第十六使徒殲滅から数日が経った早朝、ミサトとリツコは司令室に呼び出された。緊急の招集と言う事で、両者は緊張した面持ちで入室する。
「……来たか」
「こんな朝早くにすまんね」
忙しい中の呼び出しを冬月が詫びる。使徒が残り一体になった事で、ゼーレとの対決に向けての作業は、急ピッチで進められていた。真実を知る者が少ない今、二人の仕事量は明らかなオーバーワークだった。
「いえ、平気です」
「それで一体何事ですか?」
「……少々不測の事態が発生した」
「本日未明にゼーレから通達があった。『フィフスチルドレンをネルフに派遣する』とね」
冬月の言葉に二人の表情が強張る。チルドレンの選抜はマルドゥック機関の名でネルフが行っていた。だが今のネルフが、新たなチルドレンを選抜する事などありえない。そもそも空いているエヴァが無いのだ。
それが突然、しかもゼーレから直接派遣されるとあれば、きな臭い事この上無い。
「先程フィフスの資料が送られてきたが……過去の経歴は全て抹消済みだった」
「レイと同じですか」
「生年月日は2000年9月13日、セカンドインパクトの日だな」
「……こりゃ、疑わない方がおかしいわね」
あからさまに怪しいフィフスのデータに、ミサトは苦笑してしまう。ゼーレの力ならば戸籍は自由に作れる筈。もう少し細工を凝れば良いのにと思わずにはいられない。
「派遣は受け入れると答えたよ。今ゼーレを余計に刺激する必要も無い。それに」
「あわよくば、フィフスから情報を得られるかも知れない、と?」
ミサトの補足に冬月は頷く。ゼーレから直接送り込まれたチルドレンならば、何らかの密命を受けているのは確かだろう。それを逆手にとれば、ネルフは大きなアドバンテージを手にできる。
「フィフスは明日から本部に来る。当面は様子見をして、情報を集めようと思う」
「賛成ですわ」
「……チルドレンの護衛も増やす。フィフスの目的がシイ達の暗殺という可能性もある」
「了解です」
もし今シイ達を失えば全てが水の泡になる。特にシイは戦力面だけでなく、ミサト達の精神的支柱としても掛け替えのない存在だ。万が一があってはならない。
「話は以上だ。短い時間だが、出来る限りの対策を立てておこう」
「「はい」」
ミサトとリツコは凜々しく返答し、司令室から出て行った。
「フィフスチルドレン、渚カヲル。ゼーレの秘蔵っ子か」
「……既に老人達にとって、我らの存在は邪魔な物に変わりつつある」
人類補完計画実現のための実行組織ネルフ。それは最後の使徒を殲滅した瞬間から、ゼーレにとって不要な存在に、むしろエヴァを保有している危険な組織に変わる。
もしゲンドウがゼーレの立場ならば、やはりこのタイミングで布石を打っただろう。
「シイ君達を暗殺した後、彼が最後の使徒を倒す。ゼーレにとっては最も都合の良いシナリオだな」
「行動は逐一報告させろ。チルドレンとの接触には特に気を払え」
「言われるまでも無い。彼女達はヒトがヒトとして生きる為に残された、希望だからな」
カヲルの資料を見つめながら、ゲンドウと冬月はシイ達を守る決意を固めるのだった。
※
ある日の放課後、人気の無い第一中学校の屋上で、トウジとヒカリが向かい合っていた。二人の頬が赤く染まっているのは、夕日のせいだけでは無いだろう。
「す、すまんのう。呼び出してしもうて」
「ううん、良いの。それで……私に用って何?」
「それはやな。その、何や。ヒカリがわしに弁当を作ってくれてから、大分経つやろ」
トウジの言葉にヒカリは頷く。
「美味い弁当を作って貰うて、わしはホンマ感謝しとる」
「あ、ありがとう」
「けどわしは、ヒカリに何のお礼もしとらん」
「そんなの別に良いの。私はただ、鈴原が美味しそうに食べてくれるだけで――」
