エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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20話 その4《絆の形》

 

 ジオフロントの一角にあるスイカ畑脇のベンチに、二人の男が並んで座っていた。

「なるほど。ネルフの実質的な上位組織は人類補完委員会では無い、と」

「人類補完委員会は形骸に過ぎないさ。裏で全てを操っているのはゼーレだ」

 時田と加持は互いに視線を合わせぬまま、缶コーヒーを手に情報交換を行う。時田は本部の復旧作業で大忙しなのだが、それでも時間をつくって加持と接触を持つようにしている。

「その名は聞いたことがありますよ。ただ都市伝説だとばかり思っていましたが」

「存在を完全に隠すことは難しい。わざと適当に情報を流す事で、真実から目を遠ざけさせているんだろう」

「なるほど。手ごわい相手のようですね」

「下手を打てば世界を敵に回す事になる。迂闊に手は出せないな」

 一服する加持の言葉に時田は思わずため息を漏らす。ゲンドウを追い詰める事すら難しいのに、更にその上には世界規模の組織が控えている。なんとスケールの大きな話なのだろう。

「彼らの目的は使徒の殲滅……だけでは無いでしょう」

「だろうな。彼らにとって使徒の殲滅は、あくまで目的を果たすための手段に過ぎない。真の目的は人類補完計画と呼ばれる極秘計画の遂行だ」

 初めて耳にする単語に時田の目がすっと細められる。

「ほぅ、人類の補完。何とも壮大できな臭い感じがしますね」

「詳細は知らないが……ネルフはそれを実現させるための実行組織らしい」

 加持は自分が持っている情報を惜しげもなく時田へと伝えていく。万が一自分に何かがあった時に、情報が闇に葬られないよう常に誰かと共有しておきたかったからだ。

 

「それで、そちらの首尾は?」

「順調ですよ。折角の機会ですから本部の外壁を、更に耐久力を上げた装甲に変更するつもりです」

 使徒の足止めと言う点において、時田が担当した特殊装甲板はエヴァよりも時間を稼ぐことが出来た。派手さは無かったが、本部内で時田の仕事は高く評価されていたのだ。

 その結果時田はネルフ本部の修復作業の、現場責任者として任命されるに至った。

「上の方でも復旧が始まっているそうだ。使徒の残した爪痕も、いずれは消え去るだろう」

「ええ。これでシイさんが無事帰ってこれれば……」

「そればかりは俺達にはどうしようも出来ないからな」

「信じて待ちましょう。赤木博士と技術局のスタッフは優秀です。きっと、成功させますよ」

 自信に満ちた顔で言う時田に加持も小さく頷いて同意する。リツコの能力の高さと、シイへの愛情の深さは誰の目にも確かだ。きっと全身全霊を持って作業を行い、サルベージを完遂させるだろう。

「俺達は俺達のやるべきことをやるだけ、か」

「ですな。これから特殊装甲板の修復作業がありますので、私はこれで」

 男二人は去り際に軽く視線を合わせると、それぞれの役割へと戻っていった。

 

 

