蒼光を仰いで   作:試製橘花

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第十一話 「光明を求めて」

 暖気運転中の航空機が整然と並ぶエプロン、早朝でまだ暗闇の残る基地にあって深夜から光を灯していた管制塔、中では未だ整備をしているのであろうハンガーから漏れる光は、今が戦時であるのだと実感させられる。

 

「よぉ山城、こんな時間にどうした。休むことも仕事のうちだぞ」

「佐久間少佐……。いえ、特にどうしたということも無いのですが……」

 

 一寸散歩したい気分で、と言う言葉を済んでのところで飲み込んだ。佐久間の顔が見るからにこちらを心配しているようだったからだ。

 

「なら尚更だ。そんな様子で前線に出てこられても、護衛されるこっち(爆撃屋)が困るんだ。まぁ精々、そっちの飛行隊長殿に一発ぶん殴られることだな」

 

 そう笑った佐久間は、手を振りながら彼の愛機が納まるハンガーへと戻っていった。

 

「副長」

「ん?……天田か」

 

 呼び止める声に振り向くと、そこには山城の僚機を務める天田陸軍中尉が立っていた。

 

「隊長がお呼びです。さて、殴られに行きましょう」

「天田……盗み聞きは趣味が悪いぞ」

「強いて言うなれば拾い聞きです。加えて言えば、私からすれば副長はいつもどおりではないかと」

「そうか……では、行こうか」

「はい……おや」

「ん?」

 

 何かに気付いたような声に目を向ける。丁度ハンガーの扉が開き、中から機体がゆっくりと進みだしている。それは先程、山城に声を掛けてきた佐久間が所属する爆撃隊の重爆だった。

 

「九六重爆か」

「……のようですね。そして我々の護衛対象です」

「またか」

 

 九六式重爆撃機、扶桑陸軍が海軍の陸上攻撃機開発に相乗りする形で開発された重爆撃機である。1500馬力級の発動機を双発に、空力的に洗練された形状の機体は遠目で見ても流麗さと力強さを感じさせる。長大な航続距離、旧来の機体から大幅に向上した防弾性能、そして何よりもその設計に際し最重要とされた高速力は事実上、最新鋭の九七式戦闘機でしか護衛不可能ということで数が揃っていない事もあり問題となっている。

 尤も、九七式戦自体も数があまり揃っているとは言いがたいため、少数配備の両機は纏まった数が揃うまではペアで運用されることとなった。司令部直轄の独立飛行戦隊が中心となっていたのも、優秀な勤務者が多いために新鋭機への機種転換が早期に済ませられることもそうだが、そもそもの規模が小さく扱い易いという点にあった。

 つまりは山城達にとっては見慣れた(見飽きた)機体ということにもなる。

 

 

「次は一体どこに落とすのやら」

「さぁ、そこまでは。しかし部隊の移動も終わり、反攻に転じるのも時間の問題だと部内では専らの噂です」

 

 

 居並ぶ九七式戦の数も随分と増えてきたように思う。制式化後もこちら(大陸)で運用する中で、技官が資料収集に奔走しては小改良を加えられてきた。重爆隊の護衛任務に対応できるように航続性能は強化され、足りない分は増槽で補っている。機体形状こそ大きな変化は無いが、中身は当初とは様相を異にする。

 

「扱い易くなっては扱い難くなり……何度繰り返すんだか」

「如何致しました?」

「モノの進歩に呆れてるだけさ。ヒトはそう賢くなってないのに、何でそこから生まれる兵器は進むんだろうな」

「その時々の賢さの問題ではないということでは?」

 

さして興味もなさそうに言うのだった。彼にとっては本当にどうでもいいことなのだろう。山城もそれ以上は追求しなかった。そうこうしている内に目的の部屋についてしまったということもあったが。

 

 入室の許可を得た後に部屋へと入ると、隊長以下小隊長までが揃っており、自分が殿であったと気付いた。

 

「よし、揃ったな。では始めよう」

 

 全員の集合を確認したのか次の作戦についての打ち合わせを始めるようだった。山城はいそいそと自身に宛がわれているであろう空席に腰を下ろそうとしたとき、意外な人物を部屋に見た。

 

(あれは……大室少尉か?)

