幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 治療の流れで光酒の存在を知り、それを渡すようにと神子はギンコに迫った。だがギンコはその要求をはねのけ、神子が強硬手段に移ろうとした時、八雲紫が現れた。





 幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第八章 ふきだまる沼 捌

「ふむ、こんなもんかの」

 

 異国風の修道服のような、特徴的な装束を翻し、八雲紫に(ふん)した二ッ岩マミゾウが術の出来栄えを確かめる。体を(よじ)って手足や背中を一通り見回し、やがて納得がいったように自慢げに腰に手を当てて胸をはった。

 どうじゃ? と感想を聞かれれば、その様子を見ていたギンコは見事というほかない。

 ギンコの頼みを聞いてマミゾウが指を振ると、その全身を煙が覆い、煙が晴れた次の瞬間には変身が完了していたのだ。そうして現れた姿は、細かい所作や口調はさておき、見た目だけならかのスキマ妖怪に相違なかった。

 ギンコと同じくそばで見ていた付喪神の小傘も驚き、おみそれしました、と二人は小さく拍手した。称賛の声を受けて、マミゾウもご満悦だった。

 

「してギンコよ。何故(なにゆえ)スキマ妖怪の姿が必要なんじゃ? 化けておいてなんじゃが、此奴(こやつ)の名を(かた)るとなると儂もそれなりの覚悟を決めねばならんのじゃが……」

 

 喜びを顔から消し、マミゾウは「八雲紫に化けてほしい」と頼んだギンコの目的を問うた。

 ギンコが持つ光酒のためなら、多少の頼み事なら二つ返事で引き受けてやろうと意気込んでいたマミゾウだったが、幻想郷において絶大な影響力を持つ八雲紫の姿を騙るという悪事の片棒を担ぐとなれば、なおのこと気楽に構えていられるはずもない。

 若干雲行きが怪しくなってきたギンコの頼み事が良心的なものであることを願いながら、マミゾウは伺い立てる。そんなマミゾウの心を知ってか知らずか、ギンコは気楽に答えた。

 

「心配いらんだろ。あいつも俺のことを散々利用してるんだ。名前の一つくらい借りたってバチは当たらんさ」

「ぬ? なにやら八雲と懇意(こんい)にしているような口ぶりじゃが……」

「事実そうだからな。お前さんには、とにかく八雲のフリをしていてもらいたい。前提として『蟲師ギンコと八雲紫は友人、または同盟の関係にある』ということにしてな」

「大胆な前提じゃのぅ。して、儂は八雲のフリをして、誰に合うんじゃ?」

「豊聡耳神子という仙人だが、知っているか?」

「なぁー、あやつか。復活の折にぬえが騒いでおったからの。よう知っとるわ。何故奴を騙す? 一筋縄ではいかんぞ」

「このままだと、お前さんも欲しがる光酒が悪用されるかもしれん。妙な真似はするなと牽制(けんせい)しなきゃならなくなった。こっちも幻想郷に来てしばらく。八雲の名前が、方々(ほうぼう)で有効なのは知っている。どこまで通用するかはわからんが、打つ手としちゃ上々だろ」

「なんじゃと!? そりゃあ如何(いかん)ともしがたい。絶対に阻止せんとの! ……じゃがうまくいくかどうか」

 

 豊聡耳神子は仙人であり、それ以前に天賦の才を持った超人である。生前はその類稀なる才能で人々の信奉をあつめ、聖人とまで言われた存在だ。

 多くの人を動かし、そうあるべくして人の上に立った人。なれば人を見る目に関して、彼女が非才であることもないだろう。当然のように人の内面を見透かしてきても不思議ではない。

 人を化かすこと。月も輝く宵の口においては、自分の妖力も増大する。そこに自信がないわけでもないが、万事うまくいくとも思えなかった。マミゾウは腕を組んで、むむと唸った。

 

