器物転生ときどき憑依【チラシの裏】   作:器物転生

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→1853年(嘉永六年) 外から黒船・内から迷宮(裏)

 江戸の沿岸に鋼の輝きが現れたのは、昼を過ぎてからの事だった。その前にあったのは舟から荷を上げる5人と、船頭1人の姿だ。舟に乗って来たのは船頭だけで、他の5人は船着き場で待っていた。5人と言うのは過剰な数に思えるけれど、この船の荷は米ではない。1つずつ木箱に封じられた貴重品で、落として傷を付ければ価値は大きく下がる。遠方から帆船で運ばれ、江戸内海の中継地で手漕ぎの舟に載せ変えた品だった。

 彼らにとって不幸だったのは、明治以降に埋め立てられる土地にいた事だろう。未来において沿岸ではなくなる土地で、1人の人間が異世界へ消えた。その異世界からモンスターとなった人間は帰還するが、元の時間ではなく江戸時代に出てしまった。コアによって展開されたダンジョンは不幸な6人を飲み込み、彼らは訳の分からない内に命を奪われる。白く濁った鋼で地面と海は覆われ、江戸に異界は形成された。

 鋼に覆われた大地は、光を反射して人目を引く。陸に加えて、海まで鋼に覆われている異様な光景だ。舟から荷を下ろしていた人々は幻の存在で、狐に化かされているのかと思った。しかし、空間を波打たせて現れた鋼の鎧を見て、人々は驚きに目を見張る。鋼と化した大地に立つ白く濁った鎧は、人々の知る鎧と大きく形が違った。その異様な風体は人々の常識から逸脱している。

 

「異人やも知れぬ」

 

 国禁により、異人と話した程度でも死刑は免れない。人々は遠巻きに、白鎧の様子を探る事しかできなかった。白鎧は何をする訳でもなく、白く濁った大地の上に立っている。その滑らかに光を反射する地面が金属によるものと、人々は分からなかった。地面を金属で覆う理由が分からず、言葉を発する事もなく立ち続ける白鎧は不気味な物でしかない。ある人は異人ではなく、あれは怪異であると言った。

 この騒ぎに治安機関もとい奉公所配下の与力が気付いた。与力と言っても本日は非番だ。じつは与力よりも格下の同心が近くにいたものの、恐れをなして逃げている。こちらの同心は与力に雇われた町民だった。身に余る権力を得て調子に乗り、気に食わない者に罪を被せて金を奪い取っていた。下手な貧乏武士よりも裕福な暮らしを送り、肥え太っていた嫌われものだ。もしも姿を見せれば、これ幸いと白鎧の下へ押し出されていた事だろう。

 人々から話を聞いた与力は、奉行所へ走って報告する。本来であれば与力は現場に留まり、他の者を報告へ走らせるべきだ。しかし与力も明らかに手に余る、怪しい白鎧の面倒を見るのは避けたかった。すると奉行所から当番の与力2名と、「異国の者とすれば、これは大事である」として町奉行も駆けつける。報告に来た非番の与力も「じゃあ、これで」なんて許されるはずもなく、刺又などを抱えて連れて行かれた。

 

 白鎧の挑発に乗って不思議空間へ踏み入り、一行は町奉行を残して瞬殺された。白鎧によって外へ放り出された町奉行は、人々の前で恥を晒した結果になる。ここで身を引く事など、武士である町奉行は許されない。しかし、町奉行の足は震えて前へ進めなかった。白鎧の声は人と異なり、頭の中へ声の響くものだった。あれは異人などではなく、現世に在らざる妖の類いに違いない。町奉行から見れば白鎧は、鬼のように思えた。

 

「あれはケガレから生まれた鬼である!_ここで起こった事を口に出してはならん!

_さもなくば、祟られるであろう!」

 

 町奉行は口封じを画策する。異常は目の前で起こっているため、その言葉を信じる者は多かった。疑いを持つ者も、祟りを不安に思わない訳ではない。ケガレは人々にとって不浄の物だ。噂を立てようと思っても、口に出すことへ迷いが生まれた。一方の町奉行は使いを送るのではなく奉行所へ大工を呼び、鋼に覆われた大地の周りへ仕切りを建てる仕事を依頼する。口外しないように厳命された不幸な大工は、目を血走らせる町奉行に否と言えるはずもなかった。

 さて、10人ほど行方不明になり、正体不明の化物が現れた大事件だ。おまけに消え去る事もなく、その場に残り続けている。この事件を町奉行は御上へ報告にするべきだ。しかし、町奉行は報告しなかった。もしも馬鹿正直に報告すれば、町奉行の職から追い払われる。ケガレの発生は町奉行の不行き届きとされ、切腹を言い渡される恐れもあった。これは誇張した話ではないので、まったく笑えない。

