思えば遠くに来たもので……。
時系列はゼーレとの決戦前です。
~カヲルの才能~
ゼーレとの決戦が間近に迫ったある日、第十六使徒との戦闘で破損したマステマの改修テストを行う為、シイは学校を休んで朝から本部で実験を行っていた。
最終決戦を前に完璧に調整をしたいと、リツコを始め技術局一同が気合いを込めて実験に挑んだ結果、終了予定時刻を大幅にオーバーしてしまったが、その甲斐あって新型のマステマは、最高の仕上がり具合を見せた。
テスト終了後、満足のいく結果に上機嫌のリツコは、シイと並んで本部の通路を歩く。
「良いデータがとれたわ。ありがとうシイさん」
「いえ。私の方こそ壊してばっかりで、ごめんなさい」
「兵器はそうやって進化していく物よ。……ところで、お腹空いてない?」
リツコが尋ねると同時に、タイミング良くシイのお腹が可愛らしい音を立てる。恥ずかしげに頬を染めてお腹を押さえるシイに、リツコはそっと鼻血を拭って微笑みかけた。
「今日は朝からだったものね。もうお昼だし、食事にしましょう」
「そ、そうですね……うぅぅ」
心底嬉しそうなリツコと並んで、シイは恥ずかしそうに俯きながら本部の食堂へと向かうのだった。
食堂にやってきた二人は、珍しく混雑している様子に少し驚いた様子を見せた。ネルフは交代勤務制なので、お昼時とは言えここまで人が集中する事はほとんど無い。
「あら珍しい。何かあったのかしら」
「……でもリツコさん。皆さんご飯を食べて無いです」
シイの指摘通り、食堂だというのに食事をしている職員は皆無だった。食堂に居る職員は全員、一つのテーブルの周りに集まっている。
「何かあったみたいね」
「盛り上がってるみたいですけど……」
不思議そうに首を傾げながら、二人は人垣が囲むテーブルへと近づいていく。するとそこには、テーブルを挟んで対峙するカヲルと冬月の姿があった。
「意外な組み合わせね」
「そうですね。カヲル君、冬月先生、何をしてるんですか?」
「おや、丁度良いところに来たね」
シイに声を掛けられたカヲルは、微笑みながらテーブルの上を指さす。そこには木製の将棋盤が置かれており、盤面の様子から冬月との対局中だとうかがい知れる。
「あら、将棋を指していたの?」
「副司令が得意と聞いたので、是非胸を貸して頂こうと思いまして」
さらりと言ってのけるカヲルに、シイは驚いた様に目を瞬かせる。
「カヲル君凄いね。将棋って難しいんだよね?」
「ふふ、僕もルールを知っている位の腕前だよ」
相変わらずの調子で告げるカヲルだったが、何故か対局を見守って居るギャラリーから苦笑が漏れ聞こえてくる。シイが不思議そうにしていると、不意に盤面を見ていたリツコが眉をひそめた。
「……これ、もう詰んでるわ」
「つんでる?」
「もうどう頑張っても、勝ち目が無いって事よ」
「はぁ~。やっぱり冬月先生は強いんですね」
尊敬の眼差しを向けるシイに、しかし冬月は渋い表情。見れば手は小さく震え、瞳は何処か虚ろ。頬を流れる冷や汗は、どう見ても有利な人間の姿では無かった。
「違うわシイさん。詰んでるのは……副司令の方よ」
「ああ、そうだったんで……えぇぇ!!」
「ふふふ」
足を組んで座るカヲルは、まさに勝者の笑みを浮かべながら、冬月を完全に見下していた。
「さて副司令。そろそろ時間も時間ですし、大人の対応をして頂きたい所ですが」
「ま、まだだ。まだ活路はある」