「失敗したらどうするんじゃ。嘘だと見破られたら?」

「勝算がないわけでもない。神子は今、蟲患いにかかっている。本人は平気な顔をしていたが、内心かなり辛いはずだ。本来、人一人を衰弱死させる音響を聞かされ続けているんだからな」

 

 神子は現在、耳に阿、という蟲が寄生している。この蟲の影響で、彼女は最近、蟲たちの声を聞くようになったのだ。

 だが、蟲たちの声は想像を絶する大音響となって世界を席巻している。ひとつひとつのつぶやきは小さくとも、数限りない蟲のつぶやきが束となって、それはやがて大きな音声の層となる。

 神子はその声を聞き分けることで、蟲に関する知識を得ている。その作業にどれほどの集中と体力を要するのか、常人のギンコには計り知れない。だがわずかでも確実に衰弱しているだろう。なんとか付け入る隙はありそうだと思っていた。

 それに、とギンコは続ける。

 

「嘘だと見破られても、事実は変わらん。仙人の連中が光酒を求めれば、間違いなく幻想郷は荒れる。そうなることは八雲も望んじゃいない。八雲の怒りを買う結果になると伝えれば、連中も二の足を踏むだろう」

 

 とにかくだ、とギンコはマミゾウの目を見て言った。

 

「連中が八雲に化けたお前さんに牽制されてくれればよし。嘘だとバレても警告で時間を稼げればよし、だ」

「ふむ。結構考えておるんじゃのぅ。よかろう、心得た。……それで、相手が(わたくし)の姿を見ても動じず、さらに正体も見破られ、八雲の名前など知ったことではないと開き直ったらどうなさるんですの?」

 

 ギンコの意思を汲んで、マミゾウは紫になりきるために口調を変えた。たおやかで上品な言葉遣いで、最後の確認をしてくる。全ての思惑が空振りに終わった時はどうするのか。ギンコは少し考えてから、その時は……と、マミゾウの肩に手を置いて、真剣な表情で答えた。

 

「逃げる。手持ちの光酒全部やるから、助けてくれ」

「……善処しますわ」

 

 堂々と情けないことを言われて、紫は苦笑した。

 

 

 

 

 

 そうしてギンコはマミゾウに協力を仰ぎ、神子たちを牽制しようと考えた。

 高いところから雰囲気たっぷりに登場とは、少しやりすぎな感じも否めないが、存在感を出すには好都合だろう。傘は小傘の持っていた傘を使って化かしているのだろうか? 打ち合わせ時より増えた小道具を見て、そんな予想を立てる。

 なんにせよ、神子たちはマミゾウが化けた紫の姿を見て、一気に緊張した様子になった。これは効果があるかもしれない。貴重な機を逃さぬよう、マミゾウの演出に乗り、ギンコも口裏を合わせた。

 

「お前さんは本当どこにでも現れるな。まあ、今回は助かったが」

「いつも邪険にされていますものね。たまにはお役に立てて何よりですわ」

 

 ふわりと重さの感じられない跳躍、というより空中を歩くような身軽さで、紫はギンコの隣に降り立った。傘で神子たちからは見えないように少し目隠しをして、歯を見せて笑っている。本物は見せそうもない表情だった。

 

「おいギンコ! 貴様……その化生(けしょう)とはどういうつながりだ!?」

「おのれ男……やはり信用ならん輩であったか!」

 

 マミゾウを指し、その傍らに立つギンコに向けて、布都と屠自古が声を荒げる。その少し後ろから、神子が射抜くような視線を向けていた。

 彼女らの反応を見るに、牽制は成功していると見て間違いないだろう。流石は幻想郷の管理人を名乗る大妖怪の名前である。マミゾウも神子たちの空気を感じ取ったのか、畳み掛けるように言葉を紡いでいく。

 

「声を荒げないでくださいな。品位が下がりますわよ」

「お前に品位など説かれとうないわ、妖怪! 何をしに来た!」

「申し上げませんでした? 私の大切な人を、あなた方のような山賊まがいの手から守るために参りましたの」

「た、大切な人だとぉ……!?」

 

