蒼光を仰いで   作:試製橘花

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第七話 「慢心は何を失い得るのか」

 空母よりも広い艦橋、目の前に広がる海原。その巨体は半端な波では揺れず、海上を疾駆している。

 眼下にあるは巨大な連装砲塔。此処からではよく見えないが改装によって増設された対空砲によって艦橋構造物は正しく城塞と化した。見張り所に出て上を見上げると新たに設置された電探が目を引く。眉唾と笑う者も多いがあれが確実に大きな武器となる事を自分は知っているのだ。

 ケースメイト式に設置された副砲群はその殆どが消え、代わりに砲塔型の対空砲が設置されている。成る程、上層部もそれなりに状況を懸念しているようだ。

この艦を護る護衛艦達もその鎧と得物を新たにしたようで、波を物ともしない彼女達は客船とはまた別種の美しさをもっている。新顔も目に入るが昔からの仲間たちの装いが変わっているのは何とも楽しいものだ。

 そんな感慨を最もその艦容を新たにした艦から抱く。戦艦『紀伊』――私の古巣にして愛すべき戦艦。

 

 

 

 

 

第7話「慢心は何を失い得るのか」

 

 

 

 

 

「竹田拓海少佐、貴官を第二戦隊司令部附参謀に任ずる」

「謹んで拝命します」

 

 古巣に帰れと、そういう事ですか。ふと思い返すと『赤城』での日々は非常に学びが多いものでした。航海術にしても見張りにしても先輩は厳しかったですが盗める技術も多かった。何より前世でも名前をよく知っていた司令のもとで働けると言う光栄なことはそう中々無い経験でしょう。

 

「では、失礼します。お世話になりました」

 

一礼――これで別れと思うと寂しいと思えるほどにはこの艦の方々と親しくなれた。

 

「あぁ、分隊長としての君の働きは非常に優秀だった。後任は苦労するだろうな」

 

 笑わないでください艦長。そればかりは年の功と言ったものですから。私は一寸のズルをしているのですから。この『赤城』に乗るのです、きっと後任の子も十分に働いてくれる子に決まっていますよ。

 

「古巣でも頑張りなさい。君なら巧くやれるだろう」

「ありがたくあります」

 

 精神は身体に影響されるとはよく言ったものだと思ったこともありますが、偶にそれを疑ってしまう自分が居るのも事実ですね。何故なら――この年上である筈の上官を見る私の眼の、なんと爺臭いことか

 

 思わず苦笑する竹田であった。

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 

戦艦『紀伊』第二戦隊司令部

 

「お帰り」

「ただいま着任いたしました」

 

 なにが「お帰り」ですか。何とも第二戦隊は軽い雰囲気になったものです。まあ私が前に居た時も同じだった気が否めませんが。

 竹田は自分の上官である長谷川宗司海軍少将に着任報告を終えると雑談に付き合わされていた。司令官を始めとした士官の部屋の配置も変わったので艦橋との連絡もしやすい。居住性も向上しており外より中のほうが過ごしやすくなったのは大きな進歩だろう。

 

「ところで一航戦はどうだった」

「そうですね――」

 

 勉強できた事から、新たな発見から、何でもないような話まで、時間が許す限り話せる限りに話し二人。竹田は初めての空母乗組だったこともあって初めての体験が多くあったし、長谷川も自身の戦隊初の大改装という貴重な経験をした。会えなかった期間が長かった事もあり二人の話のネタは多いのだ。

 

「しかし阿部さんが居なくなっているとは思いませんでした」

 

 どうやら竹田が着任する数日前に異動していったらしい元上司のことを思う。竹田が司令部附になったのはこの第二戦隊が初めてであり、右も左も解らぬ自分にイロハを教えてくれたのは他ならぬ阿部参謀であった。異動など珍しい事でもないが親しくさせてもらった先輩が居ないと言うのは少々の寂しさを禁じえない。長谷川も竹田に言われると懐かしい日々を思い出すように語りだした。

 

