冬月コウゾウ。特務機関ネルフの副司令を務める、沈着冷静な老人。理性的な態度と非常時にも動じずに冷静な指示を下す姿から、彼が司令で良くね? との声が聞こえるほどの人物だ。
そんな冬月は今、執務室である人物の来訪を待っていた。
リツコの執務室には部屋の主であるリツコを始め、ミサト達大人組とアスカ達子供組が勢揃いし、ディスプレイをのぞき込むように見ていた。
「ふふ見て。あの副司令の落ち着きの無さ」
「あ~ありゃ、随分と緊張してるわね」
「無理もないさ。ある意味天国と地獄が、同時に訪れるんだからな」
「『シイちゃんファンクラブ』会長と、ネルフ副司令。果たしてどちらの顔をとるんでしょうかね」
リツコ達はどこか楽しげに、隠しカメラに映し出された冬月の姿を見ていた。一方アスカ達は、不安と不満が入り交じった複雑な表情を浮かべる。
「ったく、あの子はどうして……。そんなにあたし達が信用出来ないっての?」
「……違うわ。もしそうなら、私達に見ていて欲しいなんて言わないもの」
「そうやで惣流。シイの奴には何や考えがあるんやろ」
憤るアスカをレイとトウジがなだめる。彼らも思いは同じだが、シイの思いを尊重する事にしていた。
※
事の発端は数日前。シイがユイに聞いた全てをアスカ達に話したことから始まった。セカンドインパクトの真実とゲンドウの狙い。ゼーレと言う組織とその目的。そして人類補完計画。
ユイからの情報であるため、それらが真実かどうかの鑑定は出来なかったが、話の内容は彼らに大きな衝撃を与えると同時に、納得をさせるに十分な説得力を持ったものだった。
直ぐにでも行動に移そうとする皆を前に、シイは一つだけお願いをする。
「冬月先生と……二人で話をさせて下さい。その方が多分良いと思うので」
当然アスカは危険を考え反発したが、最終的にはシイの押しに負けて引き下がった。後は加持達が冬月のスケジュールを把握し、邪魔な護衛をおねむにさせて今に至る。
※
「そろそろ時間ね」
「シイちゃんと二人っきりか……。あのスケベ爺が、変な気を起こさなきゃ良いけど」
「それは平気だと思いますよ。仮にも副司令、心得ているでしょうから」
「ま、やばいと判断したら俺が突入するさ」
加持は拳銃をスライドさせ、何時でもシイを救出出来る準備を整えている。ミサトもそれにならい、自分の拳銃のチェックを済ませた。
「万が一があったら、ユイさんに合わせる顔がないものね」
「その前に初号機が暴走すると思うぞ。彼女も二人の会話を見ているだろうからな」
エヴァを制御下におくために、本部とエヴァは常時回路が接続されている。その為ユイが望むのであれば、本部の映像をネットワークから引き出す事が可能だった。
「シイのお母さん、あれは親ばかよね」
「……否定はしないわ」
「娘を抱きしめたいからって、普通エヴァに取り込んだりする?」
「……アスカも、そうされたいの?」
「なっ、ばっ、ち、違うわよ。あたしはあの子と違って、とっくに親離れ出来てんの」
見事に図星を突かれてアスカは思い切り狼狽する。彼女以外の面々は甘えん坊だったエピソードをシイから聞いている為、それが虚勢と分かりつつもあえて突っ込みは入れなかった。
「ほらっ、時間よ」
羞恥に顔を赤く染めたアスカが話題を終わらせるように、わざと大声でモニターを指さす。隠しカメラの隅に表示されるタイマーは、シイが面会を約束した時間を丁度指したところだった。
※
こんこん、と控えめなノックの音が冬月の耳に届く。時計に目をやり約束の時間だと確認した冬月は、最後に大きく深呼吸してから来訪者を迎え入れる。
「鍵は開いているよ。入りたまえ」
「はい。失礼します」
無機質な音を立てて執務室のドアが開く。そこから現れたのはこの時間に面会を約束していたシイだった。だが予想通りの来客にも関わらず、冬月はシイの姿を見て驚きのあまり目を見開き動きを止めてしまう。
「し、シイ君……その格好は一体……」
「お母さんの服をサイズ直しして貰ったんです。あまり似合わないんですけど」
シイは少しはにかみながらその場でくるっと回ってみせる。かつて母であるユイが好んで着ていた、淡いピンク色のシャツと紺色のミニスカートを包んだ白衣がふわりと軽く舞い上がった。
「お、おぉぉ」
冬月の目にはシイの姿にユイの姿がダブって見える。在りし日の思い出がよみがえり、冬月は歓喜の呻き声を上げながら、黒革の椅子へ腰を落とした。
(こんなに喜んでる。やっぱりお母さんの言うとおり、冬月先生はこの服が好きなんだ)
ユイから貰った情報を最大限に生かし、シイは言葉を交わす前から圧倒的優位に立った。
※
「これはまた、早くも副司令は陥落寸前ですかな」
「ユイさんのお下がりを娘のシイさんが着て目の前に立つ。効果絶大ね」
「……碇さん、可愛い」
「は、はん。まあそれなりに似合ってるじゃない」
モニターを見ていた時田達もシイの姿に頬を緩める。学生服姿の彼女とは違い白衣を着たシイは、あどけなさを残しつつも何処か知的な魅力を身に纏っていた。
「こら、えらい化けたもんやな」
