病院の前、処方箋の薬局の隣に最近出来たコンビニだ。
買い物袋の中にあるのは、同じ銘柄の缶コーヒーが10本ほど。
まるで言い訳のように用意したそれを、
缶が擦れてぶつかり合う音が、静かな夜の空間に響く。
場所は、奇しくもあの病院傍の路地だ。
ほんの数時間前に出会ったそこで、
「ンだァ、お前? ちょおォっと見ねェ内に随分とセクシーになっちまってンじゃァねェのよォ、あ? もしかしてアレかァ? ストリッパーにでもなってサービスしてくれんのかァ?」
ギャハハ、と乾いた笑い声を上げても、反応は無い。
光の無い虚ろな瞳が、ただ彼を見つめている。
肩を上下する程に息を荒げておきながら、それでいて冷たい息を吐き続ける少女。
姿はまさに、みすぼらしいの一言に尽きる。
傷だらけの身体には、もはや体操着の半袖シャツのみを纏っているのみだ。
それでも際どい部分が見えていないのは、単純にブカブカなシャツだからだろう。
「……情けねェなァ」
微かな苛立ちを込めた声で、
途端、彼の力が解放される。
同時に感じる頭痛は、どういうわけだか随分と小さくなってしまっていた。
「特力研の時と、お前、なンにも変わってねェじゃねェか」
その言葉に、少女――――ナズナは、顔をはっと上げた。
紫の輝きが明滅を続ける黒い瞳をいっぱいに広げて、白い少年を見つめる。
それすらも鬱陶しそうに、
そして、思い出す。
特例能力者多重調整技術研究所――――特力研、彼がまだ9歳の頃の話だ。
確か、その時はまだ他の能力者の子供達といっしょくたにされていた。
別にそこで死に別れた子供達のことなどいちいち覚えてなどいないが、しかし1人だけ。
1人だけ、妙な奴がいたなと――――そんなことを、ようやく記憶の底から引き摺りだしてきた。
◆ ◆ ◆
何故なら実際、彼は彼女と直接の面識は無かったからだ。
覚えがあるとすれば、声。
それも、壁越しの――――幼い、声だ。
『……ねぇ、そこにいるんでしょ?』
特力研は、基本的に研究対象である子供同士の交流は無い。
集められるのは特殊な能力に目覚めた子供達だけで、一緒に同じ実験を受けさせるとむしろ非効率なのだった。
子供はいつも実験室を兼ねた個室に監禁されていたし、
そんな時間の中で、一度だけ部屋の外に出たことがある。
9歳の終わり頃、特力研が解体される直前くらいの頃だ。
今にして思えば、若気の至りだったと笑うばかりだ。
要するに、研究員の言いなりになって実験室にこもるのが嫌になったのだから。
『あなた、だぁれ?』
鋼鉄の分厚い扉の向こう、小さな女の子の声がした。
取り立てて挙げる所の無い、中身の無い会話をした記憶しかない。
自分は何一つ言質は与えなかったし、相手の名前など覚える気も無かった。
時間も、20分あるか無いか――――自分にしては長く話した方か。
ただ、最後になると妙に気に入られたらしい。
何か、泣き言のようなものも言ったかもしれない。
だからだろうか、扉の向こうの女の子は邪気の無い声で言ったのだ。
今の今まで忘れていたが。
『――――やくそくだよ』
アナタは初めての友達だからと、彼女は言った。
何を勝手なことをと、笑ったことを覚えている。
そして覚えているのは、それだけだった。
後はただ、果たされなかった約束だけ――――。
◆ ◆ ◆
「――――ワタシノチカラデアナタノチカラヲコワシテアゲル――――」
それは後に
争いが起こらない程、挑戦しようと言う意欲を失う程の圧倒的な力が欲しいと。
……だが、それは逆説的に言えば、どういう意味になるだろうか。
9歳当時の
その結果の、一つの形が。
「……だったかァ? 約束ってのはよォ」
片栗ナズナの能力『
事実、特力研でナズナに求められたのはそう言う
能力者が集団で反乱を起こした時に、瞬時にこれを制圧できる能力者。
「まァ正直、ンなガキの頃の約束なンざどうでも良いんだが……つゥか今の俺はほとンど力を無くしちまってる状態だから、似たようなもンか」
力を使えるのは、たったの15分。
能力の使えない時間というものを、初めて知った。
「ただ、俺はこれから先も最強でなけりゃいけないンでな」
そして、能力の自分なりの使い方も。
「悪いが、あの約束は無かったことにしてもらうぜ」
まるで悪い男のようだと、くだらないことを考える。
そして、思う。
お互いに、弱かったよなと。
何しろ、誰かのための何かだと思わなければ、自分の能力の強さに押し潰されてしまいそうだったのだから。
「――――来いよ」
利子くらいはくれてやると、そう告げた時。
彼の前で、ズタボロになったナズナは確かに笑んだような気がした。
そして、来た。
頭痛だ。
ナズナの
レベルが高ければ高い程、回路を流れる力が大きければ大きいほど、威力を増してくる。
数秒で意識を刈り取られる程の激痛の中で、それでも
「ア……」
駆け出す、
真っ直ぐに駆けて、右手を前に突き出す。
その口から漏れるのは、激痛に苛まれているとは思えないような笑い声だ。
「アクセラレェエエェェェアタアァアアアアァァアアアアァァアアアアアァアァァァァァッッ!!」
「クッ……ケケケケケケケケケケケカカカカカカカカカカァハアアアアアアアアアァァァッッ!!」
2つの奇声が重なった瞬間、全ては決した。
能力を放ちながら待つしかないナズナの胸元に、
瞬間的に高まる頭痛に、
しかし、それ以上の衝撃がナズナの体内を駆け抜けて脳を焼いた。
炎でも水でも、風でも電気でも、銃弾でも体液でも、そして。
能力によって発生する、力の向きでさえも例外では無い――――!
