堂島金一の華麗なる食卓   作:神田瑞樹

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新戸緋沙子はいつも考えすぎる

     Ⅰ

 毎年の風物詩、秋の選抜本選大会。

 八人の若き料理人達による闘いは波乱の幕開けとなった。

 一回戦第一試合、幸平創真VS薙切アリス。

 大多数の観客の確信を裏切り、実際にその勝負を制したのは無名の幸平創真だった。

 予想だにしない結果に試合後となっても未だざわつく会場の様子が控室のモニターにも映し出される。しかしそんな驚愕の光景を目の当たりにしても緋沙子の顔に動揺の色はなかった。無言のまま己の世界に埋没し、ただただその時を待っていた。

 そうして先の試合が終わってから丁度十分。コンコンと扉が叩かれ、会場の準備が終わったことが運営スタッフにより告げられる。緋沙子はゆっくり立ち上がると、机に置いていた調理器具の入ったケースを手に取った。誘導員の先導に従って通路を抜け選手入場口までやって来ると、そこには既に対戦相手の姿があった。

 葉山アキラ。スパイスの申し子とされる天才。

 緋沙子は葉山の整ったエギゾチックな容姿に一瞬目を向けたが、すぐに煌々とライトで照らされる会場へと視線を移す。葉山もまた自分の対戦相手の登場に気が付いたようだったが、これと言って特別な反応を見せることはなかった。

 どことなくピリピリとした冷たく鋭利な空気が二人を包む。

 そしてその冷たさはあと数分もしない内にたちまち熱へと変わり、二人の身を焦がすことだろう。だからその前にと思ったかどうかはわからない。

 わからないが、葉山がその口を開いた。

 

「ご主人様やご執心の先輩から何か策は貰えたのかよ?」

「この試合は私個人のものだ。わざわざお二人の御手を煩わせるような真似はしない」

「そりゃ残念だ。せっかく遠月1.2年の頂点と競えると思ったんだがな」

 

 肩を竦めて告げるその口調はどことなく軽い。

 じろりと、緋沙子は鋭い目を向けた。

 

「随分と余裕だな。慢心は身を滅ぼすぞ?」

「そりゃすまないな。だが生憎と、この勝負を負けることの方が難しくてね」

「ほぉ」

「頂点を目指そうとしてないヤツに俺が負けるかよ」

 

 俺は全てを倒して遠月の頂点を獲ると、葉山は言い切った。

 そのためにもこの大会で優勝し薙切えりな、そして堂島金一を倒すのだと。

 それは暗に緋沙子など眼中にないと言っているのも同意。

 自分は全く相手にされていない。そのことを認識したにもかかわらず、緋沙子の顔に怒りの炎は灯っていなかった。いやそれどころか冷たくすらなっていた。

 

「……言いたいことはそれだけか?」

「なに?」

「私もお前のことなど眼中にはない」

 

 緋沙子の脳裏に今朝の記憶が―――感動が思い起こされる。

 本日の試合で披露する品が完成した安堵と疲労からついついはしたなくも調理室で眠ってしまった緋沙子が、目を覚まして一番に目の当たりにしたもの。

 それは机の上に置かれた見覚えのない重箱だった。

 いったい何故こんなものがと寝起きで上手く回らない頭で疑問に思いながらその上蓋を開けてみると、そこに入っていたのは一輪の花。

 いや花の形を模した練り切り(和菓子)だった。

 艶やかな紫の花を咲かせたそれはガラス細工のように繊細でありながらも同時にどこか自然の力強さを感じさせ、見る者の心をことごとく奪う和の美しさを秘めていた。

 紛れもなく和菓子の最高峰に位置するであろう一品。

 それを見た瞬間、緋沙子はこれが一体誰の手によるものなのかが容易にわかった。

 いくら遠月広しといえど、これ程までに見事で“和”を体現した飾り切りを作ることが出来るのは幼少期よりかの乾日向子に教えを受けてきたというあの人以外にあり得ない。

 あの人が自分のために料理を作ってくれた。

 その事実だけでも胸一杯であるというのに、更にその飾り切りのモチーフとなっているは――――

 

 花菖蒲。

 意味する花言葉は優しい心、優雅、そして信頼。

 

