幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 ギンコは神子と言葉を交わし、彼女が体のうちに蟲を飼っていることを知る。深入りしないほうがいいと忠告され、ギンコは神子の部屋を後にした。





 幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第八章 ふきだまる沼 陸

 ギンコが神霊廟に身を寄せて一夜明けた今日。昨日とは打って変わって快晴となった山の天気を眺め、ギンコは細く息を吐いた。気温だけは冬の様相そのままで、白く広がる息が前を行く三人の後頭部に届こうかというところで霧散した。

 今日は神子の案内で、ギンコは未だ骸草に寄生されている仙人のもとに向かおうとしていた。新たな治療法を見つけるため、症状を訴える患者を直接診る必要があると感じたためだ。

 神霊廟の門は昨日見た大岩のある場所に通じていた。患者のもとに向かう前に、腐酒の沼に寄り、治療に使う腐酒を手に入れるのだと、神子は言う。

 

「今日向かう患者はもうかなり症状が進んでいます。決断の時は迫っているのです。診察ついでに意志を確認し、望むなら治療を行います。いいですね?」

 

 道中、ギンコの前を歩く神子は声だけでそう確認した。ギンコも無言でこれに応じる。昨日の夜に比べれば丁寧になった口調だが、最初に聞いた時よりもどこか冷たい印象を受けた。

 治療を止めたい気持ちは山々だが、未だ具体的な治療法を提示することができていないギンコに口を挟む余地はない。放っておけば骸草は確実に宿主の命を奪う。神子の確認も、ギンコの意思を尊重するものではなく、協力関係である以上、筋を通したに過ぎない。

 ややあって、件の沼に辿り着く。赤黒い泥が渾々(こんこん)と湧き出している地獄の釜のようなそれを前に、ギンコは改めて事態の深刻さを受け入れた。

 腐酒には毒性がある。それは動物に対してのみのものであるはずで、通常地表に湧き出しただけで害になることはまずない。だが今回の場合は違う。それは腐酒の量がそうさせるのか、周囲の自然を侵食してしまっている。木々は立ち枯れ、雪の下に隠れている土もおそらく腐れていることだろう。明らかに異常事態だった。

 

「……何度見てもひどいな。これは」

「そう思うなら早急に事を成すべきです。わかっているとは思いますが」

 

 現状、骸草の治療には腐酒が必要不可欠である。だからこそ、この沼を浄化して元ある状態に戻そうというギンコの主張を、神子は受け入れられずに、事態は膠着(こうちゃく)している。

 神子の含みのある言葉を受けて、ギンコはその横顔を盗み見た。言われなくてもわかっている。そう言いたかったが、言えなかった。それはギンコが胸に秘めている、とある治療法への心当たりが原因だった。そして神子も、その心の内を見抜いている。今はまだ、誰も言葉に出せないでいた。

 そうしてギンコと神子が牽制(けんせい)している間に、屠自古が腐酒を汲み上げていた。三人の中で唯一の亡霊であり、明確な肉体を持たない彼女が一番腐酒の毒性を受ける可能性が低いため、腐酒の取り扱いは彼女が担当してるようだ。

 

「では行きましょうか」

 

 甘い果実酒のような香りの中に()えた匂いがする泥を抱え、一行は患者のもとへ向かった。

 患者のもとには早く着いた。ギンコが初めに見つけた老人の家と、ほとんど同じ造りをした山小屋のような家。仙人には静かに研鑽(けんさん)に励む空間があればいいと神子は言っていたが、ここらの仙人もその言葉通りのようだった。

 家の玄関戸に布都が近づき、来訪を知らせる音を鳴らす。

 

「家主よ。仙人、豊聡耳神子(とよさとみみ みこ)様が貴様の奇病を治療しに参った。入るぞ」

 

