蒼光を仰いで   作:試製橘花

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扶桑海事変
第九話 「序曲」


『扶桑海事変』

 

 それは扶桑皇国大陸領内に於ける怪異の大規模発生に端を発する大規模事変である。皇暦2600年を控え国内に御祭りムードが満ちていた中、扶桑皇国大陸領西部及び北部にて極めて大規模な怪異の発生が確認される。

敢えて史実というならば、扶桑皇国は甚大な被害を被り、その惨禍は世界にさらなる災いを予感させるに十分なものだったといえよう。

 

そしてこの世界に於いてもそれは訪れる。

 

皇国が、世界が歩む、長い戦争の序曲として。

 

 

 

 

『大陸領にて無数の怪異が出現、現地部隊は各所で奮戦しつつも状況は我が方に不利』

 

 

そんな報告が上がってきたのは1937年7月のこと。

 

 扶桑皇国陸海軍司令部及び扶桑皇国政府は皇室の勅命により、半ば疑いの念と共に研究資料を基に作成してきた非常事態対応策を実行に移した。

 

 

 

 

 

 

第9話「序曲」

 

 

 

 

 

 

扶桑皇国陸軍大陸軍総司令部

 

 

「黒河、興安北、同東行政府、共に避難完了しました」

「民間人の避難はその7割が完了しています。残す3割について現地部隊より敵勢力の強固なることより支援は困難であるとともに増援が要請されています」

「ハイラルの騎兵集団をもってしてもここまで苦しいんか」

 

 

 

 

 扶桑陸軍大陸軍総司令官植田謙吉は悪態づく。現在扶桑陸軍は規定の作戦計画に基づき、戦略レベルでの大規模後退を行っている真っ最中であった。怪異が大規模に出現するであろうと予測された地域は幾つか想定され、其々に異なる作戦案が策定されていた。敵の戦力情報についても陸海軍、他国の情報から推察された出来る限りの正確な情報である。転生者たちの努力で得られた、少ない出現事例と原作知識を基にした詳細なデータは、その悲観的な想定に極めて懐疑的であった扶桑軍にまともな対応策を講じさせる事に成功していた。

 黒河から興安東にかかるラインに沿って出現した怪異は、同地より興安北へ侵攻する勢力と、チチハル方面へ侵攻する勢力に別れた。有力な陸上戦力が展開するチチハル方面については現状問題なく防衛が行われているが、地形的な問題ゆえに大規模な部隊の展開に時間が掛かる興安北ハイラル方面は、未だ現地住民の避難さえ完了していない有様であった。

 

 

「司令部直属の航空隊を向かわせとったろう?防衛総司令部から報告が来とった筈や」

「到着まで20分は掛かります。それまでは現地の戦力で耐えて貰うしか……」

「海拉爾要塞はまだ維持可能とのことです。敵戦力の大幅な増援さえなければこのままでも防衛は問題ありません」

「その奴さんが無尽蔵かも判らんから問題なんやろが……」

 

 そう、彼の怒りはそこにあった。無論、周囲の幹部もそれを解らぬ者達ではない。しかしながら作戦案の策定に当たり、敵戦力の出現総数の予測を問うた時の答えがあまりにも彼らの望まぬ、否、およそ軍属の人間の全てが納得し得ないであろう答えだったのだから。

 

 

 

『最低2個軍団規模、詳細は不明』

 

 

 誰であろうと耳を疑うだろう。勿論、回答した者達はある程度の推測は説明した。曰く、出現する地域規模、今までの出現事例から見て列国軍が一つ出現するような事態は考え難い。曰く、しかしながら敵性体の特性について我々は余りにも無知であり、結果としてその戦力規模については推測の域を出ない。

 判っている。彼らは与えられた任務をこなしている事を。寧ろ少ない材料から此処までの者を作り上げた彼らは十分に称賛に値する。だが、

 

「東京もんも無茶を言う……!」

 

 大陸領の広域での遅滞防御戦略などと、長年の仮想敵筆頭であったオラーシャ陸軍の真似事をする事になろうとは……。研究に研究を重ねてきた敵方の先方を採る事になるとは、そして今までの努力がその先方を有効に機能させているという事実には笑いを堪えられない。

