蒼光を仰いで   作:試製橘花

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第八話 「平和を味わう夕餉」

 誰が悪いとか、何が悪いとか、現在の状況を見て思うところは多々あるが、それを口に出す事も、思考に耽ることも言うなれば空気が読めていないというやつだろう。思えば先程までの勝利を確信していた自分達は何処にいったのか、全くこれではまるで道化ではないかと――

 

 

 

状況は最悪だ。

 

 

 

 

 

第8話「平和を味わう夕餉」

 

 

 

 

 

 

 9機の九六式戦で構成される北郷部隊は部隊を3個小隊に分割、内2個小隊が艦隊上空の直掩機の対処にあたり、残りは『鳳翔』甲板上の艦載機の攻撃を担っていた。防空網最外周を警戒している水上偵察機は見方の戦闘隊が対処する。

この空域まで彼らに見つからずに飛んでこれたのは偵察ウィッチと専門の偵察機の存在が大きかった。

 既に攻撃隊は相応の戦果を上げており、航空戦力による波状攻撃の威力の大きさを実証していた。

 

 

「駆逐艦『敷波』大破判定!艦隊から離脱します」

「『鳳翔』航空隊損害甚大!敵攻撃隊、防空網を突破します!」

 

 次々と聞こえてくる被害報告は悲鳴のコーラスとなって司令部要員の耳に響いてくる。耳障りな事この上ないがそれが自業自得と考えると救いの無さに泣きたくなってくる。

 

「想定外の事態だ……」

 

長谷川の呟き。正しくそれに集約されるだろう。

 

 現在第二戦隊は防空網を航空隊を先行して来た新型ユニットを配備されたエースウィッチ部隊に食い荒らされ、レーダーの死角を知っていたかのように超低高度で接近してきた攻撃隊がそれを突破、既に何隻かの護衛艦が撃沈判定を受け艦隊から離反している。

 現在対処しているのは第二次攻撃隊であり、模擬爆弾で爆撃を繰り返す敵機によって次々に陣形に穴が開けられていく。

 

 

「確実に先方にはこちらの警戒能力と防空態勢を把握している人間がいます」

 

 苦々しく言う竹田。言い訳ではないが相手が此処までこちらの能力について情報を持ち、且つそれを有効に活用してくるとは全く考えていなかった。参謀としてあるまじき失態、だが誰も彼を責められなかった。責められる筈も無い。

 誰が敵に未来人(異世界人)がいる等と思い付くだろうか。同じ未来人である竹田も時ここに至って漸く気付いたほどだったと言うのに。司令部附きでもなんでもないただデータの収集と解析を行うためだけに派遣された技術将校など、この演習の指揮官名簿に名前が載ることなど無いのだから。

 

「被害艦の救助を行わなくていいことだけが救いだな。陣形を再構築する。『紀伊』以下戦艦4隻は『鳳翔』護衛の為に輪形陣の内周へ、護衛艦は外周を固めろ」

「竹田参謀、敵攻撃隊の次の動きはわかるか?」

「予測はしております」

「よし」

 

 相手に未来知識を持っている人間が居るならこちらも対抗するほかない。この演習は敵の攻撃によって、時間内に戦艦と空母といった主力艦が大破判定以上を受けなければこちらの勝利となる。現在過ぎ去った第二次攻撃によって満身相違気味だが、次を有効に対処できれば此方にとってはとてつもなく有利となる。

 相手方も演習と言う事で本気を出して攻撃をしているわけではないし、無論此方も撃墜することが目的ではないので模擬弾を射撃するだけだ。その余裕と自身の未来知識を組み合わせればこの勝負に希望が見えてきた。そして何よりも――

 

 

「恐らく上空で我方の航空隊を撹乱し攻撃隊の護衛をしつつ離脱した魔女隊は戻ってきません」

「根拠は?」

「航続距離の限界です」

 

