幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

67 / 78
<前回のあらすじ>
 冬の幻想郷を旅するギンコは傘の付喪神、多々良小傘と遭遇した。人懐っこい彼女を、本体の傘目当てで同行させ、ギンコは奇妙な足跡を追って雪深い道を分け入っていく。





 幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第八章 ふきだまる沼 弐

 しんしんと雪が降り積もる林道を、片足だけの足跡を追いかけて、蟲師のギンコと付喪神の小傘は静々と歩みを進めていた。乾いた外気が吐息で湿り、白い雲のようなものとなって広がる。そんな白い息を吐き出すのがなんだか不思議なのか、小傘はギンコの傍で遠く息を吐き出しては、霧散していく霞を見つめていた。

 

「不思議。冬に息が白くなるのはなんでかしら」

「それは吐息に混ざる湿気が、外気で急速に冷却されて水滴が生じるためだ。霧や(もや)なんかと同じ原理だな」

「寒いとどこでもこうなるの?」

「そういうわけでもない。稀に、寒くても息が白くならない時もある」

「どうして?」

白水(しらみず)、という蟲がいてな。普段は風なんかに紛れて空気の中の水分を食って生きている、とても小さな蟲なんだが、空気が冷たく乾燥してくると動物の肌に取り付いて水分を得ようとするんだ。冬場に顔や手足が乾燥するのはこいつらが原因なこともある」

「へぇー。……あれ? 息の話は?」

「あせるな。これから話す。……冬を生きる白水にとって動物の吐息は貴重な水分源だ。吐いた息にこいつらが群がって、一瞬で水分を食っちまうから息が白くならない、ということだ」

「いっぱい来られると干からびちゃいそうだね」

「そうだな。命に関わるほど白水が大量に群がると、目が痛くなって開けられなくなる。そんな時はゆっくり深呼吸して白水を吸い込んでやればいい。体内で一度に大量の水に触れると、やつらは逆に水に溶けてしまうからな」

 

 ギンコの語りに耳を傾け、小傘はへー、ふーんと相槌を打った。話の内容が新鮮なのか、はたまたギンコと話すのが楽しいだけなのか、道中で小傘は饒舌(じょうぜつ)だった。

 やがて林道が途切れ、足跡は緩やかな起伏を見せる山道へと続いていた。そこでギンコは立ち止まり、考える。これ以上の探索を実行するか否か、決断を迫られていた。

 幻想郷に来て半年を過ごしたギンコだったが、立ち入ったことのない場所はまだまだ多い。魑魅魍魎(ちみもうりょう)(たぐい)闊歩(かっぽ)する幻想郷で、ギンコはそれらに襲われにくいとされているものの、絶対という保証はどこにもない。事前情報もない見知らぬ土地を歩くのは慎重にならねばならなかった。ましてや季節は冬。厳しい寒さがいつも以上に旅の障害となって立ちはだかる。どうしたものかとギンコが思案していれば、その顔を小傘が覗き込んできた。

 

「どうしたの?」

「いや、この先に行くかどうか迷っていてな……お前さん、この先に何があるか知ってるか?」

「うーん……わかんない。この辺来たことないもん。でも足跡は人間さんのだと思うよ。変な匂いするけど」

「変な匂い?」

 

 そう言いながら小傘はしゃがみこんで足跡に顔を近づけた。すんすんと鼻を鳴らして足跡の匂いを嗅いでいるようだ。やっぱり変な匂いする、と小傘が言うのでギンコもしゃがみ、匂いを嗅いでみた。するとどうしたことか、ギンコにもその匂いが嗅ぎとれた。それは夏場に感じることがある臭いだった。食物が腐り、発生する腐臭のような、刺すような酸っぱい臭い。微かに漂う、すえた臭いだった。

 

「(妙だな……。こんな冬場に……しかも雪の上に残った足跡だぞ?)」

 

 ギンコは小傘を見て問いかける。

 

「どうしてこれが人間の足跡だと思うんだ?」

「う? だって妖怪みたいな臭いしないし……たぶん」

 

 明確に問われれば小傘も自信がないようで、少し視線を泳がせて答えた。

 雪の上に残る、腐臭のする片足の足跡。ギンコはその腐臭に、心当たりがあるような気がした。記憶の中にあるそれと目の前にある今を照合し、それならばとギンコは足跡を追いかけることを決めた。

