エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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いよいよ残り少なくなってきたアホタイムです。

時間軸はゲンドウと和解後、カヲル登場前となっています。


小話《涙……》

 

~シイの涙~

 

 ある日の夕方、葛城家のリビングで家計簿を広げているシイの姿があった。片手で算盤をはじき、黒ペンと赤ペンで丁寧に数字を書き込む様子は、まさに小さなお母さんそのものだ。

「ん~今月はちょっと苦しいかも……」

 ページのほとんどが赤で染まった今月の収支を見て、シイは一人ため息を漏らす。

「生活費がこれで……食費はこうなって……水道光熱費と……」

 右手でレシートや領収書を捲りながら、シイの左手は高速で算盤をはじき続ける。だが、何度計算してもやはり結果は変わらない。

「……赤字だよ。どうしよう」

 ガックリと肩を落としてシイは頭を抱える。そもそも葛城家の家計は、ミサトの給料から出る生活費と、シイとアスカを預かっている分の養育費で成り立っていた。

 だが度重なるミサトの減給によって生活費は激減。それでも節約などのやりくりで、どうにか足が出ないようにしていたのだが……遂に限界を迎えた。

 

 こういう時は原因の究明と、その対策を行うのがセオリーなのだが、既に原因は分かっていた。

「ミサトさんのビール代と……アスカの雑費だよね」

 缶ビールをこよなく愛するミサト。一つ一つは小さな出費だが、塵も積もれば山となる。一日に十本以上飲む彼女の出費が、エンゲル係数を跳ね上げる要因となっていた。

 それ以上に厄介なのがアスカの雑費だ。彼女は化粧品からシャンプー、ハンドソープに至るまでこだわりを持っていて、シイが安売りで買いだめする物を使おうともしない。

 特売日を逃さずに購入していたのだが、これもまた家計圧迫の要因だ。

「ミサトさんは発泡酒にすると泣くし、アスカは自分の決めた奴じゃないと怒るし……うぅぅ」

 万策尽きたと、シイは恨みがましく家計簿を見つめる。勿論赤字が黒字に変わる筈もなく、シイは思考のスパイラルに陥っていた。

 

「たっだいま~」

 そんな時、玄関からアスカの元気な声が聞こえてくる。

「お帰りアスカ」

「何よ暗い声出して……って、あんた何やってんの?」

 リビングに入ってきたアスカは、机に広げられた家計簿を見て不思議そうに首を傾げる。幼少からネルフで育った彼女にとって、家計簿など縁の無い代物だったからだ。

「あ、うん。今月の家計簿をつけてたんだけど……ちょっと厳しくて」

「はぁ? ミサトは結構高給取りでしょ? 国際公務員で、地位だって高いんだから」

「……減給されちゃってるから」

 理由を詳しく知らないが、ミサトは以前からたびたび減給を言い渡されていると、アスカも聞いていた。それでも悩むほど給料が安いはず無いとアスカは家計簿を覗き込み、顔を引きつらせた。

「ちょ、ちょっと、これマジなの?」

「うん」

「いくら何でもおかしいでしょ。ミサトはどれだけ給料引かれてんのよ」

「私が来てから、半分くらいになってると思う」

 シイの言葉にアスカはすっかり呆れ果ててしまった。人類を守る前に、自分の家の家計を守らなければならないなんて、馬鹿らしいにも程がある。

「で、あんたはそれで悩んでたって訳?」

「うん。こうなれば支出を減らそうと思ったんだけど」

「ミサトのビール代を削れば良いじゃん」

「……泣くから」

「ああ……」

 以前に一度、ミサトのビールを発泡酒に変えた事があった。シイにしてみれば苦肉の策だったのだが、反応は予想以上に激しかった。ミサトはみるみるやつれていき、最終的に泣きながらシイにビールを懇願したのだ。

 そんなミサトの姿を見たく無いと、シイはそれ以来ビールを決して切らすことは無かった。

「あれは一種の病気ね。他に無いの?」

「後はアスカの化粧ひ――」

「却下よ。あたしはデリケートなの。安物なんか使え無いわ」

「だよね……うぅぅ」

 一切の躊躇無く拒否したアスカに、シイは完全にお手上げとなってしまった。残る手段は一つ。

「こうなったら私のお小遣いを無しにしよう」

「あんた、小遣いなんか貰ってんの? 幾ら?」

「月に三千円……」

「しょぼ」

「うぅぅ、だけどこれを浮かせれば……うん、ギリギリだけど何とかなりそう」

 左手で素早く算盤をはじき、どうにか赤字を免れたシイは、ほっとしたように胸をなで下ろした。自分が割を食った形になったが、家計崩壊に比べるまでもない。

 

