幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 村紗水蜜の蟲患いに少々の疑念を抱いたギンコは、村紗が本当に蟲患いなのかどうか確かめるため、聞き取りを開始した。そうしていると、藤原妹紅がギンコの元へ訪ねてきた。妹紅の話を聞けば、里で奇妙な現象が起きているのだという。ギンコは異変を解決するため、里へと急いだ。





幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第六章 雨のたつ巳 伍

 雨が降る人里。そこでは雨に乗じて、奇妙な現象が起きていた。

 しとしと、と大気からしみ出すような嫌な雨が寺子屋の屋根を叩き、中にいる者の不安感を煽る。曇天から逃げ出すように身を寄せ合った子供達は、皆特殊な事情を抱えていた。

 

「先生。喉乾いた」

「……すまないな。今沸いたばかりなんだ。冷えるまで待ってくれ」

 

 寺子屋の教師である上白沢慧音は、水をねだり、服の裾を引く子供の頭に手を乗せて、ゆるく微笑んだ。そしてそのままの手つきで子供の頬を撫で、その体温の低さを感じた。こみ上げた不安が、次の瞬間には彼女の表情を、空模様のごとく曇らせた。

 慧音は寺子屋の教室に集まった子供たちを眺めて、何時ぞやの流行病を思い出していた。全く同じ光景というわけではない。今回、症状を訴える人数はいつかの半分程度の人数であるし、症状も深刻なものではない。ただ奇妙な点は、子供たちの体温が異常に低くなり、全員が喉の渇きを訴えるということにあった。

 原因は不明。なぜこの症状を訴えるのか、誰にもわからない。その症状があること以外、普通の子供と変わらない様子なのが、今は逆に不気味だった。

 子供たちの家族も、心配そうな表情を浮かべ、しきりに我が子の体を撫でさすっているのが見える。子供達自身は平気そうだが、体温が低いことが気になっているのだろう。漠然とした不安感に襲われながら、慧音はぽつりと呟いた。

 

「ギンコ……早く来てくれ」

「慧音!」

 

 祈るような響きに応えるように、教室の扉が開かれる。慧音が顔を上げると、そこにはギンコを連れた藤原妹紅が立っていた。つかつかと教室に足を踏み入れる二人に、慧音が声を上げる。

 

「ギンコ! ……とそちらは?」

「ちょっと事情があってな。気にしないでくれ」

 

 失礼します、と若干腰を低くしてギンコの後ろからおずおず教室に入ってきたのは村紗水蜜だ。彼女はギンコの考えがあって、ここに同行していた。さっさと入りなさいよ、と村紗の尻を蹴り上げて後に続いてきたのは博麗霊夢で、彼女は言ってしまえばおまけのようなものだった。

 慧音の言葉にギンコが手短に答えた。

 

「それより待たせたな。妹紅から大体のことは聞いている。子供達の様子はどうだ?」

「わからない……本人達は元気そうなんだが」

 

 ギンコは教室に入るなり、慧音のそばにいた子供のそばにしゃがみこんで、額に手を当てた。

 冷たい。まるで日陰に放置した水瓶にでも触れているような温度だ。ギンコは同じく子供の傍にいた慧音に聞いた。

 

「この症状が出るようになったのはいつだ」

「ついさっきだ。外で遊んでいた子供達が、帰ってくるなり体に体温が戻らなくなって……」

「なるほどな……」

「これだけで何かわかるのか?」

 

 しゃがみこんだギンコの隣に立ち、妹紅が聞いてくる。妹紅の顔を見上げながら、ギンコが答えた。

 

「症状だけを見るのなら、これは海巳、という蟲の仕業だ」

「うなみ?」

「ああ。そして、非常に稀な現象でもある」

 

 ギンコが滔々と語り出す。教室にいる、子供達とその家族を含めた全員が、ギンコの言葉に耳を傾けていた。

 

「海巳とは、雨降らしという蟲と雨蠱という蟲が同化した姿だ」

 

 雨降らしと、うこ? と慧音が呟く。

 

「雨降らしとは、普段は空気中を漂う細かな水滴の一群のような姿をとり、空中で水を集めては雨となって落ちてきて、そしてまた地上で蒸発し、雨となって降るということを繰り返す雨のような蟲だ。生きているということ以外は、雨となんら変わらない。俺たち蟲師はナガレモノ、とそう呼んでいる」

「うこ、っていうのは?」

「雨蠱とは、肉眼では捉えられないほど小さな蟲だ。雨に紛れて川に流れ込み、やがて海へと到達するとそこで子を成し、また水蒸気に紛れて山河に降り注ぐということを繰り返して生きている。溺れて仮死状態になった人間には、稀に寄生することもある。こいつに寄生されると、体温が低くなり、異様に喉の渇きを訴えるようになる」