(――――能力の向く力を、『反射』させる……!)
そうすれば。
「――――――――――――ッッ!!??」
絶叫。
夜空を劈くほどの絶叫が、少女の口から迸った。
それはその身に初めて受ける衝撃だ、自分も含めた外に放出していた力の全てを1人で……1個の脳で受け止めたが故の衝撃だ。
それは自身の脳の「回路」を焼き切り、彼女から力を奪い取っていく……。
「あ……?」
2秒、それが2人が止まっていた時間だ。
ナズナは放心したように自分の胸に指を刺した
笑みを浮かべた。
形の良い、血に濡れた唇が微かに動いて何事かを告げる。
そして、そのまま仰向けに倒れた。
腕を両側に広げて、何の支えも無く後ろに倒れた。
どさり、と音を立て、大の字になって倒れたナズナを見下ろす
もはや息をしていない少女を、つまらなそうな視線で見つめていた。
「はン……」
そして、彼は自分の右手の指を見た。
人差し指と中指でナズナの胸の肌を破り、ちょうどチョーカーの錠前があった部分を刺した。
ナズナの赤い血に塗れた2本の指の間には、極小のチップのような物が挟まれていた。
赤い明滅を繰り返すそれは、何かの信号を放っているように見える。
「…………ちィ」
心底嫌そうに舌打ちして、
そして、面倒そうに右足を上げる。
「……面倒臭ェ」
呟きの直後、その右足で少女の左胸を強く踏みつけた。
そして、
心臓のある位置を踏みつけた彼は、そのまま血液のベクトルを――――。
◆ ◆ ◆
窓の無いビル、と言う建物が存在する。
窓もドアも通路すらも無い隔絶された空間、それはまるでたった1人のためだけに用意された何かのようだと、土御門は思った。
例えば、たった1人を生かすための巨大な生命維持装置のような。
「――――満足か、毎度毎度のことながら悪趣味なことだな」
土御門の視線の先、赤い液体で満たされた水槽の中にいるアレイスターは特に表情を変えていない。
それに対して、土御門は面白くも無さそうに鼻を鳴らした。
どうせこの化物は、全て予定通りだったとでも思っているのだろう。
いや、仮に予定通りでなかったとしてもそれを予定に組み込んでプランを修正するのだ、この化物は。
「片栗ナズナは自分の能力を――――『
一部の人間に――上条とインデックスだが――
もともとは学園都市の能力者のAIM拡散力場が複雑に作用し合って生まれ、9月1日のある事件以降存在が希薄になりながらも都市内を徘徊していた。
だが、今回の事件では存在を匂わせることすらしなかった。
いつもはアレイスターの網にかかり、監視されていたはずの彼女の存在の不明。
それはつまり、それだけ彼女の本体である虚数学区に負荷がかかっていたと言うことだ。
動揺していた、と言っても良い。
「それで? 『
土御門にしては文句がくどい、無理も無い、昨夜から今夜までの1日の混乱に裏で収拾をつけるのは彼なのだから。
裏で飛び回ってバランスを保つ、それが彼と言う多重スパイの仕事だった。
「……で、特力研の方はどうカタをつける? アレはお前が漏らしたものなんだから、それくらいの処理能力は期待しても構わないよな?」
『……問題ない』
土御門の嫌味にもまるで動じることなく、アレイスターは逆さまに浮かんだままで頷いた。
その表情は、相変わらず変化が無い。
喜怒哀楽が同居したような、乾いた笑みを浮かべて。
『と言うより、私が何かをするまでも無いとは思うがな』
「……?」
またぞろ意味不明な言葉に、土御門は若干だが首を傾げる。
しかし聞いても答えは無いのだろうと諦めて、軽く首を振りながら土御門は肩を竦める。
――――とにかく、何とか終わらせたようだ、誰の手による終わりかはわからないが。
◆ ◆ ◆
――――薄暗いその部屋には、ヒステリックに何かを叩く音が響いていた。
白衣を着た老人が血走った目で、そしてそれ以上に血で黒ずんだ手でキーボードを叩いていた。
罅の入ったモニター画面にはひたすらに赤い「エラー」の文字が連なり、老人の望んだ回答を返しているとは言えないようだった。
「……ぅコトだ、どういうコトだ、どういうコトだどういうコトだどういうコトだどういうコトだどういうコトだどういうコトだどういうコトだどういうコトだっ!?」
