堂島金一の華麗なる食卓   作:神田瑞樹

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堂島金一は気づかない

        Ⅰ

 雨が降っていた。

 豪雨というにはやや弱く、小雨と呼ぶにはやや強すぎる、そんな雨だった。

 一枚窓ガラスを隔てた通りでは一足先に授業を終えたらしい夏服の生徒達がカラフルな傘の花を咲かせている。人数からしてどうも一年生らしかった。

 知っている後輩はいるかと何気なく探してみるものの、傘のせいでハッキリとは顔が見えない。10秒とせずに諦めたオレはまた顔を正面に戻すことにした。

 

―――さっきも言ったように両親媒性物質が界面張力に作用することで……ここでの化学式はx=―――

 

 白板をつらつらと埋め尽くしていく化学式や用語。一応はノートに写しているものの、専門的すぎて中々に理解が難しいというのが正直な所。教科書を見返しても載っていない辺り、先週に続いて話がまた授業の領域から逸脱しているのはほぼ間違いなさそうだった。

 きっとアリスお嬢となら建設的な議論が出来るんだろうなぁと思っていると、終了を告げるチャイムがスピーカーから響いた。

 

―――それでですね、この効能が……って! もう終わりですか!? あぁえぇっと、次の講義は教科書ⅡのP187~267までですのでまた予習をお願いします!

 

 ペコリと一礼して汐見教授は講義室を後にする。童顔な顔や体型といい、ちょっとした段差にも躓くドンクサさといい、相も変わらず年下にしか見えない先生だった。

 けどそんな人でも研究室に一回り年の違う男を研究室に囲っているというのだから、世の中見た目で判断してはいけない。

 

「ほんと、女って怖いな」

「あはは。金一君がいうと変な説得力があるね」

 

 いつもの様に明るく笑って一緒に講義を受けていた一色は出していた筆記用具とノートを鞄へと戻していく。オレも遅れて机の上を片付けていると、一足先に出る準備を終えた一色が「いやぁ」と感慨深げに頷いていた。

 慈愛に満ちたその両目には薄らと涙さえ浮かんでいた。

 

「どうしたんだよ?」

「いや、金一君が6月に入っても毎日授業に出ていることが少し信じられなくてね。毎年4月の中旬にはあちこち飛び回っていたし」

「そういやそうだったな……」

「親友の君と毎日こうして授業を受けられて僕はうれしいよ。やはり友人と共に授業を受けるのは青春の醍醐味の一つだからね!」

「青春ねぇ。なぁ一色」

「ん? どうかしたかい?」

「……いや、なんでもない」

 

 あれから一か月が過ぎたがオレと一色の関係は何も変わらなかった。

 学校じゃそれまでと変わらず一緒に授業を受けるし、実習ではコンビを組んで料理を作ったりもする。そしてその間一度して一色があの寮での会話を蒸し返すことはなかった。

 食戟を挑んでくることも十傑について言及することもない。

 本当にそれまで通り。極々当たり前の友人関係を続けている。  

 そのことが嬉しくもあり、そして少し焦らせてもいた。

 そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、一色はいつもの朗らかな笑みを浮かべたまま新たな話題を口にした。

 

「そういえば合宿からもう随分と経つけど金一君はもう創真君とは会ったのかい?」

「そうま……あぁ、幸平創真か。まだ会ってねぇな」

「おや意外だね。そんなに食祭の準備は忙しいのかい?」

「そういうわけじゃないんだけどな……」

 

 そう。確かに打ち合わせや何やらで時間を取られてはいるが、別に後輩一人に会いに行く時間も捻出できない程忙しいわけじゃない。

 自由な時間はある。

 ただ最近はそこに少しだけ監視が付いているというだけのことで。 

 

「なんだったら今から寮に来るかい? 今日はどの学年もお昼までで授業が終わりだから創真君とも会える筈だよ」

 

 一色の配慮はありがたい。

 ありがたいのだが、

 

「あー。多分無理だわ」

「なぜだい?」

 

 首を傾げた一色の視線を講義室の出入口へと促すと一色はすぐに納得の声を漏らした。

 既に大半の生徒が退出したため閑散とした扉の前には、さっきから不機嫌な顔でじっとこちらを見つめている金髪の少女の姿がある。

 本人直々とはまた随分と念の入ったことだ。

 

「わるいな」

「別に構わないよ。じゃあまた明日」

「おう」

 

         ◇

 

「遅いわよ」

 

