蒼光を仰いで   作:試製橘花

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戦の前の小休止、嵐の前触れか


第十二話 「笹鳴Interlude」

 現状報告を。その声とともに盤上の駒は動かされ、ペンで新たなラインが描かれる。その一つ一つが数百、数千という人命を戦力という単位で括り、在場戦力として現存することを示している。状況を伝える声が室内に響き渡り、指揮官はその膨大な情報を参謀とともに分析、今後の対応を判断するのだ。

 

「フルン湖東部平原の敵集団は依然、海拉爾方面へと北進を続けており、海拉爾から拠出した部隊で遅滞を行っております」

「現場に急行中の航空部隊は30分後に到着予定、予定通り攻撃を開始します」

「当初、敵集団迎撃にあてられていた海拉爾守備隊は、北西へ転進後、満州里に展開していた地上部隊を組み込み独立混成旅団として再編。市民の避難を支援しつつフルン湖西部を迂回、新バルグ右旗に到着し、現地部隊と合流しています」

 

「“山”はどうなっている?」

「北部部隊からの報告によれば山自体は東進、山から出てくる怪異は北進を続け、オラーシャ陸軍とアムール川を境に睨み合いを続けています。一部は渡河したとも」

「先日侵入したオラーシャ軍部隊は壊滅したという事か」

「偵察機からの報告では、3個大隊規模の喪失が確認されています」

 

 彼らに捕虜という概念は無い。あくまで脅威(という概念があれば)となる異性物を駆除するように蹂躙するだけだ。長く自分たちの宿敵であったオラーシャ軍、その哀れな敗走は、それに今まで対向していた扶桑軍人として複雑なところである。多少なりとも対抗できている自分たちがいかに恵まれていることだろうか。

 

「北部の怪異は監視にとどめ、こちらから下手に手を出すな。まず我々が成すべきはフルン湖東部に展開する敵集団の撃滅である」

 

 視線を盤上の地図にある一点に定める。大陸領最西部にあるフルン湖、その東部一帯はバルグからハイラルを結ぶ交通路である。ここを失う事は二つの地域を移動するにあたってフルン湖西部を迂回する形を強制され、この地域における戦略機動が著しく阻害される事に他ならない。

 

「フルン湖西部の敵集団に対し、現在第23師団主力及び戦車第3連隊で遅滞に努めています。チチハルより派遣した2個師団は、陣地にて戦闘準備中」

「既にハイラルにおける戦闘は掃討戦に移行、守備隊よりフルン湖方面へ2個地区隊を派遣。既に現地で活動を開始しました」

「バルグ左旗防衛戦に展開中の第2独立戦車連隊、準備完了しました」

「航空隊、予定通り当該空域に到達します」

 

「バルグ方面の部隊状況を説明せよ」

「第15師団、第27師団及び第23師団より第64歩兵連隊を初めとした支援部隊、戦車第4連隊、以上です」

 

 フルン湖東部の敵集団に対し、ハイラルより3個師団2個地区隊と1個戦車連隊。バルグ左旗より2個師団と1個増強歩兵連隊、そして1個戦車連隊。この大陸領での戦いにおいて、叩くべき敵集団はそう多くない。今自分たちが相対しているフルン湖東部の集団、そしてオラーシャ方面に北進を続ける集団と、それを束ねる山だけだ。特に脅威度の高い山周辺地域からは多くの人間が本土へと避難している。予定される反攻作戦の為にも、この目障りなフルン湖東部集団を早急に駆逐する必要があった。

 

 貧乏陸軍にしてはかなり戦力を集める事が出来たが、と彼は思案する。吝嗇ばかりの兵部省や、何かと予算を搔っ攫う海軍のせいで、陸の量的増強は中々進まない。尤も、近衛や一部師団を中心に機械化や装甲化を進めている中で、量まで増やそうなどと贅沢が通る筈も無い訳だが……。

 脱線した思考を本線に復帰させる。

 