「私は私の存在を証明するためにこの場に立っている」

 

 葉山は言った。頂点を目指さぬものに負ける気はしないと。なるほど確かに新戸緋沙子は遠月や料理界の頂点など目指してはいない。緋沙子はあくまでも従者。

 仕える主を支える陰であればそれでいい。主人の領域を守り、それを犯そうとする有象無象の敵を排除する剣であればそれでいい。

 緋沙子が仰ぐ二人の主は唯一無二の天才。

 ならばそれを守護するためにも緋沙子は証明しなければならない。自分は二人に仕えるだけの資格があるのだと。万難を排除できる実力を持っているのだと。

 その決意は、覚悟は、決して生半可なものではない。

 だから、

 

「私は絶対に負けない」

「っつ!?」

 

 その言いようのない“覚悟”に葉山は気圧された。

 思わずといった様子で一歩足を後方へと引き、そしてすぐにまた戻す。その顔には先ほどまでの余裕はもう浮かんではいなかった。

 

「……どうやら間違えたみたいだな」

 

 背負うものがあるのは自分だけじゃなかった。葉山は素直に己の非を認め、口元に小さな弧を描く。それは新戸緋沙子を倒すべき“敵”として認識した瞬間だった。

 

「いいぜ。かかってきな、全力で叩き潰してやる」

「やってみるがいい」

 

 そうして二回戦の幕が開く。

 

 

 

             Ⅱ

 1回戦第二試合のお題はハンバーガーだった。

 焼き上げたパティをパンズで挟んだサンドウィッチなどとその系統を同じくする、ファーストフード全盛の現代日本では最早見慣れたお手軽料理。誰でも簡単に作れるものである故にその自由度は限りなく高く、料理人の発想力が試されるお題であった。

 試合開始からおよそ一時間。先攻したのは葉山だった。

 会場中に芳しい香りを漂わせて作り上げたのはパティにケバブを合わせた重厚なバーガー。老齢の審査員達にはともすればくど過ぎるそれを香りという魔術で見事補い、高い評価を得た。一方葉山に遅れること10分、緋沙子がテーブルに並べたのはパテにスッポンを使用したバーガー。スッポンバーガーというだけでも世にも珍しいが、その皿に施された工夫はそれだけではなかった。

 

「パティに満足感を持たせるためにスッポンを牛肉と混ぜ合わせ、あえてソースを濃厚なものに仕上げた。一見あっさりとした薬膳料理とはかけ離れているように見えるけど、その実は幾種もの生薬や漢方が練り込まれ、重厚感を持ちつつも決して後を引かない品となっている。うん、いいできだね」

 

 眼下に広がる光景に司瑛士は賞賛の声を挙げた。そんなひとしきり緋沙子の料理を分析し終わった先輩に、隣に座る金一は乾いた視線を送った。

 

「今更ですけどこんなとこにいていいんですか?」

 

 あなたは運営の長でしょと目で訴えると、司瑛士は大丈夫だよとこともなげに言い放った。今二人がいるのは以前創真が連れてこられたvip roomの一室。

 なぜそんな所にいるのかと問われれば、金一としては連れてこられたからとしか言いようがない。えりなが運営として現場に駆り出されているために一人で観戦しようとしていた金一は、同じ十傑なのになぜか手が空いているという司瑛士に連れられこの特別席から妹分の試合を観戦していた。

 

「お嬢とか一色とかは今現場にいますけど……」

「一色たちと違って俺は裏方だからね。何かよほどのことがない限りは早々出番なんてないさ」

 

 それよりもと促され、金一はガラスの向こうを見る。そこには今まさに緋沙子のバーガーを試食しようとする審査員たちがいた。

 

「改めて言うけど、実際彼女の料理は良くできている。自分の持っている知識と得意分野を活かしつつ、様々な工夫を凝らすことでお題に沿った自分だけの一品を作り上げた。一年生であれだけできるなんて流石に堂島が贔屓するだけのことはある」

「それはどうも」

 