「いや、わしの気持ちの問題や。ほんでな……何も言わんと、こいつを受け取ってくれんか」
トウジはありったけの勇気を振り絞ると、綺麗にラッピングされた小箱をヒカリに差し出す。それは以前、シイ達に協力して貰って購入したアクセサリーだった。
「これ……私に?」
「わしは不器用さかい、上手く気持ちが伝えられへん。だからこいつにわしの想いを込めた」
「鈴原……」
ヒカリが受け取った小箱を丁寧に開けると、そこには小さなブローチが納められていた。シンプルだが上品な造りをしたそれを、ヒカリは愛おしげに見つめていた。
「今までありがとな。ほんで、や。もし良かったらこれからも――」
突然自分の胸に飛び込んできたヒカリに、トウジは言葉を続ける事が出来なかった。その華奢な肩に手を回すか否か、トウジは初めての事態に困惑する。
「良いの、その先は言わなくて。私は初めからそのつもりだったから」
ヒカリの答えにトウジは夕日よりも顔を真っ赤にして、ゆっくりと肩に手を回して抱きしめた。
※
そんな二人の様子を屋上の入り口から見ていたアスカ達。良いムードになったトウジとヒカリを、友人として素直に喜んでいたのだが二人が抱き合った瞬間、アスカは慌ててシイの目を塞いだ。
「わわわ、アスカ。何も見えないよ」
「あんたにはまだ早いの! 良いからお子様は黙ってなさい」
「同い年だよ~」
「精神年齢よ、精神年齢。にしてもあの二人、結構大胆ね」
シイを目を塞いだまま、アスカは抱き合うトウジとヒカリをじっと見つめる。二人の仲が深まればと思ったが、予想以上の進展に若干焦っていた。
「こりゃ……ひょっとして」
「ああ、キス位ならしちゃうかもね」
しっかりカメラを回しているケンスケが、ニヤニヤしながら答えた。彼はパソコンに詳しく耳年増なところがあるため、慌てる事無く二人の姿をフィルムに収め続けている。
「アスカ~。手を離してよ~」
「だ、駄目よ。あんたがキスなんて見た日には、それこそ寝込むかもしれないじゃない」
「……本当に外国育ち?」
「うっさいわね」
一人で生きていくと決めたアスカは、友人も恋人も作ろうとしなかった。母親を捨てた父親のせいで、男性に対して嫌悪感を抱いていた事もあり、唯一親しかった男性は加持だけ。
実はこう言った色恋に慣れていないのだ。
「でもさ、あの二人なら僕は良いと思うよ。なんだかんだ言って、お似合いだったし」
「うん」
「……そうね」
「ま、あの馬鹿はガキだから、ヒカリみたいな子じゃなきゃ絶対無理ね」
悪態をつくアスカだったが、二人の仲を祝う気持ちは他のみんなと同じだった。一番最初にヒカリから、トウジの事を相談されていた彼女は、誰よりもこの結末を喜んでいたのかも知れない。
「さて、いい絵も撮れたし、見つかる前に退散しようか」
「それは良いけど、あんたまさか今のビデオ、流したりしないでしょうね?」
「しないよ」
ジト目で牽制するアスカに、ケンスケは真剣な表情で即答した。
「これはさ、あの二人がこれからも上手くいって、もし結婚したら……その披露宴で流すつもりなんだ」
「相田君……」
「その時まで絶対に誰の目にも触れさせない。トウジの友人として約束するよ」
ケンスケの言葉には本心からの優しさが溢れていた。それを察したアスカは小さく頷くと、シイの目から手を外して、それ以上軽口を叩く事無く階段を降りて校舎へと戻っていく。
「……碇さん、大丈夫?」
「うん、まだ目がしぱしぱするけど……あっ」
「おぉ」
「……うん」
引き上げようとしたシイ達は、トウジとヒカリの唇が重なり合うのを、しっかりと見届けるのだった。
※
沈みかけの夕日が照らす街道を、シイは買い物袋を手に家路を急ぐ。夕食に使う調味料を切らしていた事を思い出したシイは、家に帰る前にコンビニに寄っていた。