 

「我々は現状の把握と増援到着の支援に全力を傾ける。総員、休む暇は暫く無い。心してかかれ」

 

 

 

  ■  ■  ■

 

 

 

 

ハイラル区 海拉爾要塞周辺地域

 

 

「隊長!民間人の退避が完了しました!」

「よし、我々も移動を始める。海拉爾要塞外殻防衛線第2号、301線を下りて要塞前の橋梁の防衛を担当する。情報によると敵は水に弱いらしい」

「了解、全車直ぐに取り掛かります」

 

 敬礼の後に走り出した部下を見送り、隊長と呼ばれた男は自分の準備を確認する。戦闘服、装備、資料、全て問題なし。襟を正すと車体後部のハッチから指揮用の装甲車に乗車する。既に今まで使っていた指揮所も含めた陣地は撤去が完了している。惜しい気がしないといえば嘘になるが、戦闘報告を聞く限りでは維持することは困難なのだから致し方ない。

 機器の冷却のために動いている冷却機構の御陰で、蒸し暑くなる事が多い戦闘車両の中にあっても涼しさを通り越して肌寒さを感じるほどだ。九五式指揮通信車は装甲輸送車として開発された九四式兵員輸送車の派生型の一つ、後部の兵員輸送スペースを拡大すると共に指揮通信機器を装備、簡易的ではあるものの、前線での戦闘指揮が行えるようになっている。陸軍一丸となって推し進められてきた近代化政策の成果の一つであった。

 尤も、その真骨頂の一つでもある優秀な音声通信機能による状況把握能力によって、戦況の厳しさを速やかに把握する事が出来るというのは何という皮肉だろうか。

 

「全車前進!」

 

 ディーゼルエンジンの振動が音と共に伝わってくる。装軌装甲車は装輪に比べて舗装路に於ける乗り心地に難があるものの、舗装率が低いこの地域ではその優秀な走破性が重宝される。

 

「小隊長、201国道へと続く橋梁付近に敵部隊が展開中とのことです。如何しますか」

「後方も状況は同じ、いやそれ以下だ。司令部に援護を要請すると共に橋付近の敵部隊を後方から強襲、そのまま突破する」

『了解』

 

 すぐさまに所属車両全てが加速する。市街地はまだその形を留めてはいるものの一部が損壊し、瓦礫が車道に散乱している。民間人は人っ子一人いない。皆が半信半疑だった怪異の襲来予測ではあったが、こうして強引に進められた避難が功を奏している事を考えると、上層部の人間も伊達に高い給金を貰っているわけではないらしい。

 そんな考えを巡らせていると、目の前にトーチカを逆さまにした上で足が生えたような強引な外形の敵が見えてきた。ちょうど此方は味方部隊と戦闘行動に入っている敵集団の右後方から侵入する形となる。

 

「大型が1、中型が2か……」

 

 中型の怪異は重機関銃程度の質量弾をばら撒く事しか脳が無い様で、装甲化が進んでいる扶桑陸軍の正規部隊なら辛うじて対応が可能な程度の脅威だ。

 しかし、大型の怪異は戦車砲クラスの大口径砲を思わせる箇所から、我方の戦闘車両を一撃で無力化するほどの砲弾を放っている。重装甲が謳われた九四式兵員輸送車が既に部隊単位で粉砕させられているのだから、その威力は我々の御墨付きである。

 

「中型は無視しろ、大型の右前部脚に攻撃を集中、姿勢を崩せ」

「了解!」

 

 時速30kmで敵集団に接近する。幸いな事に怪異は前方に展開する味方部隊に気をとられているようで、此方に気付いているような素振は見せていなかった。

 部隊の先頭にはこの部隊に2両しか配備されていない中戦車――八九式中戦車がその砲身の狙いを定めつつ猛進していた。史実を知る人間が見たならば「これなんてチハ?」と言うことは必至であろうその車両は、正面からの対戦車戦闘には不向きかもしれなかったが、こういった奇襲的で高速が要求される戦闘に置いて右に出る車両は無かった。

