とある魔術の員数外   作:竜華零

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第2話:「修道女と白と妹と」

 

 ――――やくそくだよ。

 

 

(あァ? 約束だァ?)

 

 

 ――――わたしはまだ、あなたのそばにはいられないけれど。

 でも、いつか、おとなになれたら――――。

 

 

(はっ、てめェみたいなのがそれまで生きていられるなンて、思わねェけどなァ)

 

 

 ――――やくそく。

 

 

(ちっ……つゥか、まずてめェの心配でもしてろよ)

 

 

 ――――うん、やくそくするよ。

 おとなになるまで、わたし、がんばる。そうしたら――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「おやー? カミやん、今日はえらい疲れてるみたいだにゃー。もしかしてついに銀髪シスターとにゃにゃんしちまったのかにゃー?」

「朝からにゃーにゃーうるせぇよ、土御門」

「おやや? ごきげん斜めかにゃー?」

 

 

 黒い少女の襲撃の翌朝、上条はいつもと変わらず自分の学校の自分の教室にいた。

 取り立てて特徴の無い普通の高校だ、教室には彼のクラスメイトがチラホラいる。

 昨日と違って遅刻しなかったのは僥倖と言うべきだろうが、しかしまったく幸福とは言い難い気分ではあった。

 

 

 何故ならあの後、通りに出て車を捕まえ、知り合いの――彼自身が世話になったこともある――病院に美琴を運び、かつ常盤台中学に連絡を取ってもらったり事情を説明したり警備員(アンチスキル)に補導されかけたりと、昨日以上にハードかつ不本意な夜を過ごしてきたのである。

 疲労と寝不足、つっけんどっけんな態度にもなろうと言うものである。

 

 

「おんやぁ? カミやんどうしたん?」

「何かにゃー、ついに例の銀髪シスターとにゃんにゃんな関係になっちまったらしいんにょー」

「な、ななななななななな何やてえええええええええぇぇぇっ!? ひ、人が空から落ちてくる系のヒロインが落ちてこーへんかなって夜通し星に願いを的なイベントをやっとる間に、そんな裏山、いや羨まし、いやいやけしからんことをやってたやてええぇぇぇぇっっ!?」

「むしろお前が何やってんだよ!?」

 

 

 ちなみに今、上条に絡んで来ているのは上条の友人である。

 最初に話しかけてきたのが土御門元春、金髪にサングラスと言う出で立ちの派手な少年だ。

 実はこの少年、上条の住む学生寮のお隣さんである。

 

 

「まぁでも、銀髪シスターじゃ妹には勝てないにゃー。やっぱ時代は妹キャラの攻略にこそあるんだぜい」

「でもカミやんは銀髪シスターだけや無いやん、常盤台のコとかクラスのコぉとか果てはすき焼き屋の店員のあのコまで! もう何でもかんでも持っていてどういうことなん!? 分けて!?」

「分けるって何だよ……つか持っていってねーし」

 

 

 そして、生粋の妹スキーである。

 しかも血の繋がらない義理の妹がリアルにいるのだから始末が悪い、ちなみに彼の義妹は家政系の学校に通うメイドさんである。

 故に彼の属性は生涯「義妹メイド」であるらしい、何だそれはと上条は思う。

 

 

 そして血の涙を流しながらエセ関西弁で話すのは、青髪ピアスだ。

 何故そう呼ばれているかと言えば、髪が青くて耳にピアスをしているからだ。

 安直だが、本人が受け入れているので構わないのだろう。

 そして発言を聞けばわかる通り、変態である。

 

 

「つーか、別にアイツは関係ねーよ。ただ昨日の夜は走り回らなきゃいけなかったってだけだ」

「「「「何だ、じゃあまた誰か引っ掛けてきたのか」」」」

「よーしOK、ちょっと上条さんの人物像について良く話し合いましょうかクラスメートの皆さん」

 

 

 上条が青筋を立てながら顔を上げると、先程まで上条に向けて一糸乱れぬ動きで「やれやれだぜ」と言うように肩を竦めていたクラスメート達は一斉に上条から目を逸らした。

 チームワークの良いクラスである、嫌な意味で。

 