 

 

 疑問符をつけるまでもなくそれは貴重な航空魔導偵察兵、大室その人であった。本来彼女は航空ウィッチの試験的な部隊運用の資料が十分に得られた段階で任を解かれ、別の任地に移る予定であった。しかしこの大陸情勢の急変に伴い現地の情報収集能力強化のために留任、後方より航空ウィッチを増派し一個分隊を編成している。

 その結果、この航空基地に展開する部隊は山城達が属する独立飛行第10中隊(戦闘・偵察)、独立飛行第3中隊(重爆)と実に多彩な戦力を揃えていた。主な任務も敵勢力圏に侵入しての情報収集から地上部隊への支援爆撃まで多種にわたり、その名の通り独立した作戦行動をとることが可能であった。その中でも状況が混沌とし、情報が錯綜している現状で高い生残性と偵察能力を有する大室のような航空ウィッチは貴重な戦力だ。

 

 

「作戦は第3中隊と協働であたる。主な目標は海拉爾に接近中の敵大規模地上兵力の撃滅だ。現地地上集団が迎撃にあたっているが、撤退戦の影響で防衛戦力が心許ない。我々は敵地上集団右翼から侵入し、敵陣形に穴をあける。現地には大規模な航空戦力も確認されている。各機は十分に注意すること」

 

「隊長、敵航空戦力の詳細は?」

 

 当然の疑問だった。今迄は護衛といっても対象機の周辺を警戒するか、時折出現する小型怪異に対処することが常であった。作戦前に強く注意を促されたことはなかった

 

「現地部隊の報告によれば中型3を基幹とした一個飛行戦隊規模だ。現状の戦力では不足するため、後方から急行中の味方戦闘部隊とも協同する。ウィッチ隊は先行して敵部隊の状況を報告するよう要請された」

「了解!」

 

 元気のいい声が部屋に響く。自分ですら不安を感じるこの状況で出るその明るさは、死への恐怖を必死に隠そうとしているように見えてならなかった。でなければ相当の馬鹿なのか。

 

「各自、質問が無いならば空中勤務者は各々格納庫に集合、出撃時刻まで機体の点検に加わるとともに出来る限り体を休めること。―――以上!」

 

 配布された資料に粗方眼を通すと席を立つ。今まで続けてきた後退の流れが変わりつつあるように空気が変わりつつある。その事に緊張感は高まり、手探り感の拭えない展開の中で不安の雲が育っていた。

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

『二番機、山城!付いてきてるな』

「こちら山城、通信感度良好、機体に異常ありません」

 

 40機を超える機体で構成された編隊は、空路ハイラル南西部へと翼をきらめかせつつ、自慢のエンジンをけたたましく動かしていた。機上無線通信機の信頼性が日に日に向上しているのは、搭乗員達にも実感できるほどだった。今回はそこまで大規模というほどではないが、より高度な編隊行動を維持するためには無線機の能力向上は時代の要求とも言える。

 

『山城、お前は天田、間野をつれて先行する大室の援護に付いてくれ。敵は該当空域で三つの集団に分かれているが、南の集団については新バルグ方面からの部隊が担当する、我々は北と北西の集団にあたる。お前達は主力と見られる中型を叩け』

「了解!」

 

 機体速度を速め、編隊の先頭で警戒に当たっていた大室に合流する。すぐに僚機の2機も合流する。飛行隊の機体は徐々に山城達と同じ九七式戦に更新されつつあるが、練度の面で満足いくチームはまだ少ない。その上で山城達は練度の面でも問題なく、大室との個人的な交流も多いという点で選抜されたのだ。