 必中の距離に入ると自慢の九六式四糎七戦車砲が衝撃と共に火を噴いた。史実と異なり砲弾の中心まで無垢の鋼芯であるAP弾を搭載した本砲は、性能的には史実一式四糎七戦車砲と同等である。この当時の装甲戦闘車両の大半を屠る事が可能な貫徹能力を有した戦車砲に狙われては、さしもの大型怪異といえどただでは済まなかった。

放たれた2発の砲弾の内の一発は狙いを外れてしまったが、もう一発は吸い込まれるように怪異の脚部に直撃した。

 姿勢を崩した怪異の砲撃は一時止み、部隊が突破する時間が生まれる。中型が慌てるように此方にも攻撃を加えてくるがもう遅い。突然の攻撃に混乱した敵は先程から戦闘を行っていた味方部隊からの砲撃によって中型一体が撃破されてしまう。

 姿勢を直しつつあった大型もこちらの戦車による第2撃によって上手く体制を整えられてはいない。

 

「よし、このまま突破だ!」

 

 内心ではこの勢いのまま撃破してしまいたいという気持ちが多くを占めているが、本部からの命令に従わなければという意識が、猛る気持ちに歯止めをかけていた。だがその実、気分が高揚していた事もあったし、眼前の敵に対し優位に立っているという余裕があった事も確かだった。後で考えてみれば、慢心以外の何物でもなかった。

 

 

 

突如として前方の中戦車が1両吹き飛ばされたのだ。

 

 

「何……ッ!」

 

 左を見ると何処から湧いてきたのか、大型の怪異と中型怪異が一体ずつ此方に狙いを定めていた。

 前門の虎、後門の狼とはまさにこの事といいたくなるが、幸いにも前門の虎は手負いな上、その先に待つのは友軍部隊だ。そして道は一つしかない。

 

「全車前進!速く!」

「りょ、了解!」

 

 即断即決だった。彼の判断がもう数秒でも遅れていたならばさらに被害が拡大した事だろう。幸いにも敵が積極的でなかったことと、友軍の援護を得ることが出来たために彼らはその命を捨てることなく海拉爾要塞へと到着した。

 だが、一度振り返った時に見えた味方車両の残骸は、彼の脳裏に焼きついて暫く消える事はなかった。

 

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

海拉爾要塞

 

 

 海拉爾要塞はチチハル方面前線の要衝として民間人の保護を行うと共に、撤退戦における殿を務めていた。要塞周辺の山々に構築された陣地には各種火砲が配置され、市街地にて防衛線を行っている地上部隊の支援を行うためにその砲口から休むことなく砲弾を放っていた。

 それらの火砲は観測機からの戦術情報を得た本部と音声通信で緊密に連携しており、効果的且つ即応性の高い支援射撃を可能としている。他の地域で報告されている敵軍の飛行型が出現していないために、要塞と地上部隊の戦力だけで辛うじて防衛線が展開できている格好であった。

 司令本部は前年に完了した改装によって城郭を思わせる堅牢な造りの防御壁はそのままに、前まで所狭しと並んでいた火砲群はその数を減じ、通信用のアンテナ群が林立していた。それらがこの苦しい戦況を伝え続けると共に、後方の総司令部へ悲鳴を届けている。先端技術の産物によって扶桑陸軍は各方面部隊の連携を強化することが出来たが、際限の知らぬ怪異の攻撃にはそれが有効に機能しているかは甚だ疑問である。

 

「………。」

「どうした嬢ちゃん。えらく不機嫌そうじゃねえか」

 

 熟練の整備兵らしい壮年の男が一人のウィッチに話しかける。扶桑陸軍においても過度なウィッチとの接触は推奨されてはいないのだが、何を隠そうこの男、彼女の履くストライカーユニットの担当整備士なのだから致し方ない。喋る口以上の速さで手と器具を扱うその様は正にプロと思わせた。

 

「通常装備の地上部隊が迎撃に出ているのに、私たちウィッチ隊はこうして基地篭り……これでどう上機嫌になれと?」

 