「一週間以内にフルン湖東部の集団を撃滅する。北進する敵集団及び山が南下する可能性を考慮するとあまり時間はかけられない」

「爆撃を継続し敵を拘束、部隊集結まで時間を稼ぎ、敵戦力の漸減を行います」

「航空隊が得た情報はすぐにこちらに回すように。あまり戦力が充実していない以上、馬鹿正直にぶつけたくはない。出来る限り情報の収集と解析に努めよ」

 

 通信機器のつまみを回す音、卓上の駒が動くカタカタという音、指揮所につめる参謀達を初めとした指揮要員、通信要員達の静かだが忙しない声が反響する。開演前の劇場のような緊張感を肌に感じながら、彼は責任者としての覚悟を決めた。

 

 

 

 

フルン湖南東部 戦車第4連隊陣地

 

 バルグより街道に近い位置、居並ぶトレーラ、修理車、工作車、電源車は、全て戦車という最強の陸上戦闘車両を機能させる為に其処にあった。再編とともに近代化が進む扶桑陸軍において、その高コストが悩みの種となるのも頷ける。これが必要な投資であるのだから尚の事である。

第64歩兵連隊と隣接した陣地はかなりの大所帯となっていたが、そんな中で新たな援軍、それも今次事変において最も期待されている部隊が到着した。

 

「伏見忍少佐以下、第8国境守備隊所属魔導歩兵中隊、只今着任しました!これより貴隊の指揮下に入ります」

「独立戦車第4連隊隊長、玉田美郎大佐だ。宜しく頼む。早速だがあまり時間がない、我が隊は総司令部からの司令が届き次第、街道沿いに北上、第64歩兵連隊を援護しつつ北部の友軍集団との連絡路を確保する」

 

 現在扶桑陸軍は、配置の上ではフルン湖東部を占拠する怪異集団に対し北部と南部の戦力で包囲、西部進出を湖、東部への進出を河川という自然の要害で防いでいる状態だったが、北部と南部の部隊を結ぶ街道が抑えられ、分裂した状況となっていた。フルン湖西部を迂回すれば連絡は可能だが、長距離である事からタイムラグが生じ、今からでは労力に見合った意味は持たないだろうとされた。故に、高火力且つ機動力の高い部隊を以て街道を奪還、北部との連絡路を確保する事が優先されたのだ。

 

「君たちの部隊には主力に先行し敵情の収集、主力の戦闘参加後は戦車隊と連携しつつ怪異を叩いてくれ」

 

 無論、装甲トラックや戦闘車両を含め、十分な護衛もつける事を確約した。たかが1魔導歩兵中隊程度に大盤振る舞いである。

 

「それはありがたいですが、我々には主力と並び敵部隊を積極的に叩けということと理解して宜しいでしょうか」

「それでよろしい。先の戦闘については概要だけだが聞いている。悔しいが敵大型に対してこちらの戦車が役に立たない以上、君たちに任せるしかない。要望があれば言ってくれ」

 

 部隊運用については出来る限り自由裁量、装甲部隊による護衛付き、中々楽な仕事ではないか。臨時ではあるが話が分かる上官が得られるとは……。伏見は思いがけない幸運にほくそ笑む。得体の知れない試験部隊に期待してくれるような、酔狂な人間に恵まれるなんてそうは無い。

 しかし、ふと湧いて出た疑問があった。聞くべきか迷ったが、最悪自身の生命に関わる事であったので意を決した。

 

「ところで、第64歩兵連隊の山県連隊長は何方に……?」

「……自分の部隊で激を飛ばしてるかもしれないね。あれは新参の我々に対してあまり好い感情を抱いていないようだ」

 

 思わす溜息を着く。連携すべき歩兵部隊がそれというのは頭が痛くなる。伏見はそれでも最低限の礼儀として挨拶へ行ったが、頭痛を酷くする結果となった……。

 

 

「ーーって訳ですよ皆さん」

「まあ分かりました。心配してた補給は問題ないですし、こっちの整備も終わりそうです。元々歩兵なんて囮か動く盾程度にしか考えてませんし別に構いやしませんよ」

「堺少尉!そんな言い方……っ!」

「言い方以前の問題だ。堺、そのように考えているならば貴様を戦闘参加させる事を許可できない。理由は言うまでもないな?」

 