 

「はーい、騒いでないで席についてくださいねー。小萌先生のホームルームの時間ですよー」

 

 

 その時、担任の先生がやって来てクラスメートも自分達の席に戻って行った。

 もちろん上条自身も、眠い頭を押して窓際後方と言う居眠りに最適な自分の席に座る。

 そしてホームルームの先生の声を耳に入れながら、頬杖を付きつつ窓の外へ視線を向ける。

 

 

 ほぅ……と疲れた吐息を漏らしながら思い出すのは、やはり昨夜のこと。

 それと、今朝のこと。

 彼がヘロヘロになって何とか早朝に家に帰り着いて、そして土御門と青髪ピアスの言う所の銀髪シスター。

 同居人である少女と、いわゆる再会した時のことを思い出していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 午前6時、上条が己の住処である学生寮の部屋に戻ってきたのはその時間であった。

 黒い少女に遭遇したのが昨夜の午後7時頃であることを考えると、実に半日をその後の諸々で消費したことになる。

 その間、上条は一睡もしていない。

 

 

 そして今、上条は帰宅した所を狙われてズタボロにされている所だった。

 腕に出来た噛み跡は冗談ではなく、小さく綺麗な歯並びのそれは本物である。

 若干血が滲んでいるそれは一つではなく、いくつもいくつもついている。

 上条は軽く泣きながらそれらを撫で擦ると、自分の城であるはずのワンルームの寝室兼リビングで小さくなっていた。

 

 

「うぅ、不幸だ……」

「とーまがいけないんだよ! とーまが帰ってこないから!!」

 

 

 そんな彼の前で腰に両手を当てて全身で怒りを表現しているのは、小柄な少女だった。

 フードとセットになった正式な白のシスター服、ただし所々が安全ピンで留められていて非常に危ない印象を見る者に与えてくる。

 長い銀の髪に碧玉の瞳、輝くような白い肌の、文句なしの美少女と言っていい。

 美少女に噛まれたと言えば、青髪ピアスなどは羨ましがるのだろうか。

 

 

「いや、連絡しなかったのは悪かったけどさぁ……そんな怒んなくても良いだろ、インデックス」

「とーまぁ……?」

「うわった、たんまたんまたんまっ、悪かった! もちろん上条さんが全面的に悪ぅございました! インデックスさん!」

 

 

 インデックス、それが彼女の名前だ。

 もちろん人につけるような名前ではない、むしろそれは彼女の存在につけられた名だ。

 遥か西の彼方、イギリスからやってきた魔術師――――魔道書図書館、「禁書目録(インデックス)」。

 それが彼女、インデックスだ。

 

 

 この科学の時代に魔術師など頭がおかしいのかと言われそうだが、まごうことなき事実である。

 実際、彼はこの夏の間に2つも3つも魔術関連の事件に巻き込まれて大怪我をしている。

 まぁ、大怪我をするのは余計なことに首を突っ込む上条自身の自業自得とも言えるが。

 とにかく、彼女はイギリスに……イギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』に所属する、魔女狩りや異端審問を専門とする対魔術師用魔術師。

 

 

「とうま、私は心配したんだよ? わかってる?」

「あーはいっ、わかってますわかってますとも! でもお前、電話したって取れないだろ……携帯壊れてたからどの道無理だったけど」

「うっ……き、機械は良くわかんないんだよ、魔術師同士なら交信の手段はいくらでもあるし」

 

 

 頭の中に、1冊読むだけで常人なら死に至る魔道書を10万3000冊も保存している彼女。

 そのインデックスを巡る戦いに何とか勝利して、今ではこうして同じ部屋で同居生活を営んでいる。

 ――――まぁ、彼はその時の事件の詳細に関する記憶を失っているのだが。

 

 

「でもとうま、昨日の夜は本当に何してたの? もしかしてまた魔道師絡みの何かとか?」

「上条さんは毎週のように魔術師なんぞと関わったりはしないですよっと。まぁ、でも連絡も無しに家を空けたのは悪かったよ、ごめんなインデックス」

「……ううん、とうまがちゃんと帰ってきてくれれば、インデックスはそれで良いよ」

 