 第8国境守備隊所属魔導歩兵中隊――試験部隊として前線配備されたウィッチ部隊はユニットの不具合というアクシデントに見舞われ、試験で記録している戦闘力を未だ発揮せずにいた。制式化がまだされていない先行量産ユニットに付き物の動作不良が、ここまで苛立たしいと思ったのは初めてだった。

 

「しゃあねえだろうが。『チイ』は扱いが面倒なんだ。だが一応これでも整備性が重視されてるらしいぞ?笑える話だな」

「笑いどころを教えてもらえるかしら。寧ろより苛立つわ」

 

 周りを見ると被弾した車両や負傷した兵士が目立つ。皇国の技術力の粋を集めて開発された装甲車両も、日々激しい訓練に耐えてきた熟練兵も関係なく。怪異の攻撃によって負傷し、疲弊している。だがそれでも幸運なほうだ。下手をすれば、否――下手をしなくとも怪異の光線によって跡形も無く消え去った者に比べれば……。

 

『魔導歩兵中隊各位は第2倉庫前まで完全装備状態にて集合せよ、繰り返す――』

「………。」

「機構的な不具合は解消したぞ。確認もとった。こいつは問題なく動く」

「そう……」

 

 見ると要塞出入り口の一つから偵察部隊が入ってきていた。編成上では戦車が2両配備されている筈なのに、その内の1両しか見えない。補給のために帰投してきたのなら途中で離脱という事も無いだろう。つまりは――

 

「やられたみたいだな。だが部隊として機能できるだけマシか。嬢ちゃんも気をつけろよ」

 

 オイルまみれの手袋を外した手で背中を強く押される。自身の不安を悟られたのだろうか。初めて会った頃からそうだが、まるで人の心を読めるようなこの整備兵に、年をとるとああなれるのならば、魔力を失うのと引き換えにするのも悪くはない等と考えたこともある。

 そんなことを考えているうちに集合場所へと到着していた。既に部隊の仲間達は集まっていたようで自分が最後であると分かった。

 

「おっ、副隊長におかれましてはご機嫌麗しゅう――」

「隊長、からかわないでください」

「ごめんね」

 

そう言うと悪戯っ子のような笑みを顰め、軍人らしい顔つきに豹変する。

 

「海拉爾要塞周辺地域の防衛線は今のところ磐石。しかしながら先程、航空偵察に出た魔女がハイラル南西部方面より進出してくる敵地上部隊を捕捉しました。規模は大型4、中型8、現在展開中の地上部隊では対処が困難です」

 

そこで、と彼女は前置きした。

 

「後方より急行中の味方主力地上部隊の到着まで時間を稼ぎます。現地で防戦中の第23師団との協同です」

「状況は」

「第23師団主力が敵集団北面、第15,27師団が南面を抑え睨み合いを続けている状況です。」

 

隊長は強く言うと他に質問があるかを確認した。

 

「隊長、想定地域及び敵情報については把握しました。ところで味方の救援が来るまでどれだけ持ちこたえればいいのですか?」

「先に説明した脅威の排除で当座は稼げると上は判断しています。その後は司令部からの命令に従って動く事になりますね」

「「……。」」

 

 沈黙が場を支配する。それはこれから来る不確定な未来を予感してのことだった。自分達はあくまでも試験的な部隊であって制式部隊ではない。訓練や試験は繰り返し行ってきたが実戦はこれが初めてだ(これは他の部隊にも言えることだが)。

 

「隊長、敵部隊との接触予想はあとどれほどですか」

「予測では明日の早朝あたりといったところね。陣地構築完了まで残り4時間、15分後に出発して到着まで3時間。到着後は陣地構築の支援を行うからそのつもりで」

「「了解」」

 

 覚悟を決めるしかない。彼女達の決意と共に戦況は進み、時間もまた失われていくのだから。既に報告では逃げ送れた民間人が犠牲になっていることがわかっている。一大集積地となっているチチハルはともかくとしてチチハル以西、以北の地域では怪異に対して劣勢な事も事実だ。

 今此処で自分たちが食い止めなければ、後方の友軍が危機に陥る事も容易に想像できる。

 

