黒の剣士のお姉さま!   作:さお=SAO

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第4話 日常の終わり

 涼やかな空気に包まれる早朝。辺りからはどこからともなく小鳥のさえずりが微かに響き渡り、今日もまた平穏無事な一日の始まりを予感させる。

 そんな中、物々しい雰囲気に包まれた空間が一つだけあった。広い敷地面積を持つ桐ケ谷家に備えられた、小型の剣道場からである。

 

 「「……」」

 

 静寂の中、対峙していたのは二人の剣士の姿だった。桐ケ谷家次女の直葉とその姉の和奈。毎日、朝稽古を一緒に行うのは二人の日課であった。

 そして今は、朝稽古の最後にいつも行う試合の最中。戦績は、〇勝八六九敗の完全な直葉の負け越し。

 しかし、その結果は決して直葉が弱いという事を指し示しているわけではない。直葉とて関東大会レベルであるならば十分に優勝でき、全国大会においても山がよければ上位進出も果たせる腕を持っている。

 では、そんな直葉がなぜ勝てないか? と問われれば、それは相手が悪すぎるというほかないだろう。

 なぜなら相手は桐ケ谷和奈。全人未踏の大会三連覇、全二本先取の記録を持つ、直葉の知る限りの最強の剣士であったのだから。

 直葉は毎朝のこの試合が好きだった。

 公式戦無敗の記録を誇る姉は直葉にとって、超えるにはあまりに高い壁であり、目標であり、同時に憧れだったのだから。

 そんな姉との試合が楽しくないはずがなかった。

 しかし、それにしても今日の和奈は何か変だ。妙に上の空というか、集中力に欠けているような気がする。……あくまでもそれは、()()()()()()の話しであるが。

 呼吸を整え、チャンスとばかりに直葉は踏み込む。和奈は不意を突かれたのか、面の向こうで動揺の気配が漏れる。

 

 ――当たった!

 

 そう確信した矢先。

 パァン! と乾いた音と共に、直葉の面に衝撃が走った。

 

 

 

 

 

 あー悔しい!

 あたしは道着姿のまま縁側に腰掛け、地団駄、足を踏んでいた。思い返されるは先ほどの試合。片手で数え切れるほどしか見たことがない、お姉ちゃんの隙を突いたあたしの渾身の面が入る前に、お姉ちゃんの竹刀があたしの面を捉えた。つまりは綺麗に後の先を取られたわけだが、あのタイミングで後出し出来るだなんて、つくづくお姉ちゃんの反応速度は人間の範疇を超えている。

 

 「スグちゃん、お疲れ」

 

 あたしと同じく、道着姿のままのお姉ちゃんがミネラルウォーターのペットボトルの片方を放り投げてくる。

 

 「ありがとう」

 

 それをキャッチして礼を述べると、お姉ちゃんは自分のペットボトルの栓を捻りながらあたしの隣に腰掛けると、ゴクゴクと美味しそうにソレをあおる。

 あたしもまたお姉ちゃんに習い、ペットボトルに口をつける。よく冷えた水が火照った身体に心地よく染み込んでいく。

 ほうっ、と一息吐いたところであたしは口を開く。

 

 「ねぇ、お姉ちゃん」

 「んー? なに、スグちゃん」

 

 そう相槌する姿もどこか浮かれているような気がした。あたしは試合中からずっと気になっていたことを問いかける。

 

 「今日はどうしたの? どこか浮かれてるっていうか、集中に欠けるというか……何かあったの?」

 「え? そう?」

 

 お姉ちゃんは首を傾げるが、あたしの目は誤魔化せない。試合中、お姉ちゃんに隙が生まれるなんて、その時点でおかしい。……まぁ、それでも負けてしまったのだけれども……。

 お姉ちゃんはしばらくうーん、と頭を捻っていたが、やがて思い当たる節を見つけたのか、何やら複雑な笑みを浮かべた。

 

 「……しっかりメリハリはつけようと思っていたんだけど、やっぱりメリハリって難しいわね……」

 「え?」

 「ほら、今日って待ちに待ったSAOの正式サービスが開始されるじゃない? もう今から待ち遠しくてね……」

 

 そう告げるお姉ちゃんの表情は、まるで恋い焦がれる乙女のように魅惑的で、生気に満ち溢れていた。

 そういえば、ベータテストで遊んでいる間もずっとはしゃいでいたような気がする。ベータテスト期間が終わった当日は「もう一人のわたしがぁあああああっ!!!」と絶望に満ちた表情で頭を抱えていた記憶もあるが。お兄ちゃんもお兄ちゃんで、部屋の壁の前に立ち尽くしたまま動かなくなるし……。

 

 「あの世界初のVRMMORPGって奴の? ふーん、そんなに楽しいんだ……」

 