 

 人を10度も噛みまくっておいて言う台詞でもない気がするが、眉を下げて見つめられれば上条にはもう何も言えなかった。

 自分に向けられる心配や好意を無碍に出来る程、彼は非情な人間ではなかったのだ。

 思えば、そのあたりが一連の騒動の原因である気もするが。

 

 

 いずれにせよ、上条はインデックスに昨夜についての詳細を話さなかった。

 事が魔術師関連の話ならともかく、今回は能力者、つまり学園都市側の問題なのである。

 正直、魔術師であるインデックスがそこに入ってくることに抵抗を覚える。

 いや、それ以前の問題として。

 

 

 ――――上条は、インデックスと言う少女を危険な目に合わせたくなかったのである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「上条ちゃ~ん? 先生のお話を聞いてますかー?」

「……うわっ!?」

「ひゃわわっ、そんなにびっくりされたら先生の方が驚いちゃいますよ」

 

 

 頬杖をついていた上条は、その頬杖が外れる拍子に声を上げた。

 すると思いの外近くから別の声が上がって、上条の視線はそちらへと向くことになる。

 そこにいたのは、桃色のボブショートの小さな女の子――ではなく、上条のクラス一年七組の担任の教師がいた。

 

 

 その名も月詠小萌、身長実に135センチ、外見年齢は12歳。

 白のブラウスに桃色のワンピースと言う服装も、幼く見える理由なのかもしれない。

 と言うか、大人っぽく見せる努力をとうの昔に諦めたのだろうか。

 口にすれば物凄く怒られそうなので、そこは誰も口にしたことが無いが。

 とにかく小萌は名簿を片手に眉を寄せて、上条を横から見ていた。

 

 

「上条ちゃん? 先生は何度も何度も何度も何度も何度も出欠のために上条ちゃんを呼びましたよ? 上条ちゃんがいるのはわかってましたけど、でも先生元気良く挨拶しましょうねーって言いましたよね?」

「そうやでカミやん! わざと返事せんと小萌センセーと2人きりで指導室に行こうなんて魂胆見え見えなことしたらアカンで! 僕みたいに!」

 

 

 そんなことを考えていたのか、と、クラス全員が青髪ピアスの言葉に引いていた。

 今のは青髪ピアスに引いたのであって、自分にではない。

 上条は固くそう信じていたのだが、逆に小萌はとても哀しそうな顔で上条の顔を見つめていた。

 

 

 何と言うか、踏み絵に応じてしまった仲間を見る隠れキリシタンのような表情だった。

 そんな顔をされてしまえば、上条はこの後自分に訪れることについて予想がついてしまうのだった。

 別に予知能力に目覚めたわけではなく、単純に己の経験則として。

 インデックス曰く、「とうまの幸福まで打ち消してる」異能の右手を見つめながら。

 上条当麻は、いつも通りに溜息を吐いたのだった。

 

 

「……不幸だ」

 

 

 ただ、今回のこれがはたして不幸と言う一言で片付けていい問題なのかどうか。

 それについては、まだ上条にも判断がつかないのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 御坂美琴が上条が連れて行った病院から、自分の学生寮に戻されたのは正午近くになってからだった。

 本来ならそのまま病院にいても良いものだが、しかし彼女は稀少な超能力者(レベル5)、学生であると同時に貴重な実験対象である。

 ましてやプライドの高いお嬢様学校となれば、外の病院に置いたままにするはずも無かった。

 

 

「災難でしたわね、お姉様」

 

 

 5つのお嬢様学校がひしめき合う第七学区南西端「学舎の園」、その中でも2人の超能力者(レベル5)を抱える名門校常盤台中学、その女子寮の二〇八号室。

 つまり美琴は今、自室にいるのだ。

 教師と寮監が去った後に声をかけてきたのは、ルームメイトの後輩である。

 

 

 長い髪をツインテールに縛り、美琴と同じ常盤台の制服に身を包んでいる。

 まぁ、ベッドで横になっている美琴は今お気に入りのパジャマに身を包んでいるのだが。

 精密検査では問題無しとされたとは言え、気絶までして「元気です」とは流石に言えない。

 