「へぇ、あんた妙な特技持ってんのね」

「特技?」

「それよ、それ」

「算盤? 特技なんてものじゃないよ。お婆ちゃんはもっと早く出来るし」

 碇家でシイは様々な習い事をしていた。算盤もその一つなのだが、身近に自分よりも遙かに優れた人が居たため、特技という認識は無い。

「ソロバンね~。初めて見たわ」

「はは、そうかも。今はみんな電卓を使うから」

 学校の授業ですら端末を使用するこの時代に、わざわざ算盤を使う人間は少なかった。

「あんたはなんで使わないの?」

「……電卓苦手なの。良くボタン押し間違えて、全部消しちゃうから」

 一つのミスで今までの計算が全て消える。そんな文明の利器とシイは非常に相性が悪かった。なのでこうして、日本古来の計算道具を使っている。

「とにかく、あんたの悩みは解決って事で良いのね?」

「うん……」

 解決と言えば解決だが、決して円満解決では無かった。

「ならご飯作ってよ。もうお腹ぺこぺこなの」

「今煮込んでる所だからもうすぐ出来るよ。お風呂沸いてるから、先に入ったらどうかな?」

「そうね。じゃ、お先に」

 バスルームへと姿を消すアスカを見送ると、シイは小さくため息をつく。お小遣いが無くなると言う事は、シイの楽しみが無くなることと同義なのだから。

(はぁ。今月はチョコレート買えないのか……)

 

 

 それから二週間後、ネルフ本部ではシンクロテストが行われていた。

「どう、マヤ?」

「前回の数値よりも、20低下しています」

 リツコはマヤのディスプレイを覗き込み、報告通りの結果に眉をひそめる。四人のチルドレンの中で、シイの数値だけが極端に下がっていたのだ。

「神経パルスにも若干の乱れが生じています」

「困ったわね」

 絶不調のシイにリツコは顔をしかめる。エヴァとのシンクロは、パイロットの精神状態に大きく左右される。間違い無くメンタルの問題だと分かるのだが、肝心の原因が全く掴めない。

「アスカ達は……問題なしね」

「はい。計器や測定装置の異常、誤差は認められません」

「シイさん個人の問題か。ミサト、あなた何か心当たりある?」

 同居人なら何か知っているかとリツコは、腕組みしてテストを見守るミサトに尋ねる。だが彼女にも心当たりが無いようで、難しい顔のまま首を横に振った。

「家じゃ変わった様子は無いわね。学校でも普段通りだって報告受けてるし」

「外的要因じゃ無いとすれば……内的要因、シイさんの中で何かがあるって事かしら」

「でも碇司令とも和解出来たし」

 今のシイに心の問題があるとは思えなかった。

「原因は不明。でも、いつまでもこのままって訳にはいかないわ」

「直接聞く?」

「正直気は進まないけど、彼女のためにもやるしかないわね」

 リツコはモニターに映るシイを見て、決意を固めるのだった。

 

 

 実験終了後、シイはミサトとリツコに呼び止められ、リツコの研究室へと連れてこられた。自分だけの呼び出しとあって、シイは不安そうに二人へ尋ねる。

「あ、あの、私何かしちゃいましたか?」

「いいえ。少し聞きたい事があるの」

「ねえシイちゃん。あなた最近、悩み事とかあるでしょ」

 一切の無駄を省き、ミサトは単刀直入に尋ねる。カウンセリングを囓っているリツコは、あまりに直接的な質問に眉をひそめるが、シイはびくっと肩を震わせてミサトの質問を肯定してしまう。

「それは私にも話せない事なの?」

「う、うぅぅ」

 むしろミサトだから話せないのだが、それを口にする事は出来ない。

「私はシイちゃんの力になれない?」

「違うんです……」

「なら聞かせて。貴方が解決出来ない悩みも、大人の私達ならどうにか出来るかもしれないわ」

「それは……ちょっと……」

 大人のミサトのせいで自分が悩んでいるとも言えない。

「貴方は私の大切な家族なの。家族が困っていたら、助けたいと思うのが当然でしょ」

「ですから……」

 ミサトが親切に優しく暖かい言葉を掛けるたびに、シイはどんどん追い詰められてしまう。その悪循環を察して、リツコがため息混じりに口を挟む。

「そこまで。あんまり矢継ぎ早に言っても、シイさんが困ってしまうわ。少し落ち着きなさい」

「……ごめん。ちょっと焦りすぎたわ。シイちゃんごめんね」

「いえ、良いんです」

 ミサトは本気で自分の事を心配してくれている。それは分かる。分かるからこそ、余計に辛かった。

 

