エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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22話 その4《親子》

 

 アスカが運び込まれた病室に、エヴァから降りたシイ達は急いで駆けつける。外傷は無く精神汚染も心配ないと言われても、自分達の目で無事を確かめずにはいられなかった。

 広い病室のベッドで静かに眠っているアスカの姿を見て、三人はようやく安堵して肩の力を抜く。

「眠っとるみたいやな」

「……よかった」

「アスカ……ごめんね。何も出来なくてごめんね」

 シイはベッドに近づくと、眠るアスカの手を握って謝罪を繰り返す。アスカの危機に何も出来なかった事が、たまらなく悔しく、申し訳なかった。

 

「ん……」

 シイの言葉が聞こえたのか、アスカは小さくうめくとゆっくり瞳を開ける。

「アスカ」

「ん~ママ~」

「「えっ!?」」

 寝ぼけたアスカは手を握るシイの身体に思い切り抱きつく。そしてそのまま小さなシイの身体を、ベッドの中へと引きずり込んでしまった。

 シイは慌てながらも必死にアスカへ呼びかける。

「アスカ、私はシイだよ?」

「ママはずっと私を守っていてくれたのね」

「うぅぅ~」

 背中に回された両手で容赦なく身体を締め付けられ、シイは苦悶の表情を浮かべる。寝ぼけているアスカには加減という言葉は無い。母に甘える娘の愛は万力にすら匹敵した。

「やれやれやな。結局惣流の奴も親離れ出来とらんかった、ちゅうことか」

「…………」

 アスカが初めて見せる子供のような姿に、トウジは困ったように頭を掻きながらも、シイをそろそろ助けてやるかと思っていると、不意に隣に立つレイの様子が変わっているのに気づいた。

「ん、どないしたんや? そない怖い顔して……なして拳握っとるんや?」

「……渡さない」

 小さな呟きを残したレイは、シイを奪い返すべくアスカへ飛びかかる。ベッドの上で繰り広げられるシイ争奪戦を見て、トウジは呆れと同時に日常が戻ってきた喜びを感じるのだった。

 

 

「ぜ~は~、あんた、本気で間接極めてきたでしょ」

「……自業自得」

「ったく、普段はおすまし人形みたいなのに、シイが絡むと人が変わるんだから」

 ベッドの上で乱れた服を直しながら、アスカは痛む右腕をさする。訓練を受けた自分が遅れをとる筈無いのだが、どうしてかレイの関節技には対応出来なかった。

「あの……アスカ。ごめんね」

「あんたが謝る事無いでしょ。悪いのは全部この女よ」

「……ママ」

 レイの呟きにアスカの顔が真っ赤に染まる。例え寝ぼけていたとは言え、シイを母親と間違えたのは事実。それをこの場に居た全員に見られたとあって、もう何も言えなくなってしまった。

 流石に可哀相になったのか、トウジがさりげなくレイを戒める。

「綾波。もうその辺にしとき」

「そうだよ綾波さん。寝ぼけて間違える事なんて、誰にだってあるんだから」

「……そうね……ぷっ」

「むきぃぃ」

 レイに飛びかかるアスカだが、今度は足の間接を完全に極められてしまう。その流れるような動作に、シイとトウジはアスカの心配よりも先に、思わず感嘆の声をあげる。

「しかし、綾波のそれは見事なもんやな」

「何か習ってたの?」

「……いいえ。ただ身体が勝手に動くの」

 明らかにレイの動きは素人のそれでは無いのだが、トウジとシイは素直に感心してしまう。

「天才っちゅう奴かのう」

「凄いな~綾波さん」

「……そ、そんな事無い」

 シイに褒められて頬を染めたレイは、一層力を込めてアスカを責め立てる。結局アスカが落ち着いたのは、タップをしてから十分以上経ってからだった。

 

 

「へぇ~そんな事になってたんだ」

 シイ達から弐号機の暴走と、使徒殲滅の顛末を聞いたアスカは、まるで人ごとのように呟いた。

「何や、覚えとらんのか」

「ま~ね。使徒の光を浴びてから嫌な事思い出しちゃって、正直その後の事は曖昧なのよね」

「何も出来なくてごめんね」

「だから良いって。後であのひげ親父に、落とし前つけさせるつもりだから」

 救出しようとした三人を制止したゲンドウ。シイ達を責める気は毛頭無かったが、自分を見殺しにしようとしたゲンドウには、蹴りの一発でも入れてやろうと考えていた。

「それはおいといて、あたしもママに会ったわ」

「……惣流・キョウコ・ツェッペリン博士ね」

 レイの呟きをアスカは頷いて肯定する。

「そりゃシイと同じやな」

「考えてみれば初号機にはシイの、弐号機にはあたしのママが眠ってるんだもんね。シイが会えたのなら、あたしが会えない理由なんて無いもの」

 対話まで果たしたシイとは違い、アスカは母親と言葉を交わせていない。それでも母親の存在を、自分を愛して守ってくれるキョウコを感じる事は出来た。

「そっから先は覚えて無いわ。ママに抱かれて……気づいたらレイに関節技を極められてたのよ」

「天国から地獄やな」

 言い得て妙なトウジの言葉に、シイも苦笑するしか無い。

「あ、あはは」

「……心を開けば、エヴァは応えてくれるわ」

 かつてアスカが馬鹿にした、レイのエヴァに心があるという発言。リツコの暴露とシイの件で理解はしていたが、何処か疑ってもいた。だがそれは今回自分が体験した事で確信に変わった。