「まず使徒は殲滅したわ。ネルフ本部と貴方の大切な人達はみんな無事よ」

「良かった……みんな、生きてるんだ。アスカも……ぐす」

 一番気がかりだったアスカの無事が分かり、安堵したシイは思わず涙ぐむ。

「ふふ、シイはアスカちゃんが本当に大好きなのね」

「うん。あれ、お母さんはアスカを知ってるの?」

「キョウコの娘だもの、勿論知っているわ。小さい頃に一度会ったこともあるのよ」

 予想外の言葉にシイは目を丸くしてユイを見つめる。

「キョウコさんって確か、アスカのお母さんだよね」

「ええ。私と同じエヴァの開発に携わっていた科学者。そして私の大切な友人でもあるわ」

 懐かしむようにそっと瞳を閉じるユイ。自分の母親とアスカの母親が友人同士と言う事実は、シイにとってとても嬉しい事だった。

「どんな人だったの? やっぱり美人さん?」

「ええ。アスカちゃんは将来キョウコに似ると思うわ。性格はあまり似てないけども」

「……大人しい人だったんだね」

「あらあら、シイったら」

 娘がさりげなく漏らした本音にユイは面白そうに微笑む。それは彼女が生前果たせなかった、娘との会話を本当に楽しんでいるかの様だった。

「キョウコはおっとりしていて……少しドジなところがあったけど、周りを和ませる雰囲気を持っていたわ」

「そうなんだ」

「アスカちゃんはキョウコにべったりで、シイと同じ位甘えん坊さんだったのよ」

 この場にアスカがいたら、間違いなく恥ずかしさで暴れだしそうな暴露話。幼い頃を知っている大人と言うのは、子供にとって実に厄介な存在なのだ。

 

 それから暫くアスカの話で盛り上がった後、ユイは話題を切り替える。娘との会話をもっと楽しんでいたいが、時間がそれを許さない事を彼女は知っているのだから。

「シイはここが何処かって聞いたわね?」

「うん。天国じゃ無いんだよね」

「ここは貴方の内面世界。精神、心、魂と呼ばれる物の中よ」

「????」

 難しい言葉に腕組みして首を傾げるシイ。すると不意に周囲の景色が変わり、目の前に無人のエントリープラグが現れた。青色の病衣だけがフワフワと漂うプラグを見て、シイは眉をひそめる。

「お母さん、これは」

「初号機のエントリープラグよ」

「でもでも……誰も居ない。私が居ない」

「いいえ。シイはちゃんとそこに居るわ。ただ見えないだけ」

 ユイは優しく順を追ってシイに説明した。活動限界を迎えた初号機が再起動したこと。その際シイはエヴァと一体化する程シンクロし、自我の境界を越えて身体を保てなかったことを。

「それって、お母さんがエヴァに取り込まれたのと同じ……なの?」

「そうね。あの時も今回も、全部私のわがままが起こした事よ」

「え!?」

 聞き捨てならない母親の発言に、思わずシイは目を見開いて問い返す。

「この話は後にしましょう。今シイがどんな状態なのか。ここが何処なのか。何となく分かったかしら」

「うん……」

 ユイの言葉の真意を確かめられずに、シイは少し不満げに頷いて答える。本当はもっと追求したいが、ユイに後でと言われては引き下がるしか無かった。

 

「そして今、貴方のサルベージ計画が進められているわ」

「さるべーじ?」

「もう一度貴方の身体を構築して、元の世界に戻す作業よ」

 話の腰を折られても、ユイは嫌な顔ひとつせずに丁寧に説明していく。

「これは十年前、私が取り込まれた時にも行われたわ。結果は失敗だったけれども」

「じゃあ……」

「ふふ、心配しなくても平気よ。シイがみんなの所に戻りたいと思えば、ちゃんと成功するから」

 優しくシイの不安を晴らそうとするユイだが、その言葉がシイの心をひどくかき乱した。戻りたいと思えば戻れる。なら戻ってこなかったユイは……。

「……お母さんは、戻りたく無かったの?」

「…………」

「お母さんは私とお父さんが嫌いになったから……戻ってきてくれなかったの?」

 目に涙を浮かべてシイはユイをじっと見つめる。母親に拒絶されたのでは無いかと言う不安が、小刻みに震える手からも伝わってくる。

「いいえ違うわ。私はシイを、貴方を今でも愛しているもの」

「じゃあ何で!?」

「私がエヴァに残ったのは、私がそう望んだからよ」

 ユイの言葉にシイは驚いて目を見開く。戻れないでも戻りたくないでもなく、戻らない。母親の真意を掴みかねるシイは、困ったような視線をユイに向けた。

「シイ、貴方に全てを話すわ。受け入れて貰えるとは思えないけど、話させて」

「うん……」

 サルベージが行われるまでの時間、シイはユイの言葉にじっと耳を傾けた。

 

 

 

 サルベージ計画開始から一週間。リツコを始めとするスタッフ達の鬼気迫る仕事ぶりによって、当初一月はかかると思われた作業が大幅に短縮され、遂に本日実行に移される事になった。