 立ち上がり、傘を揺らしてギンコは山道へと足を踏み入れる。取り残されてはたまらないと小傘もすぐに立ち上がり、ギンコの後を追って傘の下に潜り込んだ。

 常緑樹の林から一転して、ギンコが足を踏み入れた山道は冬枯れの樹木が目立つ寂しい光景が続いていた。立っている木々もどこか細く、頼りない印象を受ける。(おろし)でも吹けばぽっきりと折れてしまいそうな印象だ。

 時折葉を残す草木を見るが、その周りに越冬を目論む動物たちの姿はない。この辺りは生き物の気配が特に希薄な土地であるようだった。

 ギンコも山の状態を見て、少し違和感を覚えていた。生き物が少ない土地というのはままある。特に雪が深く、木も細いこんな場所ではそれも仕方ないだろう。しかしギンコが感じた違和感というのは、別のところにあった。

 

「(蟲が少ないな……)」

 

 蟲。それはギンコの視界に絶えず映り込む、奇妙な隣人たちの総称。土や木の中で冬を越すためにじっとしている小さなものたちとは違う、ふわふわと、ゆらゆらと風に舞い、時に光を透過して関わるものを惑わせる、そんな生命そのものに近いモノたち。彼らの数が、どうも少ないようであるとギンコは思っていた。

 常ならざる存在である彼らだが、生命である以上、四季の移ろいには多く影響を受ける。春に芽吹き、夏に活気付き、秋には寂れ、冬には眠る。それは普通の動植物となんら変わりはない。稀に冬に活気付くモノもいるが、しかしこの山には、それらを加味しても蟲の数が少なかった。

 首巻きを少し下げて鼻を鳴らす。山道を進むにつれて、自分と、隣を歩いている付喪神の少女以外の足音が浮き彫りになり、降雪の風に乗って、微かな異臭が運ばれてくるようになった。

 冷気で鼻の粘膜が引っ張られる。ギンコはこの先に待ち受けるものを想像して、少し顔をしかめた。

 

 

 

 

 

 しばらく山道を歩いていると、前方に一軒の家が見えてきた。雪が被って白くなった茅葺(かやぶ)き屋根の宝形造(ほうぎょうづく)りが目に入る。家、というよりは山小屋のような雰囲気のそれは、見すぼらしい印象が拭えなかったが、しかし問題の足跡はその家に続いているようで、ギンコたちが追いかけてきた人物はそこに住んでいるようだった。

 足跡が途切れる玄関の前に立ち、戸を叩いた。小傘は家主を警戒したのか、ギンコの後ろに隠れるように立っている。ギンコの行動に間を置かず、家の中から返ってくる声があった。こもった低い音は男性の声のようだった。ギンコは自らを旅のものと名乗り、家主であろう男の次の言葉を待った。

 やがて家の中から物音がし、土間を草履で引きずる音が聞こえて、戸が少し動いた。戸の隙間からは(ひげ)を蓄えた白髪混じりの初老の男性が覗いている。男は目線だけでギンコの風体を見分し終えると、じっと目を見てきた。

 

「……旅のものとは珍しい。こんなところに、何用かな」

 

 ギンコの名乗りを疑わずに、男は低く穏やかな声で尋ねてきた。まだ警戒心はありそうだが、ひとまず話が通じないような相手ではなさそうだと、ギンコも胸をなでおろす。少し尋ねたいことがある、とそう言葉を続けようとした時、ギンコの息は詰まった。

 

「……!」

 

 それはここにくるまで少しずつ風に乗って漂ってきた腐臭だった。食物を腐らせたようなすえた臭いが明らかに強くなっている。小傘も匂いを嗅いだのか、う、と小さなうめき声をあげて、ギンコの上着を強く掴んだ。

 ギンコが過去、嗅いだことのある腐臭の発生源はこの家にありそうだった。ギンコの態度を見て、男は言葉をかける。

 

「……気になるかね。この匂いが」

「……ああ、この匂いについて、少し話を聞かせてほしい」

「……あんたはどうやら訳知りのようじゃな。匂いは強くなるが、こう寒いと温もりには代えられんじゃろう。中に入るとええ」

 

 戸を開いて、男はギンコを家の中に招き入れる。じゃまするよ、とギンコが傘をたたんで敷居を跨ごうとすると、傘がどこかに引っかかったようにつんのめってしまった。不思議な光景だった。見えない何かに阻まれるように傘だけが敷居を跨ぐことができないでいた。それを見て、男はギンコに言った。

 