 そう。九六式は確かに優秀、否、驚異的な性能を誇るストライカーユニットだが、奈何せん航続距離が短い。欧州機に比べれば十分以上と言える足の長さだが、残念ながら長距離洋上飛行が当たり前の扶桑海軍機としては不十分だ。第二戦隊を捕捉し接近、高速で防空網に侵入し全力戦闘を行う。その行動だけで大半の魔法力と燃料を消費している筈だ。

 

「敵航空基地との距離と時間を考えれば演習内で再び彼女らと相見えることは無いかと」

「うちの航空隊を落としきれなかったのが彼女らの敗因となるわけだ」

 

 司令部の面々が笑う。自分達をここまで手痛い目に合わせた同胞に対する称賛と敬意、そして水上艦隊の意地を示すために。一矢報いるしか彼らに、自分達の驕りを正してくれた礼は出来ない。

 

「長谷川参謀長、『鳳翔』航空隊の残存機は?」

「補用も含め10機が撃墜判定で離脱。故障で一機稼動困難との報告がありましたので、現在出撃できるのは10機です」

「いい数字だ。竹田参謀、敵の攻撃隊は次何処から来る」

 

「第一波、第二波攻撃の方向から見て敵部隊は我方の輪形陣を五時方向から崩してきております。現在その穴を埋めるために当艦左舷側…巡洋艦『青葉』率いる護衛隊から駆逐艦を引き抜いております」

「結果として艦隊左方の守りが薄くなっているな」

「はい。『子日』及び『暁』の二隻のみで護っている状態です。当初は現艦隊左方向は回り込むのに時間と燃料を多く消費するために攻勢をかけるには可能性が薄いと考えておりましたが」

 

「時間と状況を考えるに現状では艦隊左方、九時方向からの攻撃が予想されます」

 

「賭けだな」

「勝率は保障します」

 

 自分としても何の根拠も無く言っているわけではなかった。敵航空部隊の攻撃はあからさまであったし、仮に自分の予想を外したとしても、駆逐艦4隻が充てられている右方からの攻撃ならば捌き切れる可能性が高かった。加えて半壊したとはいえ稼動可能な航空機が10機。ウィッチの脅威も無くなった今、自分達がすべきは全力を尽くす他ない。

 

「『鳳翔』戦闘機隊に補給を終え次第直掩に上がるように、性懲りも無く低高度から来るぞ」

「演習終了時刻まで20分。これを凌ぎ切れば我々の勝利です」

「描いた勝利とは懸け離れてしまったな」

「学び得た物はそれ以上です。では僚艦に防空戦闘を命じます。休みも終わりですから」

「頼んだ」

 

 時間をそう置くことなく後方から航空隊が通過していくのが横目に見える。演習が終わるまでの時間は残り少ない。この状況はあまり予想していなかったがこうなってしまっては仕方がない。自分達に出来るのは演習終了まで艦隊主力艦を守りきることだ。

 

「全く……とんだ道化だな我々は」

 

 ここまで結果が判り易くては第三者の思惑を感じられずにはいられない。三科や長谷川の頭には彼らの上官に当たる位にある何人かの顔が浮かんでいた。

 

「電探に反応、感一二。方位二四〇、距離およそ四〇浬」

 

 そんな彼らの意識を引き戻すのは、先程盛大にその性能限界を示した電探であった。信用していいものかという懸念はあるが、残念ながら彼らが頼るものは数えるばかりだった。幸いだったのは彼らが予想したとおりの方向から敵編隊が接近してきた事だろう。機械に頼らず出した予測が、機械によって正解と示されるとは何という皮肉か。

 

 

「迎撃せよ」

 

 結果としてそれが第二戦隊主力艦全ての残存に寄与したのだから、大艦巨砲主義者から見ても、航空主兵論者から見ても、汚名返上と十分言える成果だろう。演習は最終的に万人の利益に結びつき、誰も泣きを見ることなく終わったのだから。

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

後日 都内某所

 

 

 

「以上が演習の詳細になります。如何でしたか」

 