 発令所にはゲンドウと冬月のトップ二人を筆頭に、主要スタッフが勢揃いしており、アスカ達チルドレンも不安と期待に満ちた表情でサルベージ開始を待っていた。

「時間ね。マヤ、準備は良いかしら」

「機器の接続は全て完了。全システムの正常稼働を確認。スタッフも配置に着いています」

 ケージに固定されている初号機には多数の計器を取り付けられ、外部に露出したエントリープラグにもサルベージ用の装置が設置され、少女が帰還する舞台は全て整っていた。

「……では始めるわ。サルベージスタート」

「了解」

 一同が固唾をのんで見守る中、シイのサルベージは始まった。

 

「自我境界パルス、接続完了」

「全探知針異常なし」

「電磁波形の固定、順調です」

「第一信号送信」

「エヴァ、受信を確認。拒絶はありません」

「了解。続いて第二、第三信号送信」

「受信しました」

「……デストルドーには十分に注意して」

「了解です」

 張り詰める緊張感の中、慌ただしく作業を進める技術局スタッフとオペレーター達。門外漢のミサト達には、詳しい進行状況は分からなかったが、誰一人目を逸らす事は無かった。

(シイちゃん……帰ってきて。私はまだ貴方にありがとうも言えてないの)

(馬鹿。勿体ぶってないで、さっさと帰ってきなさいよ。あんたの戻る場所は、こっちにあるんでしょ)

 ミサトとアスカは、家族の戻りを祈るように待っていた。

(碇さん……もう一度会いたい)

(頼むでシイ。戻ってきいや。また前みたいに馬鹿騒ぎしようやないか)

 レイとトウジは、友人としてシイの帰還を願った。

(まだ君は何も成し遂げていない。リタイアするにはちょっと早いんじゃ無いかな)

(そこは居心地が良いかもしれませんが……貴方が望む世界では無いですよね)

 加持と時田は、純粋で真っ直ぐな少女を信じていた。

(ユイ君頼む。私は君だけでなく、シイ君までも失いたく無いのだ)

(…………少しは優しくしてみせよう。だからユイ、私にもう一度チャンスをくれ)

 冬月とゲンドウは、初号機に宿る女性に祈った。

(ユイさん。貴方が私達を憎んでいるのは分かるけど、せめてシイさんの決めさせてあげて)

(頑張るんだから。そしてもう一度シイちゃんの……ふふふ)

(やるぞ、やるぞ、やるぞ。シイちゃんを絶対に復活させてみせる)

(まだ俺のギターを聞いてもらって無いんだ。ここは何としても成功させるぞ)

((シイちゃん。もう一度笑顔を見せて))

 リツコを始めとするスタッフ達も作業をしながら、ただひたすらシイが再び笑ってくれる事を求めた。

 発令所にいる全員が、いや、ネルフスタッフ全員がサルベージの成功を望んでいた。

「サルベージ、最終フェーズに移行」

 そしてリツコの指示によって、サルベージは最大の山場を迎える。

 

 