 短く来訪の理由だけを告げ、布都は戸を開けた。立て付けの悪い引き戸を思い切り引いたせいか、鴨居から戸が外れ、布都の方へと雪崩かかってきた。押しつぶされるようなことはないが、驚き、もたもたしている布都を横目に、神子と屠自古は家の中へ入っていく。当然のように無視された布都は、がたがたと戸をはめ直し、慌てて二人の後を追った。その一部始終を見ていたギンコも、そんなものかと今見ていたものを忘れ、後に続いた。

 

「おお……豊聡耳様。よくお越しくださいました」

 

 家の男はやはり老人で、ギンコが会った老人よりも長く髭を蓄えており、かなり痩せているようだった。老人は神子の姿を見ると、布団から身を起こし、下半身を引きずるような動作でなんとか布団から出ようとしていた。

 土間に立ったままの神子が手を向けてその動きを制した。

 

「無理をするな。もうほとんど足が動かんのだろう? そのままで良い」

「面目無い……それで、今日はどのようなご用件で」

「そろそろ答えを聞こうかと思ってな。貴殿も、もう自分に残された時間が少ないことは承知のはず。今が決断の時だ」

「……」

 

 神子の淀みない言葉に自分の運命を見たのか、老人は口をつぐんだ。だがその決断に時間はいらなかったらしく、弱々しくもはっきりと、自分の選択を口にした。

 

「……治療を受けます。どうかこの病を払っていただきたい」

「承った。だがその前に一つ、貴殿に頼みがある」

 

 頼み、ですかと老人が疑問符を浮かべると、神子は半歩身を引いて、後ろにいたギンコを老人に紹介した。

 

「この男はギンコという。旅の医者でな。後学のためにこの病を調べたいと言うんだ。どうか協力してやってほしい」

「はあ……それはまあ、構いませんが」

 

 神子はギンコの素性を隠すように紹介した。そのことにギンコも口を挟むつもりはない。老人は今、自分の片足を失う覚悟を決めたのだ。その決断に水を差すような希望的観測をチラつかせるのは残酷なことだと、ギンコも理解していた。

 腐酒を使った治療には副作用がある。骸草を溶かすことはできるが、代償として片足の膝から下も、一緒に失われてしまうのだ。老人もそれを承知で治療を受け入れた。ならばギンコの素性を正直に伝えたところで何ができるわけでもない。角が立たないように、事実を隠すのは当然かもしれなかった。

 

「すいませんね、大変な時に。協力に、感謝します」

 

 ギンコも神子の言葉に口裏を合わせ、先んじて老人へと近づいた。藁履(わらぐつ)を脱いで板の間に上がり、老人の(かたわら)に薬箱を下ろして座る。神子と屠自古は土間からの段差に腰掛けて、老人やギンコの方に背中を向けたままだが、布都だけはギンコの行動が気になるのか、二人に同調しながらもちらちらと背中越しに様子を伺っていた。

 

「では早速足を見せていただけますかな」

「はい……」

 

 布団を剥ぎ、老人の足を見る。そこには確かに、浅黒い灰色の不気味な草が蔓を伸ばして、表皮を覆い尽くすようにまとわりついていた。その草に手を伸ばし、指先で軽く触れる。例えるならば、中身のない落花生のような、空虚な印象を受ける草だった。

 

「あまり触れると手に伝染(うつ)りますぞ」

「ええ。ご心配どうも」

「……何か、わかりますかな」

 

 草に目を走らせ、じっくりと見分するギンコの様子に、老人が尋ねる。不安を塗り固めたような表情をしていて気の毒に思ったが、ギンコはありのままの言葉を伝えた。

 

「……いえ、特には」

「そうですか……」

 

 ギンコも見る限りでは骸草の効果的な除去法を思いつきはしなかった。骸草は文献にはない成長を見せてはいたが、それこそ死体に寄生した骸草としては、いたって正常な働きをしていた。

 伸びた草は膝下まで。それより上にはまだ到達していないようだった。

 