「子供達の症状とまるっきり一緒じゃないか。でも子供達は溺れたことなんてないし、仮死状態になったりもしていないぞ」

「そうだな。生きている人間には、雨蠱は寄生することはない。だがその前提を覆すのが、海巳、という蟲であり、現象だ」

 

 ギンコの語りが薄暗い室内に溶けていく。異様な知識。認められるはずもない、現実離れした響き。しかしこの場にいる誰もが、それを疑わず飲み込んでいく。それはギンコのなせることなのか、あるいは誰もが無意識に、蟲を識っているからなのか。

 

「海巳とは、雨降らしが雨蠱と共生している一形態だ。ナガレモノである雨降らしが雨蠱に取り憑き、雨蠱が雨降らしに寄生しているという状態を指す。見た目は、見ての通り雨そのものだ」

「じゃあ外に降ってる雨ってのは……」

「海巳、ということになるだろう。この状態になった蟲は、生き物に寄生しやすくなり、寄生すれば雨蠱の症状が出るようになる」

 

 しかし一つ、わからないことがある、とギンコ思っていた。それは海巳が発生する環境が、この人里には揃っていないことである。

 海巳という現象が起きるのは、雨蠱と雨降らしが合流しやすい海上、または海沿いの陸地である。幻想郷の人里のような、山や森に囲まれた内陸の土地には起きない現象であるはずなのだ。

 

「対処法はあるのか?」

 

 慧音がギンコにそう聞いてくる。実はギンコも、それについて少し悩んでいた。前提がありきの現象ならば、解決することができる。しかし今回は、その前提がない。それはつまり、既存の対処法が使えないことを示していた。

 ギンコは自分が知る限りの、海巳の対処法を口にした。

 

「……対処法は、患者を海に入らせることだ。そうすれば、寄生した海巳は海に溶け、体から抜け出る」

「え……」

 

 ギンコが語る対処法が実現できないことは、この場にいる誰もが理解していた。だからこそ、誰もが口をつぐみ、視線を下に向けた。

 幻想郷には海がない。海がない土地では、当然ギンコの言う対処法は意味をなさなかった。

 本来ならば、なんら不都合のない対処法。起きる場所も、解決する場所も、すべては海を中心にしていたはずなのだ。

 

「じゃ、じゃあどうすればいいんだ?」

「……考えはある」

 

 慧音の言葉に、しかしギンコは答える。この対処法は使えない。海がない幻想郷では起きるはずもなかった現象が起きていることで、この話を聞いた瞬間はギンコも困惑した。

 しかしギンコは、そこではたと気がついた。

 起きるはずのないこと。三途の河に降る雨。幽霊に取り憑いたナガレモノ。海にしか降らない雨が降る。それらはすべて、起きるはずのないことだ。歪なつながり。前提が崩れ、曖昧になったモノが重なった結果だけが、現世に現れている。ならばその曖昧さを利用して、なんとか解消できないのか。

 そして村紗の言葉である「雨が降る三途の河に行った時から雨がついてくるようになった」ということを信じるならば、うまくいくはずであると、ギンコは予想していた。

 

「村紗。ちょっと来てくれ」

「私?」

「妹紅。一つ、水盤を用意してくれないか」

「お、おう。わかった」

 

 そうしてギンコの指示により、水の張られた木桶が用意された。患者となった子供たちと村紗がその桶を囲んで対面し、これからどうすればいいのかと次なる指示を待っている。

 

「これからどうするんだ?」

 

 慧音が言う。まあ見ていてくれ、とギンコが答えた。

 

「一人ひとり、俺がいいというまでこの水に両手を浸けてくれ。村紗も一緒にな」

「私も一緒に? こうかな」

 

 ギンコの指示で、患者の子供一人と村紗は同じ水桶に両手を浸した。そうしていると、次第に子供の方はもじもじと落ち着かない様子を見せ始める。

 

「なんかぱちぱちするよ」

「我慢してくれ。今、蟲が抜けているんだ」

 

 そうしてしばらく。教室には沈黙が流れ、子供達の両親も、固唾を呑んで見守る。そんな中、少々目に悪い光景が桶の中に現れた。

 

「ひっ」

「まだだ! 手を上げるな!」

 

 怯える村紗の肩を掴み、ギンコが声を張る。村紗だけではなく、子供達や周囲の人間も短い悲鳴をあげていた。

 ずるり、と細長い糸状のそれが、子供の指の先から抜け出してくる。水の碧を濃縮したような色合いの蛇とでも言おうか。うねうねと水の中をのたうち回るように蠢くそれを見て、ギンコは子供に手を上げるように指示を出した。