 

「それで、実のところ昨夜は何があったんですの? 私、正直なところ今朝方にお姉様が倒れた上に殿方に病院に運び込まれたと聞いた際に、空間移動(テレポート)で駆けつけようと思ったのですけど」

「大事になるからやめなさい」

「寮監にも同じことを言われましたわ、そして締め落とされました」

「あ、そう……」

 

 

 後輩――白井黒子(しらいくろこ)が自分と同じようにベッドで横になっている理由を、美琴はわかったような気がした。

 念のために言っておくが、別々のシングルベッドである。

 この後輩は隙あらば同衾しようとしてくるので、注意が必要だ。

 ――――まぁ、こちらが弱ってる所に付け込むような子では無いので、そこは信用しているが。

 

 

「それで、いったい何があったんですの?」

「うーん……正直、良くわかんないのよ」

「わからない、ですの?」

 

 

 横になったまま首を傾げる黒子に、美琴も横になったまま頷く。

 実際、昨夜のことについて美琴が覚えていることはほとんど無い。

 ただ、あの男……上条と世間話――の割に殺伐としていたような気もするが――の最中、激しい頭痛に思われたことだけは覚えている。

 

 

 思い出せば、今も擬似的に痛みを感じることが出来る。

 脳を直接万力で締め上げられているような、血が止まったのかと思えるような圧力感。

 正直、二度と味わいたくは無い。

 しかしそれ以外となると、美琴自身は何も覚えていないのだった。

 だから警備員(アンチスキル)や教員達の質問にも、碌に答えられなかった。

 

 

(まぁ、でもアイツには……世話になった、のかしらね)

 

 

 自分を病院まで運んだらしい少年のことを思い出して、美琴はやや表情を緩めた。

 それがどんな感情による物なのかは彼女自身にもわからないが、少なくとも黒子にとって面白い顔ではなかったらしく、どこか不満そうな表情を浮かべていた。

 その時、ふと美琴は聴覚に甲高い話し声を捉えた。

 

 

「あれ? もしかして、もう皆戻ってきてるの?」

「え、ええ、今日は全ての授業(カリキュラム)をキャンセルして、常盤台は全学生を寮に戻すのですわ」

「ふーん……」

 

 

 近くから聞こえる声は、やはり女子学生達のもののようだった。

 この時間はまだ授業があるだろうに、全校生徒が戻されるとは普通では無い。

 自分の件が影響しているのかと思ったが、どうも違う気がした。

 

 

「……何があったの?」

「あーっと、その、季節はずれのインフルエンザのようなものですわよ」

「……………」

 

 

 明らかに嘘だとわかる理由に、美琴が半身を起こして黒子を睨む。

 睨まれた黒子はと言えば、底冷えするような美琴の視線の圧力に何故か頬を染めて小指を噛みつつ。

 

 

「そ、そんなに熱い目で見つめられると、照れてしまいますわね……」

「ぶっ飛ばすわよ?」

「コインを構えながら言わないでくださいまし、冗談に聞こえませんのよ!?」

 

 

 渋々コインを枕元に放る美琴、しかし目線はあくまでも黒子に注がれている。

 ――――……1分ほど睨み合った後、黒子は溜息を吐いた。

 放っておいても、美琴は勝手に動いて情報を集めようとするだろう。

 それくらいなら自分が教えておいた方が、まだマシだろうと黒子は考えた。

 

 

「まだこれは、風紀委員(ジャッジメント)でも口外しないように言われているのですけど……お姉様も当事者ですので、まぁ、話すことにいたしますわ」

 

 

 風紀委員(ジャッジメント)、学園都市における警察組織のようなものである。

 能力を持たない大人で構成される警備員(アンチスキル)とは異なり、特に各学校内の治安を維持するための自警団としての側面が強い、構成員も能力者の学生のみだ。

 黒子はその組織のベテランであって、顔も広いので情報にも明るかった。

 

 

食蜂操祈(しょくほうみさき)、ご存知ですわね?」

「え、うん。ウチの学校の有名人だし、それに……超能力者(レベル5)だし」

 

