外界から独立した余の領域の中で、流れた月日を知るのは難しい。
余の成すべき事は生物を殺し、穴へ放り込んで資源へ変える事だ。
それは生命の存在しない領域を維持するために必要な事だった。
余の領域に生命を感じ取り、殺さずに済ませるという事はない。
しかし1人くらいは外へ返さなければ、ヒトの来る事もなくなって困る。
領域は拡大し、汚れも目立つ。
領域の中心にある穴へ降り、余は核へ触れた。
掃除の機能を有する壱脚型を生成し、領域へ解き放つ。
しかし、それでは間もなく壱脚型の電力は失われる。
そこで必要となる下僕は、充電の機能を有する参脚型だ。
さらに参脚型から充電コードを繋ぐために、仁脚型を必要とする。
余の手で繋ぐことは出来るものの、余の目の届かぬ時もある。
この仁脚型は壱脚型で掃除できぬ大きさの物を、参脚型へ載せる機能もある。
要するに余の領域は掃除を行うために、それ相応の資源を消費していた。
こうして土を剥き出しの汚れたダンジョンと違って、余の領域は清潔を保っている。
その余の領域へ生物は入り込む。
あれらは余の領域を維持するための物資だ。
早々に息を止め、資源へ変換するべき物だった。
しかし挑発したものの入り込む数は少なく、資源は稼げない。
黒船来航から時を過ぎるに連れて、その数は減り続けていた。
そして、なぜか外に姿を見せると拝まれる。
空中へ姿を消す演出によって、神や仏と思われたのかも知れぬ。
余としては怒り狂って、余の領域へ突撃してくれると資源になって助かる。
異なる世であれば冒険者という職業によって、挑戦者の絶えぬものだった。
この世というか江戸の人々は、冒険心を欠いているのではないか。
「天の御使い様、こちらは私の娘にございます。
_この度は天の御使い様に、私の娘を受け取っていただきたく申し出た次第です」
そう言う特徴のある髪型の後ろに、小さなヒトは控えていた。
余にとってヒトの顔は区別も付かず、それ以上に言い表す言葉はない。
小さなヒトは震える足で立ち上がると、余の領域へ近く寄る。
領域の向こうにいる小さなヒトは、風邪を引いているのか咳を吐いていた。
そして手を伸ばすものの、空間へ飲み込まれる指先を見て怖れる。
小さなヒトは指先を入れるばかりで、なかなか中へ入らない。
その様子を見た余は、端に触れて領域の内側へ戻った。
領域の端で抜き差しされている指を、余は摘まんで引っ張る。
すると小さなヒトは領域へ引き込まれ、余の手の内へ納まった。
それを抱え上げたまま余は、領域の中心へ向かう。
「あの、天の御使い様。私は見世物小屋の娘で……」
『ここでは汚れる』
「はい……旦那様」
顔は丸く、手足は短く、胴体も頭3つ分しかない。
この小さなヒトは、その運命を良く分かっているようだ。
細かい指定のできない零脚型は、小さなヒトを捉えて信号を発した。
いつものように首を折って終了するのではなく、少し加工したい。
そうすると血を無駄にするので、わざわざ運んでいる訳だ。
『ここならば汚れぬ』
核のある穴の上で、それの首から下を切り離す。
残された頭を掴んだまま待って、水気を切った。
そうして領域の端まで戻り、手に持った物を外へ投げ捨てる。
領域の上に出て反応を見ると、人々は悲鳴を上げて逃げ惑っていた。
小さなヒトの頭を拾う者はなく、それの親と名乗った者の姿もない。
『なにか思い違いをしているようだ。余は神や仏ではなく、鬼である』
そのように余は宣言した。
もはやヒトは余を拝まず、余に恐れをなして平伏する。
しかし「子を殺した事に怒る」と思っていたので余は首を傾げた。
「子の仇である余を討つべし」と思う者はいないのか。