「輜重部隊の準備が整うまでこの場で待機、移動は彼の部隊と合同よ。短い時間だけれど、しっかりと休息をとること」

 

 

■  ■  ■

 

 

扶桑皇国 参謀本部

 

「現状の報告を」

「はい。では陸軍参謀本部より第2部第7課長、菊池大作陸軍中佐が大陸領に於ける作戦推移について説明いたします」

 

 豪奢な長机に座る高位の軍人達を前に、丸眼鏡の位置を直した男は、資料が全員に配布された事を確認すると、現在の大陸に於ける扶桑陸軍の状況について説明を始めた。陸軍の主要な派閥の重鎮達が睨み合う場だけあって、議題以前に剣呑な空気が漂っていた。

 大まかな説明に表情を変える人間は居ない。さもありなん、内容は予想されたものであり、それ自体が順調に推移しているという事実に満足はしても、憂慮すべきは不確定要素だ。

 

「――事前に用意された基本計画は順調に遂行されており、現在の敵の動きについても目標を達成しつつあります。大陸領からの部分的な転換につきましても、海軍の支援を受け全体の7割が完了しております」

「大陸との海上交通路も今のところは問題ない。想定されていた“山”についても出現報告はあがっとらん」

「今のところは……だ。今も無間地獄を作りつつある敵を見ていると、いつ今の勢いが一落千丈するかはさっぱり予想出来ん」

 

 油断は禁物だ。その言葉を全員が共有するのにそう時間はかからなかった。何より状況は予想通りとはいえ、その内容は必ずしも喜ばしいものではない。西部大陸領からの大規模な後退作戦は、大きな敗北を知らない扶桑皇国軍にしてみれば面白いものではないのだ。

 無論、予定通りに後退を始めたおかげで民間人、軍人のいずれも損害は抑えられている(無傷ではない)もとよりオラーシャからの圧力を常に受け続けていた地域だ。こういった非常事態についてはある意味で覚悟していた部分もある。

 

「オラーシャ軍の動きは?」

「大陸領国境付近に兵力集結させつつあります。しかし侵攻と言うよりは自国領防衛のための自衛戦力として捉えたほうが良いかと。モスクワからの兵力移動については報告がありません。欧州方面での動きは無いようですので、極東方面軍だけでの動きかと……」

「そうか、ならいい」

 

 懸念材料の一つは消えた。欧州の友好国に働きかけを行う事で、オラーシャの強大な陸軍力と空軍力を欧州方面に張り付かせる事こそ図ったが、それでも火事場泥棒を働かないとは言い切れない。

 故に、この作戦中にあっても大陸領北部、本土北部の扶桑陸軍はオラーシャからの南侵に備えていたし、扶桑皇国海軍も大陸~本土の輸送、護衛任務とは別に戦艦を含めた強力な水上艦隊を北方海域に展開させて睨みを利かせていた。

 戦力分散は戒められるべき事だが、怪異の出現予測の大部分が的中している現在、効率的な戦力配置と評価することが出来た。数の暴力を地でいくオラーシャ陸軍はそれこそ無尽蔵に湧いてくる怪異と似ていた。否、この場合、大規模なオラーシャ軍への対応策が、同じような力技で押して来る怪異に対しても有効に機能したと喜ぶべきなのだろう。

 

怪異による侵攻という不幸の中でどれだけを救うか。

 

 それが扶桑皇国軍の基本的な考え方であった。それは先の大戦の経験や転生者の入れ知恵によって、物理的に怪異に対抗することが困難であると意識の何処かに存在していたからだ。現に作戦は順調に遂行されているとはいえ「戦術的敗北を前提とした」作戦なのだ。戦略目標を達成できれば言いと伝えられても勝っている感覚は得られない。今なお兵士の士気が維持されているのは徹底した教育の賜物だった。

 

 

陸軍省次官、武末は言った。

 

「今、怪異の侵攻を許しているではないかとの批判は適当でありません。我々は扶桑を守るために最も効果的な策を講じております。そしてそれは敵の跋扈を許し、命を乞う様な真似ではない」