 

 常盤台中学には、美琴の他にもう1人超能力者(レベル5)が在籍している。

 同じ学校、同じ学年に2人の超能力者(レベル5)が同時に在籍しているのは後にも先にも常盤台中学だけであり、それが彼の学校の名を学園都市中に轟かせている理由でもある。

 食蜂操祈、序列としては美琴よりも下の第五位の能力者。

 

 

 美琴は特に関心は無いが、常盤台において自身の「勢力」を拡大することに腐心していることも彼女を有名にしている理由だろう、人呼んで「常盤台の女王」。

 とはいえ伊達に超能力者(レベル5)の一角に数えられているわけではなく、精神操作系能力者の中ではまさに最強を誇る。

 電撃使いの中で最強を誇る美琴と対比して、何ら遜色無い実力を持った少女だった。

 

 

「――――派閥のメンバーごと、壊滅させられましたわ」

「は?」

「まぁ、全員ではありませんし、後遺症の残るような怪我もしておりません。ただ……」

「ちょちょっ、ちょ! 壊滅って!?」

 

 

 食蜂操祈は先に言ったように、常盤台内外で影響力を持とうと自分を頂点とする派閥を形成している。

 200人いる常盤台の中でも最大派閥を率いているのだから、その数は10や20ではきかない。

 全員では無いにしろ、壊滅したと言うのは極めて物騒な話だ。

 そしてその規模は、厳格な常盤だが生徒を寮に押し込める程のものなのだろう。

 

 

「落ち着いてくださいな、お姉様。今言ったように、後遺症の残るような怪我をした方はリーダーである食蜂操祈を含めて誰もおりません。お姉様と同じように、もうすぐ各学区の病院から戻ってくるかと」

「そう……」

 

 

 ほっとする反面、美琴は嫌な気分を胸に抱いていた。

 常盤台の超能力者(レベル5)が、2人とも同時期に何者かに襲われて病院送りになっている。

 これを偶然と思える程に、美琴は楽観的ではないつもりだった。

 

 

「今朝方、校舎内で見回りの先生が発見したとかで……聞く所によると」

 

 

 それも。

 

 

「急に頭痛に見舞われて、意識が遠のいたと……」

 

 

 元凶は、おそらく同じだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

超能力者(レベル5)が襲撃されてるだァ……?」

 

 

 色の抜けた白い髪に赤い瞳、細い体躯に灰色のシャツとパンツを身に着けた少年だ。

 しかし携帯電話を片手に彼がいる場所は、病院の病室である。

 窓際のベッドで足を投げ捨てるように寝ている彼は、他人から一方通行(アクセラレータ)と呼ばれている。

 

 

 別に病院側が持ってくる昼食が遅いことに苛立っているわけではなく、不機嫌そうに顰められた眉が彼にとってのデフォルトな状態なのである。

 首に巻かれたチョーカーには小さな黒い電極が付属しており、彼はしきりに指先でそれに触れていた。

 彼は不機嫌な表情のまま、電話の向こうを見据えるように細い目をさらに細めた。

 

 

「ンだァ、まさかまた『絶対能力進化(レベル6)』がどうとか言うンじゃァねェだろォなァオイ」

『残念ながら、別口よ』

 

 

 絶対能力進化――――学園に存在する超能力者(レベル5)を、さらにもう一段階上に次元に引き上げようと言う実験だ。

 学園側の計算では候補は一方通行(アクセラレータ)のみ、2万回の戦闘経験を積むことで至ることが出来るとされ、彼は言われるままに学園側が用意した1万人のクローン兵士を「殺戮」した。

 まぁ、ある事情で実験は1万人のクローンを残して凍結されたのだが……。

 

 

 彼が……学園都市最強の超能力者(レベル5)、序列第一位の一方通行(アクセラレータ)が、何の力も無いとされた無能力者(レベル0)に敗北したことで。

 裏ではもっと別の要因も働いているのだが、表向きの理由はそれだった。

 そして受話器の向こうで彼に注意を促しているのは、その実験に参加していた女科学者だ。

 

 