 つまり町奉行は「無かった事にしよう」と考えた。縁起を重視する人間の悪い癖で、臭い物に蓋をする。「化物は存在しないはずだ。化物が存在すると困るじゃないか」と頭の中から追い払う。100年以上経っても「イジメなんて存在しないはずだ。イジメが存在すると困るじゃないか」という感じで体質は変わらず、実際に何の効果もないとしても縁起を担ぐ習慣は変わらなかった。

 

 

 その頃、江戸内海の入口に位置する浦賀は、異国船に大騒ぎしていた。アメリカの艦隊が来るという話は、3年も前からオランダに警告されている。将軍配下の筆頭老中としては「ついに来たか」という思いだった。こんな事もあろうかと配置されていたオランダ語の通訳を介して、対応に出た奉行所の与力は「長崎へ行け」と言う。しかし艦隊の副官は応じず、「将軍に国書を渡すまで帰らない」と言い張った。ちなみにペリー提督は部屋に引きこもっていた。

 

「アメリカは平和を愛しており、何の悪意もない」

 

 なに言ってんだ、この野郎……という思いだ。アメリカの言うことは今も未来も変わらない。黒船は長崎へ行かず、浦賀へ留まった。その翌日、江戸から各大名へ出兵の命令が下される。大工の仕事を見守る白鎧が、黒船について知ったのは昼を過ぎた頃だ。この時「黒船の対策を優先したため後回しにされた」と白鋼は思っていたけれど、真実は町奉行によって「無かったこと」にされていた。

 この嘉永六年と言えば、坂本龍馬が剣術修行のために江戸へ留学していた時期だ。まだ「夷狄は打ち殺すべし」と思っていた頃の、中二病に感染していた坂本龍馬だった。土佐に属する坂本龍馬は、土佐領事館もとい土佐大名屋敷の警備に着く。そんな坂本龍馬は木筒を黒く塗って大砲に見せ、木の棒を銃に見せかけ、兵数を揃えるために人足を雇ってコスプレさせるという惨状を目にした。これらの非情な現実は、中二病から覚める切っ掛けとなる。

 

 黒船の来航により鍛冶屋は大忙しで、武具など一部の物価は跳ね上がる。江戸沿岸の片隅で仕切りを立てている不幸な大工は兎も角、多くの大工は大砲や銃の偽装で忙しかった。そんな中、町奉行から口止めされた町人の1人は、白鎧の件について寺へ相談に向かう。しかし寺の僧侶は「夷狄退散祈願の御守り」を作っていたので相手にされなかった。坊主は国の守護を祈願するよりも、金儲けで忙しい。

 そこで町人は神社へ足を運んだ。神道の神社も仏教の支配下にあるのだけれど、幸いなことに上役の僧侶は昼間から酒を呑んで応答はない。庭を掃いていた神主は話を聞き、祈祷を行うことを町人に約束した。しかし実を言うと神主は、それを町人の妄言と思っていた。それでも儀式によって安心を得るのは無駄な事ではない。それに仏教の腐れっぷりに怒りを覚える気持ちもあった。

 そういう訳で神主は、町人と共に下見へ向かう。実際に祈祷を行う権限を持つのは、上役の呑んだくれ僧侶だ。しかし神主は、控え目に見ても怨霊としか思えない白鎧の姿に震え上がった。顔色を真っ青に変えて神社へ戻った神主は、上役の僧侶へ休養を願い出る。神主の顔色から性質の悪い病に掛かった事を察した僧侶は、感染を恐れて休養を与えた。そこで神主は「単に休むのは悪い」と言って、神具を持ち去る。そして翌日、神主は神道的な完全武装で出立した。

 神主は3日に及ぶ祈祷を行ったものの、知っての通りに効果はなかった。神主は神社に帰らず、知人の神主を訪ねる。そして白鎧について話し終えると、神主は緊張の糸が切れて倒れた。夜も遅かったので倒れた神主を、知人の神主は泊まらせる。そして翌日、話しに聞いた白鎧を見に行って「容易ならざる事態」と判断した。アメリカの国書を受け取るという話で黒船が一段落した頃に、神道の家元がある京へ文は送られた。これは黒船来航から6日目となった6月8日の事だ。

 

 6月9日、浦賀から山を越えた久里浜の海岸で式典が行われる。引きこもっていたペリー提督が姿を現し、浦賀奉行へアメリカの国書を渡した。すると浦賀奉行の筆頭与力が受領書を渡す。式典の終わった後に、その受領書を読んだペリー提督はイラッとした。そこには「受領書を受け取ったら早く出て行って下さいね(意訳)」と余計な事が書いてあったからだ。

 式典の翌日、日没前になると黒船は江戸内海へ侵入した。日没に合わせ、時報と称して大砲を撃つ事を命じる。そこで前日に領域の拡大した白鎧は、何の障害もなく黒船を捉えた。もしも奉行が正直に御上へ報告していたら、老中の耳に入っていたのかも知れない。もしも神主ではなく僧侶であったら、寺社を通して老中の耳に入っていたのかも知れない。しかし、こうして白鎧と黒船は出会った。