「アスカ大丈夫かな……大丈夫だよね。お洗濯物を取り込むだけだし」
シイが家に帰る頃には日が沈んでしまうだろう。その前に洗濯物を取り込みたかったシイは、アスカを先に家へと帰し、洗濯物の取り込みをお願いしていた。
ただそれだけなのに、ここまで不安に駆られるのは流石はアスカと言った所か。
「とにかく急がなきゃ…………あれ?」
家路を急ぐシイの耳に、不意に誰かが歌う鼻歌が聞こえてきた。思わず足を止めて耳を澄ませると、最近聞いた事のあるメロディーが流れてくる。
「……この間授業で習った歌だ。確か……喜びの歌?」
「ふふ、正解だよ」
突然歌が止まり、代わりにシイの答えが正しいと告げる声が聞こえた。シイは声が聞こえた方、道路の反対側へと視線を向ける。
そこには銀髪の少年がバス停のベンチに腰を掛け、穏やかな微笑みを浮かべていた。透き通るような白い肌と見事な赤い瞳に、シイは目を奪われてしまう。
暫し見つめ合う二人。沈黙を破ったのは少年だった。
「歌は良いね」
「え?」
「歌は心を潤してくれる。リリンが生み出した文化の極みだよ。そう感じないかい? 碇シイさん」
「あ、うん。歌は素敵だよね」
いきなりの問いかけに少し驚いたシイだったが、少年に向けて微笑みながら答えを返した。その返答に何故か少年は苦笑を漏らす。
「どうして僕が君の名前を知っているのか……不思議じゃ無いのかな?」
「私の事を知ってるから、声を掛けてくれたんだよね?」
「……失礼だが君は、もう少し自分の立場を知った方が良いよ。人を疑う事もね」
「うぅぅ、アスカにも言われた気がする……」
申し訳なさそうにうなだれるシイに、少年は楽しげな笑みを浮かべながら、ゆっくりとベンチから立ち上がると、道路を渡ってシイの隣へ立つ。
「君は不思議な子だね。初対面の僕をまるで警戒していない」
「ん~、だって貴方は怖い人じゃないもん」
シイの答えが意外だったのか、少年は面白そうに口元を笑みの形に歪める。
「どうしてそう思うんだい?」
「私の大切なお友達に似てるの。だからきっと貴方はいい人だよ」
手を伸ばせば届く距離まで近づいても、シイは変わらず無防備に少年へ微笑む。初対面の人間をここまで信用してしまう少女に、少年は呆れると同時に興味を抱いた。
「碇シイさん。僕はもう少し君と話をしたいけど……生憎もう時間が無いみたいだ」
「あっ! 夕食の支度をしなきゃ」
既に夕日は半分以上沈んでおり、家に着く頃には完全に日が暮れてしまうだろう。家で自分の帰りを待っているアスカを思い、シイの顔に焦りの色が浮かぶ。
「ふふ、ならまた今度にしよう。きっと直ぐに会えるさ」
「うん。次に会えたらお話しようね。えっと……」
「僕はカヲル。渚カヲルだよ」
「うん。じゃあカヲル君。またね」
シイはカヲルに手を振りながら、買い物袋を片手に大急ぎで走って行った。
「彼女が碇シイ、僕と同じく仕組まれた子供か……」
沈みかけの夕日が照らす街道で、カヲルはシイの後ろ姿を見送りながら、寂しげに呟くのだった。
トウジとヒカリの関係については賛否有ると思いますが、トウジが参号機の事故でリタイアしていなければ、あり得た未来だと思います。
そして満を持して登場しましたカヲル君。作者は、南極でアダムとユイの遺伝子を融合して生まれた身体に、アダムの魂が宿っていると認識しています。
諸説有ると思いますが、この小説ではその設定で行きます。
彼の存在が物語の行く末を大きく左右します。シイとレイ、そしてリリン達と接した彼がどの様な答えを出すのか。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。
※矛盾箇所の訂正を行いました。