シイが目覚めたのは暖かな光に満ちた空間だった。
(あれ、ここ何処だろう)
キョロキョロと周囲を見回すが、以前飲み込まれた使徒の空間の様に、見渡す限り白い光が広がっているだけ。ただあの時とは違いシイの心は不思議な心地よさを感じていた。
(私……エヴァに乗って、使徒と戦ってたよね?)
記憶に残っているのは電源が切れたプラグ内で、必死に母に呼びかけながらレバーを動かしていたところまで。その先は全く憶えておらず、気がついたらここに居た。
(ひょっとして、私……死んじゃったの?)
慌てて視線を下に向けて足があるかを確かめる。
(良かった、ちゃんとあった。でもどうして私裸なんだろう)
記憶の中では病衣を着てエヴァに乗ったはず。だが今シイは産まれたままの姿で光の空間を漂っていた。首を傾げながら、これからどうすれば良いのか考えていると、
「シイ」
不意に自分を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある優しい女性の声。シイが恐る恐る振り返るとそこには、白衣を着たショートカットの女性、碇ユイがシイに微笑みを浮かべていた。
「お母……さん?」
「久しぶりね、シイ。こうして直接話すのは初めてかしら」
「本当に……お母さん?」
戸惑うシイの言葉にユイは微笑みながら頷く。それを見た瞬間、シイは思い切りユイへ抱きついた。
「お母さん、お母さん、お母さん」
「ええ、私はここに居るわ」
「うわぁぁぁん」
優しく抱きとめてくれる母の胸で、シイは想いの全てを涙に変えて泣き叫んだ。
※
サルベージ計画開始から数日が過ぎた。本部の復旧にエヴァの修復、サルベージの準備と殺人的なスケジュールをこなすリツコは、目の下に真っ黒な隈を作りながらも仕事を続けている。
「先輩……少し休んだほうが」
「ある程度目処がつけば休憩するわ。それよりもマヤ。貴方こそ酷い顔してるわよ」
リツコの指摘通りマヤにも大きな隈が出来ており、一目で寝不足と疲労困憊が分かる状態だった。それは二人だけでなく、ほぼ全てのスタッフに言える。
彼らは自分の睡眠時間を削ってまで、急ピッチで作業を進めていたのだから。
「こんなの全然平気です。だってシイちゃんの為ですから」
「そうね……」
リツコとマヤは頷き合うと懐からシイの写真を取り出し、まるで栄養補給するようにじっと見つめる。眩しい笑顔を向けるシイの写真を見て、二人はモチベーションを維持する事が出来ていた。
「はぁ、良いわね」
「はい。癒されます」
「ファンクラブも粋な事してくれるわ。まさか秘蔵写真を配布してくれるなんて」
「これだけ厳しいスケジュールでもミスが少ないのは、これのお陰ですね」
二人はたっぷりと堪能すると、写真を大切にしまいこむ。
「サルベージの要綱は今日中に完成出来るわ。後は準備を整えるだけよ」
「流石先輩ですね。まさかたった三日で作ってしまうなんて」
尊敬の眼差しを向けるマヤに、リツコは違うと首を横に振る。
「いいえ、原案は私じゃ無いの。私は十年前に実験済みのデータを元に、細かな修正をしただけよ」
「前にもこんな事があったんですか?」
シイがエヴァに取り込まれたと言う事が、そもそも信じられない事なのに、過去に同じ様な事例があったと知ったマヤは驚かずにいられない。
「私がまだ見習いだった頃にね。その時は母さんが担当したそうよ」
「赤木ナオコ博士が!? じゃあそのサルベージは」
「失敗したそうよ。だからこれは私が母さんを超えられるかどうか。そこに掛かっているわね」
マヤから見ればリツコは雲の上の科学者であった。その彼女が及ばないと明言しているナオコが、過去に失敗した実験。リツコに掛かっているプレッシャーは、想像を絶する物があるだろう。
そんなマヤの不安を察したのか、リツコは優しい微笑みを彼女に向ける。
「……大丈夫よ。母さんは一人だったけど、私には貴方と優秀なスタッフが力を貸してくれているもの」
「先輩……」
「さあ、作業を再開しましょう」
「はい」
二人の作業スピードは、気のせいか先程までよりも早く感じられた。
※
「お母さん……苦しいよ……」
「はぁ~シイ。こんな可愛くなって」
ユイはご満悦と言った感じで、シイを強く抱きしめていた。初めこそ母の温もりを喜んだシイだったが、段々と強くなるホールドに苦悶の声を上げ始める。
「お、お母さん。少し力を……」
「あの人に似なくて、本当に良かったわ」
背中に手を回されて顔を胸に押しつけられたシイは、手足をばたばたさせながら呼吸困難を訴える。
「うぅぅ、お願いだから……呼吸をさせて……」
「この抱き心地にすべすべの肌、はぁ~」
「お……母……さん……」
ユイが満足しきるまで、シイは天国と地獄を味わい続けるのだった。
※