 妖艶な笑みを浮かべ、ギンコに身を寄せるマミゾウを見て、自分たちが山賊まがいだと罵られたこと以上に、布都が反応を見せる。何やら調子に乗ってあらぬ関係を誤解させそうなマミゾウの頭を小突き、引き剥がしてからギンコも同調した。

 

「そういうわけだ。事を荒立てても、いいことはないんじゃないかね、太子様」

「……貴殿の心変わりはこの後ろ盾があったが故、ですか」

 

 そうだ、とギンコが言うと悔しそうに、神子は歯噛みした。

 ギンコの策は成功し、神子は顔を伏せ、膨らませていた気配を落ち着けた。事態をどう解釈し、どういう結論を出したのかはわからないが、とりあえず力ずく、という選択肢は取らないことにしたのだろう。それを見た従者の二人も顔を見合わせ、構えを解いた。その様子に、ギンコも内心胸を撫で下ろした。

 両者の間にわずかに沈黙が流れ、神子が顔を上げて、口を開いた。

 

「……ですが、光酒は諦められません」

 

 一歩歩み出て、神子が凛とした態度でギンコに向かい合う。その目には強い意志が宿り、ギンコもそれを感じ取ったようだった。

 

「……なぜだ」

「それがあれば、他の蟲患いにも対応できると見ました。試してみなければわかりませんが、錬丹術との組み合わせで、あらゆる蟲患いに対する万能薬のようなものを作り出せるかもしれません」

 

 神子の口から語られた展望は、これからを見据えた大きなものだった。そしてその目は、いつか沼で見せた「我らに仇なす害虫は駆除する」と言った時の目と同じ、強い決意を秘めた目だった。

 しかしギンコも譲らない。神子が言っていることは、蟲師として認められなかったからだ。

 光酒とはこの世の底に流れる命の水だ。それを人の意のままに利用することは、本来許されることではなく、蟲師も例外ではない。

 本当ならこんなものは、人知れず世を潤すため流れ、ただ、そうあるべくしてあるべきものなのだ。

 

「光酒を利用して薬を作るのはよせ。これは、人が資源として扱っていい代物じゃねえんだ」

「命の領分は人の手に余ると? 愚かですね。人はそれら未開の智慧(ちけい)の図版を、実証によって拡げてきた。試しもせず、(おそ)れのままに盲信を続け、歩みを止めて何になると言うのです?」

「人の手に余るに決まってるだろ。神にでもなったつもりか」

 

 ギンコの目が細められ、鋭く神子を射抜く。しかし神子は引き下がらない。

 

「貴殿にはわかるまい。不老不死を達成した我々が、再び死に直面した衝撃。病魔も毒素も寿命も死神も捕食者も跳ね除けて、命の臨界に足を踏み入れたにもかかわらず、それを嘲笑うかのように溶かし、食らうモノが現れた。我々には彼らを退ける確実な方法が必要なのです」

「……確かに、誰だって死ぬのは怖い。不老不死を求める気持ちも、わからないでもねえさ。だがそれは生きる道ではない。死を遠ざけたせいで、お前さんらは生きているとも言えない状態になった。だから骸草に寄生されたんだろ。動いている屍体だと思われてな。自業自得だ」

 

 だからこれは、理の裁定なのかもしれないとギンコは思った。生き物としての道理を歪め、自己を通し、生命流転の輪の外に居座り続けた仙人たちへの報いだと。

 今まで先送りにしてきた問題のツケを支払う時が来たのだ。そう思っても、口には出さなかった。そんなものは、ギンコの妄想でしかない。

 悪事を働いた者は報いを受けて当然。そんな態度で説教などしたくもなかったし、するべきでもないと思った。

 