 自身の力が認められたということで誇らしい反面、一抹の不安も拭えない。本来ならば部隊の機体は全て97式戦で充足されていた筈だったが、情勢の急激な変化もあり、満足に代替が進んでいるとは言えない状況だ。今回は97式戦の班が先行し、主力を叩くとともに陣形に穴をあけ、その後に旧式機からなる班が残敵を掃討することになっている。

 

「俺たちがしくじったら後続の被害は甚大だな……」

 

 操縦桿を握る拳に力を込める。緊張感からか汗ばんでいるが、既に気持ち悪さなど感じる余裕はなくしていた。

 

『山し…た…い!聞こ…えます…!』

「こちら山城機、聞こえている。何か』

 

 風防の向こう側でマイクに向かって叫んでいる大室少尉が見える。どうやらマイクに風が入ってうまく音声をとれていないようだ。ウィッチはユニット装着時に身体強化のなかで、魔法でシールドを展開することで大きな空気抵抗に対処しているそうだが、さすがに限界はあるようだった。

 

(ハンドサインで送るにも限界があるが、まあ仕方が無いな)

 

 出来る限り手信号で意思疎通を図るよう伝えると彼女もすぐに理解したようだ。

 

「南南西、距離5000、雲の陰に中型1か……」

『怪異にも哨戒の概念があるんだろう。相手の情報共有についての情報が少ないが、あまりこちらの手の内をさらしたくない。山城、排除しろ』

「了解」

 

 スロットルを操作し増速する。小型の怪異であれば九七式戦の7.7ミリでも十分に効果があるが、中型には心許ない。

 だが山城達には切り札とも言える新兵器があった。九六式対空噴進弾—ー扶桑陸軍が、高性能化するオラーシャ軍爆撃機への対処能力を向上させる為に開発した対空ロケット弾である。命中精度はお世辞にも高いとは言えないが、一発でも当たれば確実に撃破可能な高い火力と機銃よりも長い射程は、戦術に幅を持たせていた。それが翼下に8発懸架されている。対怪異用として航空機関砲の威力不足が叫ばれる中では、扶桑陸軍航空隊を怪異に対して最低限の戦力と成さしめていた。

 

(上方から一撃離脱……早めに済ますにはそれしかない)

 

 大室に対象怪異以外に敵性対象があるかを確認すると、彼女はしばし周りを見回した後に手振りで「確認できず」と返した。

 

「全機、これより前方の中型機を可及的速やかに撃破する。俺が先に行って噴進弾を叩き込むから、お前達は後詰めを頼む」

『了解』

「大室、奴の注意を出来ればこちらから逸らしたい。シールドを張れて、この中で最も速いお前に奴の注意を引いてもらいたい。……やってくれるか」

 

 山城の問いかけにも似た命令に、大室は首肯して応えた。見ると怪異は随分と近くなっている。あれこれ策を巡らす時間はない。

 

「行くぞ……!」

 

 大室はさらに加速して怪異に対し上方から浅い角度で突撃する。それとは別に山城達は高度を維持しつつ、緩いカーブを描くように接近する。大室が怪異を通り過ぎた直後に上方から攻撃を仕掛ける腹づもりだった。

 

『大室、お前が奴を通過したすぐ後にこちらも突入する。射線に入らないよう注意しろ!攻撃は考えず、回避と防御に専念するんだ!』

 

 風の音が酷いことを解った上で大声を出してくれているだろうことに感謝しつつ、大室は手振りで了解の意を伝える。

 ちらりと手に持つ九六式軽機関銃を見やる。恐らくこの豆鉄砲では大した傷を負わせられないだろうし、偵察畑でやってきた自分にとって、回避と防御に専念するのは専売特許だ。同期の魔女と比べて射撃の腕は劣っていたが、殊回避に関しては誰にも負けない自信がある。

 

(ここにきて山城少佐達に付き合ってもらって、効果的なシールド展開も研究した……いける筈!)