「彼は新人教育にも長けていたからなぁ。要らん事まで教えてくれおって……君が染められなくて好かった」

「はははっ……阿部中佐の教えは『赤城』でも役立ちましたよ。まさか銀蠅対処の教えがあそこまで実践させられるとは思いませんでしたが」

「『赤城』の連中も愉快なことだ。食料に困る状況でもあるまいに」

「ちょろまかす側と防ぐ側で何故あそこまで熾烈な争いを繰り広げねばならないのか。阿部中佐の教えがなければ私も順応は出来なかったかもしれません」

 

 通常業務以外で疲れることのほうが多かったのではないか、戦艦と空母では雰囲気が違うとはよく言ったものだと思う。飛行科の人間が多いからだろうか戦艦乗員のような固さを持たぬ方が多かったように感じられました。無論、皆様こちらと同じように厳格ではありましたけれど。

 長谷川に淹れてもらったコーヒーを口に含みつつ、空気の違いを思い知る。艦隊によって、否、艦によっても空気は異なるものだ。それは過去に駆逐艦や巡洋艦に乗組んでいた頃から十分に認識していた事ではないか。竹田は自分が少々娑婆っ気が抜けていないと自戒する。

 

「ちなみに阿部の奴がどこに異動になったかはお前さん知っとるか?」

「?…あの方の指導能力を考えれば海軍学校や大学校でも問題は無いと思いますが。何処へ?」

「軍令部だ」

 

(へぇ……)

 

 軍令部は今、軍令軍政の双方に出仕している山本少将の影響が強くなってきているそうで、指揮権限に置いても政治力に置いても実働部隊である連合艦隊が力を伸ばしているのが実情だ。何かと話題に上ることが多いが阿部さんは賢くやっていけるのだろうか。

 竹田は苦労するであろう元上官を思い浮かべると小さく笑ってしまった。

 

「可笑しいか」

「あ、いえ……」

「まあ解らなくも無い。あれだけ軍令部の奴らを毛嫌いしていた奴がまさかの異動だからな」

 

(そういう意味ではないのですけれど…)

 

 だが言われてみて思い出した。阿部中佐の軍令部嫌いは確かにあった。「机上の空論」だとか「潮っ気の無いただの脚本」だとか散々な言い様だった。自分にも同じような気持ちが無いわけではないが、全てに賛同できると言う訳でもない。親でも殺されたのかと言う勢いに感じられるほどだった。

 カフェインが効いて眠くなってきてしまった竹田は、長谷川に誘ってくれた事に感謝すると退室した。自室の準備も未だ済んではおらず、数日後の出航に備えなければならないのだ。

 準備もかねて体を動かし続ければ先程のコーヒーのカフェインも効いてくるだろう。最悪は徹夜で作業をすればいい。

 

「ふわぁぁ……さて、状況開始です」

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

扶桑皇国 領海上 連合艦隊第一艦隊第二戦隊旗艦『紀伊』

 

 

「竹田参謀、時刻だ」

「了解」

 

 呼付けに頷き持ち場に立つ。佐官となって給料が上がった事は素晴らしいが、それに伴い責任も重くなるのは考え物である。贅沢な悩みと言えるだろうか?

 

「電探に反応、感三。方位一七〇、距離およそ五〇浬」

威力発揮――新装備のテストは順調に進んでいるようである。『紀伊』は正真正銘見張りよりも遠くを見る眼を得た。

「対空戦闘用意!」

「宜候!」

 

 新装備のテストなどとは言っているものの電探等の試験は既に完了しているのだ。では一体何を?

 より実戦に即した訓練、否、言うなれば新装備を扱う“我々”を試すのだ。試されるものの一人として実戦宛らの訓練に身を引き締める。下手をすれば死人が出る事も考えられるのだから。

 

「ところで先方の指揮官には源田少佐が参謀として参加しているそうだ」

「然様で」

 

 淡白な返事を返す竹田に長谷川は何も言わない。だが態々伝えてきたのだ。伝えたいことは大体察しがつく。

 

「先方は如何出ると思うね」

 

 畑違いとはいえ先任の少佐の御相手仕る訳である。恐れ多くも自分も周りより期待を寄せられている身であるらしい、恥を掻かぬ様に務めねばなるまい。

 

期待は、しないでくださいね?