送られてくるはずの信号が送られてこない、受信していたはずの身体データが受信できない、途中までは確実に送られてきたそれが不意に途切れたために、動揺し混乱しているのだろう。
元々安定的とは言い難かった精神の均衡が崩れ始めて、もはやキーボードを叩いてもデータ入力ではなく意味の無い文字の羅列を並べるだけになっている。
「わ……私の、私達の最高傑作が……アレイスターの作った
それは、妄執だ。
妄執だけが彼を動かしている、過去の事業を捨て切れなかった亡者が彼だ。
そして彼は利用されて、そのまま終わりを迎えようとしていた。
その終わり方もまた、何者かに用意されていたものだとするならば。
彼の妄執は、はたして何の意味を持っていたのだろうか。
その意味を知る者はもはやいないが、しかし一つだけはっきりとしていることがある。
「……ッ、な、なんだ!?」
終わり方だ。
不意に部屋全体、いや建物全体が揺れて彼は身を竦ませた。
その揺れは断続的に続き、揺れに合わせて天井から粉が落ちてくる程だった。
そして次の瞬間、一面の壁が設置された機材ごと吹き飛んだのである。
機材の破片と壁材が飛び散り、悲鳴を上げる白衣の老人の身体を打った。
その内の一つが額を打ち、鮮血を散らす。
老人の身体が揺らいで、椅子の上から転げ落ちそうになったそれを……支える手があった。
「な、なん……もっ!?」
支えると言っても、顔の下半分を捕まれてのことである。
ギリギリと骨が軋む程の力で掴まれ、痛みと息苦しさから唸り声が上がる。
その視線の先にいるのは、白の少年――――。
「ギャハハハハハアアアアァァァッ……ノックしてモシモォ~~シィってかァ?」
奇妙な風を背後に従えた彼は、夜の終わりを引き連れてやって来た。
歯を剥いて口を開く独特の笑い顔が、白衣の老人の視界一杯に広がる。
圧縮した空気の塊が視界を覆い、何もかもを見せなくしていく。
「つゥかよォ、クソガキ共に逆探知させたのは良いとしてェ、まさかこんな隅っこの方にいるとは思わなかったぜ、かくれんぼですかァ? ギャハッ、今までで一番面倒臭かったわお前、何しろこちとら足がねェもんだからよォ?」
なァ? と確認するように首を傾げられても、白衣の老人は口を塞がれて何も答えられない。
それを見て笑みを深めて、白の少年は掌の先から鈍い音を響かせた。
「んあァ……なんつゥか、見覚えのあるような無いような面だなァ。まァでも、どーせ特力研あたりのあぶれ組だろ? 生きていながら学園都市内のライセンスを削除されたタイプのよォ」
老人の視線を少年が追えば、そこには一枚の写真が落ちている。
吹き飛ばされた壁の一部が重石になって、奇跡的に破れずにいた写真。
くすんだ古い写真には、ある施設の看板が写り込んでいる。
「まァ、つゥわけでェ…………」
キ・エ・ロ。
きっちりと音を区切ってそう告げて、白の少年は手先に力をこめた。
次いで、先程とは比にならない鈍い音とくぐもった声が響く。
それで、終わりだった。
後に
科学者も……能力者も、裏の裏にいる元凶を除いた全てが。
なくなって、しまった。
◆ ◆ ◆
上条が家に戻ったのは、日がすっかり高くなってからのことだった。
寝不足と疲労で流石に頭がクラクラして、御坂妹のことも気になって彼は一旦家に戻ることにした。
上条の学生寮は昨夜の騒ぎの割に静かで、警戒していた
痛む頭を軽く振りつつ、自分の部屋に戻ると……。
「あれ? ドアが直ってる……」
「はい、修理しておきました、とミサカは一宿の恩義を込めてそう報告します」
「あ……御坂いもう、とって……」
振り向くと、そこには当然のような顔で御坂妹がいた。
ワンルームなのでベランダも近い、カーテン越しに漏れる火の光が、綺麗に片付けられた部屋の中を照らしていた。
……それと同時に、制服のものらしい白のシャツ姿の御坂妹も。
丈がそれほど長いわけでもないシャツの裾からは、靴下を脱いだ細くて白い足が伸びていた。
「おかえりなさい、顔が赤いようですが具合でも? とミサカは体調を気遣います」