 

 覚悟を決めた直後、怪異から大室めがけて実体弾が飛び込んできた。

 

「くっ!!」

 

 彼我の距離はまだ離れている。臆することは無かった。速度はそのままに、一旦降下を抑え、怪異のやや上方を維持するように接近を続ける。近づけば近づくほどに怪異の射撃密度は高くなり、その攻撃の間隔も狭まっていく。

 恐怖心を抑え、九六式を構える。既にこちらの存在に気づいた怪異、三角形を組み合わせたような形状のそれは、太陽光を銀色の体に反射させながらゆっくりとその姿勢をこちらに傾けつつある。上方の九七式戦に気づいた様子は無い。

 

「当たれ……ッ!」

 

 引き金を引く。反動とともに撃ち出される6.5㎜弾が怪異めがけて飛んでいく。当たれと祈りはしたものの、大して狙いは付けていない。それでも数発が怪異上部に傷を付けた。

 被弾に反応したのか、怪異は速度を上げるとともに攻撃の激しさを増した。大室はそれに怪異の怒り、または怯えのようなものを感じたが、迫りくる弾丸の嵐に臆すること無く突き進んだ。

 

 彼我の距離は1000を切っていた。

 

 怪異は大室に正対するような姿勢をとっている。上部と下部の機銃(便宜上こう表現する)の全てが大室に向けられていることになる。無論、その弾幕の密度も高くなるが、大室は適切な回避と最小限のシールド展開で対処していた。

 彼女の本来職種である偵察任務、その中で培われた対象への観察能力と、敵追撃機を振り切り帰還する生残性は大陸に来てから飛躍的に向上したシールドの能力も相俟って、怪異の攻撃を捌ききることを成功させていた。元来追撃されるケースが多い偵察とは違い、ヘッドオンであれば攻撃のタイミングもつかみ易い上に、彼女の眼を持ってすれば射線を把握することも可能だった。繰り返される訓練と、ここに来ての実戦によって恐怖心を抑えることにも慣れているならば、

 

「いける筈です!」

 

 彼我の距離は500を切っている。既に怪異よりも下方に位置し、怪異の下部に潜り込むようなコースをとりつつある。怪異もそれに対して上向きに傾いた姿勢を急いで修正しているが、その動作の為に本来の飛行速度が著しく低下している。

 

 彼我の距離は300を切った。近づくほどに人間と比してその巨体がよくわかる。中型と言えど自分たちの航空機とは一線を画す形状から、距離感が狂ってしまいそうになる。

 

「いける……このまま」

 

 シールドに当たる敵弾の衝撃が徐々に強くなっていく感じがする。目の前の怪異が、自分だけを意識していることに安堵しつつ、恐怖する。それと同時に、戦っているのは自分だけではないということに心を落ち着かせていた。彼我の距離は既に至近と言っていいほどだ。

 

「山城大尉、敵通過………今です!!」

 

 

 怪異の下部をなぞるように通過する、偵察用魔導脚のフルスピードを発揮しての空中交差。眼前を走る怪異の巨体が彼我の相対速度と距離を、その圧力とともに実感させる。大室が直下を通り抜けた直後、怪異もまた彼女を追う為に急制動し向き直ろうと体を傾けた、その時だった。

 

 上空から噴進弾が数条の光となって怪異に降り注いだのだ。放たれた8発のうち命中したのは5発。優位な位置と絶好のタイミングでの近距離射撃は、命中率に難がある噴進弾にその高火力を披露する絶好の機会を与えた。続けとばかりに撃ち込まれる機銃によって、怪異の体は見る見るうちに崩壊していく。既に原型はとどめておらず、あとは墜落するまでの時間が短くなるかどうかといった体だった。

 

『よし、天田、間野、そこまでだ。敵機の撃破を確認。編隊を再構築し本体に合流する、大室機、こちらを確認できるか?』

 