 

 

「先方は戦闘機・攻撃機・偵察機・ウィッチで構成される連合部隊です。加えて当方に電探が装備されている事も周知の筈。であるならば先ずは此方の出方を探る事から始めるかと」

 

 この演習はより実戦に即したデータ収集のために細かなシナリオは存在せず、防衛側、攻撃側のどちらかが条件を達成すれば終了となる。今回は参加水上艦隊の主力艦、戦艦4隻と空母1隻のどれか一つでも時間内に大破判定が出た場合に敗北となる。強化された警戒能力と対空火力を用いれば対抗は可能であろう。

 加えてまだ先方には先の電探の試験の結果は知らされていない。より詳細なデータについては自分達も理解しては居ないのだから当然であるが――ならば我の艦隊の能力を最小被害で実測することが彼らにとっては目下のところ第一の課題となるわけである。つまり今此方に向かっている機体は此方の出方を見るための威力偵察部隊といったところか。

 

「艦隊が目立つ動きをすれば相手にこちらの視界を曝します。恐らく得た情報は司令部に送られて本格攻撃は我々にとって非常に厄介なものとなるでしょう」

「続けなさい」

「直進すべきです。現状から判断する限り、我々が彼らを彼らよりも先に捉えております。彼らに我々の能力を露見させる事を防ぐと共に、彼らの次の行動の選択肢を限定できます」

「ふむ。では先を急ごう。時間が許す中ではあるが我々の目的は彼らに沈められぬことだからね」

「はい」

 

 電探、レーダーの能力を知る竹田にとってその情報が相手方に洩れると言う事は即ち、時間当たりの行動距離と即応性に優れる敵航空部隊に大きく利するということであり、断じて看過できるものではなかった。

 だからこそ彼は情報の隠匿とそれによる敵部隊の行動予測を行ったのだ。だからこそ先に行った試験によって電探の能力を認めた第二戦隊各員も彼の意見に従ったのである。

 慢心と言おうか驕りと言おうか。彼らはその前提が始まる前から崩れている事を知らぬままに

 

 

 

 

■  ■  ■

 

扶桑皇国領海上 第二戦隊より東方20km

 

 

「まさかここまで近寄れるとは……」

 

 扶桑皇国海軍中尉安形聡子は愛機である一三式艦上攻撃機を履いての偵察任務に就いていた。背嚢式発動機に加えて大型の無線を載せているために動きは鈍重と言うほどだ。ユニットの低速さも相俟って攻撃機とは思えないとろさである。

 視界に広がる幾つもの黒点が彼女が監視している敵方である第二戦隊の所属艦。『紀伊』を始めとした戦艦4隻を中核に成す皇国海軍の至宝である。改装によって搭載された電探は見張り員よりも遥か先を索敵可能との触込みらしいが――

 

 

「今の所それが満足に機能しているとは言い難いんじゃないかしら」

 

 

 彼我の距離は見張りでは捉えるのは難しいだろうが噂されている電探であれば十分に捉える事が可能な距離の筈――つまりそれは自分達が付け込む隙が彼の艦隊に在る事を意味しているのだ。

 彼女は現在の艦隊の動きを無線機を用いて後方に展開する中継機に伝送する。それは直ぐにも司令部に送られてこの後の攻撃隊の作戦決定に反映される。

 

 第二戦隊の低高度域に於ける索敵能力の低さ。

 

 それこそが彼女に確認された、攻撃隊司令部が彼女に確認させたかった点であり、この局面に置いて第二戦隊の電探視程等は全く問題にされては居なかったのだ。故に相手の知識と能力を過小評価した第二戦隊司令部と異世界人にして未来人というアドバンテージに驕っていた竹田は少々思いがけない授業料を払うことになる。

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

扶桑海軍航空司令部 指揮所

 

 

「ツル2から電信――灯台下ハ暗シ、以上です」

 

 その報告に部屋に詰める人間達が湧く。直ぐに攻撃隊への作戦命令に修正を加える者、偵察隊へ次の命令を下す者、敵艦隊の次の動きを予測するため地図を睨みつける者、その何れもが相手の、それも普段自分達を下に見ている戦艦部隊の先をいけた優越感に浸っていた。そんな彼らを幾分か冷めた視線で見つめる男が居た。

 