「一息入れましょう。コーヒーを入れるわ」

 リツコは手早くサーバーでコーヒーを注ぐと、二人にカップを手渡す。部屋に広がるコーヒーの香りが、ミサトとシイの気持ちを落ち着かせた。

「ふぅ~。染みるわ」

「美味しいです」

「ふふ、ありがとう。そうそう、この間お土産を貰ったの。折角だし一緒に食べましょう」

 リツコは棚の奥から四角い紙の箱を取り出す。

「さっすがリツコ。気が利くわね。お土産ってお菓子?」

「ええ、チョコレートよ」

「!!??」

 リツコが箱の蓋を取ると、箱の中に収められたチョコレートが露わになる。一目で高級と分かるそれは、チョコレート断ちしていたシイにとって、あまりに魅力的だった。

 うっとりとチョコを見つめるシイの口元から、一筋のよだれが垂れる。

「シイちゃん」

「はい」

「よだれ、出てるわよ」

「はっ!」

 夢見心地から一気に現実へと引き戻され、シイは慌てて口元をぬぐう。だがあまりに怪しいその姿に、ミサトとリツコは疑惑の視線を向ける。

「あ、あはは。あんまり美味しそうなチョコだから、つい……」

「じぃぃぃ」

「そ、その……」

「ねえ、シイちゃん。ひょっとして、最近チョコを食べてない?」

 見事に核心を突いたミサトの一言に、シイは思い切り動揺する。隠し事が出来ない彼女の反応に、二人は間違い無いと小さく頷く。

「なるほど、それが不調の原因なのね。でもどうして食べなかったの?」

「まさかダイエット……は無いわね」

 小さく細身のシイがこれ以上やせたら、それこそ骨と皮だけになってしまう。本人も小さな身体にコンプレックスを持っているので、その線はあり得ない。

「なら、また虫歯……ううん、ご飯はちゃんと食べてたし」

「まさかシイさん。誰かに脅されてるの!? チョコを食べちゃ駄目だって」

「へっ!?」

 突拍子も無い事を言い出すリツコに、シイは思わず間の抜けた声を出してしまう。

「何て事……シイさんにとって、チョコがどれだけ大切なものだと思ってるの」

「そんなふざけた事言い出すのは……碇司令しかあり得ないわね」

「ち、違うんです」

 勝手に話を盛り上げる二人にシイは慌てて否定するが、もはや耳に届く事は無かった。彼女達の中ではゲンドウが鬼の様な冷徹さで、シイからチョコを取り上げたというシナリオが出来上がっていた。

「こうなったら直談判よ。私のシイさんに、こんな辛い思いをさせるなんて許せないわ」

「ええ。微妙に嫌な言葉が聞こえたけど、前半は同意するわ」

「だから……そうじゃなくて……」

「さあ行くわよミサト、シイさん」

 リツコとミサトはシイを引きずるように、司令室に突撃するのだった。

 

 

「……それで、私の所に来たのか」

 凄まじい剣幕で司令室に殴り込んできた二人をどうにか落ち着かせ、ひとしきり事情を聞いたゲンドウは不機嫌そうに呟いた。彼にしてみれば職務を邪魔されて、身に覚えの無い疑いを掛けられたのだから、当然の反応と言えるだろう。

「ええ。さあ司令、今すぐにチョコ禁止を解除して下さい」

「誤解だ。私はシイに何もしていない」

「しらを切るって言うんですか!」

「他に誰が居ると言うのです」

 今にも飛びかかってきそうな二人の勢いに、ゲンドウは少し考えてから腹心へと意見を求める。

「……冬月、どう思う?」

「老人達の仕業と考えるのが妥当だろうな」

「「ゼーレ……」」

 とんでもない所まで話が進んでしまった。まさかゼーレも、こんな下らない疑いを掛けられているとは、夢にも思っていないだろう。

「……老人達か。どうやら全面対決は避けられぬようだ」

「所詮、人間の敵は人間だよ」

「まだ準備は万全ではありませんが、時間がありません」

「司令、ご決断を」

「……総員第一種戦闘は――」

「待って下さい!!」

 覚悟を決めたゲンドウ達を、シイの悲鳴混じりの叫びが食い止める。もう恥も外聞も無い。これ以上黙っていたら、本気で止められない所まで行ってしまうのだから。

「私は……誰にもチョコを食べちゃ駄目なんて、言われてません」

「ならシイ。何故チョコを食べない」

 おかしな問答だが、当の本人は大まじめだ。ゲンドウの問いかけに、シイは小さな声で答える。

「それは…………から」

「大きな声で言え」

「だから、お金が無いからです!」

 情けない理由を叫びながら、シイは本気で泣きたくなった。

 