「草はいつ頃生え出したので?」

「え? ええと……確か雪が降る前、晩秋から初冬にかけての頃かと」

「やはりその時期ですか。流行り出したのは」

「ええ。ですが誰から、というわけでもなく、病はほぼ同時期に発病したようでして……流行りだす、というのはどうにも得心がいかないことも」

「同時期に……」

 

 それも妙な話だとギンコは思った。本来、骸草が死体を分解するのはそう長くかからない。三、四日から長くて七日もあれば大人一人分の死体を全て泥状に分解する。草が芽吹いたのが晩秋というなら優に二月(ふたつき)は過ぎている。そして芽吹きそのものはほぼ同時期に起こっているのだから、その中で全身を侵され死んでしまった者と、こうして生きながらえている者が現れるのは不自然だった。

 やはり骸草の成長を促している理由があり、単純に骸草が寄生しているわけではないのだろう。そこに光明がありそうな気がした。

 

「普段は何をしているのか、教えていただけますかな」

「普段は……朝に真言(しんごん)を唱え、昼は錬丹(れんたん)に努め、夜はまた真言を唱える……と修行に明け暮れておりましたが」

「今は?」

 

 聞き返された老人は目を伏せ、自分の足を情けなさそうにさすった。

 

「……この足では錬丹を行おうにも、材料を取りに行くことも炉の前に立つこともできませんのでな。内気功を整え、ひたすら真言を繰り返しております」

内丹術(ないたんじゅつ)だな。熱心なことだ」

「なんだお前さん。いきなり」

 

 いつの間にかギンコの隣には布都がいた。ギンコが老人に話を聞いている間に移動していたのだろう。ちょこんと正座しながら腕を組み、なにやら納得したようにうんうんと頷いている。

 

「いやなに。道教の修行や仙術の鍛錬に関してはギンコも疎いだろうからと、ありがたくも(われ)が解説してやろうかと思ってな」

「そりゃどうも。で、内丹術ってのは」

 

 にこやかに語りかけてくる彼女はいつも通り尊大な口調で、どうにも憎めないのも相変わらずだった。ギンコに問われた布都は得意気に話し始める。

 

「うむ。内丹術とは錬丹術などの外丹術(がいたんじゅつ)と対をなす鍛錬法でな。外で金丹を錬り上げるのではなく、呼吸を知り、気を整え、己がうちに生じる(たん)を錬り、金丹を生み出すというものなのだ。高度な仙術であるから、誰でも使えるわけではないぞ」

「おい、解説ってんならこっちがわかる言葉で説明してくれ。全然わからんぞ」

「なんだと。蒙昧(もうまい)な奴め」

 

 全くしょうがない奴だと言わんばかりにため息をつく布都に少し腹を立てたギンコは、布都の頭の上に乗っている烏帽子を掴んで上に引っ張った。当然落ちないようにと顎の下に紐を通して結ばれているそれは、持ち上げられることで彼女の顔の肉も上に締め付けながら引き上げることになる。

 なにをする! と抗議する布都の手を躱し、手を引っ込めると宙に固定されていた烏帽子が重力を思い出し、布都の脳天を直撃した。

 

(たん)、とはこの場合霊薬の元になるもので、金丹とは長寿の霊薬のことだ。それを体の内と外、どちらで錬るのかというところで鍛錬の方法が変わる。その老人は病に冒される前は体の外で、病に伏せてからは体の内、つまり内気(ないき)を丹として錬り上げ金丹を生み出していたということだ。さらに言えば、錬丹は仙人の修行に欠かせない、体を維持するための重要な修行の一つだ。これを怠れば限界を超えている体がたちまち崩れていく。故に完全な不老不死を得た仙人でもない限り、錬丹を毎日行なっている……と、こんなところでいかがか、医師よ」

「わかりやすいな。助かるぞ」

「さすが太子様!」

 

 布都の体たらくを見かねたのか、神子が口を挟んできた。袖なしの外套を羽織った背中から声が聞こえる。布都はと言えば、ギンコにいじられた烏帽子の位置を正しながら、従者らしく主人のわかりやすい解説に手放しで称賛の言葉を送っていた。