「貴殿の言い分も理解できます。我々は確かに、褒められた人生を選択しているとは言えないでしょう。しかし事ここに至り、我々は出会ってしまった。己の脅威と。そして、それから逃れる術を持つ者と」

 

 神子はギンコを指差した。

 

「我々はもう後戻りできないのです。進むしかない。そうしなければそこで終わってしまう。そして貴殿だけが、我々の行く手を遮る壁を取り除く知恵を持っている。もはや貴殿の意思一つで、我々の明日が決まると言っても過言ではない。貴殿は我々を見殺しにするというのですか」

「なんでそうなる。俺はお前さんらを助けただろう。これからだってそうするつもりだ」

「そう思うなら光酒を譲ってください。それで我々は助かります」

「だから……その領域まで踏み込ませるつもりはないって言ってるだろうが」

「……解せませんね。なぜそこまで光酒を欲するのです?」

 

 神子とギンコの会話が平行線を辿っていたからか、紫に扮するマミゾウが口を挟んできた。

 

「聞けば今回罹患したのは不完全な不老不死を実現した仙人ばかりではありませんか。尸解仙として肉体を捨て去った貴女たちなら、そもそも寄生される肉体もないのですから、そこまで骸草を恐れることもないのではなくて?」

 

 マミゾウの言い分ももっともで、それはギンコも薄々考えていたことだった。

 霊体である屠自古は言わずもがな、神子と布都に関しても、仙人となる際に肉体を捨てていることはギンコも知らされていた。人の体らしい見た目と機能を持っていても、彼女たちの肉体は魂の依り代となった物体が変化したものでしかない。そういう意味では、石が喋ったり動いたりしているのと大差はない。

 無論そんなものに骸草は寄生しない。それは神子もよくわかっているだろう。彼女は蟲の声を聞く。自分たちの肉体に興味を示さない骸草の声を聞いているはずなのだ。

 だとすれば、神子がこれほどまでに光酒を欲する理由はどこにあるのか。それは、ギンコにもわからないことであった。

 

「……骸草だけではありません。蟲は、骸草だけではないんですよ」

「? 他にも蟲患いになった方がいらっしゃいますの?」

 

 神子が光酒を求める理由。それは果てしなく広がる蟲という存在の規模と、見据えた未来にこそあった。

 

「いません。ええ、現時点ではいませんよ。ですが蟲は数限りなくこの世に湧き出て、広がっている。それらの全てが、いつ我々に牙を剥くとも限らない」

「だから万能薬を欲すると?」

「ええ。そうなってしまった時に、救いの手段を他人に委ねるのは下策です」

「……そんなに俺が信用ならんかね」

 

 ギンコは静かに、手を伸ばすように呟いた。神子はすぐに返事しなかったが、その目が強く語っていた。

 彼女は人の意を見抜く才がある。ギンコが嘘を言っていないことも、わかっている。助けると言えば、助けてくれるのだと知っている。

 

「……信用するとか、しないとか、そういう問題ではないのです。これは」

 

 その声を聞いてしまうだけで声を奪うモノ。影から脳に入り込んで際限なく記憶を食らうモノ。意識を連れ去り人を廃人にしてしまうモノ。……魂そのものを捕食してしまうモノ。そういうモノから大切なものを守るためには、剣を手に取るしかない。

 そうしなければ守れない。例えば、己の命よりも大切なものであるかもしれないそれを。

 神子の背後で二人の従者が事の成り行きを見守っている。二人の表情は固く、一度は解いた構えをいつでもとれるように気を張っているように見えた。会話が平行線を抜けられないのなら、一度収めた矛を再び握ることもあるだろうと、わかっているようだった。

 一人の主人と二人の従者。三者三様の在り方を見て、ギンコも考えた。

 

「……そうかい」

 

