エヴァンゲリオンはじめました   作:タクチャン(仮)

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2話 その4《見知らぬ天井》

 

 夕暮れが迫る第三新東京市を、ボロボロの青いルノーが走る。その運転席にはミサトが、そして助手席にはシイが座っていた。

「あの、本当にご迷惑じゃ無いですか?」

「良いの良いの。私も同居人が出来て嬉しいんだから」

 不安そうに声をかけるシイに、ミサトはウインクをする。

 そう、結局シイはミサトの家に住むことに決定した。あの後大人達の間にどんな話し合いが行われたのかは分からない。だが、戻ってきた面々は一様に疲れ果てており、激しい議論があったことを推察させる。

 

「家に帰る前に、ちょっち寄り道するわよ」

「寄り道、ですか?」

「そう。新たな同居人を歓迎する準備♪」

 二人を乗せた車はコンビニに駐車する。店内に入るなり、ミサトは棚に並んでいた商品を、ぽいぽいと商品をかごに詰める。そのほとんどはおつまみ系の食べ物だったが。

「シイちゃんも買いたい物があれば、好きに入れちゃって良いわよ」

「は、はい」

「ふんふふ~ん、これとこれと……」

(……あ、このチョコ美味しそう)

 山のような買い物かごに、シイはそっと好物を忍ばせた。

 

 

 コンビニを後にして、家へと帰る途中、ミサトはある物をシイに見せた。

 それは、

「ビルが生えてきた!?」

 沈みかける夕日が照らす中、本来の姿を見せる第三新東京市だった。次々と地面からビルが上昇し、やがて高層ビル街へと変化していく。今まで見たことのない壮大な光景に、シイの表情は自然と笑顔になっていた。

「凄い……それに綺麗」

「これが使徒迎撃要塞都市、第三新東京市。私たちの住む街。そして」

 ミサトはシイを見つめ、

「あなたが守った街よ」

 優しく告げるのだった。

 

 思わぬサプライズに、シイの心はほくほくだった。

 ミサトの家に入るまでは。

 

「ここよ。ちょっち散らかってるけど、気にしないでね」

「はい。ミサトさん忙しいから、どうしても家の事はおろそか……に」

 マンションの一室、ミサトの家に足を踏み入れる直前、シイは固まる。玄関には無数の靴が乱雑に脱ぎ散らかされて、文字通り足の踏み場も無かったのだ。

(き、きっと、急な出勤が多いのよ)

 シイはささっと靴をそろえると、靴を脱いで中に入る。衣服が散乱する廊下を、踏まないように慎重に進み、再び固まってしまう。リビングは脱ぎ散らかされた衣類とゴミで、床を見る事すら叶わない惨状だった。

(い、忙しいの。そうよ、大変な仕事だもん)

 キッチンは大量の洗い物と、こちらもゴミで埋め尽くされている。

(しょ、食事の途中に呼び出される事もあるもんね)

 ダイニングは……ビールの空き缶で山が形成されていた。

(…………)

 ここに至って、ようやくシイは認めた。これが、葛城ミサトという女性なのだと。

 

「…………ミサトさん」

「な、何かしら」

「掃除機と雑巾、バケツは何処ですか? それと、ゴミ袋も」

「え、え~と家にあったかしら」

「では買ってきて下さい」

「い、今から? それは流石に……」

「今、すぐに、です」

 普段おとなしい子ほど怒ると怖いと言う。目が据わったシイは、思わずミサトの顔が引きつるほど怖かった。

「はい! 今すぐ行って来ます!」

 慌てて家を飛び出すミサト。

 それを見送ると、

「ミサトさんが戻るまで、まずは衣服の整理からね」

 ぐっと腕まくりをして、シイは葛城家大掃除へと取りかかるのだった。

 

 

 二時間後。

 すっかり片づいた部屋で、ミサトとシイは遅い夕食を始めていた。

「いや~綺麗な家ってのは気持ちが良いわね」

「…………」

「あら、どうしたのシイちゃん?」

「すいません、色々と失礼な事を言ってしまって」

 恐縮して身を縮ませる。

「良いのよ別に。お陰で片づいたんだし。それに、一緒に暮らす家族なら、あれくらい当たり前よ」

「家族……」

「ええ。私はシイちゃんを家族だと思ってるわ。迷惑かしら?」

「と、とんでも無い。その……嬉しいです」

 ぽつりとつぶやくシイに、ミサトは笑顔を向ける。

「ほらほら食べて。あなたの歓迎会なんだから」

 二人が向き合うダイニングの机には、美味しそうな料理が湯気を立てている。作ったのは歓迎会の主役だが。

「う~ん美味しい。シイちゃん料理上手なのね」

「祖母に習ったんです。ただそのせいか、和食にレパートリーが偏ってますけど」

「充分よ。家事も完璧、いつでもお嫁に行けるわね」

「ふふ、じゃあミサトさんは大変です……ね」

 言ってからしまったと、シイは思わず口を塞ぐ。だが、時既に遅し。

「ほほほ、シイちゃん。何か言い残す事はあるかしら?」

「えっと、その……家族なら、これくらいのやり取りは当たり前ですよね?」

「そうね。家族だものね。こ~んなスキンシップくらい、当たり前よね」

「ご、ごめんなさぁぁぁい」

 ミサトのなで回しは、シイの黒髪がウニのようにつんつんになるまで続いた。

 