 どうやら寿命に負けて朽ちゆく体をつなぎとめる錬丹術とやらを行なっていることが、骸草の侵攻を食い止めているようだった。おそらく、それをしているかしていないかで症状に差が見られるのだろう。

 

「太子様よ。早くに死んじまった人らは、錬丹術ってのをちゃんとできていたのかい」

「……なるほど。いいや、ほとんどが足を悪くしたことで丹を錬ることが出来なくなった者たちだ。逆を言えば、この老人のように内気でも丹を錬ることが出来る御仁だけが、治療を拒みながらも今を生きている」

 

 ギンコの言わんとしていることが理解できた神子は、それを示すように補足を加えた。そしてその言葉を聞いたギンコは治療法に対する確信を強めた。

 やはり骸草は生き物には取り付いても成長せず、自身の本分を忘れないようだ。なればこそ、ギンコが実行をためらっている治療が効果的であることが証明されたようなものだった。

 

「……ありがとう。もう結構だ」

 

 ギンコは立ち上がり、老人に背を向ける。無表情で寒々しくはあるものの、ギンコの顔には明らかに憂いが見て取れる。土間と板の間の境界に座り込み、藁履を履いていると、後ろから声がかけられた。

 

「治療は見なくても良いのか、医師よ」

「ああ」

 

 神子にかけられた言葉に短く返事をし、ギンコは家の玄関戸に手をかけた。

 

「少し外を歩いてくる。一人にしてくれ」

「そうか。我々はこの者の治療が終われば廟に戻るが」

「……」

「……日の入りに沼まで来なさい。迎えを置いておく」

「すまんな」

 

 神子の気遣いを背中で受け、ギンコは家の外に出た。

 

 

 

 

 

 仙人の家から出たギンコは気分を変えるために近くの山中を散歩していた。輝く太陽が生き物の気配少ない雪原に反射して、文字通り銀世界が広がっている。まばらに常緑の木々も突き立つが、彼らも足並み揃えて雪化粧に身を任せており、清涼な調和がなされていた。

 そんな爽やかな景色とは裏腹に、ギンコの心は曇り空だった。骸草に寄生された仙人を直接診れば、何か新しい発見があるかもと期待していたが、結果は変わらず。逆に自分の想像通りの対処法が効果的であると確信するに至ってしまった。どうしものかと、一人ため息をついた。

 光酒(こうき)を使った治療。それがギンコが胸に秘めているものだった。

 骸草は寿命を超越し、百数十年生きている仙人の体を死体だと認識している。ならば仙人の体に活力を取り戻し、生き物である事を認識し直させれば、薬が効くようになるかもしれない。曰く、仙人は錬丹術という方法で自分の体が朽ちることを防いでいるという。呼吸をはじめとする体内循環を意識して行う内丹術は、骸草に宿主が生きていると主張することにつながっているのだろう。故にこの治療はまず成功する、とギンコの中で確信があった。

 だがそうすれば、光酒というモノの存在を仙人、豊聡耳神子に知られることになる。

 寿命を超越した今も、道を極めるために不老不死を求めている輩に、生命の源と同義である光酒の存在が知れれば、どんな事態が起きるか想像に難くない。不死を求めて光脈筋は荒らされ、命の垣根が崩れ、(ことわり)が乱れることになるだろう。それだけは避けなければならない。

 だからと言って他に方法があるわけでもなし。放っておけば仙人は死に、骸草への対応策である腐酒の沼の浄化も叶わない。どうにかならないかと気を揉んでも事態は好転せず、ギンコはやりきれない思いを抱えながら放浪する他なかった。

 しばらくそうして当てもなく山道を歩き、雪に足跡を残していると、誰かが誰かを呼ぶ声が聞こえた。

 

「あ、おーい人間さーん!」

「あ?」

 

