幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 里に起こった異変、雨に当たった子供達が異常なまでの体温の低下と、喉の渇きを訴えるという現象を解決して見せたギンコは、その原因が三途の川にあると考え、原因調査に乗り出した。






幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第六章 雨のたつ巳 陸

 村紗水蜜が去った後の三途の河には、普段の光景が戻っていた。雨は上がり、川は薄く霧に覆われ、いつも通り、水らしきものをたたえている。波紋一つない水面は深く澄んでいて、ぼんやりと空の色を跳ね返しつつも、川底を覗き込めそうであった。

 川べりの湿った土の上には短い草が生えている。さながら緑の絨毯であるその上に腰を下ろし、死神、小野塚小町は雨上がりの独特な香りを胸一杯に吸い込み、吐き出した。

 

「やれやれ、やっと雨が上がったようだね」

「その割には残念そうですわね。お手持ちの番傘の出番がなくなったからかしら」

 

 独り言のつもりで呟いた言葉に返事があった。小町が声のした方を振り返ると、微笑をたたえて佇む少女は、明るい色の髪をなびかせてそこにいた。

 

「これで異変は解決、めでたしめでたしですわね」

「めでたいもんか。川底から浮いてきた物の片付けも大変なんだぞ」

 

 小町は片付けに駆り出されている同僚たちを思って、呑気な彼女に、筋違いとは知りつつも文句を言った。自分に向けられた言葉をいなし、八雲紫は平然として言った。

 

「ああ、それらは後で引き取りに来ると思いますよ」

「え? あの全自動洗濯板とか、諸々を?」

「ええ。山の技術者たちが嬉々として拾いにくるはずですわ」

「あーなるほどね。ってもしかして、その技術者たちが不法投棄よろしく川に捨てたんじゃないだろうね?」

「さあ? 私には分かりかねますが、小町さんの想像力には驚かされます、とだけ」

 

 ふふ、と含みのある笑みを浮かべて、紫は川べりに近づいてく。そしてそこから川底を覗き込むように、腰を折った。なにをしているのだろう。

 

「……問題はないようですわね」

 

 口だけが動く。その声を、小町は聞き流そうかとも思った。それ以上は、聞いた方が面倒くさくなりそうだった。

 

「なあ、八雲さんよ」

 

 だが小町はあえて口を開いた。この妖怪の思惑を探る、なんて分不相応なことまではしようとは思っていない。ただこの場所を仕事場にしている自分にとって、紫の行動に一言言っておきたかっただけだった。

 

「あら何かしら死神さん」

「あんた何が目的で三途の河に手を出すんだい」

「手を出す? どういうことでしょう」

「とぼけなくてもいい。楽園の巫女が出動する理由を話して、映姫様に筋を通しに来たことも、あんたにしては丁寧がすぎると思っていたんだよ」

 

 小町は紫が最初に是非曲直庁へやってきたことを思い出していた。あの時紫は、楽園の巫女が動く理由をはっきりさせるとともに、異変の責任の所在を明らかにしていった。

 

『原因究明の際には、その後の処理をこちらに一任していただきたく存じます』

『……それはつまり、この自体になんらかの悪意が絡んでいた場合でも、ということですね?』

『お話が早くて助かります。約束、していただけます?』

 

 あの時の映姫とのやり取りは、今回の異変解決が巫女ではなく紫主体で行なわれていることを示している。そうでなければいつも通り、巫女が問答無用で異変解決に乗り出していたはずなのだ。

 

「ああ、なるほど。そこで疑われてしまうのですね」

 

 いつもと変わらぬ態度で、紫が言う。

 

「あんたは何を知ってるんだい。いや、何をしてるんだい?」

「そうですね……あなたは、蟲というものをご存知?」

「馬鹿にしてるのかい? そんなの知ってるに決まってるじゃないか」

「夏場に忙しなく鳴き叫んだり、人の血を吸いに飛び回ったり、動物の死骸に卵を産み付けたりするものとは違いましてよ?」

「……じゃあなんだっていうのさ」

 

 自分の思っていたことが外れ、話の方向が見えず、小町が訝しげに表情を歪める。それに構わず、紫は話を続けた。

 