 春の息吹吹いて久しい扶桑皇都にある割烹料理屋では、普段の軍装とは印象を大きくことにする礼服に身を包んだ男達が卓を囲んでいた。会合の場の為にまだ料理などは出されていない。

 書類を広げて説明を終えた扶桑側に対するのはアングロサクソンの老紳士だった。

 

 

「君達が前々から主張していた航空攻撃の有効性は確かなものだった訳だ」

「お褒めに預かり光栄です、閣下」

 

 恭しく頭を下げる扶桑系の男。正装に身を包んだ彼には自身の属する組織の為、延いては自らのためにもこの会談を良い結果に導かなければならなかった。

 

「しかし課題もまた明らかにされました。RDF(電探)は今回の演習で性能に限界を示すと共に、その有効性を示しました。今回の結果を見る限り、優秀な防空艦と航空機、そしてRDFのチームは航空攻撃に対し強固です」

 

 そう。今回の演習では航空部隊が有力な戦艦部隊に対抗できることを示したとともに、レーダーを装備し、直掩機と緊密に連携した防空艦部隊に対する限界を示したのだ。その証拠に輪形陣の再構築を完了し、幕僚達の予測に基づいて効率的な迎撃を行った第二戦隊は、その主力艦から“一人たりとも欠員を出さなかった”のだから。

 

「我々には喜ばしい事だ。少なくとも現行の研究の正しさが実証されたのだから。君達の友人から譲ってもらったRDFは、良好な試験結果を我々に提供してくれているよ」

「それは結構なことですな、Sir」

 

 

 満足そうに微笑む老年の紳士の名はサー・ロジャー・バックハウス。扶桑皇国の同盟国にしてライバル国、ブリタニア王国は王立海軍第一海軍郷を務める軍人である。

表向きは両国海軍の交流の一環として、扶桑皇国の招待を受けての訪扶であったが、その目的は近年緊迫の度合いを増す欧州情勢についての意見交換、及び連携強化を図ることにあった。

 

「貴国と共同で開発している射撃用電探と対空砲の連動が実現すれば、今回よりも効率的な防空が可能でしょう。何より今回は経験が不足していた」

「洋上に於ける我々の優位性はより磐石となるわけだ。全く……近年、皇帝の肝いりで進む海上航空兵力整備さえなければ、ここまで労力を割かぬとも良いのにな」

「カールスラントの軍備拡大については我々も懸念しております。しかしそのおかげでリベリアンの太平洋戦力が大西洋に向けられた事を考えれば、空母2杯でも御釣りがきます故」

 

 茶請けがいつの間にか消費されている。外から差し込む光が気付くと淡い赤に染まっており、部屋の中を不思議に包んでいた。

 今までにも何度も会談の場を設け、関係を緊密に、より深化させていた両者ではあったが、ことこの様な場にあって成果無く妥協する事は一度たりとも無かった。そうした姿勢が両者の関係をより強化させていく一因でもある。

 

 

「植民地人は如何にでもなる。利益が見込めないならば不干渉を貫く連中だ。我々にとっては誇りも無いヤンキーよりも、前時代的な侍で調度いい」

「はい、我々も彼らとは手を取り合いたいのが本音ですが、現状では先方の興味は別にあるようでして。しかし心配です……。我々には日の沈まぬ西洋の海洋帝国という力強い同盟国がおりますが、その盟主は大陸の問題児に御熱ときたのですから」

「陛下のカールスラント熱は直に問題でなくなる。心配する必要は無い」

「おや、それは重畳。ブリトンの後継がとうとう決まったのですか」

 

 扶桑側担当者の言葉に不快感よりも疲労感を滲ませたバックハウスは、王室への敬意は確かなものだと釈明した上で話を続けた。

 

