幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 妖夢は半霊を探しに下界に降り立った。最初に向かった人里で、ギンコという男と出会う。





幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第七章 迷い繰る日 参

 実り多き秋の季節。山には紅葉が色づき、どこまでも続きそうに透き通る青空との対比が、見る者の心に秋の到来を感じさせる。(まだら)に塗り分けられた赤の色調は、巡る年並みにも風化することなく、今年も新鮮な雰囲気を纏っていた。

 そんな一枚の絵画のような風景にも(じつ)はあり、山という土地である以上、住まう生き物たちが根付いているのは当然のこと。彼らは自らが生きる俯瞰風景を見ることはなく、入り組んだ樹木の迷宮に縄張りを張り巡らせている。外から眺める分には泰然自若として動かざる山なれど、一度足を踏み入れればそこは異界。過剰に動的な気配に満ち、まるで生き物の体内にいるかのような錯覚に陥る。そこはいつか、山の神を名乗ることもあった、彼らの支配領域。

 妖怪の山。あんまりにもそのまま名が付いているそこには、様々な妖怪たちと、天狗が住まう。

 

 

 人里を通り抜け、山の麓に差し掛かるまで、魂魄妖夢は一つ、気がかりなことがあった。

 それは人里で出会ったギンコという男に言われた一言。かいろう、という名に覚えはないか、という問いについてだった。

 妖夢はギンコにそう問われ、ない、と答えた。しかし後になって考えてみれば、どうにもそのことが頭から離れず、自分はその”かいろう”という何かを知っているような気がしてきたのだ。

 

「うーん……気にしすぎかな」

 

 歩く以外何をするでもない頭が余計なことを考えたのだろう、妖夢はそう結論づけた。

 そうこうしているうちに、妖夢は妖怪の山の麓から山道へと足を踏み入れた。

 頭上にまばらに突き出した枝葉が秋の日差しを遮る。紅葉に目を奪われ、上ばかりを見ていれば、不意に葉の間から顔を出した太陽に視界を奪われる。わずかに眩んだ目で地上を見下ろせば、そこには流動する影の川が流れていて、先走って落ちた葉がわずかに地面に張り付いていた。秋の山は、本当に目移りが過ぎるほど活力に溢れている。

 そんな山道を、上も下も見ず、ただ黙々と前だけを見て、妖夢は進んだ。まるで景色など興味はないと言わんばかりの歩幅で分け入って行く。

 そう、今気を配るべきは木々の枝葉ではない。その向こう、陰。

 ここは既に領域なのだ。不可侵の領域。山の神のお膝元。異界。例える言葉は幾通りもあるが、侵入者への対処はただ一つ。

 

「止まりなさい。これより先は我ら天狗の領域。目的の如何では立ち退いてもらいます」

 

 妖夢の前方。一際強い風が吹いて、目を細めた一瞬に一匹の妖怪が姿を現していた。姿を現すやいなや、警告を発する、盾と剣を携えた少女。紅葉の意匠を凝らし、袴の裾を広げた服を翻し、妖夢の前に立ちふさがった。

 

「こんにちは。椛さん」

「こんにちは。今日はどういった御用向きですか?」

「今日は少々、昨日とは違う探し物をしていまして」

「探し物、ですか」

 

 ええ、と妖夢は三間はある両者の距離を気にせず事情を話し始めた。

 

「実は私の半身が行方不明でして。早急に見つけ出さねばならないのです。そこで昨日、私が行ったことのある場所を中心に探索をしているのですが……」

「この山にあなたの半身がいるのでは、と?」

「はい……そういえばあなたは千里眼を持っていましたね。どうですか。この山に私の半身はいますか?」

「私が知るところではそのようなものは見かけませんね。立場上、山の全容にはいつも気を配っていますが」

「そうですか……」

 

 妖夢の問いに、白狼天狗の犬走椛(いぬばしり もみじ)は答えた。彼女の千里を見通す能力を持ってしても見つからないというのなら、本当にこの山に半霊はいないのだろう。

 

「あなたを疑うわけではありませんが、少々山を探索しても? 自分で納得をしたいのです」

「……まあいいでしょう。では監視ついでに私も同行します。よろしいですね」

「ええ。よろしくお願いします」

 

 妖夢は椛を連れて山の探索を始めた。

 ざくりざくりと山を分け入り、とりあえず歩く。山道を通っている分には、天狗たちは何も言わない。しかし今のように、道無き道を山の奥へと進めば、必ず警告が飛んでくる。今回は監視という形で、椛が妖夢に同行しているため、荒っぽいことにはなりはしないが、普段なら追い返されて終わりだ。もっとも、千里眼を持つのは天狗の中でも椛一人なので、彼女が能力を使っていないときは多少の進入は許されたりする。