あの小さなヒトの親と言った者は、いったい何処へ姿を消した。
人々の立ち上がらぬ理由を考えて、余は思い付く。
素早く動き回るために、余は武器を用いない。
しかし鋼の余と違って、肉塊であるヒトに武器は必要だろう。
核から生成できる物は下僕に限らず、道具や生物も含まれる。
余は無機物を好む上に食事の必要もないので、生物は出さなかった。
ダンジョンであれば宝や罠は必要だ。
宝で物資を呼び込み、罠で引っ掛ける。
しかし余は、奥まで生物を引き込む気はない。
余の領域は直線で構成されているため、容易に進行される。
もちろん領域の形は変更できるものの、無機質な在り方こそ余は好んだ。
資源を消費して、余は銃2丁を生成する。
飛び道具ならば力の弱い者も使えるだろう。
手の平サイズで、電池を内臓した電子銃となっている。
次に侵入した人々の内、最後に残した者へ渡して放り出した。
余も領域の端から上に出て、その者の反応を見る。
「これは、鉄砲なのか……?」
火縄銃はあるのだから、銃の存在は知っているらしい。
しかし、鉄を手に取る事はなく、武士は刀を構える。
やはり武士らしく、刀に固執するものか。
そこで余は空へ向けて、鋼色の電子銃を撃って見せた。
ちなみに横へ撃って見せても余の経験で言えば、領域に引っ掛かる。
音もなく光線は発射され、電力の無くなるまで10発を数えた。
また充電すれば使えるものの、その際に消費される電力は多い。
そうして使ってみせたものの、武士の反応は良くなかった。
どうやら電子銃の素晴らしさを理解できないらしい。
実弾であれば音で分かりやすいものの無駄も大きく、あれは余の好みではない。
小さな柄から一定の光線を出す電子剣という物もある。
しかし、あれは10も数えれば電池切れとなるため使えない。
悩み抜いたものの、他に適当な物は思い付かなかった。
やはり電子銃こそ最良と思って、外へ返すヒトの手へ渡して行く。
ちなみに電子銃を用いても、余の鎧を傷付ける事は叶わない。
余の領域は拡大を続け、鋼の羽虫も数を増していた。
警報の機能を有する零脚型は、広さに応じて必要となる。
しかし、領域の拡大と資源の収入は等しくない。
電子銃を撒いた効果はあって、余の領域へ踏み込む物資は増えた。
その後の江戸に起きた大きな問題によって、余の資源は大きく増える事となる。
江戸は地震によって焼け野原となった。
冬を2回経験したので、初めて黒船の来航した2年後か。
たしか江戸直下地震の時に元号は、すでに嘉永から安政へ変わっていたはずだ。
明治と同じで、まったく【安】心できない【政】局となる。
吉田松陰の死罪は、この元号の6年目に起きた安政の大獄に数えられる。
見通しの良くなった景色に、1つの建物は建てられた。
被災者を収容する避難所らしいものの、そこからヒトは溢れている。
どのように考えても避難所は足りていない様子だ。
人生に絶望した人々は、余の領域へ飛び込んで資源へ変わる。
これまでの資源不足を補うように、人々は死に急いだ。
これは良いと思うものの、このまま江戸は滅亡するのではないか。
この焼け野原から復興できる様子を、余は想像できなかった。
人の減少は、物資の減少であり、不安定な資源へ繋がる。
だからと言って支援物資を生成するために、余の資源は消費したくなかった。
そう言えば、これほどの災害となれば死体も山となっているのではないか。
『余の下へ死体を持ってくれば、温もりを与えよう』
食料の配給は行われているようなので、余の用意した物は電子カイロだ。
余は鎧であるため気温は分からぬものの、夏は過ぎているため寒い事だろう。