「あら鈴原君。女は誰だって、一流の女優なのよ」
「どうやら彼女はユイさんに色々吹き込まれているみたいだな。さて、どうなることやら」
加持は冬月の動きを警戒しつつも、少し楽しげにモニターへ視線を戻した。
※
「いやいや、驚いたよ。一瞬ユイ君が来たのかと思ってしまった」
「そう言って貰えると嬉しいです」
「……さて、何か話があるんだったね。立ち話も何だ。座ると良い」
どうにか落ち着きを取り戻した冬月はシイに椅子を勧める。同時に用意してあったカップにコーヒーを注ぐと、そっとシイの前に差し出した。
「赤木君ほどではないが、私も少し凝っていてね」
「ありがとうございます」
砂糖とミルクをたっぷり入れてから、カップを両手で持って口をつけるシイに冬月は微笑みを浮かべる。これが何事も無い日常なら、今この時の自分はどれだけ幸せなのだろうかと恨み言を心に閉じ込めて。
「さて。私に話があると言うことだったが……」
「冬月先生にお願いがあるんです」
「私にかい? それは光栄だな。内容にもよるが、出来る限り善処するよ」
まるで孫におねだりされた祖父のように冬月は笑いながら答える。だがシイの真剣な眼差しを受けて、自然と表情が引き締まっていった。
「私はお父さんとゼーレ計画を止めたいです。協力して下さい」
「……やはり、知ってしまったか」
シイの言葉を冬月はため息混じりに受け止める。そこに驚きは無かった。初号機に取り込まれたシイに、ユイが何の接触もしないとは彼も考えていなかったからだ。むしろ彼女の性格ならば、娘に惜しみない助力をするだろうとも理解していた。
「ユイ君には何を聞いたのかね?」
「お父さんとゼーレが、人類補完計画をやろうとしてることです」
「ではそれが行き詰まり滅びを待つ人類にとって、必要な事だとも知っているね?」
冬月の問いかけにシイは頷いて答える。
「それを知ってもなお、君は人類補完計画に反対するのかな?」
「はい。人の罪とか完全な生命体とか、難しい話はよく分かりません。でも私は反対です」
「理由を聞かせて貰えるかな?」
「どれだけ辛くても大変でも、私は碇シイとしてみんなと生きて生きたいからです」
真っ直ぐなシイの言葉を受けて、冬月は静かに瞳を閉じた。
※
冬月が考え込むように沈黙したのを受けて、モニターを見ているミサト達もシイの言葉を考えていた。
「ど~も気になってたんだけど、人類が滅びるなんてどうして分かるのかしら?」
「話を聞いてなかったの? 死海文書と呼ばれる予言書に記されていたって、シイさんが言っていたじゃない」
「そうじゃなくてさ。なんでその予言書の予言があってるって信じてるの?」
「信じざるを得ない状況が起きたから、だろうな」
ミサトの疑問に加持が答えた。
「シイ君から聞いたユイさんの話だと人は知恵の実を、つまり科学の力を手にした。それだけなら問題なかったんだろうが、欲を出した人は生命の実も手に入れようとした」
「その結果、生命の実を守る使徒が現れてしまったと?」
「ああ。仮に使徒を倒したとしても……罰は終わらない」
気がつけば加持の言葉に執務室の全員が聞き入っていた。元々独自に真実を追い求めていた彼は、シイからの情報を自分なりに消化していた様だ。
「じゃあ加持さん。生命の実を諦めれば罰は終わるの?」
「あくまで俺の推論だろうが……無理だろうな。諦めたからと言って人の罪が消えるわけじゃ無い」
一度犯してしまった罪は償わない限り消える事は無い。そんな加持の言葉が諦めろと言うように聞こえて、トウジは加持に問いかける。
「それじゃあ兄さん。わしらは滅びるのをただ待てっちゅう事ですか?」
「それを回避するのが人類補完計画なんだろ。罪を清算し、人類を新たな生命体へと新生させる計画」
順序立てて説明する加持に、一同は複雑な表情を浮かべて黙ってしまう。今の話では、ゲンドウやゼーレの行動は人類のために正しい事のようにも思える。だが納得できない気持ちもあった。
「ただこれは人づてに聞いた話を、俺が勝手に解釈したに過ぎない。真実はまた別にあるかもしれないな」
「ですね。碇ユイさんがシイさんに真実を語った保証が無い以上、全ては仮説の域を出ません」
そもそもの情報源を疑う加持と時田。二人の言葉を聞いたミサトは、この中で唯一生前の碇ユイと面識のあるリツコに尋ねてみる事にした。
「……ねえリツコ。あんたはユイさんと会ったことあるんでしょ? どうなの?」
「シイさんを溺愛しているのは間違いないわ。嘘を言うとは思えない……だけど」
「だけど?」
「母さんと同じで、目的のためには手段を選ばない人とも聞いてるわ」
謎に包まれた碇ユイの目的。それこそが全ての鍵を握るのは間違いない。沈黙に包まれた執務室のモニター内では、冬月がゆっくりと瞳を開いていた。
最初からエンジン全開のシイに冬月はやや押され気味ですね
。母と自分の先生である冬月から、果たして助力を得られるのか。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。