「CDデビュー・・・ですか?」
武内さんに一人呼び出され、私は指定された喫茶店に向かいます。喫茶店と言っても、社内にある喫茶店ですので移動に時間が取られないのはありがたいですね。
「はい、鳳さんの他には、渋谷さん本田さん島村さんの三名、新田さんアナスタシアさんの二名がユニットを組んでデビューする事になっています」
それを聞き、何故私はソロなので?と疑問があります。しかし、デビュー出来るという現実が私の心を躍らせます。私がソロであるのも武内さんの理由があるのでしょう。その事を深く考えないようにしながら、武内さんの話を聞きます。
「CDデビューに伴い、皆さんにはライブを行ってもらう事になっています。ライブと言っても、小さなものですが・・・」
「そこはまぁ、楓さんだって同じように初めては小さな場所でしたし。分かってはいる事です」
むしろ行き成り大勢の前でライブ、何て事になってしまったら萎縮してしまうのは目に見えています。それを考えると、以前美嘉さんのバックダンサーを務めた三人は凄いですね・・・。それに一度あの舞台を味わったんですから、今後のライブでも緊張する事は少ないのでしょうか。
「それで、ある意味ここからが本題なのですが・・・」
はて、CDデビュー以上の本題があるのでしょうか?そんな私の素朴な疑問を武内さんは首に手を当てながら解消してくれました。
「高垣さんが・・・レッスンを付けてくれる事になりました・・・」
「・・・・・・ほ?」
思わず変な声が漏れてしまいますが、そんな事は気にしている場合ではありません。武内さんそれ本当ですか?エイプリルフールはかなり前に過ぎていますよ?
「本当、何ですよね・・・?」
「えぇ、本当よ神楽ちゃん」
この声は!と振り向けば、楓さんが優しく微笑んで立っていました。
楓さんは一度私に手を振り、武内さんの隣に座ります。
「高垣さん、来るなら来るとご連絡をしてもらえれば・・・」
「うふふ、こういうのはサプライズが良いかと思って」
武内さんと楓さんなんだか二人って親しいですよね。以前何かしら交流のでもあったのでしょうか。それはさておき、楓さんがここに来たことで話が本当のものであると分かりました。と言いますか、本当に楓さんが私にレッスンを?なんてこったい実は夢落ちでしたとかなっても驚きませんよ私は。思わず頬を思いっきり抓ってみますが、普通に痛いです。ひりひりする頬を抑えながら、楓さんを見ると。武内さんと共に私の行動を見て少し笑っていました。
「神楽ちゃん、ちゃんと現実ですよ」
そう言いながら、優しく頬を撫でられて思わず赤面してしまいます。だって楓さんに触られてるんですよ!?すべすべの手が私の頬に触れてるんですよ!!もう死んでも良いかもしれませんね・・・。コメディな感じで現わしたら、多分私の口から魂魄が出ていても可笑しく無いですね。なんてことを考えますが、ここで死んでしまったらレッスンも受けられない、デビューも出来ないので現世に留まります。
「神楽ちゃん、私が以前話した事覚えてるかしら?」
「それは勿論。忘れる事なんて出来ませんよ」
私達の会話に武内さんは理解出来ていない様子ですが、ユニットのお誘いについては誰にも話していませんししょうがない事ですね。
「待っている。なんて言ったけど、やっぱり出来るだけ早めの方が私は嬉しい。だから今回のお話はその為って言っても良いのかもしれない。まぁ私の我がままね」
お茶目に顔に手を当てて笑う楓さん。確かに私が楓さんの域に達するのは大分先の事でしょうしね。その過程を短縮できるのであれば私としても嬉しい事です。
「ですが、その・・・楓さんお仕事の方は・・・?」
「それについては心配しなくてもいいわ。これでも私プロなのよ?それくらいちゃんと考えての事」
確かに心配する事では無かったですね。楓さんのお誘い、私は受けることにします。楓さんにそう告げると、彼女は嬉しそうに私の手を握りしめてきました。そのことに私はまた赤面します。もう幸せです・・・。このまま時間止まっちゃえば良いのに・・・。
「鳳さん」
ですがその幸せの時間は武内さんの声により消え去りました。おのれ武内さん・・・
「今回のお話ですが、他の方々には内密でお願いします」
何故・・・?と思いましたが、武内さんの話を聞いて納得します。
「新人である鳳さんが、346プロの顔ともいえる高垣さんと一緒にレッスンとなればいらぬ誤解が生まれてしまうかもしれません。羨望や嫉妬、多くの感情を向けられるでしょう。無いとは思いますが、その結果で鳳さんや高垣さんに危害が及ぶ可能性もあります」
そこまでは流石に、と思いますが。世の中何があるか分かりませんし武内さんの話を私は聞き入れました。私が頷くと、武内さんも頷いて席を立ちます。私もそれに続いて席を立ち、楓さんにお礼と共にこれからよろしくお願いしますと告げてその場を去りました。
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あの話から数日、武内さんはCDデビューの話を皆さんにしました。
皆さんの反応は多種多様。本田さんは喜びのあまり島村さんと凛に抱き着き、新田さんとアナスタシアさんはデビューの事実に驚いているのか動きが止まっています。私はと言いますと、事前に話を聞いていましたし驚きはありません。むしろ隣に立つ神崎さんの方が喜んでいる状態です。
「おめでとうございますっ神楽さん!」
「ありがと、蘭子ちゃん」
祝福の言葉を述べられて、お礼を返します。眩しい笑顔で祝福してくれる蘭子ちゃんに隠し事をしているのが少し申し訳ないですが、今は素直にデビューに喜びます。何より楓さんが直々にレッスンしてくれるわけですしね!