 事実上遠月の頂点からの高評価に金一の顔が綻ぶ。自身の品が褒められたわけではないが、大事に思っている妹分が評価されるのは素直に嬉しいもの。

 また実際、金一の目から見ても緋沙子の皿は素晴らしかった。

 よく工夫と技巧が重ねられ、見えない部分にも様々なアイディアが散りばめられている。

 正に今の緋沙子の集大成。そう総括してもいい一品。それは百戦錬磨の審査員達が手放しで賞賛の言葉を送っている姿からでもわかる。

 審査員の反応的にはほぼ互角。いったい葉山と緋沙子、そのどちらが勝ちあがるのか。

 会場中が審査員席に注目する中、司だけは静かに首を横に振った。

 

「でも残念だったね」

 

 その早すぎる敗北宣言にも金一は異を唱えなかった。

 なぜなら彼もまた似たようなものを感じていたのだから。

 

「幾重の努力とアイディアを重ねても尚、才能という壁は常に持たざる者の前に立ちはだかる」

 

 審査員長を務める学園長がその裁決を下した瞬間、静まり返っていた会場に再び火が灯る。金一の目には判定を聞いた二人の料理人の姿が映っていた。

 片や涼しい顔をして小さく胸元で拳を握り、片や言葉もなく呆然とその場で立ち尽くす。くっきりと分かれた明と暗。

 前者は葉山アキラであり、後者は新戸緋沙子だった。

 それは順当と言えば順当な結果。

 しかしあれだけ審査員達は緋沙子のことを称賛したにも関わらず、結果として満場一致で勝者は葉山に決まった。そのことに会場では疑問の声が飛んでいたが、

 

「これが事実だ。葉山アキラと新戸緋沙子。二人の料理の間に明確な差はなかった。けれど審査員は総じて葉山を選んだ……。最後の分岐――――持つ者と持たざる者の差が結果となってこうして示されている」

 

 今回に限れば料理のレベルはほぼ互角。またそれにかけた努力も情熱も、決して双方ともに引けを取るものではないだろう。

 だが審査員は葉山を選んだ。彼の才能が瀬戸際で勝利を引き寄せたのだ。

 司はどことなく物憂げな表情で息を吐いた。

 

「努力が料理人にとって必須であることに何ら疑う余地はない。ともすれば才能が努力に打ち負かされることもあるのかもしれない。けどそれでも尚、壁は存在する」

 

 持つ者と持たざる者を隔てる透明な――――それでいてどこまでも分厚い壁が。

 そのことは他ならぬ金一自身が良く知っていた。

 だから葉山の調理風景を見た時から緋沙子の勝機が限りなく薄いことなどわかっていた。

 ゆえにこの結果は決して驚くようなことではないし、騒ぐほどのことでもない。

 緋沙子の頑張りは知っていたが所詮勝負の世界は結果が全て。

 単に緋沙子よりも葉山の方が上だった。

 ただそれだけのこと。

 わかっている。そんなことはわかっているが、

 

「行くのか?」

 

 ソファーから立ち上がった金一に司は顔を向けないまま尋ねた。

 えぇと金一が肯定すると、小さな嘆息が飛んだ。

 

「理解していると思うけど堂島。これから先もきっと新戸緋沙子は同じような経験をすることになる。上に行こうとすればするほど、努力だけでは決して乗り越えられない壁の存在を否が応でも感じるようになる。そんな時に才ある人間が良く頑張ったと慰めの言葉をかけるのは単なる自己満足でしかないよ」

「……放っておけっていうんですか?」

「そうは言わない。でも知っていてはほしかった。俺達のような料理人が何の上に立っているのかを」

 

 遠月は少数精鋭の超名門。毎年何百、何千もの若人達が涙を呑む。

 そうした生存競争を勝ち抜いてきたエリートの中でも司や金一、えりなの様な存在は極めて貴重だった。

 

「上を目指す料理人の前に必ず立ち塞がる壁。殆どの料理人がその壁の前に挫折し、ごく一部の選ばれた者だけが彼らを踏み台にしてより高みを目指すことが出来る。だからこそ俺達は決して振り返ってはならないんだ。顧みることなく常に上だけを―――前だけを見て進み続けなければならない」

 

 それが選ばれた者の責務。

 才ある者が才無き者にしてやれるたった一つのこと。

 ゆっくりと首を回し、司は澄んだ瞳を金一へと向けた。

 

