○アレルサイド
――水の音がする。
遥か高みから叩きつけられているような、水の音。
それ以外に聞こえてくる音はなにもなかった。
「――ここは、一体……?」
静寂が少し、少しだけ怖くなって、声に出して呟いてみる。
「僕は、布団に入って、眠って、それで……」
そう。そしていまの、この状況だ。と、すると……、
「これは……夢?」
そうとしか考えられなかった。ためしに頬をつねってみたところ、案の定、まったく痛くない。
「……なんだ、夢か」
……そう確認できたところで、まったく落ち着けない。夢と認識できたところで、状況は変わらない。この場所にひとりでいることは、変わらない。
とりあえず、自分の身体を確かめるように見回してみた。
丈夫な布で作られた服に、足首まであるズボン。町の中ではなく、外を歩くために頑丈に作ってある靴に、長いマント。そして、腰にはずしりと重い、剣。
これは、明らかに旅人の装備だ。十年前のあのときから、この装備で旅立つときを夢見ていた、理想の服装そのもの。僕はまた『いつか来る、その日』の夢を見ているのか。いままで何度も見たというのに、よく飽きないもんだ……。
呆れ混じりの嘆息をひとつ。そして、この夢になにか進展をもたらすため、とりあえず水の音がするところまで登っていってみることにした。怖がってばかりじゃ、なにも始まらないから。
そこは、崖だった。向かい側にはすごい勢いで流れる滝がある。……そうか。水の音はこの滝の音だったのか。
――と。
『アレル……、アレル……、私の声が聞こえますね……』
唐突に、澄んだ女性の声が聞こえてきた。しかも『聞こえますか?』ではなく『聞こえますね』ときたもんだ。僕のいきなり名前を呼ばれた驚きと、そしてそのあとの少しばかりの呆れに、しかし声の主はまったく気づかないらしく、そのまま続けてきた。
『私はすべてをつかさどるもの。あなたはやがて、真の勇者として私の前に現れることでしょう』
……え~と、なんと言っていいものやら……。すべてを、つかさどる? まあ、言葉を額面どおりに受け取ればかなり嬉しいことを言われているわけだけど、でもなんか、うさん臭いよなぁ、いくらなんでも……。
「あの、そう言ってもらえて、嬉しくはあるんですけど、でもそんな、断言されても――」
『しかし、その前にこの私に教えて欲しいのです。あなたがどういう人なのかを……』
うわ。僕のセリフ、無視された。もしかして僕、発言が許されてなかったりする?
『さあ、私の質問に正直に答えるのです』
「え、え……?」
しょ、正直に……?
『アレル、私はこれからいくつかの質問をします。難しく考えず、素直な気持ちで答えてください。そうすれば私は、あなたをさらに知ることになるでしょう』
「は、はい……?」
僕にあなたのことを知る権利はないのでしょうか?
そんな質問をしそうになり、慌てて飲み込む。
しかし、一方的だなぁ……。僕の戸惑い、完全に無視?
『さあ、始めましょう』
「は、始めましょうって……、僕にはなにがなんだか……」
『あなたにとって、冒険とは辛いものですか?』
ああ、やっぱり僕の発言は無視されてる……。あれかな。必要なこと以外は一切しゃべるなってことかな……。でもこれなら僕にでも――いや、僕だからこそ簡単に答えられる。
「いえ、一概にそうとは。冒険をしていたからこそ、知り合える人だって、きっと、いると思いますし。それに父さんだって――」
『防具より、武器にお金をかけるほうですか?』
うわ。僕のセリフ、また遮られた。もしかしてあれですか? 『はい』か『いいえ』のみで充分ということですか?
ともあれ、僕は答えることにする。
「はい。やっぱり攻撃は最大の防御といいますから」
『近くの高い宿屋より、遠くの安い宿に泊まりますか?』
……なんだろう。最後までしゃべらせてもらえたっていうのに、このわずかに感じる寂しさは……。
「……ええと、いえ。近くの高い宿屋に泊まります」
だって、遠くの宿屋にたどり着けなかったら元も子もないし。世の中、命あってのモノダネだよ。やっぱり。
『よく夢を見るほうですか?』
また脈絡のない質問を……。
「はい」
モンスターと戦う夢なんて、本当によく見る。一度、父さんが死んだ夢を見たことだってあるくらいだ。
『誰かに追いかけられる夢を見ることがありますか?』
「いえ、それはさすがに……あった。リザに追いかけられる夢なら、ときどき……」
『あまり知らない人といるのは疲れますか?』
「え? いえ、別にそういうことは、特に」
『なにか失敗をしても、あまり気にしないほうですか?』
「えっと……、まあ」
気にしてばかりじゃ始まらないし。
『友達は多いほうですか?』
「……多いほうじゃないかと思います。自分でいうのもなんですけど、アリアハン王立アカデミーで仲いいヤツはけっこういますし」
……うわぁ。本当に自分で言うことじゃないな……。
しかし声は、僕の内心の恥ずかしさなんか意に介した風もなく淡々と続けてくる。
『人の噂話が気になりますか?』
「まあ、気にならないといえば嘘になりますけど、でも気にしても仕方のないことではありますから。極力気にしないようにしてはいるつもりです」
『人に騙されるのは、うっかりしていたなど、騙されるほうにも責任があると思いますか?』
「思いません」
僕は自身の中にある信念に則って、キッパリと断言した。
「だって、そうじゃないですか。騙す人がいなければ、騙される人もいない。それなら悪いのは――」