「つゥーかよォ、超能力者(レベル5)を狙うってェ奴ァ、どこの馬鹿だァ? お前らご自慢の衛星監視体制っつゥーのはどうしたンだァ、オイ」

 

 

 学園都市のセキュリティは完璧である、と言うのはそれこそ受話器の向こうの学園都市所属の科学者達が常日頃から言っていることである。

 高い塀で都市を取り囲んで最先端の照合機能を使ったゲートで入出を管理し、万が一不審者に侵入されても監視衛星で即座に発見する、科学者達ご自慢の「鉄壁のセキュリティ」だ。

 それがこの体たらくとなれば、皮肉の一つも言いたくなってくる。

 

 

『とにかく、昨夜から今朝にかけて、何人かの超能力者(レベル5)が病院送りにされてることは確かよ。詳細は目下調査中とのことだけど、どうも巻き添えを食う形で他の能力者も被害に合っているようだし……貴方も気をつけなさい、もう1人じゃ無いんだから』

 

 

 そう言って、通話は切られた。

 彼はしばらくかなり嫌そうな顔で通話の切れた携帯電話を眺めると、投げ捨てるようにサイドボードの上に放った。

 そのまま頭の後ろで腕を組み、ベッドに倒れ込んだ所で。

 

 

「お昼ごはんだよーっ! と、ミサカはミサカは甲斐甲斐しくアナタのためにお昼ごはんを持ってきてあげたり!」

 

 

 水玉模様のワンピースにぶかぶかのワイシャツを羽織った小さな少女がやってきて、昼食を載せたトレイを見事に病室の中にぶちまけた。

 何故かと言えば、単純に転んだためである。

 病室の奥に向けて放たれたそれは、雨のように一方通行(アクセラレータ)の上に降り注いだ。

 

 

 沈黙が、場を支配した。

 部屋の真ん中あたりで転んだ体勢のまま、茶髪にアホ毛、10歳くらいの少女がエビフライを前髪に乗せている一方通行(アクセラレータ)を見つめている。

 彼女は「てへっ」と片目を閉じて舌を出すと。

 

 

「ご、ごめんなさい、でもわざとじゃ無いから許してほしいな♪ と、ミサカはミサカは自分の子供な外見を利用して許しを求めてみたり」

 

 

 ぶちっ……と、何かがキレるような音が響いたのは数秒後のことだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 上条当麻は、不幸な少年である。

 どのくらい不幸かと言うと、せっかく珍しく遅刻せずに辿り着いた学校が、今日に限って午前で授業が打ち切られたためである。

 寝不足の解消には役立つかもしれないが、上条としては衝撃的だった。

 

 

「つーか、やっぱ昨日のアレが関係してんのかね」

 

 

 学園都市の人口の8割は学生で、その内の4割以上は貴重な能力者である。

 超能力者(レベル5)である美琴があんなことになれば、能力者保護のために学生寮に戻すのも理解できないでもないが……やり過ぎでは無いか、とも思う。

 この時点では上条は美琴以外の被害については聞いていないため、そう考えるのも仕方なかった。

 

 

 実際、スクールバスや電車は学生服の集団でごったがえしている。

 まぁ、能力者優先のため上条のような無能力者(レベル5)は徒歩で帰る羽目になっているのだが。

 ちなみにこれは学校側の措置ではなく、交通機関側の処置だった。

 気持ちはわかるが、こういうことをされると若干「何だかなぁ」と言う気分にならないでもない。

 

 

「ま、とりあえずインデックスの昼飯と今日の晩飯でも確保に行きますかね~っと」

 

 

 上条家の冷蔵庫は食いしん坊な同居人(インデックス)のために常に空である、よって毎日のように食材を確保しなければならないのだ。

 学園の生徒は学園都市が支給する奨学金などでの生活なため、いくら補助があるとは言ってもエンゲル係数的にかなり厳しいのだが、まぁ言っても仕方ないと上条も諦めている。

 

 

「もし……と、ミサカは遠慮がちに声をかけます」

「お?」

 

 

 その時、聞き覚えのある声に上条が振り向くと、見覚えのある顔に再会した。

 常盤台の制服に茶髪、御坂美琴にそっくりな顔、しかし頭に軍用ゴーグルを着けた彼女は美琴ではない。

 