 一通りの挨拶回りを終え、隊員達に割り当てられた詰め所に戻ってブリーフィングを始めた矢先である。確実にこちらを下に見てきた味方部隊の責任者についても冷静に、無感情に伝えた筈である。まさか自分の部隊員が同種の人間だったとは、これは笑えない事態であった。

 

(責任感じるわね……)

 

 ただ、頼れる副隊長様は二の句も継げさず場を納めた。立場も危うい試験部隊隊長として、他部隊や上層部との交渉も含めた部隊運営に秀でているということで(過大評価と彼女自身は思っているが)この立場にあるが、直接戦闘の指揮にあたり、戦闘能力も高い齋藤は隊内の武闘派からの信頼も厚い。

 

「今回の事変において異種部隊による連携は怪異に対抗する上で最も要求される。それが出来ないというなら荷物をまとめてバルグまで歩いて帰れ」

「「………」」

 

 どうやら皆納得してくれたようである。堺もばつの悪そうな顔をしていた。確かに彼女の気持ちも分からないでも無い。自分たちは脅威度が増す対怪異の主力として発足した陸上魔導兵部隊の一員としての誇りがあり、その期待に応えるべく結果も出してきている。それが大陸領で予算だけ食いつぶして碌な戦果を挙げていない部隊に格下扱いされるとは、憤然やるかたなしといったところだろう……ただ、

 

(彼らも新参に大きな顔をしてほしくないのは理解しますけどね)

 

 現在の大陸領戦線では、魔導兵と連携した部隊が大きな戦果を挙げている。飛行型を魔女と連携して撃墜、空中からの地上支援での撃破報告もある。自分たちのように地上戦闘での戦果も存在し、フルンボイル市での防衛戦闘では地区担当の戦闘部隊と連携して市民の保護と敵の迎撃に努めていた。そんな中で個々に戦闘を行っていた部隊はかなりの被害を受け、それに見合う損害を敵に与えてはいない。このまま事変が我が方の勝利に終わったとしても、その後の扱いは知れたものである。

 

「隊長、ご指示を」

「ん、我々は部隊を二分し、一隊を本隊の護衛、もう一隊は戦車第4連隊隷下の魔導捜索中隊として先行します。双方とも移動用の装甲トラック、戦車をつけてくれるようだから負担は出来る限り抑えられる。後者は敵発見後は状況に応じて撃破、難しいようであれば本隊到着まで遅滞に努めます」

「最終目標は201号道の確保、我々の行動開始とともに北部からも別働隊が号道確保を開始します。先ずはこの部隊との合流、及び街道確保が目標です」

 

「質問は?」説明を終え、質問の有無を問う。出来れば答えられるときに訊いてほしいものであるが。

 

「隊長、状況に応じてとは、具体的にはどのように判断すれば宜しいのでしょうか」

「戦車1個中隊と2個魔導小隊、それで対応が可能と現場責任者である齋藤大尉が判断した場合です。仮に大尉が何らかの理由で指揮困難となった場合は、隊内規定に従って指揮権を委譲してください」

「それは……先行部隊の指揮権が我々にあると判断してよいのですね?」

「その判断で構いません」

 

 大盤振る舞いもいいところであろう。こんな小娘共によくもまあ其処まで預ける気になったものである。伏見は自身の幸運に口笛でも吹きたいくらい感謝していたが、齋藤以下の隊員達は自身の直属の上官の口車に乗せられた被害者が出たのかと誤解、これから顔を合わせる事になるだろう味方部隊長を思って心の中で合掌した。

 

 その後は細かい質問に二三答えた後、各自休憩に入った。彼女らが連絡を受けトラックに乗り込むまで1時間と無かったが、輸送隊や護衛の地上部隊、隣接する歩兵隊の隊員達との交流は、長距離行軍を続けてきた彼女達にとって束の間の安息となった。