 ギンコは頭を掻いてため息をついた。ここにきて、ようやく神子の思惑にたどり着く。

 威圧的な態度も、いつかの夜に口にした真摯な忠告も、全てが彼女の本質だったのだ。そう言えば、隠し事するつもりはない、と堂々と言っていたか。

 それでも明かせぬ胸中というのもあるのだろう。つくづく不器用で、利己的な優しさを見せる。あるいは、それが彼女の仙人らしさなのかもしれない。

 ギンコはゆっくりと神子に歩み寄る。そしておもむろに、懐から見覚えのある徳利を取り出した。何をするのかと警戒を見せる神子の目の前にそれを掲げ、押し付けるように渡す。

 

「……え?」

 

 一瞬何が起きたのかわからないという表情を見せる神子。自分の手元に収まったそれとギンコの顔を交互に見て、少し呆然としている。

 ギンコは静かに、表情を作らずに言った。

 

「光酒はやる。ただし条件が二つある」

「ちょっ!」

 

 ギンコの言葉に反応したのは変身していたマミゾウである。もう演技などどこかに行ってしまったのか、大股でギンコに詰め寄り、その肩に手をかけた。

 

「おいおい約束が違うじゃろ! 儂の分は!?」

「また春にな。光酒をやるとは言ったが、いつやるとは言ったつもりはない」

「はぁ!? なにをいけしゃあしゃあと! 儂をこき使っておいて、報酬は冬が明けてからじゃと!? 認められるか! だいたいなんで此奴らに光酒を渡す? 此奴らに光酒を渡さんために、儂に協力を求めたんじゃないのか!?」

 

 紫の姿のまま大口を開けて抗議をするマミゾウには少し申し訳なかったが、光酒を美味い酒程度に考えている輩にも問題がある。ここは多少理不尽に思われても、ギンコは毅然とした態度を取ることにした。

 ギンコの心変わりは神子の真意がはかれたためであった。

 光酒を渡せないと主張したのは際限なき欲望が理を乱し、歪める可能性があったから。神子が光酒を求める理由が、真に自分のためではないとわかったから、ギンコは光酒を譲る気になったのだ。もとより手持ちの分を譲ったところで光脈筋との関係を漏らさなければ大事にも至らないことは、ギンコにはわかっていた。

 

「そういう予定だったが、気が変わった」

「気が変わったで済むか!」

「落ち着けよ。やらんとは言ってない。どうせ俺もこれで手持ちの光酒は無くなっちまったから、春になれば一旦光脈筋に立ち寄る必要がある。その時まで待て。お前さんら妖怪にとっては、対して長くもない時間だろう?」

「くうぅ……! こいつぅ!」

「……どうして」

 

 紫の様子がおかしいことには触れずに、神子は詰め寄られているギンコの方を見てつぶやきを漏らした。首元を締め上げられながら、ギンコは答えた。

 

「……気が変わったと言ったろう。あと条件もな」

「条件……」

「ああ」

 

 ギンコは神子の前に指を立てた。

 

「一つ。渡す光酒はそれだけだ。後から催促されても二度とやらん。そして二つ。まだいる骸草の患者は治してもらう。そのためには光酒が必要だからな。その二つの条件を飲んでもらう」

「そうすればこれを譲ると?」

「そうだ」

 

 駄々をこねるマミゾウを引き剥がし、ギンコは襟元をただした。恨みがましい視線を向けてくるが、一応納得はしたような様子のマミゾウは変化を解き、本当の姿を晒した。差していた日傘の化けの皮も剥がれ、後にはいつか見た、大きな茄子色の奇抜な傘が残った。

 

「ぬぉ! スキマ妖怪の正体は化け狸であったのか!?」

「バカ。どう見ても我らが騙されそうになっていただけだろう。そうだな?」

「ふん。知らんわ。そこの蝙蝠(こうもり)野郎にでも聞け」

 

 不機嫌さは隠せないようだが、手は出してこないらしい。最悪の時は神子の背後にでも隠れるかと呑気に考えていたギンコだが、蝙蝠野郎というのはどう意味だろうかと首をひねった。