 思わず声の聞こえた方を見ると、そこにはいつぞやの傘の付喪神、多々良小傘(たたら こがさ)がぶんぶんと大きく手を振って木の近くに立っていた。水色の装束に大きな茄子色の傘。少し遠くからでもわかりやすい影像に、ギンコも手を上げて応えた。

 それを見て小傘が駆け寄ってくる。小さい体でずぼずぼと元気よく雪を踏み抜き、ギンコのそばまで来た。

 

「よう。どうしたい、またこんなとこで」

「えへへ。ギンコさんを探してたんだよ? もういないかもって思ったけど、ちゃんと見つかってよかった」

「俺を? なんか用かい」

「用があるのは儂じゃ」

 

 小傘に続いて木陰から顔を出したのは洋装に身を包んだ女性だった。短い栗色の髪に、顔には丸眼鏡をかけ、手には大きく酒と書かれた徳利、腰には上綴じの帳面らしき紙束がぶら下がっている。そしてなんと言っても特徴的なのが、腰の少し下あたりから伸び、女性の背後で存在感を放っている大きな尻尾だった。茶色と焦げ茶のまだら模様のそれは時折左右に揺れ、作り物ではないことをギンコに主張している。そしてよく見れば頭からは獣の耳らしきものも生えていた。頭頂部に乗っている青々しい一枚の葉っぱはなんなのかわからないが、とにかく彼女も、人間ではないと言える容姿をしていた。

 その女性はさくさくと地面にほとんど足跡を残さずにギンコへと歩み寄り、眼鏡のつるに手を添えてギンコの体をじろじろと見始めた。

 

「ほうほう。お主が蟲師と。何ぞ奇天烈な見た目しておるの」

「そういうあんたも人には見えねえな。なんだその尻尾」

「ぬ? そりゃまあ、儂は化け狸じゃし? 尻尾があるのも当然じゃろ?」

 

 背中を向け、ことさら大きく尻尾を波打たせ、その妖怪はギンコに向き直った。

 

「なるほど。それで、その化け狸さんが俺に何の用だい」

「いやなに。蟲師なら持っとるじゃろ、光酒。くれ」

 

 ニカッと歯を見せて臆面もなく手を出してきた妖怪に面食らったギンコだが、いつぞや光酒を鬼に要求されたことを思い出し、なるほどそういう輩かと納得した。

 もらえて当然のように上機嫌に笑っている妖怪を前に、しかし今は手持ちの光酒を分けるわけにはいかず、ギンコはやんわりと断った。

 

「悪いが今は手持ちがない。日を改めてもらえんか」

「嘘言っちゃいかんぞ若いの。儂の鼻は誤魔化されん。お主は持っとる。間違いないわ」

 

 ギンコの嘘も呆気なく見破られ、妖怪は再度要求を突きつける。穏やかな態度をしているが、その態度がいつまで続くとも限らない。いつかの鬼は頼んでいるうちに渡せと威圧までしてきたのだ。この手の妖怪たちはその気になればギンコの意思など関係なく光酒を奪っていくだろう。

 やっかいなことになった、とギンコは筋違いとは思いながらも、小傘を恨まずにはいられなかった。光酒を奪われてはこれからの治療にも差し支える。ここはどうにかこの妖怪に引き下がってもらう他なかった。

 

「……だめだ。手持ちの光酒はやれん。これから必要になるかもしれんのだ。どうか聞き分けてくれ」

「むむ、どうしてもか?」

「どうしてもだ」

 

 丸眼鏡の奥にある瞳が険しくなる。襲われるか、と身構えたギンコだったが、狸妖怪は意外にもため息をついて、しゃがみこんだ。

 

「そうかぁ〜……ダメか」

「ああっ、元気出してマミゾウさん」

「ぬう〜ん……残念じゃのぉ」

 

 心底残念そうなつぶやきを漏らしながら、狸妖怪は尻尾をしぼませた。その側に小傘が寄り添い、ちょっとだけでも、と言うような目で見上げてくるが、ギンコも心を鬼にして気丈にならねばならなかった。

