エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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24話 その4《最後のシ者》

 

 夕暮れのジオフロントを、カヲルはゆっくりと歩いて回る。ゲンドウ達の手回しにより、本部外に出る事を禁止されている彼にとって、ここは唯一自然と触れ合える場所であった。

 本部に配属されて数日、彼は本部の構造と目的の場所、そしてそこへ至るルートを既に調べ終えていた。

(アダム。我らの母たる存在。その元へ還るのが僕の望み……だった筈なのに)

 誕生してから疑う事も無かった目的。ここに来る前もそれは変わらなかった。だがたった数日だけだがリリンと触れ合った彼には、迷いが生まれていた。

(その為にはリリンを滅ぼさなければならない、か)

 ポケットに手を入れてカヲルはあてもなく歩き続ける。すると前方に予期せぬ人物が居るのを見つけた。彼は一瞬迷ったがやがて小さく頷くと、その人物へと近づいていく。

 彼女ならば自分の迷いを払えるかもしれないと、一筋の望みを抱いて。

 

「ふんふふ~ん」

「やあ、随分とご機嫌だね」

「カヲル君? こんなところで会うなんて珍しいね」

 シイはカヲルの姿を認めると、少し驚いた様な顔を見せる。

「ふふ、そうだね。もしかすると僕たちは、運命の糸で結ばれているのかもしれない」

「あはは、カヲル君って面白いね」

 独特の言い回しが楽しいのか、シイはカヲルの言葉を微笑みながら軽く流す。

「割と本気なんだけどね。ところで、君は何をしているんだい?」

「畑のお世話だよ。いつも世話をしている人が留守だから、その間のお手伝いなの」

 シイは右手に持ったじょうろを軽くあげてみせる。長期出張中の加持に代わって、シイは目の前のスイカ畑の世話を引き受けていた。

「カヲル君はお散歩?」

「そんなところさ。どうかな、少し話をしないかい?」

「あ、うん。良いよ。ちょっと待っててね、直ぐ終わらせちゃうから」

 シイは手早く水やりを済ませると、近くのベンチにカヲルと並んで腰をおろす。ただ隣に居るだけで、シイの存在はカヲルの心に落ち着きを与えていた。

「碇シイさん……シイさんと呼んでも良いかな?」

「呼び捨てで良いのに」

「それはもう少し進展してからにしよう」

「????」

 不思議そうに首を傾げるシイにカヲルは苦笑する。初めて出会ったときから感じていたが、この少女は根本的に幼いのだ。特に異性関係に関してはそれが顕著に見られる。

 全てはゲンドウにユイを奪われた碇家による、歪んだ教育方針の結果だった。

 

 

「君は以前僕に、大切な友達に似ていると言ったね?」

「うん。今もそう思うよ。カヲル君は綾波さんと同じ感じがするの」

「僕と綾波レイは同じ存在。共にヒトに造られたんだ」

 衝撃的なカヲルの告白だったが、意外にもシイは動揺をみせない。確信は無かったが、身に纏う空気などから、ひょっとしたらと言う予感があったからだ。

「ヒトの姿をしているけど、ヒトでは無い。それは変えようのない事実だ」

「うん」

「でも君はそれを知った上で、綾波レイを受け入れた。どうしてだい?」

 カヲルがシイに尋ねたかった疑問の一つがこれだ。彼が知る限りリリンと言う生物は、自分達と違うものを排除する性質がある。シイがレイの正体を知りつつも受け入れた理由を、カヲルは知りたかった。

