幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 三途の河の現状に、少々の疑念を抱いたギンコ。一夜明け、命蓮寺を後にする。












 ここからは裏編です。では、どうぞ。


第六章 雨のたつ巳 捌

 是非曲直庁の執務室。窓のないこの部屋には普段から不思議な光が満たされている。部屋全体がぼんやりと光を帯びているというのか、とにかく、薄暗いところもなく、はっきりとした基調の空間になっていた。

 物の線という線、境という境がはっきりと明確になっている。それだけにとどまらず、光源があるわけではない空間には影も生まれず、その様は部屋の主の性質を表すかのように、どこまでも明瞭だった。

 影のない部屋。不自然なまでに自然の黒を排除したそういう”白い”空間で、自分の体には少々不釣り合いな大きさの執務机の前に座りながら、四季映姫(しきえいき)・ヤマザナドゥは珍しく真面目に仕事をこなしてきた部下の報告を聞いていた。

 

「……そういうわけで、今回の降雨異変の原因は、土地の変質に端を発し、その蟲とやらが三途の河を目指して集まってきていたことが原因であるらしく、専門家である蟲師が言うには、これより三途の河の天気の変化は自然に任せるしかない、だそうです」

「……」

 

 幼い顔立ちを愛想なく無表情に固めて話を聞く上司に、死神の小野塚小町(おのづかこまち)はそう言って報告を締めた。執務机を挟んで上司の目の前に立っていた彼女は、伸ばしていた背筋の緊張を解いた。

 突如三途の河に訪れた降雨の異変。是非曲直庁では河底に水が溜まり、沈んでいた物が浮き上がってくることで、彼岸と此岸の景観を損なってしまうという被害に見舞われた。本来天候の変化など起こり得ない場所であるからして、その異変は何か大きな異変の予兆なのかもしれないと警戒心を強めていた映姫だったが、調査員として派遣した小町の報告を聞き終われば、陰謀や原因となる犯人らしいものもなく、問題は自然のあるがまま起きた変化だというのだから拍子抜けだった。

 

「拍子抜けですね。あの八雲が主体で動いたことを考えて、もっと大げさな事案かと思いましたが、なんのことはない、雨が降っただけだというのですか」

「みたいですね。これ以上はどうしようもないみたいです。幻想郷の変化に伴って、ここら辺も雨が降るようになっちゃったってだけの話だそうで」

「蟲の干渉と、妖怪の山の変化ですか……」

 

 蟲の話などいつ以来でしょうか、と映姫はつぶやいた。蟲に関しては詳しくない小町が、蟲師と名乗った男のことを思い出す。

 

「……蟲師の男、ギンコと名乗っていました。最近幻想郷にやってきたようですが、あの八雲紫が全面的に信頼を置いていたのは奇異でしたね」

「それはそうでしょう。蟲とは生命の最小単位。常に揺らぎ、希薄な存在のくせに影響だけはしっかりと残していく、境界の中に住まう生きモノです。彼女の能力である境界を操る能力とは相性が最悪。その反則的な能力の、唯一弱点と呼べる蟲との調和を保ってくれる存在が蟲師と呼ばれる彼らです。幻想郷に蟲が入り込むようになった以上、重用するのが当然かと……ですが」

「……何か気になることでも?」

 

 不自然に言葉を切った映姫に、小町が伺い立てた。気になること。そう映姫に聞いてみた小町だったが、実は彼女にも、少々気になることがあった。

 小町が気になること。それは三途の河での八雲紫の行動だった。

 あの時、八雲紫は河底を覗き込んで、何かを確かめていた。彼女は何かを試している。あるいは、今回の異変の根幹に関わる何かを知っている。型通りの報告ではそこまで話をしていなかったが、映姫はそれでも、小町の報告を聞いて、紫に疑いを持った。

 小町が思考を巡らせる中で、映姫が口を開いた。

 

「彼女が自分の幻想郷で、好き勝手に振る舞う存在を看過し続けるとは思えません。蟲師を抱き込んだからといって、不安要素を任せきりにするでしょうか。何か行動を起こしてはいませんでしたか?」