 

 

 

 

 

⬛︎ ⬛︎ ⬛︎

 

 

 

横須賀軍港近傍 とある料亭にて

 

 

 夜の帳もおりた頃、送迎用の車両から半月に照らされる道端に降りる。迎えに出た女将に連れられ店に案内されると、ふと疑問がわいた。普段は海軍士官の賑わいが外にも漏れて出てくるほどだが、不思議と静謐が保たれている。

 

「勉強会を兼ねた宴会と聞いていたのですが……」

 

 航海科の顔見知りの士官から是非にと誘われた宴会、聞いたところ若手士官を中心とした勉強会らしい。大砲やから航空屋まで幅広い分野の人間が参加しているとの事なので、物は試しと足を運んでみたのだが……。

 

「こちらです。皆さんお待ちですよ」

「ありがとうございました」

 

 中から幾人かの話し声が聞こえる。虎穴に入る心で、出来る限り音を立てないように戸を滑らせる。部屋の光が外に漏れだし、暗闇に慣れた目に眩く突き刺さる。

中では第一種軍装に身を包んだ海軍士官らが酒を片手に談笑していた。適当な居場所はないものかと、おのぼりさんよろしく周りを見回していた時だった。

 

「おぉ、竹田君!そんなとこにいないでこっちにきなさい」

 

 寂しさと侘しさで心苦しくなっていた思考が引き戻される。声の方を向くと嘗ての上官、阿部勝昌海軍中佐が手を振っていた。既にずいぶんと酒が入っているようで、随分と顔を赤らめている。

 

「明日もお務めがありますでしょうに。程々になさってください」

「君は家内みたいな事を言うなぁ。わかったわかった……私の分も君が飲みなさい。ほれほれ」

「はぁ……」

 

 酒の肴は、幾つも並んでいたが手近にあった白身魚の梅肉和えをつまむことにした。吟醸系の扶桑酒の香りと、あっさりとした味付けの白身魚が程よく合う。濃い味があまり得意でない竹田にとってはベストな選択であった。

 

「ふぅ……」

 

赤身とは違い淡白な、シコシコとした食感が心地よい。決して赤身が嫌いという訳ではないのだが、やはり好みはどちらかに偏ってしまうようだった。肴をつまみ、酒を嗜む。一口ごとに一日の疲れが禊ぎ祓われていくような、体に良い事をしているような、そんな気分にさせてくれる。

 

 しかし、竹田は考える。果たしてこの宴は何を目的としているのか。自分のような一介の海軍少佐が真剣に悩むような大きな話ではないのだろうが、自分を誘った件の士官の顔も探してみたが見当たらない。ではなぜ自分はここにいるのだろう。何故、ここに呼ばれたのか彼には疑問であった。

 

「ところで阿部さん、詳しく聞いていないのですが、これはどういった集まりで?」

 

 聞いてみると、今海軍内部では政府や陸軍との結びつきを強め、政府の国際協調の方針のもとで海洋国家との連携を強化し、真の外洋海軍としての脱皮を目指す軍政派と、海軍の地位向上に努め、従来からの南洋から中東までの海上交通路防衛に加えて太平洋におけるリベリオンとの競争に打ち勝つべく、能力強化を進める艦隊派の二つに大別されているらしい。この集まりは前者のうちの小部会の勉強会であるという。

 なるほど、人事に疎い彼でも名前を聞いたことがある人物が幾人かーー。だが自分が呼ばれる理由にはならないだろう。

 

 酒を燃料に思考を巡らせていた、その時であった。

 

 

「もし、貴方は噂の竹田少佐でありますか?」

「噂については存じ上げませんが、確かに私が竹田です」

 

 おぉ、と声をかけた若い士官は勢いをつけた。周りも何やら騒がしくなる。

 

「巡洋艦『留萌』乗り組み時の活躍は聞き及んでおります。少佐の報告書は兵学校は勿論、海大でも取り上げられるほどなのですよ!」

「一航艦の山本閣下やGF参謀長の小沢参謀長と並んで、時の人であります」

 

