幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 雨蠱と雨降らしを寄せ、海巳の発生を促していた土地があると知ったギンコは、問題の根本的解決を諦め、村紗に対症療法を施した。









 だいぶ期間が空きましたので皆様、一度六章の初めから読むことをお勧めいたします。無理にそうしろとは申しませんが、その方が話の流れを追いやすくなるでしょう。


第六章 雨のたつ巳 漆

 三途の河での調査を終えたギンコは、村紗水蜜と共に命蓮寺へと帰ってきた。海巳(うなみ)を寄せないために二人揃って煙草を咥えて、とぼとぼと境内を歩いている。村紗が苦々しい表情を浮かべているのは、何も蟲煙草のせいだけではないだろう。

 

「ねえギンコさん。私はいつまでこの煙草を吸い続ければいいんだい?」

「それ一本で十分だ。これからずっと、三途の河に寄り付かないんならな」

「うええ。そりゃ困るなあ。妖怪としての自己尊厳が一つ失われるよ」

「まあなんだ、水場なら他を探すんだな」

 

 ギンコの提案に、村紗は不承不承と頷いた。確かに村紗としても、これ以上雨を寄せて、本当に巫女に退治されるのは望むところではない。不満たらたらではあるが、一応は納得して見せた。

 夕暮れを背負う寺社の輪郭(りんかく)は陰影深く厳格にみえて、しかしどこか懐かしい雰囲気を(まと)って二人を迎えている。黄昏時に懐かしさを感じるのは、帰るべき家があったいつかを思い出すからだろうか。気づけば流れ流れて、浮草をやっていたギンコには、知る(よし)もなかった。

 

「あ、おかえりなさい」

「ただいまー」

 

 だから満面の笑みでそう迎えられた時、ギンコは村紗のように、すぐに返事はできなかった。

 ギンコの足が止まる。若干面食らったように固まったギンコを見て、毘沙門天の旗を抱えた響子は小首を傾げる。そしてもう一度、笑顔を振りまいて言った。

 

「おかえりなさい」

「……ただいま」

 

 蟲煙草を口元から指先に移して、今度は淀みなく、ギンコはそう答えた。

 

「片付けなら手伝おう」

「え、いいですよ。大した量じゃありませんし……」

「ま、そう言いなさんな」

 

 響子の断りをかいくぐり、ギンコはその小さな腕に抱えられていた旗の一部をゆるやかに掠め取った。取られてしまえば取り返す意欲までは持ち合わせていないようだった響子は、「じゃあ納屋の方にお願いできますか?」とギンコの手伝いを受け入れた。

 少々立て付けの悪い木製の引き戸を、ガタガタと揺らして開け放ち、中に旗を収める。簡単な仕事だ。

 手や服に付いた土埃を手で払いながら、ギンコは次なる仕事を求めて口を開いた。

 

「他にはなんかあるかい。せっかくだから手伝うぜ」

「あ、今のでもう終わりです。ありがとうございました」

 

 あ、そう。とギンコのやる気の矛先が失われ、彷徨(さまよ)っているところに、横槍を入れてくる妖怪がいた。

 

「やけにやる気だね。急にどうしたのさ」

 

 煙草を唇で挟みながら、器用に話す村紗が言う。頭の後ろで手を組んで、ギンコの手伝いも終始傍観(ぼうかん)していた彼女は、この寺の僧であるはずなのにどこか他人事だ。

 

「いや、なんだ。歓迎の挨拶をされるってのはなかなかないもんでね」

 

 ギンコが正直に白状すると、村紗は一瞬キョトンとした表情になったと思ったら、煙草を指先に移し、ははぁ、と何かを察したような表情を作った。

 

「さっき響子に『おかえり』って言われて、それで嬉しくなったと。ふふふ。なんだ、妙な男だと思ってたけど、可愛いところもあるんじゃん」

「そりゃどうも。そういうお前さんは何も手伝わないのかい」

「そうですよ。村紗はもう少し、ギンコさんの誠実さを身につけるべきです」

 