 

 どうにか落ち着いたミサトに勧められ、シイはお風呂に入ることにした。

「はぁ、これ戻るのかな」

 洗面所の鏡を見て、シイはぼさぼさの髪をいじくる。手で押さえても、離した瞬間にぴょんとはねてしまう。

「お風呂に入れば平気かも」

 シイは制服がしわにならないよう畳むと、浴室のドアを開けて、

「きゃぁぁぁぁぁ」

 盛大な悲鳴を上げた。

 

「み、み、み、ミサトさん」

 大急ぎでダイニングへと走ったシイ。

「あら、どうしたの?」

「こ、こ、こ、この子」

 シイの腕には一匹のペンギンが抱かれていた。

「ああ、彼はもう一人の同居人よ。新種の温泉ペンギンで、名前はペンペン。驚いたで――」

「可愛い~」

 シイは思い切り両腕でペンペンを抱きしめる。

「い、意外と図太いのね」

「ペンペンって言うんだ~。凄い可愛いです」

「くえぇぇぇぇ」

 シイの胸の中で、ペンペンが悲鳴をあげる。小柄な少女の細腕とは言え、より小さなペンペンにとっては相当苦しかったのだろう。

「シイちゃん、その辺にしておかないと、ペンペンが潰れちゃうわよ」

「あっ、ごめんなさい」

「くえぇ」

 正気に戻ったシイから解放されたペンペンは大きく深呼吸をすると、部屋の隅にある冷蔵庫へと歩いていく。

「あそこが彼の部屋なの」

 ペンペンは発達した爪で、器用に冷蔵庫の脇にあるボタンを押してロックを解除する。そして中に入る前に、チラリと視線をシイに向けた。

「ごめんね、ペンペン」

「くえ、くえ」

 謝るシイに、気にするなと言う感じで軽く答え、ペンペンは冷蔵庫へと入っていった。

 

「まるで言葉が分かってるみたい……」

「温泉ペンギンは知能が発達してるからね~。因みに彼、新聞も読むわよ」

「そうなんですか」

 呆然と冷蔵庫を見つめるシイ。

「それよりもシイちゃん、そのままだと風邪引いちゃうわよ」

「え? …………きゃぁぁぁ」

 ミサトに指摘され、シイは自分が全裸だった事を思い出し、真っ赤になって風呂場へと逃げた。

 

 

「……眠れない」

 畳に敷かれた布団の上で、シイはぽつりと呟く。体は疲れているのだが、どうしてか目がさえていた。

 慣れない部屋と言うのもあるのだろう。シイの為に用意された部屋なのだが、飾り気がまるで無い。荷物一つでこの街に来たので当然なのだが、それはシイに他人の部屋で寝るような感覚を与えていた。

「知らない天井。当たり前だけど、落ち着かない」

 暗闇の中、天井を見つめていると、徐々に失われていた記憶が脳裏に蘇ってきた。

 

 

「初号機頭部破損、損害不明」

「神経回路が遮断されていきます」

「し、シイちゃんは!?」

「プラグ内モニター不能。生死……不明です」

「シイちゃん!!」

 ミサトの絶叫が、発令所に響き渡った。

 

 力無くビルへ寄りかかる初号機を見て、ミサトは決断を下す。

「ここまでね。作戦中止、パイロット保護を最優先。プラグを強制射出して!」

「駄目です。初号機、完全に制御不能」

「なんですって!」

 マヤの悲痛な叫びに、ミサトのみならず悲鳴のような声をあげる。仮に初号機が大破したとしても、プラグを射出すれば最低でもパイロットは助けられる。

 だが、それが不可能ならば、シイは動けない初号機ごと使徒に……。

 発令所が重苦しい空気に包まれる、その時だった。

 突如として、モニターに映るエヴァ初号機の左目に光が戻る。

「しょ、初号機……再起動」

 マヤの報告通り、初号機は再び立ち上がる。そして口の拘束具を引きちぎると、獣の様に雄叫びをあげた。

 衝撃的な光景に発令所の全員がモニターに釘付けになる。

「どういうこと……まさか」

「暴走!?」

 リツコの呟きと同時に、初号機は使徒へと襲いかかった。

 