 顔を会わせて早々にお嬢の口から飛び出したのは叱責だった。「はいはい」と軽く流すと、お嬢はプイと顔を背けて歩き出す。一見すれば着いてこないでというアクションにも見えるが、ここで本当に追いかけなければ「何で来ないのよっ!」と怒られるのは明白だったのでオレもまた黙って足を動かすことにした。

 エントランスへと続く廊下をお嬢と共に歩いているといくつもの視線が突き刺さり、ひそひそとした声が耳に入ってくる。最初こそ気になったものだが今ではもう慣れたものだった。

 

「お嬢。緋沙子は?」

「緋沙子には先に屋敷に戻って客賓をもてなす準備をするように言いつけてあります」

「もてなしねぇ……確か今日は薙切の親族が集まる日なんだよな?」

「えぇ。おじい様を初めとした薙切家の重鎮達が一堂に会する大事な日よ。ホストを任された私がおじい様の顔に泥を塗るわけにはいかないわ」

 

 お嬢の言葉にはいつにも増して強い覇気が宿っている。

 3週間も前から念入りにディナーに出す料理のメニューを考えたり、屋敷の内装を変えたりと今回の会合に懸けているお嬢の想いはかなり強い。

 しかし、だからこそわからない。

 

「なぁお嬢。なんでオレまでその身内の集まりに参加することになってるんだ?」

 料理の手伝いだけならまだわかる。これまでも何回か手伝ったことがあるし問題ない。

 ただ今回はそれに加えて、なぜかお嬢やアリス嬢と一緒に総帥達とテーブルを共にすることになっている。かねてからの疑問にお嬢はそれまで軽やかに動かしていた足を止めた。

「……いやなの?」

 

 後ろについていたため今お嬢がどんな顔をしているかはわからない。

 けれどなんとなく。本当になんとなく悲しそうな顔をしている気がした。

 

「そういうわけじゃないけど大丈夫なのかオレがいて? そりゃ薙切の離れを借りてるけど従者でも何でもないただの余所者だぞ?」

「問題ないわ。あなたのお父様である堂島先輩は遠月に多大な貢献をしてくださっている役員だし、何よりも金一はこの薙切えりなの幼馴染ですもの」

 

 そう断言してお嬢は再び歩きはじめた。イマイチ納得できないものの、ホストであるお嬢がそう判断した以上変に追及するのもおかしな話だ。

 だから黙ってお嬢の後ろについて歩いていたのだが、校舎の玄関である巨大なエントランスホールに着くと再びお嬢の足がピタリと止まった。まぁ鞄から折り畳み傘でも出しているんだろうとオレは持っていた傘を開いて先に校舎から出る。鞄が濡れないようにとそれなりに大きな傘を持ってきたが雨の勢いは決して強いわけじゃない。

 余計な心配だったなと後ろを振り返ると、なぜかお嬢は未だ校舎の中に留まっていた。

 ん?

 

「なに止まってんだよお嬢。また校門のとこに迎えを呼んでいるんだろ? 早く行こうぜ」

「す、少し待ちなさい!」

 

 慌てた様子でお嬢は自分の鞄を漁っている。しかし目的のものが見つからないのか、中々その右手は鞄の外に出てこない。これはもしかしなくてもまぁ、そういうことなんだろう。

 きっと朝使った後、緋沙子に預けたままにしていたに違いない。

 お嬢らしいと言えばお嬢らしいがそのまま指摘するとまた変な意地を張りかねないので、オレは校舎まで戻ると少し強引にお嬢を傘の中へと引っ張り込んだ。

 

「ほら行くぞ」

「あっ、ちょっと金一っ!」

 

 なにやら焦った声を上げていたがそれも歩き出すとすぐに収まった。

 いくら大きな傘でもさすがに人間2人は守りきれず左肩が雨にあたるが、まぁこのくらいなら別に支障はない。校門までおよそ100m。

 短距離走程の距離を仲良く歩いている道中、お嬢はずっと俯いたままだった。

 金髪の隙間から覗く白い肌がほんのりと紅くなっている辺りこの状況を恥ずかしがっているらしいが、毎日毎日自室にオレを連れ込んでいる人間が今更何を恥ずかしがるというのか。相変わらずの少女漫画脳に苦笑しながら前を向く。

 すると呟きにも近い声が聴こえてきた。

 

「……ありがとう」

「どういたしまして、お嬢」

 

 少しだけ優しい気分になった梅雨のある日のことだった。

 

 