「政府としても我慢の限界というわけだ。人類初の世界大戦を起こしかねない国家と親密な関係を築くなど沙汰だからな。近々、軍内部でも大規模な人員の調整が行われる」

「では閣下も……」

「私は誰に言われずとも引退するつもりだ。後任については心配する必要は無い。幾人か候補があるが、出来る限りそちらのことも考慮に入れる」

「御心遣い痛み入ります。閣下にあられましても御体を御大事に」

「言った覚えは無いのだがな」

 

 思わず彼は溜息を吐く。日頃の疲れもそうだが、長い軍歴の中で積もり積もった疲労はちょっとの休息では癒せないほどだった。

 

「言ってもらわねば解らぬほどに未熟ではありませぬ」

「結構なことだ。強かになることを楽しみにしている輩も少なからず居るのでな」

 

 楽しそうに笑うバックハウスは遠い過去を見ているようで、どこか寂しさを感じられる表情だった。過去の大戦で戦友を多く無くしたからか、年をとると仲間が逝った先へ自分もというのが楽しみになる人間がいるが、それと同じようなものだろうか。

今まで関係を築き続けてきた人間が舞台を降りるという事実と、新しい人間に対しての不安と興味が頭で渦を巻く。

 

「君達が懸念している次の戦争が起こらなければいいがな。私が引退を決めた理由の一つなのだよ」

「残念ながら――」

「言う必要はない。もう直に肩書きすら無くなる男だ。後任に全て任せるつもりなのだよ」

 

 言葉の物悲しさとは逆に、清々しさすら感じさせる顔を見せるバックハウスに、一同は少しばかり安堵する。引継ぎの役は終えたとばかりにバックハウスは肩の力を抜くと姿勢を崩す。

 

「食事にしないかね?空腹では戦争も出来ないらしいではないか」

「博識ですね。では用意は済ませておりますので持ってこさせます」

「読んでおったな?」

「何のことやら」

 

 闊達に笑う二カ国の担当者達。日が沈まぬ帝国と、日が出ずる処の皇国は今日もまた、遠く離れた島国同士であるがゆえに海という繋がりを強めつつ、より同盟と友好を強固かつ深いものへと変えていく。共に勢いこそ新興の大国に劣るが、積み上げてきた歴史と伝統はまさに「金では変えぬ価値」を作り上げてきたのだろう。

 料理が運ばれてきた後は先程の雰囲気から打って変わって和やかな夕餉となるのみだった。それが彼らの本来の顔であるし、人の営みの在るべき姿なのかもしれない。彼ら、特に扶桑の担当者達は上層部での予測では平和が続く最後の年が終わりを迎えつつあることを噛み締めつつ、今このときを楽しむ事に注力していた。

 これが目の前の友人たちとの最後の晩餐となるやも知れないのだ。薄い味付けであるはずの料理は不思議と濃く、深く印象に残る味わいが口内に広がった。

 

 

 

 

 

そして時は「1937年」へ――

 

 

 

 

 

 大陸で新たな翼と飛ぶ男、海軍と国家に奉じ続ける男、趣味と考えを巡らす男、新任地で新たな任務に就く男。それぞれがそれぞれに任があり、原作と史実に挑むという明確な共通点が存在した。

 彼らは知っている。この国の、この世界の平和が終わる事を。故に知らぬ者達に理解させるべく奔走してきた者が居たのだから。そしてその努力は実りつつあった。科学的なデータと、まだ数えるばかりとはいえ、目に見える脅威は彼らに未来を覆う暗雲を予測させるに十分な素材となったのだ。

 

 そして彼らは知らない。先に在る戦争に終わりが有るのかを知らない。

 

 史実とは異なる歴史と世界、記憶の中では尻切れで終わる原作の戦争は、未来知識というアドバンテージそのものを不安定化させていく。限られた彼らの力は時間と共に、そして彼らが力を利用する度に衰えていく。皮肉にも彼らが世界のために自身の優位を利用する事は、自身の優位を崩す事に他ならないのだから。

 

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

1936年12月末 陸軍省

 

 

「ようこそ不夜城へ。皇国陸軍創立以来、恐らく貴方が最も肝の据わった客人でしょう」

 