「この家に妖怪は入れん。連れは外で待たせるんじゃな」

「なに? そうなのか」

「一身上の都合でな。聞き分けてくれ」

 

 すまんな、と男は言葉だけかけて、自分はさっさと土間を上がり、囲炉裏(いろり)を中心に据えた板の間に上がっていってしまった。ギンコは振り返り、小傘を見る。未だ弱く降り続ける雪の中に小傘が立っていた。

 ギンコはどうして妖怪がこの家に入れないのかわからない。だから小傘にどう言葉をかけていいのかもわからなかったが、それを察した小傘の方が苦笑いを浮かべた。

 

「しょーがないか。あのおじいさん、きっと妖怪嫌いなんだよ」

「……そうなのか」

「うん。ギンコさんみたいな人の方が珍しいと思うよ、わたし」

 

 ギンコから傘を受け取り、小傘は自分の上で広げる。少し名残惜しそうに笑っているのが、ギンコにもわかった。どうやら散歩はここまでらしい。

 

「じゃあね。お散歩楽しかった。またどこかで会ったら傘に入れたげる」

「ああ」

 

 ばいばーいと手を振りながら、小傘は外で待つことをせずに、足早に立ち去っていった。来た道に残る自分たちの足跡を踏みながら小さくなっていく茄子色の傘を見送って、ギンコは振り返り、後ろ手に戸を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 土間から板の間に上がり、背負っていた薬箱を下ろす。ギンコが踏み出す一歩で乾いた木が軋みを上げる。板の間に敷かれている(むしろ)の上に腰を下ろし、囲炉裏を挟んでギンコと男は向かい合った。

 外気で冷えた体に、囲炉裏の火は優しかった。ぱちりと炭が弾ける音がして、熾火(おきび)の熱が頬を熱くする。鼻や指先といった体の末端がじんわりと痺れたように温まり、身体の熱が均一化されていくのを感じた。

 ギンコの前で、男はしばらく黙っていた。火箸を使って炭をいじり、灰を分けながら風通しをよくするために積み直す。見れば男の顔は骨ばっていて、薄暗い室内に囲炉裏の炎で浮かび上がった表情はどこかおどろおどろしく見えた。髭を蓄えた白髪混じりの痩身の老人が、こんなところで一人暮らしとは。ギンコは理由を想像した。

 

「……足を、無くされたんですか」

 

 沈黙を破ってギンコが問いかける。ここに至るまでに見た奇妙な足跡の正体が目の前にあった。胡座(あぐら)をかく老人の左足の位置。そこには着物の上からでもわかる不自然さがあった。あるべきはずの、膝から下の体組織。老人にはそれが欠落しているようだった。

 火箸の動きが一瞬止まり、再開される。間を置くように沈黙を守り、老人は火箸を囲炉裏の灰に突き刺して、ギンコの問いに答えた。

 

「先日、病でな。必要なことじゃった」

「病、ですか」

「ああ……それよりも、お主は一体何者じゃ。尋常ならざる気配。妖憑(あやかしつ)きの類か」

 

 素性を問い詰める老人は眼光鋭くギンコを見据える。

 

「蟲師のギンコと申します。蟲師という言葉を聞いたことは?」

「蟲師……? いや、知らんな。新手の式神使いか」

「蟲と呼ばれるモノを相手取り、生業とする者です。貴方は、こんな場所で一人暮らしを?」

「……儂はただの世捨て人じゃ。道を志し、命の極みを求めて修練を積んだが……今ではそれも無意味。厭世(えんせい)の念を溜め込むだけの、老害よ。里では儂らのような存在を、仙人と呼ぶものもおるがの」

 

 自嘲するように吐き捨てた老人は無い左足に想いを寄せるように、膝をさすった。この老人にどのような事情があるのかはわからない。だがその左足に関してだけは、ギンコは口を挟むことができそうだった。

 

「病、と言いましたが。その病について詳しくお聞かせ願えませんか。俺の見立てでは、この部屋にこもる腐臭と、その病は無関係じゃ無いはずです」

「……不思議な若者じゃ。ええじゃろう、話そう」

 

 ギンコの言葉に老人は応え、ここ数ヶ月の間に起こったことを、囲炉裏の炭が弾ける音に乗せて、静かに語り始めた。

 

「病が流行りだしたのは晩秋の頃……今より二月ほど前の話じゃ」

「流行りだした? 足を無くしたのは貴方だけではないと?」

「そうじゃ。儂のような者はこの辺りに多くいる。求道者(ぐどうしゃ)だけではない。人里の水が合わん(やから)……はみ出し者もな。密に手を取り合うほどではないが、都合が合えば助け合いもする。そういう意味では、ここらは幻想郷の吹き溜まりと言うところか……」