 ユイから全てを聞いたシイは、うつむきながら呟くように尋ねる。

「……ねえ、お母さん。人ってそんなに悪い存在なの?」

「それを判断するのは神ね」

「人は生きることを望んじゃいけないの?」

「それを決めるのは人よ」

「私は生きたい。みんなと一緒に、碇シイとして生きて行きたいよ」

 シイは顔を上げて訴えかける様にユイの顔を見つめて告げた。何処までも真っ直ぐな娘の言葉に、ユイは嬉しそうに微笑んで頷く。

「そうね。でも終わりを望む人達もいるわ。どちらも人の望みよ」

「でも、でも」

「……なら一つアドバイス。意見が対立した時は、どうすれば良いと思う?」

「え? それは……やっぱり相談して」

「シイは優しい子ね。でも話しても分からない人もいるわ。そう言う時は、これで決めるの」

 女神の様な微笑みを浮かべたユイは、右拳をギュッと握って見せた。要はつまり、力ずくで相手を黙らせろと優しいお母様は言っているのだ。

「あの、お母さん……暴力はいけないと思うんだけど」

「勿論闇雲には駄目よ。だけど譲れないものを守る為なら、戦うことを恐れてはいけないわ」

「う、うん」

「……そろそろ時間ね。ご覧なさい。貴方の大切な人達が貴方が帰ってくるのを待っているわ」

 ユイの言葉と同時にシイの視界に発令所の光景が現れる。必死に作業するスタッフ達と、祈るようなミサト達。その姿にシイは涙腺が緩み、堪えきれずに涙をこぼす。

「帰りなさい、シイ。貴方の世界に……貴方が望む世界へ」

「でもお母さんは」

「また会えるわ。だって生きているのだから」

「うん……うん……」

 別れの抱擁をしながらシイはユイの胸で何度も頷く。そして母の温もりを全身に感じながら、眠りにつくようにゆっくりと意識が薄れていった。

 

 

 真っ暗な空間を漂うシイの耳に、男女の会話がまるで子守歌の様に聞こえてくる。

「この子はセカンドインパクト後の世界を生きていくのか。この地獄を」

「あら。生きていこうと思えば、どこだって天国になるわよ。だって生きているんですもの。幸せになるチャンスはどこにでもあるわ」

「そうか……そうだったな」

「ふふ、ゲンドウさんは仕事だと強気なのにね」

「ごほん。それで、決めてきたぞ」

「聞かせてくれるかしら?」

「男だったらシンジ。女だったらレイと名付ける」

「とっても素敵な名前。あら、そうだわ。なら二つ合わせればもっと素敵になるわね」

「な゛!?」

「シンジとレイ……ふふ、ならシイと言うのはどうかしら?」

 女性の言葉は優しく穏やかだが、一切の有無を許さない不思議な強さがあった。

「いや、しかしだな。一応姓名判断をして……」

「碇シイ。素敵だと思わない?」

「あ、ああ。だが男の子にシイと言う名前は……」

「きっと女の子よ。だって今この子喜んだもの」

「何!? 動いたのか? 触らせてくれ」

「あらあら、困った人ね」

「確かに喜んでいるな。よし、この子の名前は碇シイに決定だ」

「賢くなくても、強くなくても良い。ただ優しい子に育ってくれれば」

「問題あるまい。この子は俺とお前の子だ」

「ふふ、そうね」

(お父さん……お母さん……)

 溢れ出る涙を頬に感じながら、シイの意識は完全に闇の中へと落ちていった。

 

 

「粒子の固定化完了。実体化します!」

 マヤの言葉と同時に、発令所の主モニターに映し出された初号機のプラグに、まばゆい光が満ちる。それは徐々に人の形に収束されていく。

 そして光が収まった後には、眠るように目を閉じた碇シイの姿が現れていた。サルベージは成功し、シイは彼らの元へと帰ってきたのだ。

「「おぉぉぉぉ!!」」

 歓喜の声が発令所を震わせる。だがそれは単純にシイの帰還を喜ぶものだけでは無かった。

「油断したわねユイさん。マヤ!」

「はい! MAGIの全システムを録画に回しています」

「データは全てバックアップをとれ! 松代のMAGI二号に応援を要請しろ」

「生きてて良かった……」

「「いい加減にしろぉ!!」」

 全裸のシイを見て鼻から流血するスタッフ達に、ミサトとアスカの絶叫が同時に響き渡った。

 

(お母さん……またね)

 そんな騒ぎなど知るよしも無く、シイは穏やかな寝息をたてて眠り続けるのだった。

 




無事シイは現実世界に帰還しました。本編ではカットされていますが、ユイから様々な情報を受け取っています。
母の助力を受けて、いよいよ父と先生に挑む時がやってきました。

ゲンドウとユイが子供の名前を決めるシーン。これは作者が原作で一二を争う程好きな場面です。何というか、暖かくなります。

かなりシリアスな話が続きましたが、そろそろコメディがウォーミングアップを完了する様で、ご都合主義で話をまとめる流れがやってきました。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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