「とまあ、ここ三十分位この調子でね」
ムキになっている冬月に呆れながら、カヲルはシイに笑いかける。どっちが大人なのか分からない態度に、シイも何と言って良いのか分からずに、苦笑するしか無かった。
「こうすれば……いえ、手駒に金があるから……玉を逃がしても……これは見事に詰んでるわ」
「え? でもまだ全然駒が残ってますけど」
まだ盤上には両者の駒が多数ある。シイにはこの段階で何故負けが決まってしまうのかが理解出来なかった。
「駒が残っていても、王が取られたら負けなの。副司令の王はもう、渚君の駒から逃げる手段が無いのよ」
「そうなんですか?」
「ふふ、それは副司令が一番分かっているさ」
カヲルの言葉を証明するかのように、冬月は顔をゆがめながら右手を所在なく動かすだけ。もう打つ手が無いのは誰の目にも明白だった。
「赤木博士からも言ってくれないかな? もう投了したらどうかって」
「そうね。副司令、もう諦めた方が良いのでは?」
「それだけは許されん! この勝負だけは負けてはいかんのだ!」
諭すようなリツコの言葉に、冬月は感情を露わにして猛反発する。普段の沈着冷静のイメージからかけ離れた冬月姿に、シイもギャラリーも戸惑いを隠せない。
プライドはボロボロだろうが、所詮は遊び。何をムキになっているのかと。
状況を冷静に分析したリツコは、ある可能性に思い当たる。
「……ひょっとして、何か賭けてます?」
「うっ!」
リツコの指摘にビクリと肩を震わせる冬月。その動作にギャラリー達は納得の表情に変わった。賭け将棋ならばここまで意固地になるのも理解出来る。
「全く、副司令が規律を乱してどうするんですか」
「冬月先生……賭け事はいけないんですよ」
「そ、そんな目で私を見ないでくれ」
悲しそうなシイの視線に、冬月は許しを請うように訴えかける。
「それで一体何を賭けたんです? お金ですか?」
「…………」
口を閉ざしてしまった冬月にため息をつくと、リツコは問いかける相手をカヲルに変える。
「はぁ。渚君、貴方が勝てば何を貰えるの?」
「大した物ではありませんよ。ただとある権利を頂けるだけです」
カヲルの返答にリツコの目がすっと細められる。単純な金銭のやり取りでは無く、どうやら自分が思っていたよりも、複雑な話になっている様だと瞬時に理解したからだ。
「権利、ねぇ。それは何?」
「外で暮らす権利です」
「あれ? カヲル君は何処で暮らしてるの?」
「本部の居住区だよ。でも職場と家が同じだと、どうしてもリラックス出来ないからね」
カヲルの言いたい事は分かる。だがそれならば、わざわざ勝負する程の事でも無い。今のカヲルには外出制限も無いので、何の問題も無く外に住居を持てば良いのだから。
「で? それだけじゃ無いでしょ?」
「ふふ、流石は赤木博士。外で暮らす権利の他に、その住居を自由に選べる権利もですよ」
その瞬間、リツコは最悪の事態を想像して表情を一変させる。
「……貴方、まさか!?」
「お察しの通り。僕が勝てば、シイさんと共に葛城三佐の家に暮らす事になっています」
「「なぁぁ!!」」
カヲルの言葉にギャラリー達が一斉に殺気立つ。ここに集まっている職員のほとんどが、シイちゃんファンクラブの会員。そんな暴挙を見過ごすわけにはいかなかった。
「貴方、そんな事が許されると思ってるの!!」
「僕を責めるのは筋違いですよ。条件を飲んだのは副司令ですから」
((ギロッ!))
