるキール。長年ゼーレを率いてきた威厳に満ちあふれた姿に、ゲンドウ達は口を挟まない。
これがある種の通過儀礼であると理解していたからだ。
「……やります。やらせて下さい」
じっくりと熟考した上で、シイはキールの提案を受け入れる事を決意した。そこに迷いや後悔の色は無く、強い意志がはっきりと感じ取れる。
「いいのかい? 君の人生をリリンの為に捧げる事になるよ?」
「ううん、違うよカヲル君。未来はみんなで作るんだもん」
「全てのリリンは、リリンの為に、か」
「うん。……カヲル君も協力してくれる?」
「そのつもりだよ。僕の望みは君と共に生きる事だからね」
シイとカヲルは微笑み合いながら固く握手を交わす。ヒトと使徒、今まで考えられなかった両者の結束は、死海文書から離れた、新たな未来の可能性を感じさせる。
ゲンドウもゼーレの面々は、その光景を見て感慨深げに頷く。
「碇……やはりシイはユイの娘だな」
「ええ」
「もはやシナリオは無い。ここより先は、我々自身が道を見つけるのか」
「……それが、生きると言う事なのでしょう」
これよりリリン、ヒトは自らの意志で歩み始める。
ひとまずゼーレとの決着はつきました。
ゼーレの扱いについては賛否、多分批判的な方が多いと思います。
作者が思うに彼らは純粋な悪ではなく、人類を思うが故に補完計画を進めていたと思っているので、壊滅では無く和解という形で落ち着きました。
罪を償うのに死は最悪の選択、と何処かの偉い人が言ってた気もするので。
それにゼーレを滅ぼしちゃうと、世界が大混乱になりますから。
このまま締めても良かったかもしれませんが、ちょっと蛇足します。まだシイにとって、最後のわがままが残っていますので。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。