 からかわれているギンコに助け舟を出すように、本殿の方から白蓮が歩み寄ってくる。

 

「お疲れ様です。もう用事はいいのですか?」

 

 笑顔を浮かべて白蓮が聞いてくる。用事というのは村紗に関する諸々だろう。結局一日中、村紗を連れ回すことになってしまったが、それももう終わりだ。

 

「ええ、一通りは。それで今夜の話ですが……」

 

 ギンコは控えめな口調で話を切り出す。ギンコとしては、今晩もう一泊、寺に泊まりたいところだ。白蓮が笑顔を崩さずに対応する。

 

「もちろん、お泊まりいただいて結構です。私もお話を聞きたいですし」

「そりゃそうだ。では、お言葉に甘えて」

 

 今晩のギンコの宿泊に、白蓮も二つ返事で了承した。日はすでに黄昏を過ぎ、影が大きく寺院を覆っている。石畳の境内に規則正しく並べられた灯籠が、ひとりでに、ぼうっと怪しい火を灯した。

 

「さ、夜が来ますよ。皆さん中へ入りましょう」

「「はーい」」

 

 白蓮の言葉に、響子と村紗は元気よく返事をした。

 

 

 

 食事も終わり、風呂にも入り、時間は過ぎて宵の口。昼間とは打って変わって雲の切れ間が目立つ夜空では、星と月が交互に顔を覗かせ、お互いの姿を探しあうような遊戯を繰り広げていた。

 そんな遊び心の感じられる秋の夜空の下で、行燈(あんどん)の光を背負いながらの座談会よろしく、縁側に座り込んで一献(いっこん)、また一献と徳利(とっくり)を傾けているのはギンコと村紗の二人だった。そのそばには白蓮が腰を下ろし、互いに酒を酌み交わす姿を何処か楽しげに見つめていた。

 

「いけるくちですなぁ。ささ、もう一杯」

「おい、酒盛りしに来たわけじゃないぞ。ほどほどにしとけ」

「ふふ、今日一日で随分と仲良くなりましたね」

 

 妖怪と人間が盃を交わす。そんなどこかでいつか当たり前に行われていた光景は、彼女にとっても歓迎すべき光景で、妖怪寺の本懐を示すものであった。

 

「むふふ。鬱陶しかった雨も、ギンコさんのおかげで降らなくなったし。今宵の村紗ちゃんは機嫌が良いのです」

 

 猪口を傾けた回数など端から数える気のない村紗は、既に酔いが回っているようで、緩んだ赤ら顔を見せながら、ギンコにしな垂れかかっていた。

 同じ量を飲んでいるギンコは、まだまだ酔いが回っているような素振りは見せない。小柄な村紗とは比べるべくもない肩が、瞼が重たくなってきていた村紗をしっかりと支えていた。

 

「あら、そういえば雨が降っていませんね。村紗が雨を降らせてしまう異変は解決したんですか?」

「ええ、まあ」

 

 なし崩しではあるが、今宵の話題に片足を突っ込んだギンコが、ぽつぽつと話し始める。

 

「結局、村紗は何か悪いことをしていたんですか?」

「いいや、特に何も。こいつは海巳に気に入られて、付きまとわれていただけのようです」

「海巳ですか……三途の河に棲む蟲でしたっけ?」

「棲む、というよりは、蟲が寄せられているために、三途の河で起きている現象ですな。村紗には、まあ、関係のないことだ」

 

 現在も三途の河では雨が降っていることだろう。そしてそれは、ギンコには関係のないこととも言い難いが、まあ関係のないことであった。

 

「博麗の巫女や八雲が解決したがっていたのは、むしろその現象そのものだったようだ」

「解決したんですか?」

「それは俺にもどうしようもない。土地自体が変質している以上、あの土地にはこれからも蟲が集まるでしょうな」

 

 三途の河の変質。妖怪の山が光脈筋として復活した今、周囲の土地に関しても何かしらの影響はあると踏んでいたが、あそこまで顕著に蟲を寄せる土地が生まれていたのは、ギンコをしても予想外のことであった。