「近く遠月は変わる。偏見やくだらない評価システムを排した、才ある料理人が正しく評価される学園へと生まれ変わる。その時、堂島には俺と来てほしい」

 

           

 

 

            Ⅲ

 葉山との試合後、緋沙子は控室に戻ることなくそのまま会場を後にした。

 シャワーは疎か制服に着替えることすらしていないために、アスファルトの道を急ぐその恰好は試合そのまま。

 道中ですれ違った何人かの生徒達は薄らと赤い染みのついたコックコートに目を丸くしていたが、今の緋沙子にそんなことを気に掛けるだけの余裕はなかった。

 そんな一杯一杯の少女の足が止まったのは会場を出てから10分後、人気のない小さな噴水広場に着いた時だった。別に考えて選んだ場所ではなかった。

 ただ人のいない場所を求めて歩いていたら自然とここに着いていた。

 

……ここなら大丈夫か。

 

 何度か左右に首を振り、人が来る気配がないことを確認する。元々利用者が少ないことで逆に有名な場所だったが、今は選抜中ということで一部の物好きもいないらしかった。

 そのことにほっと胸を撫で下ろす緋沙子の頬を一筋の滴が伝った。

 

「あっ」

 

 冷たいそれに触れる。

 ここまで大きく取り乱さなかったのは最後の矜持、いや意地と言ってよかった。勝負に負けた上に人前で無様な姿まで晒すことなど出来ない。その想いがギリギリの所で緋沙子を踏みとどまらせていた。

 けれどこうして一人になるともう駄目だった。

 

「っつ!?」

 

 一度決壊すると後はそのままだった。

 次から次へと涙が雨となって零れ落ち、顔を覆う両の指の隙間を抜けて地面に模様を描いていく。そしてそれを拭うこともなく、緋沙子は弱弱しくその場で崩れ落ちた。

 

……負けたっ! 私の料理が、想いが負けたっ!

 

 会心の出来のつもりだった。

 与えられた時間は1日と短かったが、その短い制限時間の中で今の自分が考えうる最高の皿を作り出した筈だった。これならばえりなに、金一に出しても恥ずかしくない。

 そう自信を持てるだけの渾身の品だった。

 けれど、

 

……届かなかった!

 

 確かに肉薄はしたのだろう。事実審査員の反応は上々で、実際に甲乙付けがたしという言葉も聞いた。一部ではあの薙切えりなに届きうる天才と称された葉山相手に善戦した。

 きっとそれだけでも凄いことなのだろう。

 だが、

 

……敗北に意味などないっ!

 

 負けてしまえば何の慰めにもなりはしない。ましてや審査員達は悩むと言いつつも、結局はその全員が葉山を勝者と選んだ。葉山の方が上だとこの上なく明確に述べたのだ。

 確かに才で劣る部分が多少なりともあるというのは自覚していた。

 自分にはえりなや金一のような特別な才能が備わっていないことなど、緋沙子はずっと前から知っている。特別な才能を持つ料理人の凄さをこれまで幾度となく目撃して知っている。だから二人と同じ様に“持つ”側の人間である葉山に、“持たない”側の緋沙子が敗れたのは自然と言ってしまえばそれまで。

 だがそれでもなお、緋沙子は勝たなければならなかった。

 自分の価値を、存在を証明するために勝利しなければならなかった。

 

……これで私がお二人の傍にいる理由など、もうどこにも―――

 

 たかだか一回の敗戦でと思う者もいるかもしれない。

 しかしその一回こそが重要なのだ。

 もういっそ死んでしまおうか。真っ青な顔でそんなふざけた考えまで過りだした正にその時だった。

 

「緋沙子」

 

 今一番会いたくない―――けど本当は会いたかった人の声を聞いたのは。

 涙で濡れた顔を上げる。

 一体いつからそこにいたのか。

 随分と懐かしく思うその顔を見た瞬間、緋沙子は無意識の内に彼の名を呼んでいた。

 

「兄様……」

 




最近ジャンプを買ってないんですけど、原作って今どうなっているんですかね?
創真が叡山に勝ったところまでは読んでたんですけど……


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