蒼光を仰いで   作:試製橘花

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第五話 「軍政の片翼」

霞ヶ関 海軍省軍務局

 

「次期空母の設計がようやく完了したそうだな」

「まあ起工のスケジュールには間に合って良かったといえるんじゃないか?最悪は就役を遅らせる事も考慮に入れていたからな」

「只でさえマル2計画は揉めたんだ。大蔵の奴等と折衝しなければならないわしの身にもなってくれんか」

 

 海軍省軍務局で行われている会議にて各課の課長、軍務局次長以上の役職が揃っていた。何時もの事ながらその空気は悪い。

 

「マル3計画についても検討を始めねばならないだろう。尤もその前に臨時で補充計画を挟む事になりそうだがね。陸の連中が纏めた怪異についての報告書は皆読んでいるな?」

「あれ自体は軍令部に送られた報告書の模倣じゃないか。そもそもは軍令の奴らが俺達に送らなかった事が問題だが…」

「元来海と陸は仲が悪いが、内部闘争がそれを上回ると言うのは馬鹿げた話ではある」

「笑えないな」

 

 思わず溜め息をつく者が幾人か。扶桑皇国海軍の管理運営のための行政活動を行う彼らはその役割ゆえに軍令を担う軍令部、実戦部隊である連合艦隊の戦略にも関わる。その為にそれぞれの組織の利害が対立し、関係は良好とは言いがたかった。

 

「言っていても始まらん。昨今の悪化する状況を鑑みて宮様の方からも、軍の垣根を越えて計画を構築するようお達しがあった。皆それぞれ思うところはあると思うが、今後は陸軍省との連携も重要となる。心しておけ」

「大陸での戦闘を考えると予算の多くが陸に取られるぞ?海上護衛を名目にしても距離的に近いからそこまで多くは得られんし、何より艦隊が納得するとは思えん」

「奴らには太平洋とインド洋しか見えとらんからな」

「わしが納得させる。それに南方での怪異出現も報告されておる。海上護衛総隊の設立も含めて海の取り分は減らさせん」

 

 扶桑本土と南洋島を繋ぐ海上交通路防衛は皇国海軍の最重要課題であり、今で艦隊決戦思想を残す連合艦隊の面々もそれは理解しているところであった。だからこそ今まで海軍は広大な海域を監視するための陸上機の開発や長期航海にも堪えられる大型駆逐艦の研究を行ってきたし、艦載機の編成によって如何様にも運用できる空母部隊の整備に努めてきた。決して海軍は通商護衛を無視しているわけではなかった。

 だが強大なリベリオン海軍太平洋艦隊、ブリタニア海軍東洋艦隊、オラーシャ海軍太平洋艦隊に対抗するためにはやはり主力艦隊の整備に重きを置かざるをえなかったと言うのが紛れも無い事実である。後の大和型戦艦などは計画段階に於いてはパワープロジェクションとプレゼンスの維持のために計画されたようなものだった。成長著しい扶桑とはいえ仮想敵国に対抗するにはまだ弱体であったのだから。

 金剛型、伊勢型、長門型、加賀型、紀伊型を始めとした戦艦群こそあれ、増強が叫ばれている正規空母は今だ赤城型のみ。鳳翔は練習空母としての運用が主で、後の軽空母建造に向けてのテストベッドとして軍縮条約の対象外の排水量で建造された龍驤はその小型ゆえに空母としての運用には限りがあった。

 

(赤城型の3,4番艦が揃っていれば……)

 

 確かに軍部でも改装空母である赤城では能力に満足できないと言う声はあった。しかし政治的な思惑を多分に含んでカールスラントへと売却された事は海軍の戦略に大きな影響を与えたのだ。従って最低でも4隻の建造が予定されている次期空母への期待は自然と高まっている。新機軸を多く採用してコストが高まっているにもかかわらず、大枠で大蔵省がその建造要求を認めたのは軍や経済界、それらから支持を得ている政界からの圧力があったからなのだ。