 シイは全てをゲンドウ達に話した。家計が苦しくお小遣いを削ったのだが、そのせいでチョコが買え無かったと。あまりの情けなさに、話しながら涙が止まらなかった。

 そんなシイをリツコは優しく抱きしめながら、役得とばかりにニヤニヤと笑う。

「何と言う事だ……。シイ君がこれ程苦しんで居るというのに、私は」

「葛城三佐。申し開きはあるか?」

 普段通りの口調で問い詰めるゲンドウだが、サングラスの奥に隠された目は本気で怒っていた。信じて預けていた娘がこの扱いを受ければ、やはり当然の反応だろうが。

「えっと……元々減給されたのが原因では?」

「自業自得でしょ。反省なさい」

 完全アウェーのこの場所で、ミサトの味方は誰一人居なかった。

 

「もう心配いらないわ。お姉さんがお腹一杯、チョコを食べさせてあげるから」

「お姉さんと言う歳でもあるまい。シイ君、私が買ってあげよう」

 冬月とリツコの間に軽く火花が散った。

「あら、副司令。散財せずに、老後の暮らしを心配されたら如何です?」

「生憎と蓄えはあるから余計な心配は不要だ。君こそ結婚資金を貯めたまえ。まあ、無駄かもしれんが」

 激しい舌戦を繰り広げる冬月とリツコを余所に、ゲンドウはシイに問いかける。

「……シイ、何故給料を使わない?」

「え?」

「お前には毎月、ネルフから給料が振り込まれている筈だ。何故使わない?」

 ゲンドウの言葉に冬月もリツコも遅ればせながら気づく。シイはネルフの職員として正式に契約している為、毎月少なくない額の給料が振り込まれている。

 よほどの無駄遣いをしない限り、お金が無いという事態はあり得ないのだ。

「そう言えばそうだ。シイ君、どうしてかな?」

「何か理由があるのかしら?」

「……私、お給料貰ってるんですか?」

 きょとんとするシイに、その場に居た全員が首を傾げる。給料は口座への自動振り込みだから、何もしなくても毎月カードの残高が増えていく。気づかないはずは無いが……。

 そこで冬月がまさかと懐から財布を取り出し、一枚のキャッシュカードをシイに見せる。

「シイ君。一つ聞くが、君はこんなカードを持っているかな?」

「いいえ。お小遣いはいつも手渡しですし」

「変ね。契約の時に給与振り込みの口座を開設したから、カードが渡される筈だけど」

「……あ゛」

 リツコの言葉に今まで沈黙していたミサトが、何かを思い出した様な声を漏らす。

「ミサト……まさかとは思うけど」

「あ、あはは、シイちゃんのカード……預かったままだった」

 てへへと頭を掻くミサトだったが、ゲンドウ達の視線は冷たさを増す。今回の元凶は正真正銘、葛城ミサトだったのだ。

「……赤木君。シイをお菓子屋に連れて行ってくれ。私達は葛城三佐に話がある」

「分かりましたわ。さあ、シイさん」

 リツコに背中を押されて、シイは司令室から出て行ってしまう。後に残されたのは恐ろしく怒っているゲンドウ達と、冷や汗が止まらないミサトだけとなった。

「葛城三佐……何か申し開きはあるか?」

「ここでの偽証は死罪に値する。心して発言したまえ」

「……ちょっち、ミスりました」

 その後、ミサトの体内にアルコールが入る事は無かった。

 

 

「シイさん、好きなだけチョコレートを買って良いわよ」

「良いんですか?」

「ええ。全部ミサトに払わせるから」

 お菓子屋にやってきて目を輝かせるシイに、リツコはさらりと言ってのける。本来ならミサトを気遣って自裁するシイだが、長期間のチョコ断ちをしていた今、彼女は止まらない。

「分かりました……すいませ~ん、チョコレート全部下さい」

 たっぷりのチョコレートに囲まれて、シイは幸せそうな笑顔を浮かべるのだった。




よくよく思い返してみると、ミサトの給料って結構悲惨な事になってますよね。一話から始まった減額への道、ここが終着点です。

給料などお金に関しての情報が無かった為、完全に作者の妄想で書いてます。原作と矛盾が生じると思いますが、ご了承下さい。

箸休めの小話も終わり。そろそろケリをつけに参りましょう。
TV版25話『終わる世界』ではなく、旧劇場版25話『Air』のルートに進みます。TV版ベースと謳っておきながら、申し訳ありません。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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