熱の発生は電力の消費を早めるため、電子カイロを使えるのは10時間程度しかない。
それでも人々は余の誘いに乗って、1日も続かぬ温もりのために死体を売る。
死体の灯によって、余の懐は暖まって、ヒトの懐も温まった。
その後、江戸の復興は意外に早かった。
領域の拡大を予想したのか、周辺は空地となっている。
見通しは良くなって、余の索敵も容易になった。
黒船来航から5年経ち、地震から3年経ち、冬も過ぎつつある。
その頃、外国人らしいスーツを着たヒトは余の下を訪れた。
「こんにちは、私の名はハリスだ。貴方の名は何と言うのかな」
『ヒトと違って、余に名などない』
「おお、頭の中に声が響く。これが噂に聞いたテレパシーか」
発声された英語は分からぬものの、その意味は理解できる。
それに対して余は声を出せぬので、念をヒトへ送っていた。
それにしても、やはり外国人か。
まさかアメリカ駐日総領事のハリスではないか。
日本の金を流出させてインフレを起こし、生活を苦しめた事で有名だ。
「おっと、失礼。そうか、貴方は名がないのか……しかし、名がないと困る事もあるだろう」
『困った事などない』
「では、私は貴方の事をスティールアーマーと呼んでも良いかな」
『余に名を付けるなど何様だ。気に食わぬ』
ハリスと名乗った外国人の話を、余は聞き流す。
ハリスの存在は不平等な通商条約の締結を指し示す。
これによって日本の経済は食い漁られる事だろう。
たしか主食である米も買い漁られて、価格の高い状態になるのだったか。
次は米袋と死体を交換すると言えば、ヒトは釣れるのかも知れない。
「ところで貴方の鎧の中身は、どうなっているのかな?」
『その手で余に触れて、確かめて見れば良かろう』
「そうしたい物だが、貴方は私を殺したりはしないだろうか?」
『そんな事はせぬ』
「残念だが、次の機会にしよう。まだ私は死にたくはないからね」
無駄な話の長い奴だ。
もちろん余の領域へ入ったら殺すつもりだった。
余の領域へ踏み込みたい気分になるように、これを挑発するか。
駐日総領事なハリスの機嫌を損なっても、余に害はない。
これを殺しても余に兵は送られず、あれらは江戸へ賠償金を求める事だろう。
「ところで死体を1つ持ってきた。これを何かと交換してはくれないか?」
ハリスは手を上げる。
すると遠くにある建物の後ろから荷車は出た。
運んでいるのは外国人ではなく、汚れたヒトだ。
ハリスの護衛も姿を隠しているのだろう。
今の日本で護衛を付けずに歩き回る外国人はいない。
『ならば米と交換してやろう』
「それは私が異人だからか?」
『米の価値が上がるからだ』
「私としては拳銃や温鉄の方が嬉しいのだがね」
『知らぬ』
温鉄と言うのは、電子カイロの事だろう。
荷車に載っていた桶を持って、汚れたヒトは領域へ入る。
余は木桶の蓋を開けて、表面の塩を除いた。
すると、黒い髪と腐敗した頭皮を感じ取る。
本当に死体らしいので核に吸わせ、米袋を出した。
「ほう、これは素晴らしい」
ハリスは2袋の米を受け取って喜んでいる。
しかし、米を貰って喜ぶように思えないから演技だろう。
死体を運んだ荷車を放置したままハリスは立ち去る。
汚れたヒトの姿は、どこにもない。
ハリスは1人で帰って行った。
翌年の夏を過ぎた頃、大きな動きは起こる。
余の領域を挟み込むように刀持ちの武士は配置された。
車輪の付いた大砲も外周に運び込まれている。
汚れた服を着た人々は刀ではなく、竹槍を持っていた。
間違いなく、この世に戻ってから初の大規模攻勢だ。
これまでに無かった事だ。
