幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 半霊を探して妖怪の山を訪れた妖夢は突如意識を失い、気がつくと白玉楼の自室に居た。





幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第七章 迷い繰る日 肆

 冥界の空青む早朝。白玉楼の庭には、もう何度繰り返したかもわからない日課をこなす妖夢の姿がある。

 彼女が操るのは大小の二刀。長刀の楼観剣、小太刀の白楼剣。このうち、彼女が今振り、操っているのは長刀の方だった。

 楼観剣。とある妖怪が鍛えたとされる刀。詳しい出自やその性質は持ち主である彼女をして不明な点が多いが、一説では一振り幽霊十匹分の殺傷力がある、らしい。確かに刃紋は均一で、鍔の根元から剣先まで刃こぼれ一つなく美しい銀の流線を描くそれは名刀であろうが、その性能とやらはどうにも眉唾だった。 

 小柄な彼女にして楼観剣は少々大柄な刀である。しかし刀に振られることなく、彼女はその曖昧が鋼となったような名刀を苦もなく操っていく。筋力による強引さはほとんど感じられず、巧みな技が光る、そんな演武。

 実戦の機会が少ない型でも、祖父から教わったことは漏らさずに反復していく。草書体の如き流線を描く型。鋭角に上から下へ、下から上へと刃を切り返す型。時に体ごと踏み込み、時に切り払いで距離を取る。仮想敵を思い描き、密度高く鍛錬を重ねる。日課とはいえ、手を抜くことは無い。彼女の生真面目さが伺える、そんな朝の一幕。

 白刃が風を切り、今朝の鍛錬が終了する。長刀の刃紋に朝日が滑り、納刀の音がぱちり、と締め括った。しかし、彼女の今朝はどうにも勝手が違っていた。

 

「……やっぱりしっくりこない」

「おはよう、妖夢」

「あ、幽々子様。おはようございます」

 

 どうにも手持ち無沙汰な感じが抜けない今朝の日課を終えたところに、白玉楼の主人、西行寺幽々子が声をかける。自分を見て、頭を下げて挨拶する従者を見て、幽々子はとある違和感を指摘した。

 

「あら、妖夢あなた……」

「……お気づきになられましたか」

 

 幽々子が指摘したのは妖夢の半身、半霊のことだった。いつも彼女の周囲を漂い、追従する人魂のようなそれが、どういうわけか見当たらない。

 

「え? どうして?」

「それが原因もわからず……屋敷内を探してはみたのですが今朝からどうも見当たらなくて」

「見当たらなくてって……ずいぶん呑気ね。演舞なんてやっている場合?」

「火急ではありますが一身上の都合ですので……」

 

 幽々子様の御許可をいただく前に下界に探しに行くことも叶わず、とりあえずいつも通り朝の日課を消化していました、と妖夢は説明する。そうして説明しつつ、縁側に立つ幽々子へと近づいていった。

 

「申し訳ありませんが、今日一日お暇を頂きたいと思いまして。起床をお待ちしておりました。よろしいですか?」

「それは構わないけれど……探すあてはあるの?」

「あるとは言えませんが……とりあえず記憶にあるところを探してみようかと思います」

 

 それでは失礼いたします、と妖夢はもう一度主人に頭を下げて白玉楼を出発した。

 

 

 

 妖夢は下界へと降り立っていた。なるべく早く半身を見つけ出さなければという使命感のみが強まる一方で、今後の行動方針といえば「半霊を探す」という雑破な内容なのだからどうしようもない。

 ともかく、情報も心当たりもない以上、昨日の自分の行動を洗い直すしか方法はないように思われ、妖夢はまず、人里を目指していた。

 人里に到着し、情報を集める。しかし、これといって収穫はない。落胆が重みを増して、両肩にのしかかった。道行く人よりも肩を落としているだけで、なんだか世界から浮いた気分になってしまう。このまま半霊が見つからなかったらどうしよう。そんな考えが頭をよぎり始めたところで、妖夢はある光景に出くわした。

 野菜の小売店の前。道に転がる幾つかのキノコ。それを拾い集める白黒の衣装を身にまとった少女に、籠の中身を指差して、店主と会話する白髪の男。その男を見たとき、妖夢は妙な既視感に囚われた。

 近づけば会話が聞こえてくる。妖夢はその珍妙な見た目をした男に注意を払いながら、三人に近づいていった。

 

「ありがとうな、兄ちゃん。いやー助かったぜ」

 

 豪快に笑う店主に、男は返す言葉で商談を持ちかけた。

 

「なんの。で、この見返りと言っちゃあなんだが、ご店主よ。野菜を幾つか譲っちゃあもらえんかね」

「あ! お前、最初からそれが目的かよ!」

 

 男の言葉に、すわと立ち上がった少女、霧雨魔理沙が噛み付く。汚いぞ、という魔理沙の口撃もするりと躱し、男は涼しげに店主に向き直る。

 

「さあな。で、どうだい」

「はっはっは! もちろんいいぜ! 霧雨の嬢ちゃんも、この兄ちゃんくらい上手にやんねえとな」

「くっそぉ」

「どうも……ん?」

 

 男の振る舞いを注視していたからか、男と妖夢の視線がはた、と交錯した。わずかな硬直であったが、男が固まれば、彼を中心にしていた二人も自ずと視線の先を目で追って、妖夢の方を見ることになる。

 

「あれ、妖夢じゃないか。買い物か?」

「庭師の嬢ちゃんじゃないか。いらっしゃい」

「ああ、どうも……いえ! 今日は買い物とかそういうわけじゃなくて……」

 

 店主と魔理沙は妖夢と既知の仲。そして男とは。

 