「敵が扶桑領内にて発現する以上、その時点で彼らは我々を侵犯しているのです。ならば我々は如何に彼らを、この“国”に居場所無き彼らに御暇願うかを考えねばなりませぬ。いかに被害を最小限に抑え最大限敵を駆逐するか――それが我々が国を守るということなのです」

 

故に、武末は言葉を続ける。

 

「我々の戦略は戦略的後退であり、敗走に非ず。今彼らが立つ土地は我々の手に戻り、避難している臣民は家路に着きます。現在の大陸方面軍の損耗は許容範囲内に留まっております。戦力移動も順調、問題なく反攻作戦が可能です」

 

「それで?倒しきれるものなのかね。未知の敵を……」

 

 一人の高官が懸念を表明する。その心配は彼ならずとも持っていた。特に皇道派将校のそれは強い。彼らは元々、大陸領において怪異の大規模発生が予測された時期、現地部隊だけでなく本土からの増援も含めて積極的に駆逐するべきだと主張していた。問題の長期化は他国(特に主敵たるオラーシャを彼らは問題視していた)に付け入る隙を与える事になるということだったが、その実、彼らがそれまでの報告から怪異を過小評価し、派閥の拡大の為に積極的攻勢策を唱えていたのは周知の事実である。

 ただ、彼らと対立する統制派は違った。彼らは怪異出現地点や規模の予測が不明確であることなどから攻勢案はリスクが大きいと主張、初期の全面後退及び防衛ラインの再編、後の反転攻勢を主張していたのだった。これについては派閥内でも懐疑的に見る向きが多かったが、次官たる武末や、参謀総長たる閑院宮載仁親王らの地道な説得によって意見の一致を見た。尤も、海上交通路上の要衝防衛や国土防衛を主眼におく統制派にとって、これ見よがしに大陸領での問題で影響力拡大を図る皇道派にのりたくないという不満もあった為、話は存外纏まり易かった。

 最終的に基本計画は統制派の守勢案をとったのは、計画についての試算等も細かく算出し、他省庁への根回しも丁寧に行ったが故の当然の結果と言える。

 基本計画は統制派の守勢案をとるが、反転攻勢の実働部隊の幾つかに皇道派率いる部隊を組み込む事で両者は妥協した。一つ言えるのは、その時点では誰も事態がここまで大きくなるとは予想していなかったという事であろう。当初は熱く攻勢案を唱えていた将校すら、今ではその勢いもひっそりと鳴りをひそめている。誰もが現状に楽観しておらず、終わりの見えない大陸の状況を不安視していたのだ。

 

武末は表情を変えることなく答えた。

 

「現状の我が方の戦力では、大変難しいとしか言いようがありません」

 

 直後、鬼の首でもとったかのように会議は湧いた。

 

「何だと貴様!無責任であろうが!」

「そもそも基本計画は貴様らの案であったろう。なにか?今更過去の自分たちは間違っていたとでも言うつもりか?」

「これだから現場を知らぬ秀才馬鹿は……」

 

 品や礼など欠片も無い。ただ相手を罵倒することだけを意図した非生産的な言葉が飛ぶ。対する統制派の面々は素知らぬ顔で武末に話を続けるよう促した。

 

「言葉が足りず申し訳ない。我々は必ずしも“我々が”彼らと単独で相対する必要は皆無であると判断しております」

 

 周りの男達の表情が固まる。目の前の次官の発言の真意を図りかねている。自国領内に居座る敵を、それも他国の正規軍でもない未知の生命体相手に、如何に対処するのかと。それは当然自国の軍によって為されるべきであり、それ以外が介在する余地など——

 

そう。彼らは前提から間違っていた。そして数名の聡い者が気付き、武末に苦言を呈す。

 

「貴様、まさか熊共の力を当てにしてるのではなかろうな……?」

 

 当然の問い。だが質問した彼もまた、現状においてそれが有効に作用するのではないかと思い始めていた。必死に、武末の案を否定すべく代案を示そうと頭を巡らす。だが、現実は彼に非情だった。

 

「我々の世界が守られるなら、安いものです」

 