 速度を緩めたからか、たまたま電波がいいのか、通信機は比較的明瞭な音声を大室に届けている。山城の声に反応して視線を怪異から山城達へと向けた。

 

「はい!確認しました!」

『よし、これから本隊に合流する、大室少尉もこちらについてくれ』

『よかったら俺の翼に掴まっていくかい?』

『間野さん、そういうの今はいいです』

 

 中型をしとめた故か皆気が緩んでいるようだった。

 

「もう、皆さん!子供扱いしないでください!」

 

 笑いながら応えた少女は、素早く三角形の編隊を組んだ山城達へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

■  ■  ■

 

扶桑皇国大陸領 大興安嶺地区

 

 

 北方の守りとして、北西部からくる怪異に対しての防波堤として、事が落ち着けば反攻の先兵たれと配備されていた扶桑皇国陸軍部隊1個師団あまり。ここよりもさらに西方に位置する漠河に展開していた2個大隊からの連絡が途絶えた事により、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 

「山の動きはまだ掴めないか!」

「漠河との通信はすべて途絶しています。連絡のために派遣した部隊からの連絡も、今朝の報告を最後に途絶えました……」

「司令部からは何か?」

「西部の敵集団攻略で手一杯で、こちらに回せる予備兵力は無いと」

 

 半ば見捨てられたような状況。まだ怪異の本隊が本格攻勢に出たと断定はできない。だが、長い年月を軍に捧げてきた一人として、迫り来る嵐の予兆のような何かを感じずにはいられなかった。

 彼は功を逸る人間ではない。血の気が多いわけでもなく決してウォーモンガーではない。信に篤く聡明で、上司の覚えも良い。彼が今ここにいるのは彼の意思ではなく、さらに上部の組織間での交渉における妥協の産物にすぎない。そんなことを知る由も無い彼は、ただ自分に与えられた責務を果たすべく身を粉にして状況の把握に努めていた。

 

 西部とは違い、山が連なる北部地域においては、良好な通信など元より望めない。自動車化が進んだとはいえ、道路の整備が遅れているせいで効果は限定的。地域間の移動にも長時間を要する。専用の航空部隊でもあればまた違うだろうが、贅沢にもほどがあった。それを不備というのは彼らにとってあまりにも酷だが、この混乱は彼らにとって取り得る最良の選択と、機材よりも貴重な時間という資源を致命的なまでに食い潰した。

 

「師団長閣下!派遣した偵察部隊が帰還しました!」

「すぐに報告を受けたい。指揮所に通せ」

 

待ち望んだ情報。暗闇の中で不安に身を包みながら、一歩一歩を地に足をつけて恐る恐る進んでいた中で、一筋の光明となりえるかもしれない。帰還した偵察隊の被害は大きく、生還したものの多くも治療が必要なものばかり、まともな受け答えができる人間は片手で足りるほどだった。

 

「帰った途端ですまないが、事は急を要する」

「はい」

 

 彼によると、部隊は漠河に到着するかなり前方で、漠河駐屯支援部隊の一部とみられる車両の残骸と隊員を確認。残念ながら生存者の確認ができず、詳細は得られなかったものの、状況から推測して既に漠河は放棄されたものと判断。できる限りの写真を撮影した後に帰還を決断したものの、その道中で怪異の斥候と思しき小集団と遭遇、甚大なる被害を受けつつも偵察情報とともに部隊の一部を帰還させることに成功したという。

 それなりの規模の部隊が駐屯していた漠河が、通信すら出来ないほど短時間で陥落したことに、指揮所に衝撃が走った。直ぐさまチチハルの司令部に報告するとともに、自分たちの進退を決める必要が出てきた。

 

指揮を預かる男は、危険を承知で一層の情報収集を命じ、敵集団発見の際は持てる戦力の全てを持って遅滞戦闘に努めるつもりだった。こことは別の敵集団の壊滅に乗り出している司令部から、いつ増援が到着するかはわからない。否、送るかどうかもわからない。自分がチチハルの司令部にいたならば、北部の戦力で敵本隊を拘束する間に西部集団を攻略し、その戦力を北進させるだろう。