ふんすっ。と小さくガッツポーズをして気合を入れます。皆に負けないように私も頑張らないといけませんね。そう気合を入れなおした所で、各自レッスンに向かうことになりました。
デビューの話を武内さんが皆さんにして、一週間ほど経過しました。その一週間はとても濃密・・・とでも言えば良いのでしょうか。前川さんが本田さん達に勝負を挑んだり、新田さんとアナスタシアさんが猫耳を付けたりと色々ありました。そんな中私は皆さんとは違った意味で濃密な時間を過ごしています。主にレッスンでですが。
まず初めに、私は普段通りにレッスンを行います。決められた時間までダンスレッスンとボーカルレッスンを行います。その後、楓さんに指定された場所にこっそりと移動して個人レッスン。ハードなスケジュールだとは思いますが、これも今後に繋がると思えば苦ではありません。
「・・・・・・」
現在も楓さんと一緒にレッスンルームで歌の指導を受けています。いつも通り歌っているのですが、楓さんの表情は何故か険しく。何か粗相でもしてしまったのかとびくびくしながら歌い続けます。
「あの・・・楓さん?」
一通り歌い終わり、楓さんからの指摘を待ちますが一向にそんなものは訪れず。沈黙が場を支配してしましそわそわと身を動かします。やはり何か粗相を・・・そう思った時に、やっと楓さんが声を出しました
「神楽ちゃんは、今まで専門的な事は学んで無かったのよね?」
「はいっ。やってきたことと言えば路上ライブくらいですし・・・」
楓さんの質問の意図は分かりませんが素直に答えます。今となれば懐かしい記憶ですね・・・、ここ最近ぴにゃこら太は押し入れに締まったままですし、たまには天日干しでもしないとカビが生えてしまうかもしれませんね。
「神楽ちゃんは、アイドルに成るべき人だったのかもしれないわね。お姉さん軽く嫉妬しちゃいそうだわ・・・」
またまた御冗談を・・・。私なんてまだまだです。振付も間違えてしまいますし、歌唱力なんて楓さんの足元にも及びません。そもそも楓さんのいる場所が高すぎるんですよね、私がどれくらい頑張れば追いつけるのかもわからない程ですし。
「でも、これなら案外早く一緒に仕事出来るかもね。神楽ちゃん、私が思っていたよりもずっと上手だわ」
そう微笑む楓さんは正に女神と呼ぶに相応しいほど美しいです。あぁ、カメラを持っていないのが悔やまれます。この場にカメラがあれば連射機能を盛大に使って撮影して、拡大して現像してポスターにして路上で配りたいほどですよ・・・。
それは兎も角、一先ず楓さんに褒めて貰えたことにほっとします。765プロや961プロのアイドルの方々と肩を並べるような人ですからね。そんな人に少しでも褒められたわけですし、私の今までが実を結んだと言っても良いでしょう。
喜びのあまり飛び跳ねそうになるのを何とか抑え、楓さんにありがとうございます!とお礼を告げてレッスンは終わりになりました。
「そうだ、ねぇ神楽ちゃん。もし良かったら何だけど一緒にお昼なんかどうかしら?」
ポンと手を合わせて、楓さんが提案してきます。本日は合同のレッスンなども無く、真っ直ぐ楓さんの所に来たのですが早めにレッスンが終わったという事もあり時刻はお昼に差し掛かった所。そういえばお腹が空きましたね…。その事を一度意識してしまうと先程よりも一層強く空腹を感じてしまいます。それに楓さんと一緒にお昼を食べるなんて夢の様な出来事ですし、私はそのお誘いを受けることにしました。
楓さんに連れて行かれた先は小さな洋食店。慣れた様子で店内に入る楓さんの後をついて、私も店内に入ります。
「マスター、オムライス二つ。お願いしますね」
良く通っているのでしょう。楓さんはメニューも見ずに注文します。マスターと呼ばれたお髭の似合うダンディーなオジサンは無言で頷いて手際よく料理を作り始めました。
「ごめんなさい、勝手に注文しちゃって。でもここのオムライスは絶品なの、きっと気に入ってくれると思うわ」
「大丈夫ですっ、私もオムライス好きですし」
席についた私達は、注文した物が来るまでのんびりと会話しながら待ちます。10分ほど経過して、マスターさんが料理を運んできてくれました。
目の前に置かれたオムライスに、思わず喉が鳴ります。
「いただきます」
楓さんがそう言ってスプーンを手に取ります。私も慌てていただきますと告げて、オムライスにスプーンを手に取りました。
(ふわっふわの、トロトロですね…)
