レイと別れたカヲルは、シンクロテスト開始前に実験管制室を訪れた。
「失礼しますよ」
「あら、早かったのね。他の子達は着替えてるから、戻ってきたら挨拶して貰うわ」
「ええ」
朝に顔合わせをしていたミサトに言われてカヲルは軽く頷く。するとリツコが作業を中断して、カヲルの元へと近づいてきた。
「初めまして。私はE計画責任者の赤木リツコよ。よろしくね」
(この子がゼーレの秘蔵っ子……油断できないわ)
「渚カヲルです。こちらこそよろしく」
(ふふ、随分と警戒されてしまってるね。まあ当然かな)
表面上は友好的な挨拶を交わしつつも、リツコはカヲルに探るような視線を送る。だがそんな不躾な視線を受けても、カヲルは微笑みを崩さない。
「今のところ貴方が搭乗するエヴァの配備計画は無いの。当分はテストも見学して貰う事になるわ」
「ええ、構いませんよ」
「結構。……あの子達が戻ってきたわね」
二人の会話が終わるとほぼ同じタイミングで、管制室にプラグスーツに着替えたシイ達がやってきた。
「みんな。今日から配属になったフィフスチルドレンを紹介するわ」
「渚カヲルです。よろしく」
「…………あぁぁぁ!!」
軽く頭を下げるカヲルの姿を見て、シイは思わず驚きの声をあげる。その反応を楽しむように、カヲルはクスクスと笑いながらシイに近づく。
「ふふ、また会えたね。碇シイさん」
「か、カヲル君が……フィフスチルドレン?」
「黙っていてごめんよ。ただこうして君と再会出来てとても嬉しい」
「ちょっとシイ。あんたこいつと知り合いなの?」
アスカは近づくカヲルからシイを守るように立ちはだかると、訝しむ様な視線をカヲルに向けたまま、シイへと尋ねる。
「あ、うん。ほら、昨日話した男の子」
「……へぇ~。あんたが初対面でシイを口説こうとした、すけこましって訳ね」
「「なっ!?」」
嫌みたっぷりなアスカの言葉に、スタッフ全員がカヲルに視線を向ける。そこに込められた嫉妬や敵意と言った感情に、流石のカヲルも僅かに動揺してしまう。
「いや、それは誤解だよ。そうだよね、碇シイさん?」
「そうだよアスカ。もっとお話したいって言われただけだもん」
((ぎろっ!!))
全くフォローになっていないシイの発言で、カヲルへの敵意は一層強くなる。その中には無表情ながらも一番怖い、レイの視線も含まれていた。
「……それが、貴方の答えなのね」
「い、いや、違うよ。少し落ち着いた方が良いんじゃ無いかな」
何故自分が責められているのか全く理解出来ないカヲルは、とにかくこの場を落ち着けようと呼びかける。だがそんな言葉が通じるほど、ネルフスタッフは聞き分けが良くない。
「テストは開始時間を遅らせましょう」
「やむを得まい。今はこの問題を解決するのが、何より優先すべき事だからな」
既にテスト開始時間が迫っているのだが、テスト責任者の二人があっさりと開始時間延長を決める。気づけばカヲルは、周りを完全に包囲されていた。
困惑しているカヲルに、ミサトが軽く牽制を入れる。
「さ~て、ちゃっちゃとはいて貰いましょうか。ずばり、シイちゃんの事狙ってるの?」
「邪推は止めて欲しいですね。僕はそんなつもりありません」
「ふ~ん、つまりシイには魅力が無いって言いたい訳?」
((じぃぃぃぃ))
(一体どうしろって言うんだ……僕にはリリンが理解出来ないよ)
理不尽な出来事に、リリンとの壁を感じてしまうカヲルだった。
シイの説得によって、かろうじて質問と言う名の尋問から抜け出したカヲル。冷や汗を流すカヲルに、唯一冷静だったトウジが近寄りそっと耳打ちをする。
「ここで長生きしたいんやったら、シイの扱いだけは気をつけた方がええで」
「その様だね……忠告ありがとう」
「男はわしとお前だけやからな。ま、仲良くやろうや」
「……そうだね」
カヲルにとって唯一まともに会話が成立するリリンである、トウジの存在は大変貴重な存在だった。
トラブルによって開始時刻こそ遅れたものの、四人のシンクロテストは順調に進んでいった。
「全員問題は無いようね」
「はい。アスカの数値が飛び抜けて高いですが、鈴原君とレイの数値も着実に伸びています」
モニターに表示される四人のシンクロ率は、リツコを満足させるに十分な値を示していた。ミサトと冬月も頼もしげにテストに挑む子供達を見守っていたが、カヲルだけは複雑な表情を浮かべる。
(エヴァ……アダムより生まれし、人間にとって忌むべき存在。それを利用してまで生き延びようとするリリン。僕には分からないよ)
目を閉じてテストを続けるシイ達に、カヲルは寂しげな視線を向けるのだった。
※
シイ達がテストを行っていた時、ゲンドウは司令室の電話で加持と連絡をとっていた。
『なるほど、フィフスチルドレンですか。ゼーレも随分と直接的な手に出てきましたね』
「ああ。もし今居るパイロットに何かがあれば、彼に搭乗命令が出る筈だ」
『ゼーレは意のままに動かせるエヴァを手に入れられる。最悪その一機だけあれば十分、と』
加持もゲンドウと同じくカヲルによって、シイ達全員が暗殺される事を危惧していた。カヲル以外のチルドレンを失えば、エヴァはゼーレの手に落ちたも同然。