やっと危機感を抱いたのかも知れない。
黒船来航から5年の内に、余の領域は沿岸を侵食した。
江戸の港は余の領域によって、東と西に大きく分断されている。
あと5年も経てば領域は、将軍の座する江戸城へ届くだろう。
余としては、ヒトの反応は遅すぎると思っていた所だ。
大砲の弾を撃ち込むくらい、すぐに出来た事だろう。
不思議ではあるものの、これは大量の資源を得る機会だ。
余は核から四脚型を生成し、碁盤の目状な領域へ解き放つ。
これは4本の足を有する獣に似た形で、これまでの下僕と違って戦闘用だ。
外へ戻る前に、砲撃の重い音は響いた。
領域の内部へ大砲の弾を撃ち込まれたようだ。
余の下僕も、いくつか壊れた事だろう。
警報の機能を有する零脚型の発した信号の下へ、余は駆け付ける。
最初に接した集団は、竹槍を持つ汚れた人々だ。
「なんだ!?」
いつものように悲鳴を上げる間もなく首を折る。
「どうした!?」
余は目で捉えられぬほどの速さで動く。
「あやかしだ!」
灯りを持ったヒトは、余に気付いた。
「槍を構えよ!」
汚れた人々の後ろに刀持ちもいる。
これらの見張りらしく、その言葉で人々は槍を構えた。
しかし竹槍な上に、突き出す事もなく棒立ちしている。
武士と違って軍人ではなく、どう見ても戦闘訓練を受けていない素人だ。
まさに寄せ集めの集団で、命令を出した刀持ちは離脱を計った。
零脚型の信号は、別の場所からも発せられる。
余の領域は広くなったので、まだ余裕はあるだろう。
しかし、余の下僕を壊されると、余計に資源は必要となる。
この場にあった20の命を奪って、領域を出る前に刀持ちを捕まえた。
今回は武器を渡す必要はないので、そのまま殺す。
定番ではあるものの、真逆の方角から侵入されているようだ。
その方向へ向かう前に余は、領域の端から突き出た鉄塊を感知する。
撃ち出された砲弾を殴り飛ばせば、その衝撃で爆発した。
真っ暗だった領域は瞬きの間に明るくなり、爆風によって死体は床を転がる。
端から突き出た砲身を蹴り飛ばせば、空間に波を残して領域の外へ消えた。
鋼の床を蹴って、余は瞬時に加速する。
ヒトの目と異なる余の感知は、どんな速さでも狂わない。
直線の通路で2回も角を曲がれば、集団の後方へ出た。
後ろから順に命を絶てば、鎧の足音に気付かれる。
2人ほど足を止めて、残りの3人は足を止めなかった
「ヤァァァ!」
「ヤァァァァァァ!」
悲鳴ではなく、威嚇の声らしい。
床に投げ捨てられた提灯は燃えている。
余は刀の横を普通に通って、2人の首を折った。
余の動きに反応すら出来ず、残った3人も床に転がる。
すると再び、別の場所から信号を受け、余は侵入者の存在を知った。
時計のない闇の中、ひたすらに戦った。
それから攻勢は、どれくらい続いたのかも分からない。
余は疲れを知らぬ故、苦に思う事もない。
余の流した電子銃を持った者も現れ、光線は輝いた。
そういえば大砲は兎も角、火縄銃の類いは無かったようだ。
やがて攻勢は止み、物資を回収する時間となる。
充電の機能を有する参脚型と、多才な弍脚型を生成した。
弍脚型は死体を切り分け、それを参脚型は核まで運ぶ。
と思っていたら最後の攻勢を仕掛けられた。
しかし四脚型によって守られ、余の下僕は無事だ。
もはや、わざわざ死体と米を交換する必要はない。
米は兎も角、電子銃は宝の代わりなので続けるべきか。
刀持ちは多いものの、自殺以外の用事で町民は入ってこない。
領域に遊び気分で入った子を資源へ変え、残した1人に電子銃を渡した事もあった。
あの子は余を怨み、仲間を連れて、資源となるために、ここへ戻ってくれる事だろう。