熱弁痛み入るが、初耳である。

 

「過分な評価を戴いていると、恐縮するあまりですよ」

「いやいや……今次の事変に先立ち、怪異の大量発生をほぼ予見していたとのことではありませんか。その先見の明、緊急時の冷静な判断、我々にとっては雲の上のお人だ」

 

 酒が入っているせいか皆饒舌である。これが赤の他人のことであれば笑って参加するのだが、自分のこととなると話は全く異なる。助けを求めようにも、頼れる上官はとっくにつぶれていた。

 

「少佐!是非われわれに武勇伝を!」

「おぉ!なんだなんだわしの武勇伝を聞きたいか?あれはだなぁーー」

「貴様の武功など聞き飽きたわ。酒が不味くなるわい」

「あぁん?ーー貴様、表に出ろ」

「わしはいま酒を呑んどる。独り相撲なら勝手にとっておれ」

 

 やいのやいのとせっつく輩と、さすがにまずいと取り押さえにかかる正気を保った笊達。既に取っ組み合いが始まっているが、店の品には傷がつかないよう配慮しているのか、なんとも滑稽である。

 そんな騒ぎに乗じて宴会を抜け出した自分こそ、最も滑稽と言えるかもしれないが……。

 

 

「もしーー」

「っ!?……はい?」

 

 

 宴から離れて人気も少ない場所だった。誰もいないと思っていた矢先に暗闇で声をかけられることほど心臓に悪いものはない。心なしか応答もぎこちなくなってしまった。

 

「そんなに怯えないでくれ。取って食おうというわけじゃないんだ」

 

 男は自らを有馬と名乗った。階級は大佐、海軍省教育局に勤めているようだったが、前職はインド方面艦隊司令部だったそうで、日に焼けた肌が海の男の艦隊勤務を思わせた。扶桑海軍におけるインド方面艦隊といえば出世コースの代表格である、現職が左遷させられたものでないとするならばーー

 

「先ほどは失礼いたしました。御公明はかねがね……」

「今暫くは勉強してろということでね。次はどこに回されるかわからないよ」

 

 恐らくは艦長職であろうことは想像に難くない。まさにエリート街道まっしぐらといったところか。順当に実績を積んでキャリアを歩んでいる有馬に、尊敬とともに少しばかり嫉妬の念を抱いてしまう。

 

「ところで、どのような御用件で」

 

ああ、と彼は、はっとして応えた。

 

「うちの方でも話題の若手士官がこちらに来ているという話でね。宴会ついでにどんな奴かと思って」

「どうでした?と訊くのは自惚れでしょうか」

 

そうかもな、と彼は前置きした。

 

「君の報告書や提言は見せてもらった。正直に言ってよくできている。だが、実際に君を前にすると何とも言えない違和感があってね。そうーー」

 

 

彼はしばし考えたのち、言葉に納得していないかのようにゆっくりと、

 

 

「文体から見る君と、実際の君とでは全く別の人間であるようだ」

「………」

 

 

暫しの沈黙。

有馬は真剣な顔を崩して苦笑した。

 

「言葉で表現し難くてね。陳腐な形になって申し訳なかった、忘れてくれ」

「はぁ、左様で」

「本題はこれでねーー」

 

そう言うと彼は、肩から下げた古めかしい鞄から一つの茶封筒を取り出して渡した。封を開けると中には便箋が一つ、有馬が視線で催促するので慌てて目を通した。

 

「読んだか?」

「はい」

 

答えを聞くや否や奪い取るように便箋を封筒に入れ戻し、鞄に収めてしまった。まるで、この場の人間以外に見せてはならないもののように。

 

「見せたらすぐに処分しろと言われていてね。私も内容は知らないんだが……」

 

 実に興味深げに有馬は言った。ただ、竹田は確信する。今、目を通した一文たりとも目の前の人間に話してはならないことを、話しても意味はないことを知っていたからである。

 申し訳ないが、と枕を置いて処分をするよう頼んだ。つい先ほど知り合ったばかりの彼ではあるが、上官からの指示を違えて私欲に走るほど浅い男でもないことは判った。有馬もまたそれを了承する。