 

「御坂妹じゃん、久しぶりだな」

「はい、と、ミサカは端的に事実を認め頷きます」

 

 

 御坂妹と上条が呼ぶ彼女は、異常に美琴に似た少女だった。

 双子でも姉妹でもない、彼女は美琴のクローンなのだ。

 絶対能力進化と言う実験で、殺されるためだけに作られた2万体のクローンの1人。

 一方通行(アクセラレータ)絶対能力(レベル6)に至るための、モルモットだった彼女。

 

 

 ただ、その実験は上条が一方通行(アクセラレータ)を打倒したことで前提条件が崩れ、凍結されたらしい。

 ために現在、彼女を始めとするクローン「妹達(シスターズ)」は世界中にバラけ、それぞれ別の場所で生きていくことになった。

 まぁ、その結果……昨夜の黒い少女による「警告」に繋がったとするなら、皮肉だが。

 しかし、彼女達を救うために行動したことを上条が後悔することはあり得なかった。

 

 

「それでどうしたんだよ、こんな所で。また何かあったのか?」

「いえ、ミサカの周囲に今の所危険はありません、と、ミサカは自身の近況を報告します」

 

 

 ふるふると静かに無表情に首を振る御坂妹、その様子は確かに何か危急の事態に陥っているようには見えなかった。

 しかし、じゃあ何だろうかかと上条は思う。

 町中で友人を見かけて声をかけた、程度のことであれば大歓迎だが、どうもそれにしては雰囲気が固かった。

 

 

「あ、そうだ。うちで良かったら一緒に昼飯でもどうだ?」

 

 

 何気なく、そんなことを言う上条。

 それに対して御坂妹は僅かに目を見張った、驚きの感情が表に出たものらしい。

 ――――しかし、御坂妹は再びフルフルと首を横に振って固辞した。

 

 

「ミサカは今、少々手を離せない用事がありますので、と、ミサカは心底残念そうに断りを入れます」

「んー、そっか。まぁ、じゃあまた暇な時にでも飯に行こうぜ」

「はい、と、ミサカは近い未来の楽しい時間を想像してワクワクしつつ頷きます」

 

 

 その後、二言三言の言葉を交わして、上条は御坂妹と別れた。

 どうやら、声をかけてきたのは本当に挨拶程度のものだったらしい。

 なので上条を何を気にするでもなく、食材を求めてスーパーへと駆けて行ったのである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――良いのですか、と、彼女が属するネットワークから彼女に問いかける者がいる。

 しかし御坂妹は、それに対して首肯を意味する返答を返した。

 去り行く上条の背中を見送りながら、彼女はその場に突っ立っていた。

 周囲には、多くの学生達が帰路を急ぐ光景が広がっている。

 

 

「――――お姉様とあの方に迷惑をかけてしまいました、と、ミサカは反省を込めて事実を認めようと努力します」

 

 

 彼女は知っている、1万人とも言われる己のネットワーク――ミサカ・ネットワーク――脳波を繋いで意識と記憶を共有した「姉妹達」から聞いて知っている。

 この都市内には彼女の姉妹が10人程度はいて、そこから情報を拾うことが出来る。

 つまり、昨夜上条とオリジナルである御坂美琴に何があったのか。

 

 

 絶対能力進化実験から彼女達「妹達(シスターズ)」を救った2人。

 「一方通行(アクセラレータ)を、手を組んで倒した」2人――――見る人が見ると、第三位である美琴が第一位の超能力者(レベル5)である一方通行(アクセラレータ)を蹴落としたように見える。

 御坂妹は、今回の事件がそこに端を発する物ではないかと思っていた。

 思い過ごしなら、それはそれで構わないが……。

 

 

「何とかしなければならない、と、ミサカはお姉様とあの方を守る決意を胸に誓います」

 

 

 ガチャ……と、無意味に重みのある音を鞄から響かせて、御坂妹は路地裏へと向かった。

 恩を返したくても、あの人達はきっと受け取らないと何故か思った。

 だから、別の形で恩を返そうと決意して。

 御坂妹は、路地裏の奥へと消えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 正午、とある学区、とある路地裏。