「生命の源流に近いモノ。見える者と、見えない者がいる、この世の根底から湧き出して、ただ影響を及ぼしていく。そういうモノたちですわ」

「話の要領を得ないね。それがどうだっていうのさ」

「いえね、その蟲というモノは、なかなか曲者でしてね。私の能力の及ばぬところであれこれと悪さを働くんですの」

「へえ、あんたにも、どうにもできないことはあるもんなのか。で? 答えを急くようで悪いけど、それが今回の事とどう関係があるんだい?」

「それは役者が揃ってからのお楽しみ……と言いたいところですが、もう既にいらしていたようですわね」

 

 紫がそう言って言葉を区切ると、中有の道の向こうから、がさり、と草の根を踏み分けて二人の元へとやってくる数人の人影があった。それと同時に、ぽつりぽつりと、また雨が降り始めた。

 

 

 

 

 三途の河への道のりは妖怪の山を迂回するように伸びる道をたどる。死者も生者も、空でも飛べぬ限りは、三途の河へ至るためにその陸路を歩かねばならず、そうして歩く道には、一つ、名前が付けられていた。

 中有の道。死者の霊が三途の河を目指すための通い路である。そう聞けば陰鬱な印象を受ける道だが、普段ならばそうでもなく、道沿いには死者向けの出店が立ち並び、まるで縁日のように賑やかなところだ。

 しかし今はそんな賑やかさも鳴りを潜め、ポツポツと降り注ぐ雨の中に、店じまいをする人の様子が見えるばかり。幽霊たちも曇天の下には出てきたくはないらしい。どんよりとした雨模様は、中有の道を、いつも以上にそれらしく彩っていた。

 湿った土を革靴で踏みしめながら、傘をさして歩くギンコの前には、二人の同行者がいる。一人はこの雨を引き連れて歩く舟幽霊、村紗水蜜。海巳を寄せる彼女は、これ以上里への被害を出さないためにも、ギンコに同行して三途の河を目指していた。

 もう一人の同行者は博麗霊夢。妖怪退治の専門家であり、今回の件でも村紗をひっ捕らえて三途の河の異変をとりあえず収束させた人物だ。彼女も、異変解決の巫女として全ての原因があると思われる三途の河への同行を買って出ていた。彼女の言葉を借りるなら、乗り掛かった船と言う事らしい。

 

「しかしまあ、生きているうちに三途の河を拝む事になるとは思わなかったな」

「そう? って、そりゃそうよね」

 

 ギンコがポツリと呟きを漏らす。それに言葉を返したのは霊夢だった。傘越しに少しだけ、ギンコの方を振り向いて言った。

 

「どんなところなんだ、三途の河ってのは」

「いいところだよ。舟もいっぱいあるしね」

「あんたの尺度で語るんじゃないわよ……そうね。なんもないところよ。ちょっと大きな川。それだけ」

「そりゃあ、また情緒のない事で」

 

 そうは言ったギンコだったが、死者たちの通い路となればそれくらいの侘しさであって普通か、と納得をした。

 あぜ道のようだった道も、いつしか膝くらいまでの高さのある草が目立つ荒れ道になっている。ここまでくれば、三途の河は目と鼻の先だそうだ。

 

「ほかにはなんかないのか?」

「え? 川のこと? うーんそうね……彼岸と此岸の境界線ってところかしら」

「境界線……」

「あと沈んだものが浮かんでこない、とか」

「沈んだものが浮かんでこない? それはまた、妙な話だな」

「そういうものだと思った方が手っ取り早いわよ。……ほら、見えてきた」

 

 霊夢が指し示す先に、薄く霧がかかった場所が見えてくる。雨を背負った一同が、草を分けて川べりに脚を踏み入れると、そこには幽玄の景色が広がっていた。

 あちこちに苔むした岩が突き出ている。ところどころに土の浮かんだ緑の絨毯と合わせて、そこはやはり、この世の風景とはどこか乖離しているように見えた。

 川の向こう岸は見渡せない。白く、薄っすらとかかる靄以上霧未満の大気が、さながら曇り硝子のごとく視界を遮っている。そしてそんな先の見えない川の岸辺には、二人の先客がいた。

 

「あら紫。と小町」

「ついでみたいにいうんじゃないよ」

 