 山を探索すること一刻あまり。やはりあてもなく歩き回るだけでは良い結果など期待できるわけもなく、時間を無駄にしたという苛立ちにも似た焦りだけが募った。

 探し回って、歩き回っているだけでは妖夢も気疲れしてくる。気分転換に、椛に語りかけた。

 

「そう言えば、昨日は山に入ることを拒んでいたのに、今日は寛容ですね」

「? 何を言っているんですか?」

「ほら、昨日は私が”主人に頼まれて秋の実りを分けてもらいに来た”と言って山を散策しようとしていたら追い返そうとしたじゃないですか」

 

 昨日のこと。妖夢は主人の西行寺幽々子の言いつけで秋の味覚を探しに下界に降り立った。人里にて「今年は長雨があったせいで実りが悪い」との情報を受けて、直接山を散策しようと思い、妖怪の山へとやってきたのだが、その時は「山の実りは秋神様が人里に降り立つまで待ちなさい」と言って椛は妖夢を追い返そうそしたのだ。

 妖夢はそのことを話したつもりだった。しかし、椛は足を止め、妖夢を怪訝な表情で見つめた。

 

「昨日? あなた、昨日私と会いましたっけ?」

「何言ってるんですか。会いましたよ。あんなに追い掛け回してきたじゃないですか」

 

 妖夢は昨日のことを思い出す。今は駄目だと言われても、妖夢も主人が望むこと故引き下がらず、探索を強行しようとしたところ、椛も実力行使で応じてきた。結局秋の味覚どころではなくなってしまったので、妖夢は渋々と引き上げたのだが……。

 

「あなたは何を言っているんですか。私にそんな記憶はありません」

「え? そんなはずは……」

 

 ない、そう言いかけたところで、妖夢は幽かな香りを感じ取った。

 それは小さな違和感にも似た香り。どこかで嗅いだことのあるような、懐かしいような香り。

 ぼうっと、意識が遠のく。妖夢は立ち尽くした。

 

「妖夢さん?」

 

 昨日のこと。そう、昨日のことだ。私は知っている。この香りを知っている。今朝の夢でも嗅いだこの香り。認識を曖昧に溶かしていくような気がする、香り。

 

「どうしたんですか」

 

 思えば今朝からすれ違いは起きていた。何か、忘れているようだ。

 記憶がかき混ぜられていく。思い出せないことがある。そういう不確かな確かさが、妖夢の頭を満たして、最後には香りだけが残った。

 思い出せない。私がここに来た理由。秋の味覚。主人の言いつけ。昨日の出来事に(もや)がかかり、霧散していく。その靄を晴らそうと大きく息を吸い込んだ。次の瞬間。

 

「妖夢さん!」

 

 強い芳香に脳を貫かれ、妖夢は意識を失った。

 

 

 

 

 

 花の香りがする。どこからともなく。花の香りがする。

 不思議な香り。一つ、息を吸うほどに世界は狭まっていく。

 もう頭の中は香りで満ち満ちている。暗闇の中、匂い立つ花を探す。

 されど手は虚空を滑り、やがて地面の感覚さえ曖昧になっていった。

 花は、花はどこ? 問いかけるも、その問いは己の声なのか。それさえわからぬほどに、意識は香りで満たされた。

 そうして闇をたゆたう。自分がわからぬまま、ただ。手を滑らせては惑い、迷った。

 何も無い。何も無いのに。蠱惑的な、花の匂いだけを、覚えていた。

 

 

 

 飛び起きるようにして、妖夢は目を覚ました。息が乱れ、気分は最悪。寝汗も大量にかいているようだ。

 嫌な夢を見た気がする。そんな漠然とした不安感にも似た、不確かさで表情を歪める。

 

「はぁ……」

 

 そんな気分を察するように、頭の中身は漠然としたまま、ため息と一緒に霧散した。

 障子戸を通り抜ける陽光が格子状の影をつくる寝室で、彼女は目を覚ました。毎朝決まった時間に目覚める事は、この体が知っている。少々乱れた寝巻きの襟元や腰の結び目を正し、これまた決まった動作で布団をたたむ。そうする頃には体は完全に起きていて、おもむろに開け放った障子戸の向こうに、自らが手がける白玉楼の庭を見た。

 

「……おはようございます」

 

 今日もまた変わらぬ一日が始まる。一つ背筋を伸ばすと、それが実感できたような気がした。

 

 

 ……今日もまた? その言葉に、どこか違和感を覚えた。



















 じゅーなんはつづくーよー、どーこまでーもー。
 一話一話が短いと感じるかもしれませんが、ご容赦を。これくらいの方が作者としても書きやすいのです。

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