 奇しくも使徒の精神攻撃が、アスカにトラウマを乗り越えるきっかけを与えてくれたのだった。

 

 

「……碇さん。時間よ」

「あ、うん」

「何よ。まだ事後処理とか残ってんの?」

「ちゃうちゃう。忘れたんか? 今日はシイの奴が、親父さんとケリをつける日やって」

 トウジに言われてアスカはハッと目を見開く。完璧に忘れていたのだが、使徒と激しい攻防を繰り広げた彼女を責める事は、誰にも出来ないだろう。

「じゃあアスカ。行ってくるね」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。あたしも……」

 ベッドから起き上がろうとするアスカをトウジが制する。

「あかんで惣流。こらシイの戦いや」

「……サポートは副司令に任せてあるわ」

「でも」

 心配そうな視線を向けるアスカにシイは優しく微笑む。

「大丈夫だよアスカ。お父さんは一人だけど、私にはみんなが着いていてくれるから。きっと大丈夫」

「加持の兄貴も時田のおっさんも、姐さんもミサトさんもばっちしサポートしとるわ」

「……今、このネルフ本部は碇さんの味方」

 アスカはレイの言葉の意味を理解して、苦笑交じりに頷く。今このネルフ本部内で、シイに危険が及ぶ可能性は限りなく低い身体。

「分かったわよ。シイ、見せ場を譲ってあげるんだから、ダサいとこ見せないでよ」

「うん。じゃあ行ってきます」

 病室に三人を残して、シイは一人司令室へと向かうのだった。

 

 

 

 シイは大きく深呼吸をし、手のひらに人の文字を書いて舐めると、意を決してドアをノックした。

「碇シイです」

「……入れ」

 不機嫌そうなゲンドウの声を受け、開かれたドアから一歩踏み出してシイは司令室へと入る。正面には執務机に向かうゲンドウ。そしてその脇に立つ冬月の姿があった。

 二人の視線を受けながら、シイは堂々とした足取りで部屋の中央へと進む。

「先に言っておくが私は忙しい。下らぬ用事なら後にしろ」

「ううん。大切なお話があります」

 睨み付けるゲンドウに一歩も引かずシイは答える。ゲンドウから見えないように、冬月が小さく頷いてくれる事が、自分は一人では無いと心の余裕を与えてくれた。

「……手短に言え」

「はい。お父さん……人類補完計画を中止して下さい」

「…………」

 ゲンドウは無言でシイを睨み付ける。娘から告げられた予想外の言葉に動揺していたが、それを表に出さずにゲンドウは威圧的に問い返す。

「何故お前がそれを知っている?」

「お母さんから聞きました。ゼーレの存在も、人類補完計画も、全部です」

「ユイ……何故だ」

 同じ志を持っていた妻の行動に、ゲンドウは戸惑わずにいられない。ゼーレの補完計画は別として、自分の補完計画にユイは賛同していた筈。いや、そもそも補完計画の発案はユイなのだから。

 それなのにシイへ計画を暴露する。ゲンドウの困惑は相当のものだった。

「ゼーレの人達は、人類をやり直そうとしてるんだよね。全てを一つにして」

「そうだ。だが……」

 ゲンドウの言葉を先読みしてシイは言葉を紡ぐ。

「お父さんが違う計画をやろうとしてるのも知ってる。やり直しじゃなくてもっと先に。人類を神様にしちゃおうとしてるって教えて貰ったの」

「……その通りだ。そしてそれはユイの願いでもある」

「うん。だけどそれは人類みんなの望みじゃ無いの」

 ユイは自らの望みをわがままだと言った。自分の目的の為に他者を巻き込むのならそれはエゴだ。ユイはそれを自覚した上でなお、決意を変えなかった。

「だから私は止める。お父さんとお母さんのわがままを。この世界で生きたいって言う、私のわがままで」

「……お前に何が出来る?」

「私一人じゃ何も出来ないと思う。でも私は一人じゃ無いから。みんなが力を貸してくれるから、きっと何とか出来る。補完計画とは違う、別の未来を見つけられるって信じてるの」

 胸を張り真っ直ぐにゲンドウを見つめるシイ。彼女の言葉には何の根拠も無いのだが、その眼差しには一切の嘘も不安も無い。純粋に人として生きる未来を信じている目だった。

(ユイ……お前を変えたのはこれか。……シイに未来の可能性を見いだしたのだな)

 かつてのユイの様に周囲に希望を与える何かを、ゲンドウはシイから感じた。子供だと思っていた娘の成長に、ゲンドウは両手で隠した口元に笑みを浮かべるのだった。

 