 

「あぁ……」

 

 最悪の想定をしたのち、僅かに死人のような顔をした彼は、すぐに活路を見つけるべく動きだす。後方の司令部への増援要請、それは彼らの最後の交信となった。

 

 

 

■  ■  ■

 

 

「Это дерьмо!(あの糞野郎!)」

 

 

 オラーシャ極東にあってアムール川を挟んで扶桑と国境を接する街、ブラゴヴェシチェンスク。その市長たるヴァーツラフ・ブルツェワは焦っていた。それもその筈、早朝に叩き起こされたと思うと、行政府があるノヴォシビルスクから東方(ここから見れば西方に当たるが)にて大規模な怪異が発生したとの報を受ける。それだけならまだ対岸の火事と言えるだろう。全ては扶桑軍が勝手に対処すれば言いだけの話だ。仮に押されているのだとしても、後方からこのブラゴヴェシチェンスクへと戦力を移動させるだけの時間は稼げるだろう。

 

 彼は白人至上主義ではない。この地域にて大国オラーシャと真っ当に対立し、中東地域にてブリタニアと武を交えるとともに強固な同盟へと発展させた世界2大海洋国家の片翼にして極東地域随一の大国、扶桑皇国をどうして下に見ることが出来ようか。陸軍国家としてリベリオンやカールスラントとならび称されるオラーシャより上位とはいえないだろうが、少なくとも侮れない相手だと思っている。

 

 だが所詮は他国。他国内で生じた問題は自己で対応べきであり、それが天災地変のものであり、自己になんら責がないとしても、対処はなるたけ自己で済ますべきなのだ。他国に頼らず、国土を開拓し、この世界でも有数の大国であるオラーシャ人として常にそうあらんと彼は思っていた。だが……

 

 

「怪異共め……っ!」

 

 

 おかしいとは思っていた。隣接する黒河市からは続々と輸送車両が吐き出され、人が流れ出ていると駐屯部隊から報告があったのは行政府から注意喚起があった2時間後、市の放棄が宣言されたのがその1時間後、そしてこのブラゴヴェシチェンスクに扶桑軍から怪異接近の勧告があったのがつい先程。ちなみにブラゴヴェシチェンスクに到着したオラーシャ軍は旧アムール・コサック軍を含めて一個大隊に満たない規模であり、師団規模で怪異に対処するも優勢とはいえない扶桑の状況を見るに、怪異による町の蹂躙はほぼ確定した未来だった。

 

「扶桑大陸北部の市民はチチハルへ退避するとのことです。扶桑軍はこの後、地上部隊のチチハル方面への輸送の余裕を活かして、我が市民のチチハルへの避難を支援する用意があると伝えてきています」

「みすみす奴らに町を明け渡せと?」

「到着した部隊の指揮官も現状ではとても守り切れないと……」

 

 既に行政府からの注意勧告の後に、住民にも注意を促すとともに非難の用意を勧めているが、この情況が好転する兆しがない以上、速やかに避難を決断するべきだろう。最悪の場合は扶桑軍にも頼ることになる可能性すらある。

 

「扶桑軍はチチハルへ移動するのだったな?」

 

 焦りの中でも出来る限り平静を装いつつ部下を問いただす。

 

「はい…しかし、チチハルから近いオラーシャの都市はありません。正直に申しまして鉄道路線を使ってハバロフスクへ退避するのが現実的なのですが」

「輸送の余裕は?いや、そもそも鉄道は機能しているのか?」

「何度も試しているのですが、未だに連絡がつかず……」

「本国からくる増援、いや正確にはそれを運ぶ車両を待ちたいところだったが……」

「命あってこそです。駐留する部隊には積荷の方を補給物資として支援するほかないでしょう。もう町では使えません」

 