 政財界からの圧力――それこそが扶桑の生命線である海上交通路の防衛。海軍はそうした声に応える為にも外洋での展開能力の高い空母機動部隊の整備、そして連合艦隊の取り分を削ってでも通商護衛を専門とする海上護衛部隊を設立する事が急がれていたのだ。

 

「では必要な予算折衝については一ノ瀬局長に任せるとして、他に何か報告は?」

 

無言。それを確認すると進行役であった次長が一ノ瀬に目をやる。

 

「解散」

 

 

 バタバタと席を立つ面々。会議で決定した事項を基に彼らの仕事が続いていく。現在海軍は状況が悪化しているとはいえあくまで平時であり、今後予想される有事に備えてやるべき事は山のようにあった。海軍省の中にあって海軍に関わる全制度を掌握する軍務局。内局の中で最も重要なポジションを占める軍務局局長である一ノ瀬だけが、この後の大臣の報告に憂鬱な気分を抱きつつ自らの席にいた。

 

「お疲れですか?普段よりもお顔が優れませんね」

「阿呆な友人がこれまた馬鹿げた手紙を送ってきてな。あいつ並みに人を不快にさせる奴をわしは片手で数えられる程度しか知らん」

(多い……)

 

 一ノ瀬はさも嫌そうに言う。内容については特に思うところは無い。ただ「新しい転生者を見つけた。会って欲しい」というだけだ。しかしその書き方については如何に自分をおちょくるかと言う意図が感じられて非常に不愉快であった。返事を用意するつもりは無かったのだが、今では如何に嫌味ったらしく返してやろうかと言う思考が働く一ノ瀬であった。

 

「若手の士官に面白い男がいると紹介されてな。まあ名前を見たら前の南方での怪異対処で戦果を上げた士官で、その後も対怪異に関する報告書を挙げてきているらしい。軍令が我々に送ってこなかったやつだよ」

「あぁ!それはもしや竹田大尉のことではありませんか?若手士官の研究会等でもよく名前が挙がる人物だそうです」

「竹田、ねぇ……」

「はい。出自に関しては人事局の知り合いから少々話を聞きましたが間違いは無いかと。……商会の関係者でしょう」

 

 竹田商会――扶桑皇国有数の重工系複合企業であり、海軍艦艇や航空機の製造、陸軍の各種戦闘車両や装備の開発製造も手がけている。明治の御維新の頃より政界との繋がりを太くし、そのパイプを持って皇国と共に目覚しい成長を遂げている巨大企業だ。

 後に同社所属の宮藤博士の功績に肖って、竹田商会から宮菱と社名を変えた事でも話題となった企業である。

 

「経営者一族ならばそのまま継いでしまったほうが軍属よりも恵まれていただろうに」

「今の総帥は御子息によく目をかけていると専らの噂ではありますが、となると彼は竹田の家から離れているのかもしれませんね。特に彼の件で商会からの圧力があったとの話は聞きませんし」

「政治的に利用される可能性は?」

「確実でしょう。既に艦隊派の連中は取り込みを始めているとの話です。尤も当人にその気があるかでまた変わるでしょう。中堅若手中心の新派閥も出来上がっているそうですから」

「うちとしても何らかの働きかけを行うべきかもしれん。幸い神宮寺のおかげで接触は可能だ」

 

 一ノ瀬は友人から与えられた機会を存分に利用する腹積もりであった。転生者同士と言うアドバンテージを考えれば今後の関係構築も容易いと思える。仮に自分達を始めとする条約派への取り込みが出来なくとも、艦隊派に対する不信を植え付けることが出来れば十分だった。それが後の艦隊派の跳梁を妨げるのだから。

 つまり彼は竹田の事を転生者としてではなくあくまで話題の若手士官として見ていた。そしてそれを如何に自分達の組織の利益に結びつけるかが第一にあったのだ。その点において彼は完全に此方の世界の人間であった。

 