「もしそれでも私が計画を止めなければどうする?」

「ううん。もうお父さんの計画は上手くいかないの」

 訝しむゲンドウに、これまで沈黙を守っていた冬月が満を持して言葉を発する。

「既にレイは自我を持ち、お前の手から離れている。融合は不可能だ」

「冬月、裏切ったのか? ……いや、貴方は元々計画に反対でしたね」

「ユイ君の望みを叶えるつもりだったが、この世界にはまだ未練がある」

「……なるほど。既に私は詰んでいたのか」

 最大の理解者である冬月がシイについている以上、ゲンドウの手は封じられてしまう。シイとの会話の結果を問わず、ゲンドウは自分の計画が破綻していた事を悟った。

「私だけでは無いぞ。加持君も葛城三佐も、時田博士と赤木君もシイ君の協力者だ」

「アスカと綾波さん、鈴原君もです」

「……そしてユイも、か」

 自嘲気味にゲンドウは呟く。だがシイは小さく首を横に振り、その言葉を否定した。

 

「お母さんには……ゼーレともお父さんとも違う、自分の計画があるんだと思う」

「何だと!?」

「ねえ、お父さん。ちょっと耳を貸して」

 シイは机を脇から回り込み、ゲンドウに身体を近づける。そのまま娘の急接近に緊張するゲンドウへ、自分が考えるユイの目的を告げた。

「――これが、お母さんが目指している未来だと思う」

「ユイは……私を捨てたのか」

「お母さんは言ったよ。今でもお父さんと私を愛してるって」

 シイはうなだれるゲンドウに、ユイの愛情は変わらずに存在する事を優しく告げた。

「でもそれ以上に自分の望みを叶えたいんだと思う」

 ユイははっきりとシイに告げていた。これは自分のわがままだと。

 

「私はお母さんと一緒に居たい。お父さんとお母さんと一緒に暮らしたい。お父さんは?」

「……ああ、そうだな」

「なら戦おうよ、お父さん」

 予期せぬシイの言葉に、ゲンドウは思わず顔を上げてシイを見つめる。自分よりも小さな少女は、この事実を知ってもなお希望を失っていなかった。

「譲れないものを守る為なら、戦う事を恐れちゃ駄目」

「シイ、お前は……」

「これは私のわがまま。お母さんと私、どっちのわがままが通るかの勝負なの」

 シイの望みとユイの望みは相容れぬものだった。主張が対立した時、話し合いが通じない時、どうすれば良いのかをシイは母親から学んだ。

「人類補完計画を全部食い止めて、お母さんの計画も止める。その為にはお父さんの力が必要なの」

「老人達に嫌みを言われたまま、ユイ君の尻に敷かれたままでお前は良いのか?」

「……逃げていては駄目だと言う事か」

 シイと冬月の言葉を受けて、ゲンドウは逡巡の後に決断する。サングラス越しの瞳にはいつもの冷たい光ではなく、未来を見据える明るい光が宿っていた。

 

「……シイ。お前の思うとおりにやると良い」

「うん。ありがとうお父さん!」

 ゲンドウへ抱きつくシイ。父と娘が交わす抱擁は、二人の間にあった距離が無くなった証でもあった。和解した親子を見て、冬月は満足げに何度も頷く。

 が、にやけ面のゲンドウを見ていて苛立ったのか、ゴホンと大きな咳払いをして二人を引き離す。

「さて、時間はあまりないぞ。死海文書で予言されている使徒は後二体だからな」

「……あ、ああ」

「今後の対策を決める会議を開くぞ。全てはゼーレの計画を阻止してからだ」

 冬月の言葉にゲンドウとシイは頷く。ユイの事は家庭の問題とも言えるが、人類補完計画は人類全体の問題。必ず防がなくてはならないのだ。

「世界の陰で暗躍し、国連をも掌握している組織が相手だ。厳しい戦いになりそうだな」

「……対抗手段はある。問題ない」

 碇ゲンドウと言う男、伊達にネルフの司令を務めていない。不敵に笑みを浮かべる姿も、味方となれば何とも頼もしく感じられる。

 シイはかつては泣きながら見送った父親の背中を、今は満面の笑みで見つめるのだった。

 




色々ありましたが、無事ゲンドウの説得に成功しました。原作の彼ならこんな甘く無いんでしょうが、そこは大目に見て頂ければありがたいです。
これからはネルフとゼーレという対立の図式になります。旧劇場版にあったどっちの補完計画ではなく、補完計画の実現か阻止かを巡る戦いですね。

ユイに関しては少し誤解を招く表現だったかもしれません。別に物語の黒幕とかでは無く、原作通りの目的です。
ただそれがシイのハッピーエンドの障害になってしまうで……。シイの望みはもう一度家族揃って暮らす事ですから。

そろそろ物語も佳境に入って参りました。
今後の投稿ペースについて活動報告をさせて頂こうと思いますので、宜しければお目通し下さい。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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