「え、あっ、いやっ……お、お前こそ大丈夫なのかよ、その、具合とか」
「はい、3日前に終わりましたので問題ありません、とミサカは自身の体調について報告します」
何が!? と聞く勇気は上条には無かった。
とにかく顔を洗っているらしいインデックスが戻る間に服を――特にスカートなりパンツなり――着るように言って、上条自身はキッチンの蛇口から水を流して頭から被った。
眠気と同時に火照りと記憶を飛ばすためだ、他意は無い。
その後インデックスが洗面所から出てきて上条に噛みかかるまで、それは続くことになった。
朝食のために開放されるまで、上条はボロボロの身体と心をさらにズタボロにされた。
それでもきちんと朝食を用意するあたり、彼らしいと言えば彼らしい。
しかし朝食の席上、意外にも御坂妹が事件の顛末についての話があると言って。
「え? 終わった?」
「はい、事件は昨夜の内に完全に収束しました、とミサカはアナタに振舞われた朝食のトーストを持ちながらお知らせします」
事実トーストを両手で掲げながら、何故掲げているのかは定かでは無いが、とにかく御坂妹がそう言った。
何でもミサカ・ネットワークを使って情報を集めていたらしく、その中で判明した事実らしい。
何とか抜け出して外に出ようとして、そして何故か御坂妹に気付かれ続けた昨夜の奮闘は何だったのかと思う上条だった。
「とうまは良いよ、何があったのかちゃんとわかってるんでしょ? 今回私、何にもわかんないまま蚊帳の外だったんだもん。ナズナをお風呂に入れたの私なのに……」
「あ、あはは、悪い悪いインデックス、ほら俺の分のトーストもやるから、な?」
「……とうまは、私が食べ物をあげてれば文句を言わないとか思ってる?」
「思ってませんよー、全然まったく思ってませんともよー」
噛まれました。
「…………そ、それで結局、ナズナはどうなったんだ?」
「それは大丈夫です、とミサカは太鼓判を押します」
「うん?」
「世界で一番安全な場所に保護されていますから、とミサカは無意味に遠い目をしてオブラートに包んだ言い方をします」
オブラートって何だ、と頭にインデックスを噛り付かせたまま気にする上条。
しかし実際、無事で良かったとも思う。
まぁ、結局ナズナの目的はわからずじまいだったのだが。
それでも、無事でいると言うのならまた会えるというコトだろう。
それは、悪いことではないはずだった。
問題があるとすれば、それはまた別の要因によるものだろう。
関係性という要因が。
まぁ、それも時間をかければ……と、上条はあえて楽観視することにした。
「それで、ナズナって今どこにいるんだ? 会いにいける所だと良いんだけど」
「とうま? またそうやって女の子を――――」
「人聞きの悪いことを言うなよ!? 俺はただアイツの服とか預かりっぱなしだから――――」
「……会いに行きたければそれは比較的簡単だと思いますが、とミサカは冷静に事実を指摘してみます」
そんな2人をトーストにバターを塗りながら、御坂妹は感情の見えない表情で見つめていた。
美琴達も完全に復調を始めたと言う情報をどのタイミングしようかと考えつつ、御坂妹は小動物のように小さくトーストに噛り付いた。
それを牛乳で流し込んだ後、世間話のノリで「その場所」を上条達に教えたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
次回エピローグを残しまして、この「とある魔術の員数外」はエンディングとなります。
ナズナというキャラクターが参加することになるので、対能力者戦においてはかなり今後の原作の歴史が変わることになるような気がします。
特に15巻における第二位、第四位との組織戦などでは凄いことになりそうです。
ナズナ放り込めばそれで「末元物質」も打倒できるというチート、凄いぞナズナ。
というわけで、また次回にお会いしましょう。
なお、ナズナの名前の由来について少々。
苗字の片栗、名前のナズナ、共に花の名前になります。
そしてこの2つの花の花言葉を繋げると、このような感じに。
「寂しさに耐えて、貴方に全てを捧げます――――」