「閣下の仰るとおり、低高度は死角のようですな」

「可能性の一つを提示したに過ぎんよ。実際に確認したのは君達だ」

「ご謙遜を。さすがは軍の先端技術開発を任されている御方だ。閣下の御陰で我々の作戦はより洗練されます」

 

 

 煩い男だ、そう思わずにはいられない。先程から上官を媚び諂うようでいて技術科を下に見ているような姿勢が気に食わない。作戦立案に関しては十分な能力を持っているだけに本当に勿体無い事をしている。さっさと向こうに行き給え。あまり私は個人的に付き合いたくない人間とは関係を持たないようにしているのだから。

 よし、行ったな。兵科の人間が他の科を下に見るのはよくあるが、ああまで露骨だと呆れてくる。

 

 

「閣下……閣下は技術を専門としているにも係らず兵科の事にも見識がおありなのですね」

「ん?」

 

 左を見ると若い佐官が一人、確か源田と名乗っていたか。今回の演習に於けるウィッチ隊の指揮官を務めていた筈だ。それが何故こんな場所で油を売っているのだろうか。

 

「君の上官はあちらで作戦指揮についたぞ?こんな爺に付いて楽しい事でもあるのかい」

「命令は既に伝えましたので…」

 

 少々意地悪な言い方をしてしまったようで、こう決まりの悪い顔をされては私としても困るのだが…。

誰かに助けを求めようとも周りの奴らは作業中だし、ああもう!なんだお前らは!作戦が順調で技術将校として呼ばれた私は視界にも入らんか。まあいい。いや良くないが、好いことにする。まずはこの変り種を如何にかする。

 

 

「兵科の考えていることに触れるからこそ用兵側が求める物を提供できると言う事だよ。私は艦船を主に手掛けているが、君達の様な飛行屋が考えることまで理解しなければ君たちは落とせない」

「素晴らしいお考えです。しかし何故我々に助言を?」

 

 

 助言、とは電探が低高度を捉え辛いという独り言を指しているのだろう。シークラッタの影響がもろに出るのだから当たり前の話だろうに、八木博士達だってある程度は認識していた。つまり君たちの勉強不足だ不良学生諸君ーー等とは口に出せないし、そもそも電探自体の信頼性や性能の低さを一々言うのも恥を晒すようで癪に障る。喋ってしまったのも既に我々の間では周知の事実のみだ。何故この佐官はそんな事に疑問を抱くのだろうか。甚だ疑問である。

 

「何故助言をしてはいけないのか。それを訊いても良いかね」

「それはやはり閣下は戦艦を始めとした艦船を手掛ける方でありますから、我々の様に航空を扱うものに利する発言をなされた意図が解らなかったもので」

 

溜息を吐きたくなるな。まさかこいつは――

 

「君はもしや私がここに居るのは、航空主兵論者どもを哂いに来たとでも思っているのか?」

 

 少し怒気を孕んだ声で言う。申し訳ない気持ちなど微塵も無い。毅然と保とうとはしているようだが怯えが見え隠れするこの佐官は、今どれだけ下らない事を言ったのか自覚しているのだろうか。自覚しているならばよし、でないならば

 

「い!いえ、そんな事は」

「か、閣下!何か祖奴が礼を欠いた真似を!?」

 

 煩い奴が出てきたようだ。同階級で多兵科の人間は下に見ておいて、自分よりも高位の人間には媚び諂う。見ると周りの人間も私の方を見ている。敵意と言うほどではないが警戒はされているようだ。全く、言っておくが私は空母だって手掛けているのだがね。ここまで疎外感を感じると嫌味の一つでも飛ばしたくなってくる。

 

 

「いいか?」

 

 

 小言のつもりで放ったそれは自分で思ったよりも怒っている様に受け止められてしまったらしい。先程まで私を睨むように見ていた人間の方が少し強張っている。大艦巨砲主義者も面倒なことこの上ないが、航空主兵論者も大概だと思う今日この頃だ。

 

 

「私が君たちに伝えた情報は技術者としての助言であって、私の主義主張を含んだものではない」

「そして言っておくが、君達が情報優勢に胡坐をかいて敵を甘く見るのならば、次の瞬間に全ての機体が撃墜判定を受けているだろうな。君達が考えるほど彼らは電探に依存していない。所詮一装備品に過ぎないのだから」