 大仰に手を広げ、二人きりの部屋で深夜の密会を喜ぶように客を迎える男。迎えられた側はその芝居がかかった仕草に眉を顰めたが、そんな彼の心中を察したのか男は笑みを浮かべたまま手を下ろし、彼に腰を下ろすように勧めた。

 

「コーヒーで宜しいですかな?生憎と今用意があるのが他に無い故」

「お構いなく」

 

短い答えに満足気に頷くと、使い込んでいるのであろう手動ミルを引っ張り出してきた。余程客人と飲むことが嬉しいのか、作業中は終始満面の笑みを浮かべていた。

 

 

「それにしても、此処の人間は寝ることを知らないようだな」

「貴方の方でも、昼夜など疾うに忘れられていると聞き及んでいますが?」

 

 昼夜、懐かしい概念だ。そんな思いが浮かぶ程度には彼らは疲労していた。きな臭さを増す欧州情勢は現地からの情報の収集、分析の為に陸海軍人に限らず国際政治に左右される職種の人間に休息を与えるほど甘くは無かったのだ。

 海軍省軍務局のトップを務める一ノ瀬はその現実を非常とは思わなかったが、好転するはずも無い未来に嫌味の一つでも飛ばしたい気持ちに駆られた。そんな彼の不満を知ってか知らずか、飲み物程度にやけに時間をかけた男はその出来栄えに満足するとゆったりとした動作で卓へと運んだ。

 

「どうも有難う……待て、これは何だ?」

 

 一ノ瀬は先程の「コーヒーで宜しいですかな?」という言葉を反芻する。コーヒーと言われたらどす黒く苦いあれしか思い浮かばないのだが、どうも目の前に置かれたソレは自分が知るコーヒーとは別物に見える。そもそも白い時点で対極にあるといってよいだろう。

 

 

「カフェ・アマレットです。気付け作用があるリキュールを含んでおります。此方のシナモンパウダーをかけてどうぞ」

「まあ派生型の一つという事は解った。有り難く頂く」

 

 

 毒見をさせられているような気分に陥りながら口に含むと、ふわりと甘い味わいが拡がった。アマレットの甘みとシナモン独特の香りが何ともいえない。アマレット本来のほろ苦さもコーヒーに負けることなく感じられた。一ノ瀬は奥に見える香辛料が入った缶を視界に捉えると、あることに気付いた。

 

 

「南洋島の材料ばかりか」

 

ご名答、そう男は顔に出す。

 

 ロマーニャ産のアマレットは別として、その他の材料はほぼ全てが扶桑産である。コーヒー豆もシナモンもそのどれもが扶桑最大の資源地である南洋島で生産されたものだった。

 

「貴方がいらっしゃると聞いて準備してみたのです。お客様にお出ししますと、これが中々に好評でしてね。リベリオンの方は仕事中だと言って断られてしまいましたが……」

 

 静かに笑う男はまるで魔術を成功させたマジシャンのようだった。得意気では有るが隙など感じさせない。今までにも何度も同じように客をもてなして来たのだろう。

 

「我々は戦時の負担を極限したいのです。戦場であっても代用コーヒーに不満なのは、なにもカールスラント人に限った話ではありません」

「兵の心身両面への負担を局限せねばなるまいな、して陸軍はどのように国軍の消耗を抑えて見せてくれるのだ?海軍は既に十二分に示したぞ。次の戦争への備えを君たちに見せたはずだ」

 

では君たち扶桑陸軍は如何にして答えるか。

 

 一ノ瀬の問いに男はさも愉快そうに笑みを浮かべる。ホイップクリームで塞がれていたコーヒーの香りが部屋に満ちていく。それは一ノ瀬の疑念の雲を芳ばしく染め上げていった。

 

 

「原作では、奪われたものを――」

 

 