 

 話題に切り込むように、映姫が小町に聞いた。相変わらず鋭い人だ。こうでなくては地獄の閻魔も務まらない。小町は三途の河での紫の行動を思い出して、報告を付け足すように続けた。

 

「映姫様がおっしゃるように、八雲紫は何かを知っているような態度でした。まあ年がら年中腹に一物抱えているような態度ですがね。河底を覗き込んで、意味深に『問題ないようだ』と呟いたり、村紗水蜜という舟幽霊を捕えて異変の原因だと言っておきながら、今回のことが蟲の仕業だと知っていたようでした」

「蟲の仕業だと知っていた? ならば何故彼女はあんなことを約束して……?」

 

 八雲紫との約束。それは異変が起き始めた折、調査のために此岸や三途の河の周辺を巫女と共に動き回ると事前報告しに来た時のこと。異変の原因にかかわらず、事後の処理を八雲に一任するという内容のもの。

 この約束の効力は一体どこで発揮されるのか。八雲の真意を測りかねる二人だったが、小町が唐突に口を開いた。

 

「案外自分が犯人で、それを隠すために堂々と予防線を張りに来たとか」

 

 頭の後ろで手を組んで、冗談めかして小町が言う。だとすればとんでもない大嘘つきだ。地獄の閻魔の眼の前で、「私がやったけど見逃してね」というようなものである。その言葉に、しかし映姫は眼を丸くして狐につままれたような顔をした。

 

「……あれ、どうしました映姫様?」

 

 そう考えれば納得がいく。納得してしまう。八雲紫は、堂々と真正面から嘘をついて行ったのだ。紫は確かに、こう言っていた。

 

『異変の原因について、見当はついているんですか?』

『いいえ、全く』

 

 だがしかし、納得してしまえば映姫は自分の眼の前で嘘をついた妖怪をまんまと逃してしまったことになる。ああ、そういえば。話が終わってからの八雲の態度も、早々にスキマを使って席を立ったことを考えれば、小町の言ったことは的を射ているようだった。

 

「してやられました。やはりあの妖怪は要注意です」

 

 映姫の苦々しいつぶやきが漏れる。地獄の閻魔の目の前をすり抜けていった妖怪の不敵な笑みが、目の前に浮かび上がるようだった。

 

 

 

「はあ……散々だった。映姫様の機嫌も急に悪くなるし、なんだってのさ、もう」

 

 昨日の報告を思い出し、ため息と一緒に肩を落とし、一日たった今も少々の憂鬱さが尾を引いて心に影を差すというあまりよろしくない精神状態の小野塚小町は日々の業務を放り出し、サボりを敢行(かんこう)していた。苔むした岩に背を預け、座り込んでいる。両手は後頭部で組まれ、仕事道具でもある愛用の鎌は彼女の傍に、無造作に放り出されている。

 職務怠慢の象徴とも呼べる光景だが、小町にとってはこれが日常である。もとより彼女には極度のサボりぐせがあるのだ。渡し守の仕事などは、本当にやらねば殺られるほどの火急でもない限り、一日のほとんどを休憩と称して使い切る剛の者である。時には殺られることも覚悟しつつサボるのだからその勤務態度はまさに業。サボるべくしてサボると言わんばかりの振り切れっぷりである。

 そんな彼女であるが、最近の仕事はとても真面目にこなしていた。それというのも、三途の河に突如起こった異変が原因である。

 本来天気の変化などない三途の河に降る雨。本物の水などない彼岸と此岸に、実体を持った水が降り注いだ。それは小町の心をくすぐる案件であった。

 雨音には風情がある。ただただ水がものを叩く音が、どうしてあそこまで心に響く音色となるのか。木々のざわめき。川のせせらぎ。炭の弾ける音。どれもこれもが原初の音色で、自然の息づかいを感じるには十分な材料だ。普段そういった”生きモノ”の存在が希薄な場所に長くいる小町にとって、それらは新鮮な刺激となった。だからこそ滅多に使いもしない番傘を引っ張り出して雨音を楽しんでいたし、雨音に合わせて(かい)を漕ぐのも楽しむことができた。口では愚痴をこぼしつつも、小町はそれほど、この雨を嫌っているわけではなかった。