「……勝ったな」

「……ああ」

 事態の急変に混乱する発令所スタッフ達。だがその中でただ二人、冬月とゲンドウだけは動じた様子も無く平然と状況を見守る。そんな彼らの姿は、まるでこの展開を待っていたかの様にも見えた。

 

 咆吼をあげながら、獣の様に戦う初号機。凄まじい動きと力で使徒を追いつめていく。

 蹴り、殴り、お返しだとばかりに使徒の両腕をへし折る。その様子は戦いと言うよりも、一方的な蹂躙だった。

 

 突進する初号機から逃れようと、距離を取った使徒は光の壁を前方に展開する。それに構わず壁に激突する初号機だったが、光の壁に阻まれてしまう。

「ATフィールド。やはり持っていたのね」

「あれがある限り……」

「使徒には近づけないわ」

 そんなミサトとリツコの言葉が聞こえたわけでは無いだろうが、初号機は一度突進を止める。

 フィールドの目前で立ち止まると、

「さ、左腕復元!」

 折られたはずの左腕を、一瞬のうちに再生させる。そして両手をATフィールドに食い込ませると、思い切り左右へと力任せに引き裂いてしまった。

「嘘っ!」

「初号機のATフィールドを確認」

「中和……いえ、浸食したのね」

 もはや初号機を止める物は存在しなかった。微々たる抵抗を気にもとめずに徹底的に使徒を痛めつけ、馬乗りになると腹部にある赤い球体を何度も何度も殴りつける。

 徐々にひびが入り、破壊まであと僅かと言う瞬間、使徒はビクンと身体を震わせて初号機へと抱きつく。身体の形状を変えた使徒は初号機を包み込みながら、巨大な閃光と共に自爆した。

 

 凄まじい爆発が起こり、大きな光の十字架が天に伸びる。発令所のモニターには、爆心地の真っ赤な炎が映し出されていた。その中を悠然と歩く初号機。

 発令所スタッフは、畏怖の念を抱いてそれを見つめていた。

 

 

 初号機のプラグ内で、シイは夢を見ているかのようにぼんやりと座っていた。先程の戦闘も、そして今このときも彼女は何もしていない。だが初号機は確かに第三新東京市街を歩いている。

 それを不思議と思う思考力は、残念ながら今の彼女には戻ってきていなかった。

 なおも自動的に歩み続ける初号機。すると、妙な衝撃がプラグに伝わってくる。

『初号機頭部パーツ落下』

 スピーカーから聞こえる声に、シイは何気なく視線を横に向ける。そこには、ビルの窓ガラスに映し出される初号機の姿があった。ただ、鬼のような顔は剥がれ落ち、見えるのは茶色ののっぺらぼうみたいな顔。

 首を傾げるシイ。すると、ボコボコと顔の一部が泡立ち、ぎょろっとした緑色の瞳が現れた。

 ガラス越しに見つめ合うシイと初号機。あまりに異質なその瞳に見つめられたシイは、

「あ、あ、あ、っっっっっっ!!」

 声にならない絶叫とあげながら、再び意識を失った。

 

 

 

「あ、あ、あ……」

 呼び起こされた恐怖に、シイは布団の中で体を震わせる。

「シイちゃん、起きてる?」

 就寝前に様子を見ようとしたミサトがふすまを開き、シイへと声をかける。布団の中に丸まり震えているシイを見て、彼女が怯えている事に気づいたミサトは、布団の側にかがみ込むとそっと小さな体を抱きしめる。

「怖かったのね、当然だわ」

「み、ミサトさん……私は……」

「良いのよ。落ち着くまでこうしてるから」

 シイの震えが止まるまで、ミサトは黙って体を包み続けた。

 

「……落ち着いた?」

「ごめんなさい」

「良いのよ。それで、眠れそう?」

「大丈夫だと思います」

 幾分ましになったシイの様子に、ミサトは頷き部屋から出ようとする。

「……シイちゃん、これだけは言っておくわ。貴方は、人に褒められる立派な事をしたのよ。怖くても戦ってくれた貴方を、私は誇りに思う」

 そんなミサトの言葉に、しかしシイは答えない。否、答えられない。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 ふすまが閉じられ、室内に再び暗闇が訪れる。

(褒められる……じゃあ、お父さんも……褒めてくれるのかな)

 そんな事を考えながら、シイは眠りへと落ちていった。 

 




原作通りミサトとの同居生活が始まりましたが、経緯は大分異なります。自発的ではなく、他の面々が牽制し合った結果、一番安全牌なミサトに保護者役が決まった流れです。

次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。

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