 ジッと赤い瞳を向けるカヲルに、シイは事も無げに応える。

「だって、綾波さんは綾波さんだから。ヒトだとかそうじゃないとか関係ないもん」

「怖くは無いのかな? ヒトの形をした得体の知れない何かがそばに居るのに」

「それ以上言うと怒るよ」

 シイは眉をつり上げると、珍しく強い口調でカヲルの言葉を遮った。滅多に見せないシイの怒り。それはカヲルがレイだけでなく、自分自身も蔑んでいる事に対してだった。

「ヒトだから偉いの? ヒトじゃ無いと友達になっちゃいけないの? 違うでしょ」

「…………」

「私は綾波さんが好き。カヲル君とも仲良くなりたい。それだけだよ」

「不快な思いをさせてしまったね。ごめんよ」

「ううん、良いの。でも、もう言わないで欲しいな……悲しくなっちゃうから」

 泣きそうなシイの顔を見てカヲルは理解した。この少女は自分の事では無く、他人の事で心を痛めてしまう、優しい心を持っているのだと。

 自分をヒトか否かでは無く、渚カヲルと言う存在として見てくれる。これは彼にとって初めての経験だった。

(なるほど。綾波レイが君と生きたいと思う理由が……少し分かった気がするよ)

 夕日に照らされるシイの姿は、カヲルには眩しく映った。

 

 

「僕はある目的の為に生み出されたんだ」

 シイが再び隣に座るのを確認して、カヲルは懺悔のように呟き始める。

「でも今、その目的を果たす事に迷ってしまってね」

「どうしてって、聞いても良いのかな?」

「ふふ、構わないよ。そうだな……その目的を果たすには、多くの犠牲が必要だから、かな」

 流石に人類全てが犠牲になるとは言えない。ただ、直接的な表現を避けたカヲルの言葉だけでも、シイは彼の悩みの深さを察する。

「犠牲を無くしたり、減らしたりする方法は無いの?」

「残念ながら」

「そっか……カヲル君は優しいんだね」

「僕が優しい?」

 シイの口から掛けられた言葉は、カヲルが生まれて初めて言われた言葉だった。人類にとって自分は、破滅をもたらす忌むべき存在。間違っても優しい存在では無い。

「それはシイさんが僕を知らないから言えるんだよ」

「ううん。だってカヲル君は、犠牲が出る事を悩んでる。自分の事だけ考えてるなら悩まないもん」

「それは……」

 本来ならば悩む事も無い。生まれてきた使命を果たせば、それで全てが終わる。例えその結果リリンが滅びたとしても、カヲルには何の関係も無い筈だった。

 だが今彼は迷う。犠牲になるリリンとふれ合い、彼らに興味を持ってしまったから。

 

「僕はどうすれば良いんだろうね」

「カヲル君は何をしたいの?」

「僕かい?」

「うん。だって一番大事なのは、カヲル君の気持ちだもん」

 先にトウジからも言われた言葉を、再びシイに告げられる。

「カヲル君が何かをする為に生まれたとしても、それは関係ないよ。自分で考えて自分で決めるの」

「はは、随分簡単に難しい事を言うね」

「迷わない人も悩まない人も居ないよ。私もそうだしみんなそう。でもね、だから頑張れるんだと思うの。自分で決めた事に後悔しないように、一生懸命になれる。それが生きるって事だもん」

 それはシイの本心、まだ十四年しか生きていない彼女が、これまでの経験から自分なりに出した結論。一切の飾り気の無い言葉だったが、それ故にカヲルの心を大きく揺さぶった。

「自分の意思で生きる、か。……僕にも、それは許されるのかな」

「私はカヲル君に、そうして欲しいと思う」

 シイの言葉を聞いてカヲルは、何かを考えるように瞳を閉じた。それを邪魔する事をせず、シイはカヲルが答えを出すのを待つ。夕日を浴びる二人に、暫し無言の時が訪れる。

 五分、十分、あるいはそれ以上の時間をかけて、カヲルは小さな決意を持って瞳を開いた。

 