 

『この日本は余の領域となるのだ。寄せ集めの国が、今さら手を出すつもりか』

 

 その時、黒船の水夫も江戸の住人も、誰もが耳を疑った。その声は頭の中から響いたからだ。初めての経験に江戸側は恐れを抱く。訳も分からず、これも黒船の仕業なのかと思った。逆に黒船側は日本の仕業であると思う。江戸内海へ無断で侵入した事に対する警告であると思った。水夫たちは恐れよりも侮辱に怒りを覚え、そして発声と異なる未知の技術に驚く。驚くべき事に、その声は言語の壁を超越していた。

 

『大統領も将軍も、余の前に姿を見せぬ臆病者よ。

_この世に降臨した余へ、その首と共に貢ぎ物を差し出すのが道理であろう』

 

 大統領って誰だろう……と江戸の住人は思った。国禁によって異国と関わらずに生きた人々は、海の向こうの役職なんて知らない。しかし、将軍が馬鹿にされた事は分かる。これには「とんだ不届き者だ」と怒りを覚えた。もちろん言ったのは黒船側と思っている。一方の黒船側は、発言している者の正体が分からなかった。考え付いたのは、将軍の治世に対する反抗組織の可能性だ。

 

『余は、ここだ。余は鋼で覆われた大地の上に立つ』

 

 分かんねーよ……というのが正直な感想だった。しかし、町奉行に口止めされていた者は心当たりがあった。情報の波は広がり、鋼に覆われた大地の上に立つ白鋼を指し示す。黒船側から言われていると思っていた人々は、江戸側からだった事に驚いた。黒船側も白鎧の位置を特定したものの、その姿が消える前に望遠鏡で捉える事はできなかった。ただし、空中へ消えた事は分かる。

 いったい何だったのか。その時ペリー提督は、ドイツ人であるシーボルトの事を思い出していた。シーボルトは「遠征に加わりたい」と申し出たものの、日本から追放されている者なので連れて行くことは出来なかった。しかし、シーボルトの書いた全7巻の『日本』はペリー提督の読み込んだ本の1つだ。その本によると日本には「宗教上の皇帝」と「血統上の皇帝」、その2人の皇帝がいると記されている。

 日本の形式で言えば当然、将軍よりも天皇の方が上になる。天皇の存在は知っていたものの、ペリー提督は実務上の皇帝へ国書を渡す事にした。しかし、言語の壁を越えて神秘的な力を行使する者の存在は、ペリー提督に疑念を抱かせる。天皇は単なる宗教上の皇帝に留まらず、神秘的な力を軍事力として保有しているのではないか。

 

 黒船側が天皇の存在を思い浮かべた頃、同じように江戸の人々も天皇の存在を思い浮かべていた。天皇と言えば長く続いた将軍の治世により、すっかり忘れ去られていた存在だ。しかし将軍側でも黒船側でもないとすれば、あとは天皇しか心当たりはない。まさか数日前に異世界から来訪したモンスターに喧嘩を売られているなんて、エスパーのごとき予測はできなかった。

 

「あの方は徳川の横暴と異国の侵略を正すために降臨された、天の御使いに違いない」

 

 そんな言葉が人々に広まる。どういう事かと言うと「天皇SUGEEEEE」だ。腐敗した徳川の治世に失望し、いくつかの過程を吹っ飛ばして、尊皇攘夷の思想が人々に浸透した瞬間だった。すでに領域の内へ姿を隠している白鎧に対して、人々は手を合わせて拝み始める。そんな江戸側の反応を見て、ペリーは疑いを深めた。やはり、さきほどの声の主は、宗教上の皇帝と関わりがあるのだ。そんな訳で、天皇の株は上がりすぎて止まらなくなった。

 

 さて、そんな事件が起こった事を将軍配下の筆頭老中が知ったのは、すべてが手遅れになった後だった。ちなみに将軍は、黒船の来航する前から病に倒れて死にかけている。このとき初めて老中は、白鎧の存在を知った。問題を隠し続けていた町奉行は切腹を言い渡される。白鎧を討伐するために領域へ踏み込んだ武士は1人しか戻らず、筆頭老中は頭を抱えるしかなかった。

 一方、神主から京へ送られた文は貧乏公家の目に留まり、朝廷は白鎧の存在を知る。それに遅れて黒船と【天の使者】について知り、これを徳川から政権を奪い返すチャンスと考えた。白鎧は神主の文から邪悪な存在であると察せられるものの、これ幸いと【天の御使い】である事を京は認める。白鎧による被害が起こっても、それは徳川の治世が悪いからだ。京にとって都合のいい事に、白鎧が領域の外で暴れ回る事はなかった。


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