 オラーシャ極東軍という膨大な餌は扶桑皇国軍よりも彼らの腹を満たし、広い大地は彼らの心を満たすだろう。飽く迄も扶桑皇国軍は“皇国”の軍であって、この時点では世界に対して貢献など微塵も果たす必要はなかった。そして今の混乱した情勢下では、怪異が北侵したところで世界が皇国を責めることも難しい(オラーシャとの国境付近に発生している事も大きい)。だからこそ敵を守りの薄い北に向かせるというのが武末の考えだった。無論、矢面に立たされるオラーシャの被害は甚大な物となるだろう。

 

「我が国のみでの問題では済まなくなるぞ!」

「皇国単独では対処が難しい以上、隣国に余裕ある戦力が遊んでいるのならば誰しも思うでしょう」

「貴様!皇国軍人として恥を知れ!」

 

 何を今更。だが、激昂する彼らも代案を示す事は出来ない。この状況では敵に北方への進出を強要し、世界を巻き込んで皇国の味方を増やす事が有効であると認めざるを得ないのだ。このまま扶桑だけで対抗していけたとしても、戦火に苛まれない各国が力をつけていくだけなのだから。

 時間的に会議も終盤に差し掛かっていたが、紛糾する議題に決着は着きそうにも無かった。その妥当性に理解を示しつつも、納得がいかないというような面々、それを説き伏せようとする武末達の双方はいつまでも平行線の議論に終始しそうな気配すらあった。

 

そんな時である

 

「失礼いたします!」

 

 室内の緊張した空気がいっきに外に洩れていくように視線が一点に集中する。押し付けられるような重い空気に堪えていた人間にとっては夏の涼風のように感じられただろう。

 

「何事だ……」

 

 怒気を隠すことなく説明を要求した。ぎらつく眼光は威厳を感じさせるが、それが長時間労働と神経衰弱からくるストレスから来るものだとは、他ならぬ本人が自覚していた。

 

「大陸方面軍より緊急報告が届きました」

「続けろ」

 

 伝令は淡々と、装っているだけなのだろうが極めて冷淡に深刻な現実を会議の面々に突きつけた。

 

「敵大規模地上部隊の北進を確認。オラーシャ陸軍が迎撃のため扶桑大陸領に侵入、我が軍と一部で衝突が発生しているとのことです!」

「なん…だと…!?」

 

 本事変にあって第三者であったオラーシャが、火事場泥棒を働く可能性が低いと報告を受けた矢先に、怪異という主敵によってそのオラーシャが舞台に上げられてしまった。それは強大な極東方面軍の戦力が雪崩れこんでくる可能性を示唆しており、現状の扶桑軍戦力では対処は困難である。

 

「如何いたします?」

 

 会議の面々が顔面を蒼白としている中で、武末が表情をかけらも変えることなく周りを見回す。その雰囲気すら変わりなく、否、寧ろこの悪化した状況下にあっても彼は笑っているようにも見えた。

 

「我々はこのままでは怪異という敵、突然乱入してきたオラーシャという不埒者を同時に相手する事になってしまいます。さて、この場に席を持つ方々はどのように対処為されるおつもりですか」

 

私の案に賛同しろ、言外にそう宣告しているようなものだった。何故なら、彼が先刻説明した私案は強引に言うならば“この状況を想定しているもの”だったのだから。

 

「手を拱いていても犠牲が大きくなるだけです。いかに兵が不撓不屈の精神で敢闘しようとも、それは戦略的に何の意味も無いことを、皆様は既に理解しているものだと判断しております」

「貴様の、貴様の案は今ある中では最も妥当な案であろう。話が通じる相手ならば剣を交えるのでなく手を交えるべきだろうな。これは我々の歴史では天災に近い物なのだから。だが」

 

納得はしていないと、老年の将帥が卓を強く叩いた。

 

武末は眉を顰めて返す。

 

「“納得”していただく必要はないのです。“ご理解”いただければね」

 

 誰も、この部屋にいる全ての人間が言葉を発する事が出来ない。皆の思いを代表して武末に意見した男も、拳を強く握るだけで再び卓を叩くような事は出来ない。拳を、上げられない。

 

「では、結論を得ましょう」

 

結局、武末の案が了承されるのにそう時間はかからなかった。


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