 どうしても声のトーンが落ちてしまう。何だか、あたしだけが取り残されたかのような孤独感に襲われる。それは、VRゲームなんかにお姉ちゃんを取られてしまったことからくる嫉妬、と言ってもいいのかもしれない。

 

 「あ、そうだ。スグちゃんもやってみる? ちょちょいとナーヴギアを設定すれば、スグちゃんもすぐに――」

 「いい」

 

 それは半ば反射的、無意識的に流れ出た拒絶の言葉だった。自分でも驚くほど無感情な声音に、お姉ちゃんが戸惑ったかのようにあたしを見つめてくる。

 

 「ス……スグちゃん……?」

 

 そんなお姉ちゃんを見て、あたしは自分が猛烈に嫌になった。お姉ちゃんはあたしを想って、提案してくれたのに、あたしはただ自分の嫉妬に駆られるがままに、お姉ちゃんの言葉を否定した。

 

 「……今日はあたし、学校の部活もあるからもういくね」

 「あっ……」

 

 あたしはお姉ちゃんの顔を見ることなく、逃げるようにその場を立ち去った。

 この選択が後に取り返しのつかない後悔に繋がることになるなんて、思いもせずに――。

 

 

 

 

 

 今日は二〇二二年十一月六日、日曜日。午後一時よりついに、ソードアート・オンライン――通称SAOの正式サービスがスタートされる。

 二カ月間のベータテスト期間はまさに夢幻の如く過ぎ去っていった。俺と姉貴は暇さえあればスキル構成や装備アイテムについての議論を交じらわせ、互いに明け方近くまでダイブしっぱなしだった。そうしているうちにベータテスト期間が終了し、懸命に育てたアバターがリセットされた時は姉貴は「もう一人のわたしがぁあああああっ!!!」と叫び声をあげ、俺はナーヴギアを被ったまま動けなくなってしまったが、それももう遠い過去の出来事のように思えてしまう。

 姉貴はもう既に自室でスタンバイしているはずだ。向こうで合流する手はずとなっている。

 正式サービス開始まであと一分を切ったところで俺はナーヴギアを被り、ベッドに横たわる。トイレも済ませてあるので、準備は万端だ。

 ああ、胸の高鳴りが収まらない。爆発してしまいそうだ。壁に掛けられた時計の秒針が、酷く遅いものに感じられる。

 だが、時間とは必ずやってくるものだ。開始まであと五秒を切ったところで俺は目をつぶった。

 そして、紡ぐ。俺の意識を現実から解き放つ、夢の異世界へと導く魔法の言葉――

 

 「リンク・スタート!」

 

 

 

 

 

 今、私の部屋には普通ならあるはずのないモノが堂々と鎮座している。

 それは世界初のVRMMORPGであるソードアート・オンラインのデータカードが挿入された、準備万端のナーヴギア。

 このナーヴギアは、兄である浩一郎兄さんが買ってきたものだが、兄さんは急遽、出張が入ってしまったので、無理を言って今日限り貸してもらったのだ。

 しかし、普通ならゲームや漫画などの娯楽には一切の興味を示さず、テストの学年順位と内申くらいにしか興味を示さない私がなぜ、兄に無理を言ってまで今日このゲームをプレイしようかと思ったのかというと、その原因は学校で私の隣の席に座る一人の女子生徒にある。

 

 ――ほんと、SAOって凄いわよ~。≪異世界≫って本当にあるのかもって思っちゃうくらい。

 

 言わずもがな、桐ケ谷さんの言葉である。なんでも桐ケ谷さんはそのSAOのベータテストと言うものに当選していたらしく、世界初のVRMMORPGが如何なるものなのか、毎日のようにクラスメイトから質問攻めに遭っていた。

 当初、私は煩いと思いながらも、隣の席で英語の単語の暗記をしていた訳だが、桐ケ谷さんのその言葉だけが妙に私の意識に刷り込まれたのだ。

 ≪異世界≫。桐ケ谷さんは、学業でも部活動でも日頃の様子からは想像もつかないほどずば抜けている。まるで、どこか別世界の住人のように――。

 だから私は思った。桐ケ谷さんが別世界の住人で、彼女の言う≪異世界(SAO)≫がその別世界なのだとしたら。

 私もその≪異世界≫に行けば、桐ケ谷さんの凄さの()()が解るのではないかと。

 今は午後の十二時五十八分丁度。家には私以外、誰もいない――。

 

 「……」

 

 自室にあるメッシュチェアーに体を預け、ナーヴギアを被った。正式サービス開始は午後一時ジャスト。後十秒足らずで時間になる。

 胸の片隅に僅かばかりの高揚を覚えながらも、ソレを認識することなく私は未知なる異世界への扉を開く呪文を唱えた。

 

 「リンク・スタート」

 

 この呪文がまさか、呪われた悪夢(デスゲーム)へと誘う招待状であっただなんて、この時の私は思いもしていなかったが――。

 


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