 

 その言葉に憤慨するのは仕方が無い事だったかもしれない。海図や資料が散らばる作業台に集まる男達が此方を親の敵でも見るように睨み付ける。

 

「我々は彼らを舐めてなどおりませんし、この演習に全力で臨んでいます!閣下と言えどそこまで侮辱される謂れはありませんぞ!」

 

 指揮官は常に冷静であれとは思うが、所詮は平和な時代に染まったということか。

侮辱だと?私は事実を突きつけたに過ぎず、非があるならば自分達だと言う事を未だに自覚できないと言うのだろうか。平和ボケ極まれりだな。

 

「源田少佐、君たち海軍軍人は特殊な技能を修得した専門的な技術者集団だと私は思っている。違いないな?」

「え、はい。私はそのようにと……」

「そうか。では大佐、君が為すべきは何かね?作戦目標を簡潔に答えなさい」

「それは……敵方である第二戦隊を航空戦力を持って撃滅する事です」

「違う。私は技術の話をしている。君たちも技術者ならば感情ではなく理論的に答えたまえ。次、源田少佐」

「え!?何故私に「速やかに」……はい」

 

 隣で見詰めていた大佐が不安そうな表情を隠す事も無く狼狽している。しかしそんな視線にも負けずに源田は少々の逡巡の後、言葉を選んでこう答えた。

 

「電探を運用する水上艦隊への、航空戦力を用いた有効な戦術を実地で研究する事、でしょうか」

「その通りだ。君たちに求められているのは先進的な能力を備える強大な水上艦隊を、航空戦力で撃破するための資料を得る事だ。そこには敵艦隊の撃滅など二の次に過ぎない。今の君たちを見ていると、集めた資料で敵を撃破することばかり目指しているようにしか思えない」

 

 手段と目的の逆転――海域の安定化のための敵艦隊撃破という当初の目的が、最終的に海域安定化を建前とした敵艦隊撃破に繋がったどこかの海軍のように、この場の人間は酔っている。目の前の勝利によって後の勝負を無視している。全くナンセンスな話だ。全く持って愚かしい事である。

 

「自らの得物を試したいだけの侍は既に武士道を捨てている。政治的影響力を考慮するのは組織人として仕方が無いのかもしれないが、それで命を危険に曝される大多数が一体全体誰なのかを理解しているか?」

「……」

 

 

 下を向き黙ってしまう。反論をしようと思えば出来るはずなのに、行えない。心の中で目の前の技術屋を罵倒する言葉が幾つも生まれては消える。軍に入った理由を、軍人としての誇りを侮辱されてまで彼らが反論できない理由は――

 

 

口に出してしまったら自らを否定してしまう気がしてならないからか。

 

 

 

 

「私のような部外者に説教されている時点で、君達がいかに硬直した思考と狭い視野だったのかが知れる。エリートが聞いて呆れる。……さて、君たちが為すべきは碌な反論も出来ず無言で憤る事なのかね?」

 

 

 怒りで拳は血が出てきそうなほどに力強く握り締められている。そう、目の前の男に非は無い。技術者としてこの演習の作戦自体には何も参加はしていない。ただ自分達司令部が勝手に頼って、勝手に疑って、誤解して、敵意を見せて、当然の如くに叱られただけだ。

 まるで子供のように、だが自分達は大人であり叱られてそれで済ませる訳にはいかない。

 

 

「言われずとも……!」

「閣下に言われるまでもありません。過労死するぐらいに資料を集めますよ!」

「貴様等!技術将校に発破をかけられて恥と思え!一時の恥で済ませたければ手を動かせ手を!そろそろ無線封鎖を解除する時間だ」

「りょ、了解!」

 

 

 忘れた事を思い出した学生のように走り回る司令部の面々。不安げに此方を見詰めていた士官たちも発破をかけられて忙しなく作業をしている。こうして思うと自分はただ場を引っ掻き回しただけのように思えて憚れるが、それがこの後に繋がる一助となるならと前向きに。