万が一それを許せば、ネルフに勝ち目は無くなるだろう。
『……彼女達の護衛は?』
「当然強化はしてある。だが完璧とは言えないだろう」
ネルフの保安諜報部は優秀だが、ゼーレの秘蔵っ子であるカヲルの力量は未知数だ。チルドレンであるカヲルの行動は制限しづらく、不安要素は多かった。
『少々厄介な状況ですね。こちらの仕事が一段落したら、俺も一度本部へ戻ります』
「君の仕事は順調なのか?」
『ええ。非公式ではありますが、日本政府はこちらの支持を決めました。情報公開が有効打になりましたよ』
日本政府は今までゼーレの支配下にあった。だがそこにも所属していた加持が働きかける事で、ゼーレからの脱却とネルフの支持を決定したのだ。
実際には明確にどちらの味方もしないと言うスタンスだったが。
『今はネルフの各支部を回っています。そうですね……一週間以内には戻れるかと』
「ああ、頼む」
ゲンドウは受話器を置くと小さく息を吐く。加持の報告は朗報なのだが、カヲルの存在がそれを打ち消してしまっていた。ネルフはゼーレによって、喉元に刃を突きつけられているとも言えた。
(一度……腹を割って話してみるか)
カヲルと直接会話をする事を、ゲンドウは真剣に検討するのだった。
※
シンクロテスト終了後、カヲルはネルフ本部にある大浴場の湯船につかっていた。当然男女別なので男湯にはカヲルとトウジしか居ないが、彼は大きなお風呂に満足していた。
「風呂も良いね。リリンの生み出した文化は、心を癒やしてくれる」
「大げさなやっちゃな」
カヲルの独特な言い回しに、隣に並んで入浴しているトウジは呆れたように呟く。この少年と出会ってまだ数時間だが、チルドレンらしく一筋縄でいかない奴だと認識していた。
「どや、あいつらの印象は。面食らったやろ」
「そうだね、なかなか個性的な子が揃っているとは思うよ」
「物は言い様やな。まあ男一人でわしも肩身が狭かったさかい、渚が来てくれてホンマ助かったわ」
「ふふ、男が苦労するのはどの世界でも同じか」
楽しげに微笑むカヲルだが、その声色には何処か諦めの色が混じって聞こえた。気になったのかトウジは、カヲルに何気なく尋ねてみる。
「何や、悩み事でもあるんか?」
「どうしてそう思うんだい?」
「何となくや。女の中で生き抜くには、空気を読めんと持たんからな」
「なるほど」
説得力抜群のトウジの言葉に、クスクスとカヲルは笑みを漏らす。あれだけ個性的な面々に囲まれていたら、それはもっともだと思ったからだ。
「……君には、生きる目的があるかい?」
「随分哲学的な話やな」
「僕はある目的を果たすために生まれてきた。でもそれを果たすべきか迷っていてね」
揺らぐカヲルの赤い瞳に、トウジは彼の本心を垣間見た。
「……なあ、渚。お前の悩みはわしが、無責任にどうこう言えるもんやない」
だからこそ、トウジは言葉を選びながら真剣に答える。本気の相手には本気で対応するのが、トウジの流儀であった。それが伝わったのか、カヲルは黙って続きの言葉を待った。
「けどな、ほんまに大事なんは、お前がどうしたいかやと思う」
「…………」
「お前の事情は分からんが、少なくとも今ここに居るお前の人生はお前のもんや。他人が決めるもんや無い」
「…………」
「っと、すまんな。柄にも無く、変な事言ってもうたわ」
「いや……とても参考になったよ」
驚きから微笑みへと表情を変えたカヲルは、トウジへ礼を告げる。それはカヲルにしては珍しい、仮面を被らない素の言葉であった。
※
暗闇に浮かび上がるモノリス達は、今日も飽きずに会議を行っていた。
「既にタブリスはネルフへと入り込んだ」
「後は流れに任せるだけだ。全てが始まり、全てが終わる」
人類補完計画。ゼーレが長い年月と莫大な資金を投じて計画してきた、人類の救済策。それが間もなく成就するとあってか、彼らはいつになく機嫌が良いようだ。
「左様。悪魔の子から神の子へ」
「それこそが我らゼーレの悲願。人類の望みに他ならない」
「エヴァシリーズも、間もなく数が揃う」
「約束の時は……間もなく訪れる」
幾つかのイレギュラーはあったが、結果として今の状況は計画の修正範囲内。彼らは全て自分達のシナリオ通りに進んでいると、確信していた。
「碇が何を企んでいようが、既に遅い」
「左様。奴にはタブリスを殲滅する以外に、選択肢は無いのだからね」
「アダムより生まれし者はアダムへ帰る。タブリスも例外では無い」
「もはや我らの計画を妨げる要素は存在しない」
「「全ては我らゼーレのシナリオ通りに」」
暗闇に男達の声が重なり合い、会議は終わりを告げるのだった。
何かと物議を醸し出した入浴シーン。シイとカヲルでは大問題ですので、男性チルドレンであるトウジの出番となりました。
意外とこの二人、相性が良いかもしれません。あくまでlikeであり、loveではありませんが。
地味にゼーレがフラグを立ててしまったので、カヲルの行く末に希望が出てきました。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。