「第二の山本を作るわけにはいかんからな」

「第一航空戦隊司令の山本五十六少将ですか。軍令部にも彼のシンパは増えてきているそうです。海軍省としても工作はしているのですが…」

「軍令部が取り込まれるのは勘弁だな。この際、その竹田とか言う若造を対抗馬に充てて見るか?」

「まだ一介の大尉に過ぎません。難しいでしょう」

 

一ノ瀬は頷くと話題を変えた。

 

「そういえば商会と武国に同行する技官の選定は終わったのか?まあわしらの担当ではないわけだが」

「人事局の方から上げられた人間については此方でも把握しております。特に問題はない人選でした。魔女についても新人から数名を送ると言う事で経理の方からも計画の書類があります」

 

(もっさんか……)

 

 原作に於けるブリタニアとのストライカーユニット共同開発はこの世界ではより早く始められる事になっていた。そのテストに参加する魔女の中にはまだ若い、否、心身ともに幼い坂本美緒の名前があった。

 

「10代前半、いやまだ10代に入ったばかりに等しいような年齢の少女を新兵器の実験に参加させるか…。わしらは将来地獄行きかも知らんな」

「それで臣民を護れるなら安いものです」

 

 無論飛行試験などを行うわけではなく、扶桑人にも対応可能なユニットを開発するためにまだ小柄な彼女が選ばれたのだろう。参加するのは経験を積んだ魔女も含まれているし、テストの内容を考えればこちらの方がメインの被験者だ。海軍として何らかの形で参加はしておかなければならないが、少ないウィッチをそこまで派遣できるほど余裕がないというのが実情だろう。

 陸軍との協力関係の構築によって海軍の負担が減ってきていると言うことは事実だが、それでも魔法力を持つ魔女、特に航空魔導兵は貴重な存在である。軍全体がその認識に立っていたからこそ魔女戦力に関して協力関係を結ぶ事が出来たともいえる。担当する領域があまり競合していないことから縄張り争いに発展しにくかったこともあるが、一部の軍人を中心として進められていた陸海の燃料等の軍用資源、物資、弾薬、装備等についての共通化の第一歩として非常にやりやすかったことも大きい。

 

(宮藤博士の研究を恐らく原作以上に支援できる体制は整った。スタートの時期も早い。陸軍とのユニット共通化で戦力増強も望めるだろう。このままいければ…)

 

 一ノ瀬は後の扶桑海事変での被害を極小化するために自らの出来る範囲で最大の働きを続けていた。扶桑は確かにあの事変において国体そのものを護持することは出来たが、その代償は大きかった。無論それは後の大戦にも響いてくる。彼は将来的な扶桑の影響力強化のためにも原作のような被害を出さず、特に魔女戦力については何としてでも強化を図るために組織の垣根を越えて尽力していたのだ。

 この世界ではまだネウロイの脅威は無い。小規模な怪異が稀に発生する程度だ。故に各国が本格的に魔女戦力の拡充を行う事は無いが、それはつまり扶桑皇国が先手を取れるということであり、皇国の影響力拡大にも繋がることを意味していた。

 史実と比べて神に愛されているかのような資源を有する扶桑皇国だが、限りある資源は有効に使う必要がある。だからこそ規格の統合や各国軍との協力関係の構築、そして何よりも海軍と陸軍の長年の不仲からくる非協力的な体制を改革する事が急務であったのだ。陸軍でも同じような動きはあり、邪魔はあれど着々と陸海軍の関係は強化されていた。

 

「選抜に関しては軍務局からとやかく言う筋合いも無いしそのままにさせておけ。わしは大臣に報告をしてくる」

「では私は会議の書類を纏めますので、また後で」

「ではな」

 

 一ノ瀬は部屋を出ると大きく溜め息をつく。何とも原作で動きが大きくなるにつれて自身の疲れがマッハな気がしてならない。原作で加藤嬢が作っていた不思議な液体は本当に飲めば体力が回復するのだろうか。是非会えたならレシピを訊いてみたいものだった。前の生活、といっても随分前になってしまうが、疲れたときには栄養ドリンクを飲むなり、サプリメントを摂取するなりして強引に疲れに対処する事も出来ただろう。しかしこの20世紀半ばの世界でそのような対処療法はとれない。少ない時間を使った趣味と食事、睡眠だけが彼にとっての休息だった。妻の尻に敷かれている今の生活ではあったが、自宅での時間は彼にとっての癒しだった。だからこそ彼は自分の仕事を増やす相手を憎む。