 光脈筋の一端が三途の河に重なっている。なぜそんなことになっているのかと言えば、境界としての強い性質が後押しとなっているのだろうと、ギンコは予想した。『三途の河は彼岸と此岸の境界線』という、霊夢の言葉を思い出す。蟲はそういう揺らぎに吸い寄せられるのだ。

 ヌシの統制がない分、光脈筋より質が悪いと言えたが、これも自然の流れの内となれば、ギンコにできることはなかった。半分ほどになった猪口の中身を見つめながら、ギンコは報告じみた雑談を続ける。

 

「しかしまあ、不自然な点もいくつかありましてね」

「不自然な点、とは?」

 

 それは、と言葉を区切って、ギンコは猪口の中身を飲み干した。視界の端にスイッと徳利が滑り込んでくる。いつの間にか村紗の手から白蓮の手に移動したそれが、もう一献と首をもたげていた。どうも、と猪口で清酒を受け取り、再び満たされたそれを見て、ギンコは口を開いた。

 

「三途の河の現状です。光脈筋の話はご存知ですね?」

「ええ。土地の地下に流れる、生命の源流とも言える光脈が浮き出た土地のことでしょう? 地脈、龍脈とも稀に混同される、大地活性の川。それが今回は三途の河に重なり、蟲を、とりわけ水に縁のあるそれを寄せているのですよね?」

「その通り。ですがそれは、ひどく稀なことなのです」

「と、言いますと?」

「本来光脈は移動することはあれ、新たな土地に、それも急激に湧き出ることはほとんどありません。川の流れが、長い年月をかけてその支流を増やすように、光脈の広がりもまた、長い年月を必要とするのが常識です」

「今回はそれが急すぎる、と?」

「ええ。妖怪の山が光脈筋として復活してそう日は経ちません。一度光脈筋として成った土地ならばまだしも、新たな土地に、こんなにも早く光脈の支流が形成されることは滅多にないことだと思いまして」

 

 まあ、考えすぎかもしれませんがね、とギンコは言葉を区切る。深く息を吸って、三途の河での会話を思い出した。

 

 

 

『三途の河の変質。光脈の重なりはこの土地に蟲を寄せている。それはギンコさんにどうにもできないことなのはわかりました。ではお聞きいたしますが、蟲師としてこの変質は看過(かんか)できるものでして?』

『……正直良くないことだとは思う。だがこれも理の内にある変化ならば、俺がとやかく言う道理はない。たまに様子を見に来ようと思うが、静観するしかないだろうな』

『そうですか。では此度の異変はこれにて収束といたしましょう』

『え? 終わり? こんな中途半端なのに?』

『仕方ないでしょう、霊夢。ギンコさんが言うには、これは最早自然現象と同義。それをどうにかするならば、それこそ道理を曲げる必要がありますわ』

『うーん、でもなんか不完全燃焼なんだけど……あ、小町のところはどうなのよ。このままでいいの?』

『心配はないのではなくて? 被害も収束に向かっているそうですし。そうですわね?』

『まあそうさね。浮いてきた物の片付けさえ済んじまえば、こっちにそれ以上の不都合はない。元は今まで起き得なかった事に異常を感じて調査が始まったんだ。この雨が、雨以上でも以下でもないってんなら、対処する理由も消えるね』

『正確には雨ってわけじゃないんだが……まあ見た限り、霊体には蟲どもも無関心のようだし、一人を除いて、問題はないだろう』

『その一人も、ギンコさんの対症療法で蟲を寄せることはなくなるそうですし。ほら、これで降雨異変は全て事もなし。村紗さんが海巳を人里に招かなければ被害が出る事もないのですから』

『む。嫌な言い方だね』

『事実でしょう? それに雨に降られてしまうと、私の式たちも活動を制限されてしまって面倒なのですわ。だから、お願い致しますね? ギンコさん?』

 

 

 

 八雲紫の言葉通り、彼女らが異変と呼ぶものの調査はそこで一旦の区切りを見せた。ギンコとしては終始振り回されっぱなしだったが、一連した事件の一応の終わりを実感し、村紗と二人、命蓮寺へと帰ってきた。