 カチリ、と軽い音が響き、それに何か重いものが地面に崩れ落ちる音が続く。

 前者の音は黒い衣装の少女が錠前のチョーカーを嵌めた音であり、後者の音は学園都市のナンバーセブン……第七位の超能力者(レベル5)削板軍覇(そぎいたぐんは)が倒れた音だった。

 

 

「――――第七位、削板軍覇」

 

 

 抑揚の無い声が響き、目の前で崩れ落ちた少年を面白く無さそうな目で見つめる。

 削板軍覇、学園都市の第七位……旭日旗を描いた白シャツに、白の学ランを肩にひっかけた黒髪の少年だ。

 彼を中心に何かが爆発したような跡があり、それは少女の一歩手前にまで続いていた。

 あと少しで、少女の身に威力が及んでいただろう。

 

 

 しかし、結局は彼も倒れた。

 他の超能力者(レベル5)と同じように、少女の前に倒れ伏している。

 その事実だけがあれば、さしあたっては十分だった。

 それ以上の事実は、少女には必要なかった。

 

 

「…………待ちな」

 

 

 背中を見せて歩き出してきっかり10秒後、後ろから声をかけられた。

 それが誰かなどと言う必要も無い、チョーカーの錠前に指先で触れながら顔だけをそちらへと向ける。

 10秒前まで倒れていた軍覇が、額から脂汗を流しながら、しかし不敵な笑みを浮かべて立っている。

 路地の壁に手をついて、もう片方の手で学ランを持って。

 

 

「……やはり、他よりは効果が薄い。その不規則なAIM拡散力場のせい?」

「違うな、根性だ。俺は今根性でここに立ってる、お前の根性入った変な干渉も、全て根性で乗り切ってやるぜ……!」

「興味が無いです」

 

 

 カチリ、とチョーカーを外して、声に微かな感情の色も見せずに少女が告げる。

 そう、目の前の超能力者(レベル5)個人に一切の興味などなかった。

 彼女が関心を持つのは、たった1人の超能力者(レベル5)だけだから。

 

 

「こん……っ、じょおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!」

 

 

 不安定な念動力の力場を生み出すべく拳を振り上げた彼を見ても、動じることなく。

 ただ淡々とした表情で、己の首輪(チョーカー)を外した。

 後はただ、意図せずに周囲に広がる力に任せるだけで。

 それだけで、彼女は目的を果たすことが出来るのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 学園都市のどこかに、その部屋はあった。

 照明器具は一つも無いが、機材のランプやモニターの光が照明代わりになっているような部屋だ。

 機材を置くことしか考えていないのか、人間が通れるようなスペースは無い。

 例外は、狭い部屋の中心――――人が座れるだけの、そのスペースだけだ。

 

 

「ひ、ひひヒひ、すば、素晴らしィ……!」

 

 

 初老、いやすでに老齢に達しているだろう男がそこにいた。

 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ……と、節くれだった指先がキーボードを叩き続け、血走った目が旧式端末のモニターを睨みつけている。

 灰色の髭で覆われた不衛生な口元は、おそらくは笑みの形になっていることだろう。

 

 

「げ、『原石』……単純な戦闘能力ならば、超能力者(レベル5)の中でもトップクラスの第七位(ナンバーセブン)でさえ、私の作品には勝てぬのカッ……うひ、ひヒひひ……っ」

 

 

 機材の間には薬品の瓶や割れた注射器などが散乱しており、こちらも不衛生極まりない。

 その中には……どこかで見た、小さな錠前のようなパーツも見られた。

 最も、それは何かの電子部品のように小さなコードをはみ出させていたが。

 

 

「ひ、ひヒひ……ひひひひひひ、ひヒッ……完成だ……完成させるぞ、ああさせるとも、ヒヒヒヒヒ……ッ」

 

 

 照明のない薄暗い空間に、白衣の老人の笑い声が響く。

 それはどこか虚ろで、空虚で、虚しい何かを感じさせていて。

 どこか、妄執に満ちた響きだった。

 

 


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