冷たい視線が一斉に冬月へ集まる。もう冬月は何も言えず、身体を震わせる事しか出来なかった。
「さあ副司令。持ち時間は無くなりましたよ。手が無いなら、自動的に僕の勝ちになりますね」
「ぐ、ぐぅぅぅ」
「カウントします。五、四、三、二、一……零」
無慈悲なカヲルの宣告が終わると、冬月は真っ白に燃え尽きて机に突っ伏した。自業自得とは言え、あまりに哀れな最期であった。
「ふふ、これで僕の勝ちですね。では約束通り、今日から僕はシイさんと――」
「待ちなさい!」
「おや、何か?」
「私と勝負よ」
リツコは冬月を蹴り飛ばすと、カヲルの正面に座って駒を並べ直す。
「構いませんが、何を賭けるんですか? 流石にリスク無しで勝負とは、虫が良すぎますよね」
「……私が持ってる、シイさんの秘蔵写真と動画を全部あげるわ」
「ふっ、良いでしょう」
ぼそぼそとシイに聞こえない様に耳打ちするリツコに、カヲルは納得の笑みを浮かべて頷く。本人が知らぬところで勝手に決められた条件で、カヲルとリツコの勝負が始まった。
そして二十分後。カヲルが指した一手を見て、リツコは思わず天を仰ぐ。
「赤木博士。何か言いたい事は?」
「……ま……負けよ」
ギリギリまで粘ったリツコだったが、カヲルの圧倒的な読みの前に敗れ去った。あまりにハイレベルな攻防に、ギャラリー達は思わず拍手を送ってしまう。
「そう気に病む事は無いよ。リリンにしては頑張った方さ」
「こ、これが最後のシ者の力なの……」
持ち前の計算能力の高さからリツコは、学生時代から一度も将棋で負けたことは無かった。記念すべき初敗北が、最も負けてはいけない場面で訪れた事に、彼女は深く絶望する。
「約束の物は後日頂くとして、早速引っ越しの準備をしなくては――」
「待て!」
食堂の入り口から聞こえてくる声に、その場に居た全員が一斉に振り返る。そこには、碇ゲンドウが恐ろしい程の不機嫌オーラをまき散らして立っていた。
「これは司令。まさかお説教ですか?」
「……私と勝負しろ」
抜け殻となったリツコを突き飛ばし、カヲルの向かいに座るゲンドウ。
賭け事を司令が認めた事もそうだが、冬月やリツコと言うネルフきっての頭脳派を破ったカヲルに、勝負を挑めるゲンドウの自信に、見守って居たギャラリー達は驚きの声をあげる。
「ふふ、構いませんよ。ただ何か掛けるものが必要ですが」
「……お前が決めろ」
「そうですね……では、僕が勝ったら貴方を、お父さんと呼ばせて頂きます」
((!!??))
図に乗り始めたカヲルの提案に、食堂の空気が一変する。それは万が一にも許してはいけない願い。一緒に暮らすと言うレベルでは無くなってしまう。
だがゲンドウは全く動じず、無言のまま頷いてその賭けに乗った。
「し、司令……甘く見ては駄目です……」
「そうだぞ碇……彼は……化け物だ」
カヲルと直接対決したリツコと冬月がゲンドウへ警告する。だがゲンドウは余裕の笑みを崩さない。
「案ずるな。私は負けない」
「お父さんって将棋強いの?」
「ああ。学生時代、将棋部の奴と友人だった」
ぐっとシイに親指を立てて見せるゲンドウ。その瞬間全員が悟った。終わった、と。
当然のようにゲンドウは敗れ去り、カヲルの野望は成就されたかに見えたが、そこまで世界は優しく出来ていない。ゲンドウの敗北を予期していた一人のスタッフが、最強の援軍に助けを求めていたのだ。
カヲルとゲンドウの対局が終わるとほぼ同時に、連絡を受けたレイが食堂に到着。この瞬間に、カヲルの投了が決定した。
一同は安堵のため息をつくと同時に、見事な関節技を目の当たりにして改めて思う。
綾波レイを決して怒らせてはいけない、と。
長らくお付き合い頂きました『アホタイム』これにて閉幕です。シリアスになりがちな本編の息抜きのつもりでしたが……お楽しみ頂けていれば幸いです。
さて、残すは後一話のみ。どんな未来を迎えるのか。目標のハッピーエンドにたどり着く事が出来たのか。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。