 出来る事ならば、有る程度の家財道具なども持っていきたいというのが本音だ。しかし輸送量には限りがある。現実的に見てあまり多くは望めそうになかった。

 

「仕様が無い。一応、行政府に伝えておけ、『我々は扶桑軍の支援を受けチチハルへ避難する』とな。尤も、連絡が断絶した今、ここはもう陥落した事になっているかもしれんが」

「扶桑軍の輸送能力では全市民の退避は不可能ですが、女子供を優先するとして残りはどうしましょう」

「車両を使っての長距離移動は危険を伴う。輸送船や遊覧船をあるだけ使ってハバロフスクまで川を下ろう」

「では、急ぎ皆に伝えます」

「頼んだぞ」

 

 小走りで退室した部下を見送ると、机に置かれた電話機を手に取る。彼もまた、仕事が山積しているのだから。考えたくは無いが、国境近くのオラーシャ領はどこもこういった状況なのだろうか。行政府からの最後の連絡も、かなり切羽詰っているのか普段の上から目線に拍車がかかっていた。

 今回の怪異は確かに大規模だ。しかし、弱体とは決していえない扶桑陸軍がこうまでもやられるのだろうか?軍事に余り詳しくない身でも、国境の街の市長としてその存在と脅威は確かに感じてきていた。

 得体の知れない不気味さに、底知れぬ不安を感じるが、状況は切迫している。既に街は恐怖と不安で満ち満ちており、生きるために皆が焦っている。彼は市長としてモラルブレイクを防ぐと共に、一人でも多くの人命を安全圏へ移動できるよう力を尽くさねばならなかった。

 

「妻にはなんと伝えたものかな……」

 

 窓から差し込む夕日が紅い。ふと外を見ると街の光があちらこちらに見て取れる。古くからアムール川を前にした美しい要塞都市として有名だったブラゴヴェシチェンスク、こんな状況でもなければ思い出に浸りながら酒でも飲みたいものだが……。生憎と彼の心にそんな余裕はない。もはや逃亡者のそれである。現実に意識を向けると共に彼は彼の戦場に戻っていった。

 こうした光景はこのに限らず、扶桑との国境近く全ての地域で見られた。

 

 

この時点で既に、この事変は扶桑皇国の国内問題から、極東地域の問題へと拡大、深刻化していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 扶桑はその大陸領西部にて発生した怪異に対して、大雑把ではあるものの予測された発生ポイント周辺からの戦略的後退を開始、当初戦力の大部分と多くの民間人の避難に成功している。大陸領北部方面の司令部はチチハルに置かれ、そこから周辺の戦闘地域に対し戦力の供給等が行われている状態である。加えて同地は北部方面に於ける最終防衛線でもあり、強固な防衛網が構築され、有力な戦力が展開している。軍が描いた戦略の第一段階は「戦略的撤退による資源の保全」であり、それについては前線より多くを後方に避難出来ている事から成功していると言える。

 荒漠地帯に流れつつあった怪異も、本土から抽出した部隊によって辛うじて封じ込める事が出来ていた。

 大陸領と本土を結ぶ海上交通路は、扶桑皇国海軍海上護衛艦隊が、北方と太平洋で睨みを利かせるために展開している連合艦隊に代わって、その名通りの任務を遂行していた。

 

 そして次の目標は「敵勢力のオラーシャ方面への誘導」であった。基本計画を策定した武末含む統制派はこの事変に関し、自軍のみで対処することに悲観的だった。過去に大陸にて発生したとされる怪異は、今の荒漠地帯にあった文明を消滅させるまでに至ったとされ、一次大戦での多大な被害も記憶に残る中、扶桑一国がその被害を受けること、扶桑一国で怪異に対抗することの困難さは、彼らが悲観的な予測を立てるに十分だった。南洋島と大陸領に資源調達の多くを頼る今の体制が崩れてしまうのだから。故に彼らは国際問題化することによるリスクを認めながらも、他国をこの問題に絡ませることを決断したのだ。