 ギンコは神子を見る。今まで、注意深く言動を探っていたから見えてきたものを確認する。

 

「これでもういいだろ。それ以上はない。あとは好きにしてくれ」

「……礼を言います」

 

 徳利を握りしめ、神子は絞り出すように答える。

 神子は光酒を欲していた。それは蟲患いに対する手段を得るため。突然やってくるそれらに、備えられればなんでもよかったのだ。

 ギンコは気づいた。彼女が光酒を欲して、ギンコを説得しようとしていた時。唯の一度も「我々には光酒が必要」という主張を崩さなかった事実。

 「私に」ではなく、「我々に」と(かたく)なに主張し続けた理由など、考えるまでもない。

 利己的で、欲深い人間。それが仙人だと彼女は言った。

 誰かを救いたい。守りたいという思いもまた利己的なもの。そしてそれら庇護(ひご)の対象の前で、情けない姿を晒すことを拒むのもまた、利己的な感情だというのならば。彼女は真に、欲深い人間なのだろう。望むものを得ようとする時、懇願という姿勢をとらなかったことから、彼女の心情がうかがい知れた。

 

「おい、ギンコ! 今度こそ約束したぞ! 春じゃな! 春にお主に会いに行けば、光酒をよこすんじゃな!?」

「ああ」

「逃げても無駄じゃぞ。匂い覚えたからな! 絶対じゃぞ!」

「へいへい。わかりましたよ」

 

 それから方々の家を周り、骸草の治療を完了した。残りの患者を全員治療しても、光酒は十分な量が残るとギンコは踏んでいた。そして予想通り、光酒は神子の手元に残った。

 そうしているうち、家を巡る道中で、マミゾウは実に十四回も、ギンコに約束の確認を取っていた。これは春になったら光酒を一升瓶で寄越せとか言われないだろうかと、ギンコも若干不安になった。

 骸草の治療は完了した。残る問題は腐酒が湧き出ている沼の対処である。調査に解決とやることはまだまだ多いが、関門(かんもん)の一つは消化して、ギンコも幾分か心が軽くなった。

 沼の調査が終わるまで、まだ時間はかかるだろう。ギンコは引き続き、神霊廟に当座の宿を求めることになった。その帰路で、隣を歩いていた神子の表情を、ギンコは盗み見た。

 先導するのは二人の従者。布都と屠自古の二人である。その後ろ姿を見て、神子は微笑んでいた。

 大事そうに光酒を胸元に引き寄せて、それはそれは、優しげな表情を浮かべていた。次の一瞬、あれほど曇りなく輝いていた月が雲間に身を隠し、地上に影を落とした。まるで見てはいけないものを隠すように。

 確かに、自分が見ていいものではなかったかもなとギンコは空を見上げた。

 ギンコの反省を感じ取ったのか、それを褒めるように、月が再度、優しく微笑んでくれた。


















 はい。お疲れ様でした。八話です。
 一年も残すところ後わずかになりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。作者は愛用していたバスタオルが先日、唐突に引き裂けてしまい、若干ブルーです。
 今年の仕事納めも過ぎ、あとはだらだらと余暇を過ごすばかり。ですのでバリバリと筆を執っていきたいです。できれば今年中にこの章を完結させたいですが、間に合うかどうかはわかりません。期待半分にお待ちください。

 さて、作中では神子の真意が透けてきたところですね。健気な太子様のお気持ちは次回で完全に補完されますので、お楽しみに。
 あとマミゾウさんが残念な感じになりましたが、抑止力としてはちゃんと働いてくれましたのでいなくてよかったわけでもないです。そうそう美味い話はないんじゃよ……(戒め)
 蝙蝠野郎は調べればすぐに出てきます。ギンコは人情家だったり、良識があったりとちゃんとした大人然としていますが、原作では悪人顔も見せてくれます。そういうところも好きです。






 それではまた次回、お会いしましょう。

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