第一中学校の尾上では、アスカ達が昼食を食べながらシイの話をしていた。謹慎入院から今日まで登校して来ていないシイを、事情を知らないケンスケとヒカリは心配する。
「碇の病気、そんな酷いのか?」
「ちょっと拗らせただけよ。疲れが溜まってたから、完治に時間がかかるみたいね」
エヴァに取り込まれたと正直に話すわけにもいかず、アスカはシイが病気で入院しているとヒカリ達に説明した。レイとトウジも話を合わせた為、二人は疑うことなくその話を信じた。
「お見舞いに行っても良いのかな?」
「ん~一応面会謝絶だって。うつると不味いし、あの子は人が来るとはしゃぐから」
ヒカリの申し出をアスカはやんわりと断る。
「あぁ、碇はそんな感じだよな」
「ま、今はゆっくり休ませたろや」
「……その方が良い」
あの小さな少女が自分達を守る為に、いつも限界まで頑張っていたのは知っている。だからこそヒカリとケンスケも、シイに休養をとって貰うと言う考えには賛成だった。
沈んだ空気を振り払うようにアスカは話題を変える。
「で、どうなのよ?」
「何がや?」
「あんた馬鹿ぁ? ヒカリのお弁当よ」
今日もトウジが食べているのはヒカリの手作り弁当。地獄の特訓と使徒の襲来があったため、約束が果たせたのは数日前からだった。
「美味いで」
「それだけ? もっと心のこもった感想があるでしょう」
「んな事言われてもな。美味いもんは美味いっちゅうしか、あらへんやろ」
「もっと具体的に無いのか? ほら、このおかずが美味いとか」
「全部美味いで。わしの好きなおかずばっかやし、味付けもばっちしや」
トウジの口から紡がれるのは飾らない褒め言葉、それは純粋なトウジの本心故に、ストレートにヒカリの心に届く。届きすぎてヒカリは真っ赤になって俯いてしまっていたが。
「……駄目なのね、もう」
「だろうね」
「友人として複雑だわ」
あれ以来トウジとの距離が急速に縮まったヒカリに、三人はごちそうさまと小さく頭を下げた。
「そういやさ、惣流と綾波は弁当じゃないんだな?」
「シイが居ないからね」
「……ええ」
ケンスケの指摘通りアスカはコンビニで買った軽食を、レイはゼリー飲料で昼食を済ませていた。どちらもシイのお弁当と比べてしまうと、物足りなさを感じてしまう。
「何や、自分で作ったりせぇへんのか?」
「……アスカは料理出来ないもの」
「ちょ、ちょっと、聞き捨てならないわね。あたしだって料理の一つや二つ」
「出来るの?」
「……と、トーストくらいなら」
ヒカリに本気で聞き返されたアスカは無念そうに呟く。幼い頃からパイロットとして訓練をしていたアスカは家事の経験に乏しく、日本に来てからはシイの存在もあり、今ではミサトとほぼ同じレベルだった。
「てか、あんたも料理出来ないでしょうが」
「……必要ないもの」
「やれやれ、何だかんだで碇が居ないと駄目って事か」
「シイちゃん、早く元気になると良いけど……」
ヒカリ達は雲ひとつ無い青空を見上げ、シイが無事戻ってくる事を願うのだった。
※
「ごめんね、シイ。お母さん嬉しくなっちゃって」
「ううん、苦しかったけど、私も嬉しかったよ。その……お母さんに抱きしめて貰えて」
「あ~も~、どうしてこんな可愛いのかしら」
恥ずかしそうに頬を染めるシイを見て、再びユイの理性は吹き飛んだ。流れるような動作でシイの背中に手を回すと、小さな身体を思い切り抱きしめる。
「うぅぅ、お母さん……」
「ずっと心配してたのよ。狼の群れに羊が一匹いるのに、貴方は無防備なんですもの」
「何のことなの~?」
母親の言葉が理解出来ずに、シイは困惑したように問い返す。
「貴方は何も気にしないでいいのよ。これからはお母さんがずっと一緒にいてあげるから」
「あっ」
ユイの言葉を聞きシイの身体が強張る。それを感じたのか、ユイは名残惜しそうに抱きしめる手を離した。
「お母さん。私は死んじゃったの?」
「いいえ。貴方は生きているわ」
「ならここは何処? どうしてお母さんが居るの? 使徒は? みんなはどうなったの?」
「あらあら、シイったら質問ばかりね」
まくし立てる様に問いかけるシイに、ユイは苦笑を浮かべる。
「あ、ごめんなさい……」
「ふふふ、良いのよ」
ユイは母性に満ちた微笑で、しゅんとするシイの頭を優しく撫でる。それだけでシイの心は安らぎ、先程までの焦りは静められた。
「ねえ、シイ。少しお母さんとお話しましょうか」
「え?」
「貴方が知りたい事に答えてあげる。私が伝えたい事もね」
微笑を崩さないユイだが、その目には覚悟を決めた光が宿っていた。
ユイが本編初登場です。初号機の時から引き続き、親ばか全開です。彼女との邂逅がシイに大きな影響を与えることは間違い無いでしょう。
中途半端な終わりなので、本日中に続きを投稿致します。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。