 ギンコが思いついた対処法。それは村紗の特性を利用したものであった。

 村紗の話を聞けば、彼女は雨降らしや雨蠱に取り憑かれたり寄生されるような行動をなに一つ起こしていないことがわかった。そして寄生された時の症状、喉が渇いたり、体温が下がる等も訴えてはいない。

 ならば何故、彼女には雨がついてくるのか。答えは一つ。彼女は海巳を寄せる性質なのだ。そう考えれば、海沿いでしか発生しない海巳が人里で発生した理由も納得がいく。彼女を中心に、雨降らしと雨蠱が集まり、海巳となって幻想郷に降り注いでいたのだ。

 海巳を寄せる性質があると分かれば、後は同じ水の中に体の一部を浸せば、村紗に引き寄せられて海巳が出てくるかもしれないと、ギンコは予想した。結果は見ての通り。海巳はギンコの予想通り、子供達の体内から這い出してきた。

 子供の手を拭きながら、両親の顔に安堵の表情が浮かぶ。体温が戻った。これで子供達は大丈夫だろう。

 

「あの……まだですか」

 

 うねうねとのたうつ碧い蛇のいる水桶に手を浸けながら、村紗は若干の涙声でギンコを見上げた。しかしギンコはそんな村紗に、残念そうに、しかし冷徹に言葉をかけた。

 

「治療が終わるまでそのままだ。悪いな。なに、お前さんなら危険はないさ。辛抱してくれ」

「うえぇ……」

 

 子供たち全員の治療が終わり、桶の中が細い蛇でいっぱいになる頃には、村紗は命蓮寺の修行僧らしく、どこか悟りを開いたような表情になっていた。

 

 

 

 教室の隅でいじいじと落ち込む村紗を尻目に、ギンコは桶の中を覗き込んだ。

 うねうねと蠢く海巳が桶の中で彷徨っている。細長い糸状だった無数のそれは、今は一本に寄り合って、鰻のような見た目になっていた。

 

「これが海巳か。なんだか鰻みたいだな」

「捌けば食べられそうね。蒲焼なんて最高かも」

「おい、触るなよ」

 

 桶の中に手を伸ばそうとしていた妹紅と霊夢を、ギンコの言葉が制した。体外に出たとはいえ、海巳が持つ触れれば取り憑くという性質は変わらない。ギンコの言葉に、二人もピタリと手を止め、忠告に従った。

 

「で、ギンコさん。これで里の方は一件落着?」

「そうだな。後は雨に当たらないように気をつけていれば問題ないだろう」

「じゃあ今度はこっちの問題ね……」

 

 霊夢が視線を村紗の背中に向ける。そうだ。まだ村紗が雨を降らせているという問題は解決したわけじゃない。しかしそちらにしても、これ以上どうしたものかと手詰まりな状態であった。

 

「そういえば霊夢。お前さんたちの目的は結局何なんだ?」

「目的? そんなもの、異変の解決に決まってるでしょ」

 

 そう言って霊夢は胸を張った。

 楽園の巫女が活動する理由、それは異変の解決に他ならない。そして今回、その異変というのは、三途の河に降る雨という異変だった。

 

「三途の河に降る雨を止ませるのが目的じゃないのか?」

「そうよ」

「ならお前さんの目的は達成されたということになりゃせんのか。向こうの天気は元に戻っているんだろう?」

「あーそうかもしれないわね。けど、乗り掛かった船ってやつよ。原因がわかってるなら、再発防止は当たり前でしょ? ああでも」

「ん?」

「紫は今回積極的だったし、何か考えがあったのかもね。よくわからないけど」

「そういや『治らなきゃ困る』とか言っていたな」

「そうね。でもまあ、私も外に出られないなんてまっぴらだから、やっぱりそこの子には海巳とやらを寄せないようにしてもらわないと」

 

 桶を覗き込む体制から、霊夢は立ち上がり、部屋の隅にいる村紗の近くに寄った。どこからともなく取り出した幣の柄でぐいぐいと頬をこねまわし「いつまで落ち込んでんのよ」と囁いている。「蛇がぁー……」というつぶやきは聞こえなかったことにしよう、とギンコは思った。

 そんな様子を見ながら、ギンコはこれまでのことを整理するように思考を巡らせた。

 舟幽霊、村紗水蜜。彼女は海巳を寄せる体質である。雨がついてくるという事実に、雨蠱にとり憑かれたような症状もない点から、彼女は取り憑かれているのではなく、蟲を寄せていると解釈できる。

 そしてその海巳が最初に発生した地点は、村紗の「三途の河に行った時から雨がついてくるようになった」との言葉を信じれば、三途の河ということになる。

 

「原因調査は必要か……」

 

 その後の対応を慧音と妹紅に任せて、ギンコは三途の河の調査に乗り出した。

















皆様お久しぶりです。更新が遅れてしまって申し訳ない。全ては作者の至らぬところです。本当に申し訳ない。

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