 それ故に海軍省の廊下を機械が刻むかのごとく正確なリズムで歩き進む彼には、今後荒れて行く事が確実な世界そのものが、怪異などよりも憎むべき敵に思えて仕方が無かったのだ。

 

 

■  ■  ■

 

 

 ところで扶桑皇国海軍においては海軍補充計画と呼ばれる中期的な整備計画を立てていた。この時点で承認されたマル2計画とは第二次補充計画の意であり、扶桑皇国軍の主要な地位に居る転生者にとっては扶桑海事変、第二次大戦初期の戦力を整備するという極めて重要な計画であった。故に、今まで構築してきた人脈をフルに活用、満足とはいえないながらも他の組織との連携を考えれば原作よりも(史実とは比べるべくもなく)充実した整備計画となった。

 無論此方の世界での軍縮条約に対応しなければならない為に一定の制限はあったが、寧ろ今後重要性を増してくる条約制限外の支援艦艇の大量建造を認めさせることが出来たのは僥倖だった。艦隊に随伴可能な高速給油艦や補給艦、移動工廠として機能できる工作艦は支援艦艇としては非常に高価であり、こんな時でもなければ揃える事は出来ない代物だった。

 空母補助枠として建造される千歳型水上機母艦についても航空基地の整備が難しい海域での運用に必要とされていたうえ、転生者たちから見れば空母に改装する事で今後沈む『赤城』の代わりになると考えられた。軽空母の設計・建造・運用ノウハウを『龍驤』で十分に得られた事も大きかった。

 この計画は軍が怪異の脅威を煽っていたとはいえ平時計画という事で大きな批判に晒された。それ故に当初の要求の多くは認められなかったのだが、それでも今後の海軍戦力に幾つかの保険をかけることが出来たとして組織内からは高く評価されている。

 計画で建造された新型艦艇についても原作どおりの扶桑皇国の先見性、高い技術力と合わせて、転生者やそれらに協力する無名のキャラクター達によって改良が施されており、『蒼龍』型航空母艦についての評価は細かい不満こそあれ総合的には非常に高い評価であった。この艦の建造実績を基に『赤城』型航空母艦の大規模改装、改蒼龍型とも言える『翔鶴』『瑞鶴』が建造される事となる。

 艦そのものに限らず無線や電話、電探等も拡充されており、後方支援体制の充実も合わさって総合的な戦闘能力は非常に強化されていた。教育局の努力によって個々の人員の質も向上しており、目に見えない部分においても向上が図られていたのだ。

 加えて組織内で幅を利かせている航空主兵主義者の一派によって航空戦力の拡充もなされ、陸上航空隊の増強、それに伴って各基地間と司令部を結ぶ通信網なども整備されていった。これは後に陸海軍の関係強化によって本土防空網の拡充としてレーダーサイトと併せさらに強化されることになるが、この段階においても世界の先端にあった。

 そしてこれらの増強によって海軍の士気は非常に高いものだったと言えるだろう。この時点ではまだ小規模に発生した怪異に対しても通常兵器で対抗できたし(事例そのものが少なかったが)、着々と増強される軍備を見て自信をつけていたということもあった。それを慢心と言うのはあまりにも酷だろう。

 

 

 この時点で何れ来る怪異の本当の恐ろしさを実感している人間など、唯の一人も存在しては居なかったのだから。

 




坂本さんの経歴は世界線で異なる。真面目に彼女の過去がわからないですね。辻褄を合わせようとしても何処かで矛盾が生まれてしまいそうです。
ご意見御感想等々お待ちしております。評価してくださった方にも感謝致します。

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