 唐突に口を開く男は懐かしい過去を思い返しているような眼をしていた。既に日付は変わり、窓から差し込む月明かりは今を境に弱くなっていくのだろう。冬至も過ぎた頃から夜は短くなっている。外から微かに聞こえてくる喧騒は、今もなおこの建物にいる人間達に休息が与えられていないという悲しき現実を思い知らせた。

 そんな外の雰囲気も何処吹く風か、目の前の男は静かに、ただ落ち着いた様子で誓った。

 

 

「我々は失わせません。ネウロイに土地を、財産を、名誉を、そして何よりも臣民を奪い取られてなるものですか。確とその眼に焼付けなさい。間接的にしか守ることが出来ない貴方達とは違い、我々がこの手で人を守る姿を、ね」

 

 その眼に宿る闘志は、強い覚悟を伴い一ノ瀬に突き刺さっていた。彼よりも、否、彼が知る全ての転生者の中で最も力を持ち、且つ彼らよりも長くをこの世界で戦ってきた生粋の軍人――

 

 

 扶桑皇国陸軍は陸軍省次官、武末忍陸軍中将。その眼は眼前の一ノ瀬ではなく、何処か遠くを、しかし確実な未来に顕在する脅威を見据えていた。

 

 

 

「大陸への兵力移動、うちの艦を幾つか貸してやれる事になった。だが……貴様らが要求している陸軍輸送艦という名の強襲揚陸艦については、我々が建造及び運用する。それが条件だ」

「構いません。そもそも陸河童の我々に艦艇など宝の持ち腐れですからね。海軍のほうでそれを負担してくれるというならば断る道理はありませぬ」

 

 さも当然といったように口を走らせる武末に、一ノ瀬は事此処に至って相手の策略に乗っていたことに気付く。護衛艦についての要求が「貴様らの余剰艦の中で状態の良いものを寄越せ、さもなくば輸入してでも調達するぞ」と半ば切れているかの如く畳み掛けて来た為に、海軍としても対応に苦慮したのだった。

 関係が改善しているとはいえ陸軍のために輸送艦隊丸々貸し出すなどと巫山戯るならば、その者の将来など望むべくも無い。裏切りと見做されて厄介払いがいいところだろう。

 今思えばあの担当武官もこの男が寄越したのだった。こいつの息が掛かっているならばある程度の演技力すら持ち合わせているということだろう。海軍陸戦隊での要求とも適合させる事によって何とか物になったが、今にして思えばこの食えない陸軍次官殿は結果的には両軍の利益に結びつく計画を、自らの負担を最小化させつつ達成させたのだ。

 

「狸め……」

「なら貴方は宛ら狐でしょう?何度泣かされていると思っているのですか」

 

 笑いあう二人を邪魔する者は居なかったが、時間という避けられない縛りは親友同士の語らいの幕を強引に閉じてしまった。だが久々に二人で時間が取れたせいか、二人の表情は柔らかである。

 

「今度は神宮寺君ともご一緒したいものですね」

「奴も多忙だからな。情勢を鑑みると、次に会うときは仕事だろう。まぁしかし――」

「……?」

 

 

 一ノ瀬は少しだけ愉快そうな笑みを口に浮かべると扉から向き直った。

 

 

「面白い後輩が居てね。いずれ貴様の目にも留まるだろうさ。そしたらそいつ等も加えて皆で呑もう」

 

 

 軍令部に連合艦隊、身内にいる厄介者を説き伏せたのだ。何か褒美が合っても罰は当たらないだろう。一ノ瀬はそんな事を思いながら武末に敬礼すると部屋を出た。

 一人残される武末の心には、神宮寺から名前だけ聞いていた新参の転生者二人のことが浮かんでいた。来る戦争で死ななければ、何処か出会う事もできるだろうと、酒を飲み交わす事を楽しみにしながら。

 幽かに差し込む月明かりを見やり、カップに残るエスプレッソを口に含むと武末は自らの執務へと戻っていった。

 

 

「来る未来は暗雲に覆われようとも、向かう我らの心は正に光風霽月でありますな」


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