 ただ、きりきり働き出した将校たちを見ると若さを羨んでしまう。こうした乗りの良さと言うか、高い行動力は既に自分が零しつつあるモノなのだろう。先程のような固い考えなど、自分が如何こうするまでも無く彼らが勝手に挫折して勝手に修正されるものだ。所詮年寄りのお節介に過ぎず、それは大して褒められた行為ではない。寧ろ大人気ないとして冷やかされるだけだ。

 

「まぁ、この調子なら問題は無いだろう」

 

 兵科将校の周りでデータを収集している同僚達も空気が変わったことに驚きつつも仕事の手を休める事は無い。今まさに集められていく貴重な資料は今後の海軍の戦略にも影響を与えるかもしれない黄金に等しいのだから。

 最新技術の粋が集められたこの指揮所から見える世界は今までよりも遥かに広く、且つ緻密だ。いかに優秀な機材があろうと、それを運用する者の能力が足りていなければ宝の持ち腐れと言うほか無い。自分を此処に寄越したあの同僚は、まさか説教をさせたくて呼付けたのだろうか。

 

「考えても詮無き事であろうな」

 

 周りの男達は忙しなく動き出す。それ自体に変化は無い――無いが、どこか雰囲気は異なるように思える。心地よい緊張感と言うか、武者震いを感じさせる好い風が吹いている。目的を明確にすると、扶桑人とはそれを達成するまでにあらゆる創意工夫を怠らない。奴隷根性と侮る勿れ、軍という階級社会ゆえの追従主義と嗤う勿れ、これこそ人間の在るべき姿に思う。

 

「神宮寺さん、ちょっとこっち助けてくださいよ」

「そうそう、説教のためだけに来たなら俺らが変わりますから」

 

 ふふっ……やはりこちらの呼び名の方が閣下などと仰々しくされるよりも性に合っているのは確かだ。結局自分は人の上に立つ人間ではないのだと常々思ってしまう。

 神宮寺は軽やかに席を立つとこれまた軽快なステップとともに同僚の下へと進み行く。視界の隅に大佐や源田少佐を始めとした優秀な指揮官達が作成した作戦書や数々の資料が広がっているのを見る。

 

 海軍省が今回のような大規模且つ実践的な演習を行ったのは此処のところ大量に更新されつつある新装備に戦術を追い付かせる為とも、単に一々小規模な演習を行う余裕が無いとも言われている。だがその実、一ノ瀬を始めとした海軍省の一部の人間が来る事変に対処する体制を早急に備えようとしている言う事を知っている人間は少ない。

 誰も彼もが見えない者達の掌の上で踊らされている。自分もそんな者の一人なのだろうと思うと虚しくなる一方で誇りに思える自分が居る事に驚く。

 この激動の世界という舞台で、自分も役者の一人として参加できる。この世界で自分と言う役が存在した事を証明できるとはどれほど光栄な事だろうか。演習前のブリーフィングで見た敵方の司令部名簿にいた見知った名前に思いを馳せる。申し訳ない気持ちとともに期待している自分がいるのだ。

 

つくづく歳を取ってしまったものだと苦笑してしまう。

 

「どうしました?」

 

 心配してくれた同僚に問題はないと返す。それ以上追求してこないのは美徳だろう。振り返ると指揮所の中の空気は徐々に熱く張り詰めてきている。恐らくは攻撃の時間が近づいているのだろう。

 

「苦労しなさい若者達。今買う苦労で、後の死線を潜り抜けられるやも知れないのだから」

 

小さな独白は誰にも聞こえることは無かった。

 

 

 

■  ■  ■

 

 

演習空域第二戦隊より150㎞ 高度100ft

 

 

 第二戦隊の電探に捕らえられぬように高度を下げて進む一群があった。戦闘機、爆撃機、攻撃機からなる戦爆連合部隊である。彼らはこの時代としては最も進んでいるであろう航空管制とまともな性能を発揮しつつある無線機によって海上で合流。その後は無線を封鎖しつつ命令どおりに敵部隊へと一糸乱れぬ動きで飛び続けていた。

 多様な機体で構成される部隊はそれだけで見栄えがするが、その中でも目を引くのはその群の先頭を務めている戦闘部隊だろう。

 

 