 懸念はある。元の三途の川の事は詳しく知らないが、現状を知る限り、かの土地は非常に不安定だ。明日にでも様子を見に行く事が賢明だろう。

 肺に溜まった空気をゆったりと押し出して、空を仰ぐ。そこでいつの間にか、肩に寄りかかる重みが規則正しい呼吸を刻んでいる事に気がついた。

 

「あら。眠っていますね」

「そのようで」

 

 ギンコの肩に背を預けるようにして座りこむそれは、穏やかな寝顔を月明かりにさらしていた。酒が回り、自然と眠気が出たのだろう。思えば異変の犯人扱いされたり、蟲患いの治療に駆り出されたりと気疲れの多い一日でもあったようだ。

 ギンコを挟んで身を乗り出し、ほんのりと赤みが差したその表情を盗み見て、白蓮は小さく微笑みを浮かべた。

 

「ギンコさんはまだまだ大丈夫そうですね。お酒は強い方なんですか?」

「どうでしょう。深酒はした事がないので、分かりかねます」

 

 寝息を立てる村紗の手から猪口を取り上げる。必然、ギンコの両手は猪口でふさがれる事になるが、するりと横合いから伸びた手が、村紗が持っていた方の猪口をかすめ取っていった。それと入れ替わるようにギンコの目の前に徳利が差し出される。

 ギンコの猪口は満たされている。ちらりと横を見れば、にこやかに酒器を掲げる白蓮の姿がある。ギンコは徳利を手に取った。

 

「よろしいので?」

「ふふ、なにぶん生臭なものですから。付き合いというのも、時には必要になるんです。人生の潤滑油ですね」

「物は言いようですね。まあここには、咎める者もおりませんが」

 

 言い訳じみた説得を聞き入れ、ギンコは猪口に酒を注ぐ。秋の夜空、風の音に溶ける小さな水音。情趣の感じられる仕草で、白蓮は注がれたそれを喉の奥へと落としていく。そんな姿を隠すように、月明かりも雲間に飲まれた。

 

 

 

 刻は明朝。一連の騒動に終止符を打ち、一夜明けた命蓮寺の境内には当事者を含めた一同が顔を合わせていた。

 ギンコは旅支度を整え、履物の具合を確かめるように石畳の参道を踏みしめる。じゃり、と靴底が地面をこする。問題はないようだ。後ろを振り返り、寺の全景を背景に見送りに来た三人を見る。箒を携えた響子、欠伸を浮かべる村紗、そして。

 

「じゃあ、世話になりました」

「こちらこそ。村紗の嫌疑を晴らしていただいて、感謝しています」

 

 お礼にお礼を返した白蓮が一歩、ギンコに向かって歩み出る。手には笹の葉で包まれた握り飯がある。その数三つ。今朝方、台所で村紗、白蓮、一輪がそれぞれ一つずつ握ったものらしい。わざわざ用意されたものを受け取らないのも失礼だと思い、ギンコは喜んで、差し出されたその包みを受け取った。

 

「ありがたく頂くんだよ」

「これ村紗」

「ああ、もちろん」

 

 白蓮に小突かれながらも、ギンコの答えに満足したのか、村紗は歯を見せて笑った。

 歩き出し、石畳の階段を降りる別れの間際、ギンコはちらと再度後ろを振り返り、頭をさげた。



















 皆様お久しぶりです。柊 弥生です。いやー空きましたね、期間。申し訳ないとか謝って済むレベルじゃないですよ。でもまあもともと皆様の暇つぶしのために自分がゆるーく書き連ねてきた駄文でありますのでご容赦いただければと思います。
 お詫びと言ってはなんですが、今日で第六章を完結させます。文は用意できていますので、さっさと投稿しますね。

 第漆章はぼんやりと構想が練られている状態です。まだ1文字も書いていませんのでいつになることやら。
 それでは東方蟲師、暇つぶしにどうぞ。

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