 

「そんな目してもやれんもんはやれん。期待させちまってたんなら悪いけどな」

「じゃ、じゃあ! いつなら良い!? どうすれば光酒をくれるんじゃ!?」

「うおっ」

 

 意気消沈していたかと思えばすぐに元気を取り戻し、狸妖怪はギンコに食ってかかった。光酒飲みたいんじゃあ〜、と駄々をこねるのが鬱陶しくもあったが、悪い妖怪ではなさそうだと、ギンコは思った。

 

「頼むよぅ……後生じゃぁ……」

「どんだけ飲みたいんだよ。ダメだ」

「ワタリの連中も見なくなって久しく、やっと見つけた蟲師には袖にされ……絶望じゃ。よし、死のう」

「ええっ!?」

「待て待て」

「そうか金か。金が欲しいのか」

 

 金ならあるぞと、狸妖怪はどこからともなく手のひらいっぱいの砂金の大粒を取り出してみせた。淀んだ目をした悪い顔。隣で見ていた小傘はたいそう驚いていたし、常人には目も眩むような黄金であるが、あいにくギンコには通じない手だった。

 

「いらん。だからやれんと……」

「けっ! なんじゃケチくさいのぉー!」

 

 ギンコが再度断れば、狸妖怪は途端に悪態をつき、手のひらの黄金を雪の上に放り投げた。勿体無いことするな、とギンコが思っていると、雪の上に散らばった砂金の大粒はみるみる内に輝きを失い、細かな砂利に変化してしまった。

 

「おい、金が石になったぞ」

「元から石じゃ」

「清々しいくらいに堂々としやがって。騙しやがったな」

「取引しとらんのじゃからノーカンじゃろ」

 

 悪びれる様子もなく、狸妖怪は砂利を拾ってもう一度それを金に変えてみせた。どこからどう見ても砂金の大粒である。ギンコはその手際に驚き、目を丸くした。

 

「さすが化け狸、ってか」

「お、儂の能力に興味があるか。そうじゃろ。人を騙すならお手の物。化かし惑わすは狸の本懐じゃからの。詐欺の手伝いなら完璧じゃぞ。どうじゃ一口(ひとくち)

「乗らねえよ……だが」

 

 狸妖怪の能力を見たギンコは一つの妙案を思いついた。それが実行できるかどうか、ギンコに素っ気なくされてぶーたれている目の前の狸妖怪に確認を取る。

 

「お前さん、別の人に化けることはできるか」

「お? なんじゃ急に」

「答えてくれ。返答次第なら、協力してもらう。その見返りに光酒を分けると約束してもいい」

「本当か!?」

 

 喜色満面と言った具合に狸妖怪が顔を綻ばせる。

 ギンコは思っていた。この妖怪の協力があれば、上手くことを運べるかもしれないと。治療のために光酒を使っても、穏便にすませられるかもしれない。さっきまで厄介この上ないと思っていたが、これは運が向いてきたのではと、今は思っていた。

 

「俺は蟲師のギンコという。お前さんの名は?」

「儂は二ッ岩(ふたついわ)マミゾウ。して、協力とは何を?」

「ああ。ちょいと、人を騙そうかと思ってね。手伝ってくれるか」

「ほう……」

 

 小傘が疑問符を浮かべる横で、何か通じ合ったように、二人は悪い笑顔で握手を交わした。

















 はい。お疲れ様でした。六話です。長くなりました。ごめんね。
 小傘ちゃん再登場&マミゾウさん登場です。小傘ちゃんはマミゾウさんとセットになってこの物語で重要な働きをします。最初に出てきた後、すぐ退場しちゃって残念に思っていたそこのあなた。ちゃんと小傘ちゃんは活躍しますよ。よかったですね。
 さて、ギンコさんが何やらマミゾウさんと悪巧みをしていますが、一体何を企んでいるのか。私、気になります。





 それではまた次回、お会いしましょう。

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