 

 案の定というか、この騒ぎに乗じて大陸領に大群を移動させつつあるオラーシャ軍を強引に舞台に上げる。批評ならば結構だが、自分勝手に脚本に入られてはたまったものではない。ならば最初から彼らという役者込みで脚本と演出を考えるが得策――。地域大国として、彼らはこの時点では自国本位によるビジョンを持って外交と軍事戦略を組み立てていた。

 

「今のところ上手く言っているようだが、我々という異分子の登場で大きな流れが狂ったりはしないだろうな?」

「我らがここにいる時点で、新しい流れができているのだよ。……ああ、そうだ、“世界の修正力”だったかな。よく妄想していたものだ。だがね、一ノ瀬――」

 

 神宮寺は一呼吸おいて言った。

 

「そもそも小説とアニメ等で設定に差異が生じていた世界だ。そもそも何を基にしているかも不明なのだよ。我々は大まかな流れに沿って動いているが、この世界が本当に『ストライクウィッチーズ』の世界なのかも、まだ確定していないのだ」

 

 一ノ瀬と神宮寺、海軍の中でもそれなりに名の知られている二人がこうして揃っているのには理由がある。予測されていた(多くの人間にとって半信半疑ではあったが)大陸での怪異発生によって海軍の整備計画に修正が迫られているのだ。一ノ瀬達としては今回の事変を予測した実績と、今後の予想を盾に軍内の賛同者と共に自分達の案を押し通すつもりだった。

 

「総じて今回の事変を予測した功績は大きい。武末の陸軍大臣入りもほぼ確定だそうだ」

「では君も時機に海軍大臣といったところかね。全く……友人がさらに遠くへ行ってしまうな」

 

 一ノ瀬は苦笑する。目の前の男に出世欲なんてものがないことをとっくに知っているからだ。日がな趣味のような仕事ばかりのこの男が出世に真剣だったのは、艦の主任設計官を任されるまでだった。それを聞いた時には笑いと共に納得してしまったのだ。

 

「ククッ……、だが貴様も時機を見て昇進だろう。貴様のような男を野放しにしておくのは心臓に悪いからな。これから忙しくなるのだろう?」

「個人的にも組織的にも命を懸けているのだよ。あの娘はこの世界でも深窓の令嬢とはいかないようだからね。なるべく良いドレスを仕立てたいと思うのは親の常だよ」

 

 嬉しそうに微笑みながらそう言う神宮寺の顔は、言葉通り父親のような表情であった。彼の属する艦政本部は、ここのところ新型艦艇の設計や研究等で休まる暇が無いという(尚、これは程度の差こそあれ、どの部署も同じである)。だが、仕事の中に楽しみを見つけた彼らはまだ恵まれている方だろう。

 

「まあいい。戦況については心配するな。それに今頃、外交畑が慌しく動いているだろうが大きな問題は生じていないはずだ。尤も、熊さんは少々荒れそうだがな。その辺りは専門家に任せよう」

「全く同感だ。……むっ、もうこんな時間か。では私も戻らせてもらう。精々予算折衝に骨を折ってくれたまえ」

「わかった」

 

 二人は玄関口の方まで共に歩くと、別々の方向へと向かう。時は逢魔が時といったところだろう。まだまだ一日はこれからとでも言わんばかりに暗闇に染まりつつある。また仕事が増えていく時間でもある。泣き言も言ってられないが、やはり休みが恋しい。

 

「出世するほど、疲れと責任が重くなる……。そろそろ過労死しても許されるか?」

 

 尤も、今このとき世界の列強に数えられる国々にいて立場有る人間は、往々にして同じような境遇にあったのだから、彼だけに限った話とするのはいただけない。それにこの現在は万人が苦労人になろうとしている。そんな中で自分一人が死をもって逃げようなどと

 

「到底許されんな」

 

軍人らしく、引時と死時は見誤らないようにーー


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