 霊夢が言葉を交わす後ろで、ギンコは川の異変を感じ取っていた。それは蟲が見えるものならば一目瞭然の変化を示す光景。多い。明らかに、蟲が寄り集まっている。

 

「大勢でなにしに来たんだい?」

「ちょっと異変について調査をね。ここにいるギンコさんが……」

 

 霊夢の紹介を待たずに、ギンコは前にいる霊夢を押しのけるように川へと近づいていく。「ちょ、ギンコさん?」と霊夢の言葉も無視して、川べりにしゃがみ込んだ。

 

「どういうことだ。なぜ、光脈が川底に……いや、光脈が川底を流れているわけじゃない。これは……」

「さすがギンコさん。すぐにお気づきになっていただけたようで、私も嬉しいですわ」

「……お前の仕業か?」

「いいえ。私は何もしておりませんわ。ですがいつか妖怪の山が光脈筋となった影響で、隣接するこの川に影響が出てしまったようですの」

「そういうことか……」

 

 妖怪の山の異変。いつか光脈筋として復活を遂げたが、隣接するこの土地にも影響を及ぼしていたのは予想外だった。

 話についていけないというように首をかしげるのは霊夢と村紗、そして小町の三人である。

 

「ちょっとギンコさん。話についていけないんだけど。説明してもらえる?」

「ああ、すまん。だがどこから説明したものか……」

 

 ギンコは少し考えて立ち上がり、気づいたことをまとめるように話し始めた。

 

「まず村紗。お前に寄せられている海巳だが、発生源はここで間違いない」

「やっぱり! だから言ったじゃん! 私のせいじゃないんだって!」

「でも雨を寄せている原因はあんたでしょうに。それはそうなのよね、ギンコさん」

「ああ……それはそうだな」

 

 やっぱり退治ね、と霊夢が言えば、ええ……と村紗は消沈した。

 

「だがそれは対応ができないわけでもない」

「え? そうなの?」

「俺が吸っている蟲煙草があるだろう。それを吸っていれば、とりあえずいいはずだ」

「なんだ簡単じゃない。どうして今まで黙っていたのよ」

「これは対症療法だからだ。原因がはっきりしなきゃ、その場しのぎでしかない」

 

 だがここに来て、原因もはっきりした。とギンコはいう。

 

「三途の河は蟲を寄せる土地になっている。こればっかりは俺にもどうしようもない」

「蟲を寄せる土地になっているって、どういうこと?」

「そうだな……お前さんは、妖怪の山が光脈筋として復活したことは知っているか?」

「知らないわ」

「そこからか……」

 

 ギンコは妖怪の山が光脈筋として復活した経緯を霊夢達に話した。

 

「光脈筋とは、光脈が流れる土地のことだ。光脈は周囲の生命に著しい活性をもたらす地下水脈のようなものだと考えればいい。まあ単純に、地下を流れているってわけじゃないがね。とにかく、近頃妖怪の山は、その光脈が流れる土地になったわけだが、そのことが、この妖怪の山の裏手に回った三途の河にも影響を及ぼしているようだ」

 

 その影響とやらでここには蟲、とりわけ、水に縁のある蟲が集まっているようだ、とギンコは言う。雨降らしも雨蠱も、ここで集まり、海巳となっていたのだ。

 

「じゃあなにか? 雨は誰のせいでもなく、元々この土地を目指して降ってたってことなのかい?」

「そういうことになりますわね。現に、今回の降雨異変は幻想郷からの道程でしか起きていない現象。私はてっきり村紗さんが雨を降らせていたのだと思いましたが……」

「最初から違うって言ってんじゃん! もう!」

「だが土地の問題となれば、これはどうしようもないぞ。雨を止ませるのは、もう自然に任せるしかない」

 

 正確には海巳が降ることを止められはしないということである。人里に降ればその影響が出る以上、この三途の河に降らせておくのが、現状は最適解と言えた。

 ギンコにもお手上げならば、この場にそれ以上の対応策を練ることができるものはいなかった。そうして一同が頭を悩ませている間にも、雨は降り続いていく。とりあえず、こうするしかない、とギンコは懐から蟲煙草を取り出した。
















最近気づきましたが「三途の川」ではなく「三途の河」でしたね。修正しますた。

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