「シイさん。改めて自己紹介させて貰うよ」

 カヲルはベンチから立ち上がると、シイの目の前に移動する。何らかの決意を感じ取ったシイもまた腰を上げて、正面からカヲルと向き合う。

「僕はフィフスチルドレンの渚カヲル。そしてタブリスと言う名を持つ……使徒さ」

「カヲル君が……使徒?」

「アダムより生まれた僕は、アダムに還る事を定められている」

 驚きを隠せないシイに、カヲルは淡々と事実を告げる。

「僕がアダムに還れば、君達リリンは滅びる。未来を与えられる生命体は、一つしか選ばれないからね」

「……だから、カヲル君は悩んでたの?」

「ああ。リリンを滅ぼしてまで、アダムに還らねばならないのか。分からなくなったんだ」

 シイの前に立つカヲルからは、初めて出会ったときのような余裕は感じられ無い。自分の宿命に悩み迷うその姿は、ヒトのそれと何ら変わり無かった。

 

「シイさん。僕はどうすれば良いんだろうね」

「それはカヲル君が決めなくちゃいけない事だから。でも」

「でも?」

「私はカヲル君とも一緒に生きて行きたいな」

 シイの言葉にカヲルは驚き目を見開く。今の自分の話を聞いてなお、この少女は自分を受け入れ共に生きたいと望むと言うのだ。

「使徒である僕と?」

「お友達の渚カヲル君と」

 シイは微笑みながらそっと右手を差し出すが、彼女に出来るのはそこまで。選択肢の提示だけだ。その手を握るか拒絶するかは、カヲルが自分の意思で決め無ければならない。

 差し出された手を前にして、カヲルは以前レイした問いかけをシイにも行う。

「出来ると思うかい? 使徒とリリン、異なる生命体の共存なんて」

「難しい事は分からないけど、きっと大丈夫。みんなで頑張れば何とかなるよ」

 根拠も何も無い、ある意味無責任とも言えるシイの言葉。だが彼女には何とか出来てしまうと、周囲をその気にさせる空気があった。

 純粋に未来を見据えるシイの視線に、カヲルは自分の意思で未来を選んだ。

 

 差し出されたシイの右手が握り返される事は無かった。カヲルは身体をシイに密着させると、その小さな身体を優しく抱きしめる。

「か、カヲル君?」

「僕も……リリンと、君と生きていきたい。例えそれがどれだけ困難でも」

 突然の抱擁に困惑するシイだったが、カヲルの身体が震えている事に気づく。生まれてから今まで抱いていた宿命を捨て新たな道を選ぶ事は、彼にとって想像を絶する恐怖だったのだろう。

 シイは慈愛に満ちた表情を浮かべながら、カヲルが落ち着くまでそのままでいた。

 

「……ありがとう。もう大丈夫だよ」

 落ち着きを取り戻したカヲルは、微笑みながらシイの背に回していた手を離す。その微笑みには以前の余裕とはまた違う、進むべき道を選んだ自信のようなものが感じられた。

「君は不思議だね。幼いかと思えば、女神の様な母性も感じさせる」

「うぅぅ、どうせ私は小さいですよ……」

 頬を膨らませてふてくされるシイに、カヲルは優しく微笑みを向ける。

「僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない」

「もう、大げさだよカヲル君」

「僕は本気だよ。なんなら今、それを証明しても良い」

 カヲルは自分の顔をゆっくりとシイの顔へと近づけていく。無防備なシイにカヲルの顔が接触しようかというその瞬間、何かが二人の顔の間を凄まじい早さで通り過ぎていった。

 

 二人が何かが飛んできた方向へ視線を向けると、そこには右手に石を持ったレイが立っていた。無表情で、しかしその目に明らかな殺意を込めて。

「綾波さん?」

「や、やあ……こんなところで会うなんて奇遇だね」

 引きつった笑みを浮かべるカヲルに答えず、レイは右手に持った石を振りかぶる。

「……目標を補足。殲滅します」

「良いわよレイ。徹底的にやっちゃって」

「悪い虫の駆除が、我々の使命だからな」

「ああ、問題無い」

 投擲態勢に入ったレイの背後から、リツコと冬月、そしてゲンドウが姿を見せる。何処から出てきたと突っ込む間もなく、更なる乱入者が現れた。

「ん~良いところだったんだけどね~」

「何言ってんのよミサト! シイが変態の毒牙にかかるとこだったのよ!」

 スイカ畑の脇にある草むらから、ミサトとアスカも這い出てきた。

「はっはっは、若いってのは良いですね。ただ……抜け駆けは駄目ですよ、渚君?」

「渚……あれだけ言うたやろ。シイの扱いは気をつけた方がええって」

 ベンチの側にある自販機の影から、時田とトウジまでも出現してきた。

 