『早く大人になりたいですか?』
またも僕の言葉は遮られてしまった。ちょっとムッとするものの、この質問に対する答えはもう何年も前から決まっているものだったので、すぐにそれを返した。
「もちろんです。そうすれば父さんを探しに旅に出れる。十六歳になれば――」
声に遮られたわけではなく。僕は熱くなりすぎて、かえって言葉を口に出せなくなってしまった。
そこに、声からの次の質問が浴びせられる。正直、ちょっと助かった。
『夢を見続けていれば、いつかその夢が叶うと、そう思いますか?』
「……っ!」
投げかけられた問いに、一瞬、返す言葉に詰まる。しかし、すぐに空を見上げて、返答を返した。そうしなければならない気が、なぜかしたから。
「……そうでなければ、悲しすぎます……!」
しばしの沈黙。この声の主にも僕の感情の昂ぶりとか、伝わったのだろうか。
しかし、どうやら違ったようだった。
『そうですか……。これであなたのことが少しはわかりました』
……少しなんだ。これだけ色々質問しておいて、それでも少しなんだ。
『ではこれが最後の質問です』
「まだ質問あった!」
そう僕が叫ぶと同時。
辺りの景色がぐにゃぐにゃと歪み――、気がつくと僕は洞窟の中に立っていた。
「……え~と?」
目の前にある立て札を読んでみる。
『左に進め』
「……はいはい、左、っと」
もはや達観した感じで向かって左の道に入っていく僕。すると、
『右に進め』
「今度は右、か」
嘆息混じりに、僕。一体なんなんだろう、ここは。
しばし、いくつかあった立て札のとおりに進んでいくと、右手に宝箱が見えた。
「……罠だよなぁ、あれ。取りに行ったら立て札の指示から外れちゃうし……」
ちょっと惜しい気持ちはあったものの、宝箱は無視。
そしてまたズンズンと進んでいくと、今度は左手のほうから声が聞こえた。それはさっきまで質問してきていた声ではなく、もっとか細い、少女の声。
「……助けてぇ……」
地面と大岩に足を挟まれ、身動きを取れない様子の少女が、そこにいた。立て札はまっすぐ進むように指示してきているけど……。
「そんな指示、聞いてられるかっ!」
仮にもここは洞窟。近くにモンスターが隠れていないか気配を探りつつ、僕は急いで少女のところに駆け寄った。――刹那!
「うわっ!?」
周囲の景色が歪む! その光景はまるで、この洞窟に来たときのようで。
「……僕、選択肢間違えたかな……」
どこか達観したように、僕はポツリと呟いた。
再び聞こえてきたのは、あの滝の音。そして、あの声。
『私はすべてをつかさどるもの。いま、あなたがどういう人なのか、わかったような気がします』
いまの、一部始終見られていたのか……。
『アレル、あなたはなかなか『しょうじきもの』のようですね』
……なかなかって。大体、質問には正直に答えろって言わなかったっけ? この声。それに僕はそれほど正直者ってわけでも――
『自分ではそう思っていないかもしれませんが……。もし嘘をついても、あなたは表情に出てしまいます』
え。そうなんだ……。
『正直なぶん、色んなことに迷いがちで、周りに流されてしまうことも少なくありません』
うっ……、それはそうかも。よくリザには振り回されてるし……。
『失敗を恐れるあまり、少し慎重になりすぎているのかもしれませんね』
……そう、かな……。
『ときには失敗を恐れず、大胆な行動に出てみては? そうすれば新しい自分を発見できることでしょう』
「はあ……、そうですか」
『……と、これがあなたの性格です』
「なにその、とってつけたような締めの言葉!」
『さあ、そろそろ夜が明ける頃。あなたもこの眠りから目覚めることでしょう』
「ああっ! また無視された! ……って、眠り? これってやっぱり夢だったのか……」
なんとなくわかってはいたものの、改めて夢とわかると、なぜか安堵感が込み上げてくる。そうだよな。いきなり洞窟に飛ばされたりなんて、夢じゃなきゃ起こらないよな。
『私はすべてをつかさどるもの。いつの日かあなたに会えることを楽しみに待っています……』
その言葉を最後に、その声は聞こえなくなり、そして、僕の視界も暗転した。そして、聞こえてくる別の声。優しい、女性の声。
「アレル……、アレル……、私の声が聞こえますね……。私はすべてをつかさどるもの」
「――って、夢、リピート!?」
がばっと起き上がった僕の視界に入ったのは、僕の母さんであるマリアだった。
「……母さん、なにふざけてるのさ……」
呆れて言うと、母さんは僕に背を向け、笑みを含んだ声で告げてくる。
「あら。私はアレルの母親よ。つまり、『アレルのすべてをつかさどるもの』」
「つかさどってないよ! つかさどられちゃ僕がたまらないよ!」
「そんな大声出すことないじゃない。ちょっとした母さんのお茶目よ」
「お茶目って……。ねえ、母さん。なんか、いつもよりテンション高くない?」
「……あのねぇ。十六歳になる私と『あの人』のひとり息子が旅に出るっていう日なんだから、無理にでも明るくしていたいのよ。私としては」
母さんの声音は、一転して悲しげなものに変わっていた。……そっか。僕は今日、十六歳になったんだっけ。それで、王様に旅立ちの許可をもらいに行くんだっけ。
「えっと……、ごめん、母さん」
「なに謝ってるのよ、朝っぱらから。ほら、ゼイアスおじいちゃんにも挨拶して、早くお城に行くわよ」
「あ、うん……」
母さんが部屋から出て行ったところで、僕はベッドから下りて、パジャマから外着に着替え始めた。