 

「今の海軍は事変が始まってからきな臭い動きが多い。君も気をつけるといいよ。ではまた」

 

一言言い置くと、役目を終えたらしい有馬は踵を返して暗闇に消えていった。

 

 成る程、と竹田は思案する。元来、近代扶桑皇国軍にとって第一は海軍であり、その存在は絶対であった。だが、その巨体ゆえに内部では様々な派閥が争って足の引っ張り合いをしているのが実情だ。竹田自身は特にどこか特定の閥に所属しているつもりはないが、出自ゆえに砲雷畑であることは確かであり、先の評価を聞くと航空閥からの覚えも悪くはないらしい。何れは身を落ち着かせる必要はでてくるが、

 

「今の時期は難しいですね」

 

 事変の発生によって海軍の立場が揺らいでいるのだ。今の海軍軍人にとって第一の敵は怪異ではない、大陸の守護神として活躍し、せっかくの獲物を独占する扶桑陸軍であるのだ。派閥の争い以前に、宿敵たる陸軍の増長を許してはならないという意識のもと、海軍としての権利の維持を画策している。今の陸軍は予想以上に巧くやりすぎているということなのだろう。もはや海軍内の派閥など二の次である。

 

 しかし、竹田は先ほどの便箋の送り主の名を考える。この時勢にあって、一般的な海軍軍人とはことなる前提を持ち、思考し、行動する者たちがいる。陸軍の予想外の活躍もそれによるところがあるのだろう。しかし、

 

(確実に山はくる……)

 

 避けられない未来、大陸の怪異を束ねる敵の巣は必ず扶桑海を越えてくる。いくら大陸の戦力を充実させようと、未だ二つある敵集団の片方に注力せねば戦線が崩壊するような状況では、山の撃破など望むべくも無い。遠からず零における最終決戦、扶桑海海戦へと向かう。

 今海軍には、それを確実の未来とした前提条件をもって動く集団がいるのだ。自分もまた、先を観れる人間の一人として、この世界に生きる人間の義務として、役目を果たさなければならない。

 

 扶桑皇国海軍第2艦隊ーー扶桑海事変の最終決戦において、堀井海軍大将始めとした海軍一派の密命を受けて、山撃破のため極秘行動を取っていた艦隊。最新鋭の紀伊型が揃った海軍期待の水上打撃艦隊である。恐らく、堀井らの目論見が原作通りに行く可能性は低くなっている。自分がよく知る第2艦隊の司令部が、あのような作戦に乗るかと問われれば甚だ疑問であるが、しかしーー

 

(私という予定外のファクター、上手くやればウィッチ達の損害を減らすことも……)

 

 あの戦闘で負傷し、前線を退くウィッチは多い。私はなぜ今、軍人となったのか?原作のような甚大な損害を知っているが故に、それを救う一助となればとの義務感からである。無知を装い、諾々と流れに身を委ねることに無責任と感じたからである。

 無力のままではいけない。竹田は未だ確固たる所属がない故に後ろ盾も心許ない。政治的に立ち回るためにコネクションは必要であろう。

 

 冬の月夜に、風の音が叩く音が寒々しさを奏でている。人との付き合いは嫌いではないが、やはり打算で付き合うのとは別である。一人暗鬱たる気分であった。

 

 

「あ!竹田少佐こんなところに!」

「こっち来て飲みましょうよ〜。少佐のお話聞かせてくださぁーい」

「zzz……」

 

 

 扉が開いて中の喧騒と光が竹田がいる通路まで射してきた。自分の真面目な思案など吹き飛ばすような声に、思わず苦笑してしまう。

 

「あい承ります。私でよければ、不肖竹田、今宵は弁を振るいましょう!」

 

 取り敢えずは、身近にいる人間から親睦を深めるといたしましょう。

 

 




次回、「コ号作戦」、作者の都合で遅れます
すでに遅れていると思った貴方は正しい

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