「え、え、ええぇ!?」

 突然の全員集合にシイはすっかり混乱しきっていた。一方カヲルは、自分の置かれた状況を理解しているのか、微笑みながらも頬を冷や汗が伝う。

「どうやらみなさんお揃いの様ですね」

「フィフスチルドレン。話は全て聞かせて貰った」

「君の末路がどうなるかは、分かっているな?」

 ゲンドウの言葉と同時にジオフロント中に潜んでいた黒服、保安諜報部員達が一斉に姿を見せる。その全員の手には銃が構えられており、照準は全てカヲルに合わせられていた。

(やはり……リリンにとって、僕は死すべき存在か)

 使徒としての力を使えばこの場に居る全員を殺し、アダムの元へ向かう事も出来た。だがもうカヲルにその意思は無い。

(彼女と出会えて、受け入れて貰えた。十分さ)

 両手をあげて無抵抗を示し、カヲルは死を覚悟する。だが事態は彼の予想の斜め上へと向かう。

「……渚カヲル」

 ゲンドウは全身にただならぬ空気を纏い、カヲルの元へと近づいていく。夕暮れのジオフロントが、使徒との戦い以上の緊張感に包まれる。

 そして。

「娘は……シイはやらんぞぉぉぉ」

 夕暮れのジオフロントに、ゲンドウの魂の叫びが響き渡るのだった。

 

「え?」

「もしもお前がシイと付き合いたいのなら、この私を倒してからにしろ」

 カヲルを指さし、父親としての威厳を見せつけるゲンドウ。

「いや、あの……」

「当然私もだ。山登りで鍛えた体力には自信がある。老人と侮って貰っては困るよ」

「その次は私よ。技術局の総力をあげて、貴方を倒して見せるわ」

「……碇さんは渡さない。私が守るもの」

 急展開について行けないカヲルを余所に、ゲンドウ達はシイを守るように立ちはだかる。黒服達もゲンドウの意見に賛成なのか、何度も小さな頷きを見せていた。

「えっと、僕が使徒という話は……」

「それは後で考えれば良い」

「ああ。今はお前とシイの事が最優先事項だ」

 ネルフのトップにあるまじき発言だが、誰もそれを咎めようとしない。彼らの心はゲンドウと同じなのだ。

 

 事態を理解出来ないのは、シイも同じだった。何やら物騒な空気に困惑しながら首を傾げる。

「えっと……どうなってるの?」

「はいはい、シイちゃんはここから離れてようね」

「あんたが居ると、余計に話がややこしくなるのよ」

「ま、後は渚が男を見せるかどうかや」

 戸惑うシイはミサト達に連れられて、その場から強制的に離脱させられるのだった。

 

「さあ、渚カヲル。シイが欲しければ、我々を乗り越えて見せろ」

「シイ君を……渡しはしない」

「そうよ。シイさんは私のもの」

「……私の」

 戦闘態勢に入るゲンドウ達だが、そこにはカヲルを使徒として見ている者は居ない。誰もがカヲルを個人として、シイを狙う一人の少年と認識していた。

(リリン……やはり僕には理解出来ないよ。でも、彼らは滅ぶべきでは無い)

 カヲルは少しだけ嬉しそうに微笑むと、どうやってこの場を切り抜けるか真剣に考えるのだった。

 




渚カヲル……第十七使徒タブリス。『自由意志』を司る彼は自らの意思で、使徒としての使命では無く、不確定なリリンとの共存を選びました。
彼以外の使徒では、そもそも選択肢自体が無かったでしょう。

物語はいよいよ最終局面へ向かいます。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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