チキンライスの上に乗せられたオムレツの様に固められた卵にスプーンを入れてみると、軽く押し返す程度の弾力が伝わり、オムレツを割ると半熟の卵が花を開くように広がっていきます。あまりにも綺麗なので崩すのを躊躇いますが、お腹が空腹を伝えて来ますので私はスプーンにオムライスを一口乗せて口に運びます。
(幸せです…)
卵はほんのりと甘く、チキンライスの塩分を引き立ててくれます。チキンライスは噛めば噛むほど味が口内に溢れ出て、あまりの美味しさに私は無言で食べ勧めました。
「「ご馳走様でした」」
声が重なったことで、思わず笑ってしまいます。楓さんも私と同じ様に無言で食べていましたし、美味しい料理というのは凄まじいですね。
「さて、お腹も膨れた事ですし事務所に戻るとしましょう」
そう言って立ち上がり、楓さんは素早く会計を済ませてしまいました。それを見て慌てて財布からお金を取り出しますが受け取って貰えません。
「今日は私が誘ったから、私の奢り。それに可愛い後輩に先輩らしい事したいじゃない」
そう言って微笑む楓さんはやはり女神でした。断言出来ます。
お店を出て、事務所に向かいます。暖かな日差しを浴び、満腹という事もあり欠伸が出そうになります。
「今度はお弁当を持ってピクニックなんて良いかもしれないわね」
「良い天気ですしね…。でも私はここまで天気が良いと外に出かけるよりも家事をしたくなりますね…」
ぴにゃこら太も天日干ししたいてすしね、布団もカーペットも色々と。
「神楽ちゃんは、お家の手伝いをしっかりする子なのね」
その言葉に、私は苦笑を返します。家にいるのは私と叔母さんの二人だけですし、私がやらないと酷いことになりますしね。叔母さん外ではキリッとしてますが家だとだらけきってもう…。
他愛の無い会話をしながら歩いていますと、事務所が見えてきました。が
「やけに騒がしくないですか?」
「あらあら、アイドルでもいるのかしら?」
いや、まぁアイドルはいるでしょうね。そもそも楓さんだってアイドルじゃないですか。そんなツッコミを入れて、私達は人混みに近づいて何事かと覗き込みます。
『ストライキにゃぁ!』
「前川さんっ!?」
聞きなれた声と『にゃ』という語尾。そしてピコピコと動く猫耳を見て私は驚きました。
というかストライキって何ですか!よくよく見れば前川さんだけでなく、城ヶ崎さんと双葉さんも参加しているご様子。事務所にある喫茶店を占領して、バリケードまで作って本格的にストライキを行っているわけですが。
「凛っ、これ何事!?」
「神楽…。そっか、神楽は直ぐ帰ってたから知らないよね」
現場にいた凛に声をかけて話を聞きます。何でも、前川さんたちもデビューをしたいらしく今までも多種多様なアピールをしていたようで。ですが武内さんはそれをのらりくらりと交わし続けてしまったために、こうして強硬策に出たとの事。楓さんはそれを聞いてくすくすと笑いますが、私は笑ってもいられません。だってこのまま事が大きくなれば、前川さんの今後に支障が出てしまいます。それだけでは留まらず、346プロダクション全体にも支障が出る可能性も…
「ぶっ壊そう、直ぐに!」
「神楽!?」
こうしちゃいられませんよ。あのバリケードを壊すためにもバールの様に固くて太くて大きな物を持ってこないと行けません。そう思い私は探しに行こうとしますが凛に止められてしまいます。
「何故止めるんですか凛っ、このままだと前川さん達の未来が!」
「今ここで神楽を離したら、トラウマが生まれそうでっ…」
何故トラウマ?とおもいましたが凛の真剣な顔を見て冷静になります。
「良かった…、最悪みく達が再起不能になる所だった…」
「大袈裟な…」
「だって、神楽なら血塗れにしそうで…」
「凛は私をどう思ってるんですか!?」
何ですか血塗れって!さすがの私も流血沙汰にはしませんよ。せめてお話する程度でしたし…。
そんな事を話していると武内さんがやってきました。武内に諸星さんが事を説明して、前川さんの説得に動きます。
『みく達のデビューを、約束して欲しいにゃぁ!』
「皆さんのデビューは、決まっています!」
『早く言ってにゃあ…』
え、終わり?
何ですかこの即堕ち三コマみたいな感じ。私が理解しない内にあの言葉にはもっと深い意味があったのでしょうか?
「良かったね…」
横を見ると凛も少し涙ぐんでいます。
そうして話は終わったと言わんばかりにバリケードは撤去され、前川さん達は迷惑を掛けた人達に謝罪に行きました。
「お、おう…」
私は一人何が起きたのか理解出来ずに、そこに立ち尽くしてしまいましたが…