 そんな風に彼女につかの間のやる気を与えていた自然現象も、今となっては虚しいばかり。上司に若干やつあたり気味の説教をくらったとあっては、小町の消沈も無理からぬことであった。

 あれだけ心穏やかに聞き入っていた雨音も、今となっては鬱陶しさが勝る。心のささくれが目立つと顔にも表れるようで、小町は誰に見せるでもない不満で口を尖らせた。

 

「それもこれもあのスキマ妖怪のせいだ。くそったれ」

「あら、それは申し訳ありませんわ」

 

 小町の独り言のようなつぶやきに、どこからともなく返る声が聞こえた。小町がすい、と目線を向けた先。正面の虚空を切り裂いて、スキマ妖怪が姿を現した。

 

「独り言は慎まれたらどうかしら? 誰がどこで聞き耳を立てているのかわかりませんわよ?」

「聞かせるつもりだったんだよ。隠そうともしない妖気なんて感じ取れないわけないだろ」

 

 あらそう。と空中のスキマに腰掛ける八雲紫に、小町は敵意をむき出しにしてゆったりと立ち上がった。手には大鎌を携え、鋭い眼光は目の前にいる紫に向けられていて、じわりと威圧感を纏っていた。

 対する紫は余裕の表情。涼しげな笑みを浮かべ、日傘を掲げている。雨をしのぐには小さいそれを使っているにもかかわらず、彼女の周りに見えない壁でもあるように、雨は彼女の体に触れることなく地面に落ちていく。

 

「で? 今日は何の用だい。細工は流々、あとは仕上げを御覧じろってところかい?」

「はぁ……あなたって真っ直ぐな性格なのね。そのくせ相手の裏を見抜く勘が鋭い。相手をするのが一番楽しくないタイプ……そうね、子供っぽい正義感に似た匂いがしますわ」

「言ってろ。こっちも実害被ってんだから性急にもなるさ。なんだい、喧嘩売りに来たのかい?」

 

 なんなら言い値で買うよ、と小町は大鎌を持つ手に力を込めて、ゆっくりと腰の横で構えた。その行動を受け止め、紫も張り付けていた笑みを消し、目つきの温度を下げていく。

 

「ドンパチする前に映姫様の名誉のために言っておく、事の真偽を見抜いたのはあの人だ。そして、二度と嘘が通じるなんて思わないことだね」

 

 両者がにらみ合う。立ち位置は上と下。しかし目線だけは対等に、一触即発の気配が辺りに漂う。

 ピリピリとした緊張感。小町から放たれる殺気にも似たそれを受け止め、紫は嘆息した。そして次の瞬間、ふっと、力を抜き、感情の見えづらい笑みを再度張り付けた。

 

「今あなたと敵対する気はありませんわ。それに、異変はもうすぐ収束します。この雨も止むことでしょう」

 

 頃合いですもの。と紫は言う。

 

「……やっぱりお前が主犯か」

「主犯だなんて陳腐(ちんぷ)な表現はやめてくださる? どうせなら主謀者と言って欲しいですわ」

「どっちでもいいさ。こちとら鬱憤が溜まってるんだ。そのいつも薄気味悪い笑顔張り付けてる横っ面を引っ叩かせてもらうよ」

「あらあら、こちらには敵意はありませんのよ? それでも向かってくると?」

「まあね」

 

 そう言って小町は今にも飛び出しそうな姿勢をつくる。やつあたりに近い暴言が飛び足したものの、小町の静かな怒りの理由はそれだけではなかった。

 

「閻魔の前で嘘をついたんだ。舌引っこ抜かれるよりは安くすむだろ?」

 

 表情を変えず、小町は飛び出した。
















 裏話というか真相というか。紫様の意味深な行動が補完されていきますね。真面目なこまっちゃんもかわいいよ。

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