「無線封鎖解除。では我々戦闘隊が先行して敵航空戦力を撹乱します。攻撃隊はその後で」

「承知した。武運を祈る」

 

 未だそこまで使い古されていない真新しいユニットを履いているのは北郷章香率いる魔女隊であった。航空本部は長年の雪辱を晴らせるかもしれないこの演習に新鋭機のより本格的な実用試験という名目で最新鋭の九六式艦戦脚を参加させていた。

 

「其方もくれぐれもお気をつけて」

「わかっている。演習とはいえ大型艦は我々に任せておけ。戦艦乗りに目に物見せてやるのだからな」

 

 鼻息荒く言う攻撃隊長の気持ちの高ぶりが無線機越しにも伝わってくる。思わず何人かが苦笑する中で同乗している偵察員が茶々を入れる。

 

「隊長、始めの通信聞いて無かったんですか?」

「ん?聞いていたさ。それこそ耳掻っ穿ってな」

 

 ふと周りを見ると、目に見える全ての機体が海に激突するのではないかと心配なほどに低く飛んでいる。ある意味で今日の為に腕を磨いてきたような者達だ。水上部隊の能力を確認するこの演習で大型水上艦に対し航空戦力が有効な戦力足りえると判断されれば、今まで日陰者だった自分達が一気に表舞台に立てる。負けられない勝負とはまさにこの事だった。

 先行する魔女隊は、電探被反射面積の小ささと新式ユニットによる高速性を買われて一番槍の名誉を頂いていた。隊長を命ぜられた北郷も、司令を任せられた源田も、責任重大という言葉では収まりきらない重圧がかかっている。

 

 

「時間だな」

 

 

 手を振り自分の部隊に合図する。速度を上げて減速を殺しつつ上昇に転じる――自分達が此処で捉えられるかは問題ではない。どちらにしろ自分達が相手に最も早く捉えられねば失敗なのだから。それよりも今離反して別の方向から低高度侵入を行う攻撃隊の接近を相手に悟らせない事こそが自分達の役目なのだ。

 

 

そして――

 

 

「敵艦隊を捕捉。テ連送送れ」

 

 敵艦見ユを示す簡潔な略符号。たったそれだけで胸の鼓動が高まっていく。既に攻撃隊は遠くにあり、海面すれすれの低高度を群れを成して飛んでいる。

 

「戦闘隊各機に告ぐ、これより本隊は敵防空網に侵入し敵航空戦力を撹乱、攻撃隊の侵入を支援する」

 

 

北郷は一呼吸置いて静かに言った。

 

 

 

「我につづけ」

 

 

 

通信機から聞こえるその声は明瞭且つ力強く仲間たちに響いた。

 

 

 

 銃を構える者、通信機の位置を修正する者、風で直ぐに乱れるだろうに髪を直す者まで、彼女らの眼に映るのは大小幾つもの黒点。海にその身を漂わせる物騒なご令嬢は後に続く仲間たちが相手をすることだろう。

 恐らく既に自分達は第二戦隊の機械の眼に捉えられている。だがそれも問題ではないとするように高度を維持しつつ加速する。排気管からブラストが一際強く吐かれる。長距離飛行は針路も速度も限られるために心身ともに疲労する。戦いの空とはいえ、自由に飛べるとはなんと素晴らしき事哉。

 彼女らの最優先目標は今まさに此方に向かってくる金属の鎧に身を纏った五月蝿いハエを叩き落す事。

 新鋭の九六式艦戦脚を始めとした新装備を優先的に配備され、この演習にあって圧倒的な戦闘能力を発揮した彼女達を人はこう呼ぶ。

 

 

 

 

『扶桑皇国海軍第12航空隊、北郷部隊』、と

 

 

 

 この場にいる大多数は知らないが、第二戦隊は実用化されたばかりの航空管制体制とそれらに支援された最新航空戦力のデモンストレーションに利用されたに過ぎない。そう、この演習は電探と強固な対空火力を有する水上艦隊の能力を確認する事が目的とされているが、その裏にあるのはその逆――

 

航空戦力でエアカバーなき戦艦部隊を沈められることを示すために海軍省・軍令部・連合艦隊の航空派が協力して仕掛けた盛大な実験なのだ。

 


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