         Ⅱ

 高校生、いや学生にとって行事というのは日常生活に大きな刺激をもたらす一大イベントだ。有名どころで言えば体育祭や文化祭、あるいは修学旅行。

個々人によって好き嫌いはあるものの、学校の行事が生徒達に多大な影響を及ぼすのはおよそ間違いない。オレが通っている遠月学園にも勿論行事というのは存在し、先に挙げたメジャーなもの以外にも様々な遠月独自の行事が年間を通じて行われている。

 そしてそんなオリジナル行事の一つに、『梅雨の食祭』というものがある。

 月饗祭のように全校生徒を巻き込むものでもなければ、秋の選抜のように勝者を決めるものでもない。参加者は僅か二名。内容も参加者が作った料理を総帥がただ食べるだけという極めてシンプルなものだ。

 しかしそんな単純なものを見るために毎年多くの生徒がこの『月天の間』を訪れる。

 今年もまたそうだった。

 ぐるりと観客席を見渡せば人、人、人。

 一般の観客を断っている分だけ余計にいつもより多くの生徒達がじっと厨房に立つオレ達を見つめている。そう。オレと、

 

「じゃあやろうか、堂島」

「はい」

 

 この司先輩を。

 梅雨の食祭とは遠月でも数少ない十傑のための―――より正確に言うなら十傑第一席のための行事だ。その年に選ばれた十傑の力を示すために第一席が代表となって料理を作り、遠月の頂点に立つ総帥に食してもらう。

 何を作るか、どんな食材を使うかはすべて自由。

 唯一課される条件は、必ず後輩と協力して料理を作らなければならないということ。

 なぜそんな妙な条件があるのかは知らないし、知る必要もない。

 重要なのはその後輩にオレが選ばれたという事実だけ。

 

「……やるか」

 

 いつもの様に感覚が導くまま食材に刃を通して下処理を行っていく。

 今日総帥に出すのは司先輩と共に考えたコースメニュー。

 本来ペアで料理を行う時は大抵どちらかがメインシェフとなり、もう片方がサブに回ることが多いがこのフルコースに関してはメインとサブもない。どちらもメインサブ両方の役割を完璧に全うできなければ完成しない構成になっているからだ。

 下処理も含んだ仕事量はこの上なく膨大。

 少しでもオレと先輩の呼吸が少しでもずれればたちまちこの構成は崩壊するだろう。

 でも、

 

「先輩」

「うん」

 

 オレ達ならできる。司瑛士と堂島金一だからこそできる。

 決して多くの言葉は重ねず、余分な視線も送らない。

 けどわかる。先輩が求めているものが何なのか、どのタイミングでどんな状態のモノが欲しいのかがまるで自分のことのようにわかる。

 

「堂島」

「はい」

 

 きっとそれは司先輩も同じ。だからこそ先輩は今こうしてオレが共に厨房に立つことを許している。オレの世界を真の意味で理解できるのが司瑛士ただ一人だけである様に、先輩の世界に入室できる唯一の存在が堂島金一であるからこそ同じ場所に立つことを認めてくれている。外からの余計な情報を排した静かな世界の中でオレ達は手を動かし、ガラス細工の様に儚い構成をそっと組み上げていく。

 前菜、サラダ、スープ、パン、魚、ソルベ、メイン、チーズ、フルーツ、そしてデザート。全ての皿で素材の味を最大限に引き出しつつも、決してコースとしての調和を損なわぬよう細心の注意を払って組み上げたフランス料理をベースにしたフルコース。

 その最後の皿が総帥の元まで運ばれていくのを先輩と一緒に黙って見届けていると、ぼそりとした呟きが耳に入った。

 

「……才能は正しく認められなければならない」

「えっ?」

 

 思わず顔を動かしたが司先輩はじっと総帥を見つめたままだった。

何てことのないその真剣な眼差しに少しだけ不穏なものを覚えながらオレは顔を戻した。もうじき、夏だった。

 

 




最近、ISのDVDを借りてきました。それまで二次小説を元にした知識しかなかったのでアニメは色々と新鮮でしたが、結論。

うん。やっぱりセシリアさんが一番かわいい。

結局、ツンデレ金髪お嬢様に勝てる存在などいないというわけです。(セシリアさんはデレが多すぎですが)
 


P.S ファフナー好きが予想以上に多いことに歓喜。いつかスカイプとかで誰かと思う存分話し合ってみたいものです。(まぁ、コミュ症なので無理でしょうが)
 

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