「吹き溜まり……」

「各々事情を抱えておる。とにかく、そういう者たちの中である日、足に奇妙なできものができたというものが現れた。今思えばそれが始まりじゃろう」

「……」

 

 ギンコは老人の語りを黙って聞いていた。老人は熾火を見つめ、遠く何処かに意識を飛ばしている。あるいは、記憶の中にある病とやらを反芻(はんすう)しているのだろうか。

 

「それは植物の芽のような、浅黒いできものでな。儂らは病に一等気を遣っておったが、そのできものの由来も薬の処方もわからんかった」

 

 老人の目は暗く淀み、沼の底の深い泥を思わせる。囲炉裏が浮き彫りにして映し出す老人の影が、次第に大きくなっていくような錯覚を覚えた。

 

「そのできものは徐々に成長していった。まるで植物のように芽を出し、(つる)を伸ばして足を覆うように成長したのじゃ。成長するにつれて足の自由も効かなくなっての。抜こうにも触れば手にまでその芽を飛ばし、蔓を生やした。これは良くないものじゃと皆が思い始めた頃には、もう手遅れじゃった……草が全身に広がった者から順に、全身が泥のようになって崩れ、息絶えた」

「……」

「焼こうが煮ようが草は生えてくる。徐々に蔓を伸ばし、いずれ人を泥に変える。なす術なく途方にくれておった儂らじゃが、ある日儂らの草を絶やす薬を分けてくれる仙人が現れての」

「薬を分ける仙人……?」

「その薬を草に塗り広げると草はたちまち溶け出し、消え去った。しかし副作用があっての。左右どちらかの足が、無くなってしまうのじゃ。それでもいずれ全身を泥状に溶かされるよりはマシだと、多くの者はその薬に頼り、草を溶かした。儂もそうして、足を失い、今生きておる」

「……その薬が、この腐臭の原因なのでは?」

「そうじゃ。匂いのきつい生薬だそうでの。誰もいい顔はせんが、命には代えられん」

 

 老人の話を聞いて、ギンコは確信する。病と薬の正体は、間違いなくギンコのよく知るモノである。そして同時にわからないこともあった。それらの疑問は、薬を分け与えた者に聞かねば解消しないだろう。

 

「……その薬とやらを持ってきた仙人とやらはどんな人物だ。所在、名前、容姿。なんでもいい。知っていることを、話してくれ」

 

 ギンコは低く、重い声で聞き出す。先ほどまでの老人の語りに引けを取らない有無を言わせない重厚さが、ギンコの語りから伝わる。そんなギンコの様子に反応して、老人は囲炉裏から目線を上げ、ギンコの目を見た。

 

「ああ、そのお方の名は……」

「そこからは私がお話しいたしましょう。蟲師殿」

 

 老人の語りを遮るように声が割り込んできた。ギンコも老人もその声の主を探して視線を向ける。その人物たちは、いつの間にか家の中に入り込んでいた。玄関の戸を背にして、二人の訪問者が立っている。烏帽子(えぼし)を被り、目を伏せる一人を従えるように、紫の外套(がいとう)(ひるがえ)してもう一人が歩み出る。声の主は、どうやら外套を(まと)った方のようだ。

 

「話は全て聞きました。私に聞きたいことがありそうですね」

「……あんたか。仙人とか名乗ってこの人らに、病の処方として薬を渡したのは」

「ええ。そうです……そう言えば、積もる話もあるでしょう。ですがその前に、仙人では締まらない。私の名を名乗らせていただきましょうか」

 

 ギンコのじとりとした視線も物ともせず、仙人とやらは控えめに、しかし堂々を名乗りをあげた。

 

「私の名は豊聡耳神子(とよさとみみ みこ)。遠く仙界に住まう、神霊廟(しんれいびょう)の主人です。どうぞお見知り置きを」

 

 恭しいお辞儀につられて、炭がぱちりと弾けた。













 はい、二話です。神子様が出てきましたね。神霊廟の顔とも言えるでしょう。かわいい。
 ギンコが出会った奇妙な病も、原作を読んでいる方ならもうお分かりだと思います。今はまだ要素が散りばめられている物語ですが、ここからどう物語が纏まっていくのか。どうぞお楽しみに。





 それではまた次回、お会いしましょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。