「あの」

「初めまして、だな。ギンコという。最近、こっちにやってきた者だ」

「あ、外の方なんですね。どうりで……」

 

 妙な感じだと思いました、そう続けそうになって、妖夢は言葉を区切った。

 

「えっと、魂魄妖夢と申します。初めまして」

 

 少々のぎこちなさはあったものの、なんとか言葉をつなげて妖夢は頭を下げた。その生真面目な一礼に、ギンコも「ご丁寧に、どうも」と応じた。

 

「それで? 買い物じゃないとなんなんだ? てかお前、いつもくっついてる半霊は?」

「あーそのことなんですが……」

 

 妖夢が事情を語るより早く、魔理沙が異変に気がついた。隠すことでもないと、妖夢は三人から、あわよくば、有益な情報を得られるかもしれないと淡い期待を抱きながら、自身の状況を伝えた。

 

「なんだそりゃ? 半身の家出か?」

「冗談でもやめてくださいよ。本当にそうだったらどうするんですか」

「自分の心に聞いてみるとか? 剣の道でもあるんだろ? めーきょーしすいって感じの」

「そんなあやふやな明鏡止水があってたまりますか。とにかくです。何か些細なことでも構いません、情報はありませんか?」

 

 情報って言ってもなあ、と一様に首をひねる中、一人、物憂げに視線を伏せ、静かに何かを考える男がいた。

 

「あの、ギンコさん? なにかご存知なんですか?」

「ん? ああ、いやすまん。お前さんの求めるような情報は持っていないんだが……いや、いい。こっちの話だ」

「?」

 

 何か言いたげなギンコの態度に、魔理沙が突っ込むように言葉を投げた。

 

「そんな風に言われたら気になるだろ。なんでもいいから言っちゃえよ」

「ん? そうか……」

 

 魔理沙の言葉を受けて、ギンコが妖夢を見る。翡翠の視線。キノコを見ていた時とはどこか違うような、翳りのある緑の気配に、妖夢は背筋が伸びる思いで、次の言葉を待った。

 

「……魂魄妖夢、だったか」

「は、はい!」

 

 おもむろに開かれた口からは自分の名前が出てくる。何を言われるのだろう。身構えていたところに、滑り込んできたのは意外な言葉だった。

 

「……お前さん、廻陋という名に、聞き覚えはないか」

「かいろう?」

「ああ、どうだ」

「……いえ、存じ上げませんが……?」

「そうか……いや、魂魄という姓に、こちらは聞き覚えがあってな。なんでも、俺たち蟲師の間に伝えられる、とある蟲に名をつけた若者として魂魄という若者が現れるんだが……まあ、気にするほどのことでもないだろう」

「はあ……」

 

 ギンコの知る魂魄と、妖夢の姓は何か繋がりがあるのだろうか。それよりも、妖夢は一つ、気になることをギンコに尋ねた。

 

「あの、かいろう、というのは」

 

 かいろう。回廊、海老、海楼。言葉だけならいくつもある。しかし妖夢をして、その言葉にはどこか聞き覚えがあるような気がしていた。さっきの妙な既視感と、何か関係があるのかもしれない。そんな直感めいた感覚から、ギンコに尋ねた。

 対してギンコは一呼吸おいて、廻陋について語り始める。細く長く、息を吐き出すようにギンコの口から蟲の話が漏れ出していく。

 

「廻陋、とは漆黒の筒状の蟲だ。花のような匂いを出し、虫や獣を誘い込み、それら獲物の時間を円環状に歪める、と言われている。誰にも確かめる術はないが、囚われた者は同じ時間を繰り返し生きることになる、と」

「そんなものが……本当に? それに蟲って?」

「蟲、とは小さく、矮小な生きモノのことだ。さっきも言ったが、この廻陋という蟲を最初に見つけたとされるのが魂魄という若者でな。お前さんに縁のある者かもしれん、と思ったわけだ」

「……その」

 

 妖夢はその蟲、とやらにもう一歩踏み込む。これはなんとなく、自分とは無関係ではないような気がする。何かを忘れているような気がする。夢を見ていたような、気がする。

 

「ん? どうした」

 

 まただ。花の香りがする。この漠然とした不安感の奥底から。まるで自分の肺の中で花開かせるようにじわり、と花の香りが染み出してくる。

 

「おい、妖夢?」

「嬢ちゃん? どうした、急に胸を押さえて」

 

 この感覚を知っている。どうして今まで気がつかなかった。夢の中で、なんども、わたしは。

 

「おい!」

 

 世界が狭まる。ゆっくりと歪められ、出口はどこか遠く、いや、どこかの最初につながっていく。眩暈のしそうな芳香が、脳を塗りつぶしていく。そうして漆黒がわたしを飲み込んで、また、妖夢は目を閉じた。

 

 

 

 花の香りがする。どこからともなく。花の香りがする。

 不思議な香り。一つ、息を吸うほどに世界は狭まっていく。

 もう頭の中は香りで満ち満ちている。暗闇の中、匂い立つ花を探す。

 されど手は虚空を滑り、やがて地面の感覚さえ曖昧になっていった。

 花は、花はどこ? 問いかけるも、その問いは己の声なのか。それさえわからぬほどに、意識は香りで満たされた。

 そうして闇をたゆたう。自分がわからぬまま、ただ。手を滑らせては惑い、迷った。

 何も無い。何も無いのに。蠱惑的な、花の匂いだけを、覚えていた。



















 繰り返しの日々に囚われた妖夢。果たして抜け出すことはできるのか。
 全く同じというわけではありませんが、文章的に同じ場面を描いているために皆様を退屈させてしまうかもしれません。そこはご容赦ください。

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