三途の河でおきている長雨の異変を見過ごしつつ、日々の業務に勤しむ小町を、四季映姫が呼び止めた。
幻想奇譚東方蟲師、始まります。
子供の霊を彼岸に送り届け、いつもの通り此岸へと戻ろうとする小町を引き止めたのは、彼女の直属の上司であり、閻魔の四季映姫だった。是非曲直庁の内部、四季映姫の部屋へと続く廊下を歩きながら、小町は映姫に尋ねた。
「ねえ、映姫様。私に用事ってなんです? もしかして最近降っている雨のことについてですか?」
「黙ってついてきなさい。話は執務室でしますから」
映姫は少し不機嫌だった。先ほどまで小町の越権的独断について説教をしていたのだから無理もない。小町もそれは理解しているようで、黙っていろと言われれば、大人しく黙り込んだ。
しかし映姫様直々にお呼びがかかるなんてどんな用事なのだろうか、と小町は考えを巡らせた。普段なら書記官あたりに呼び出させるのが通例である。小町はその辺りが少し気になった。
やがて二人は応接室にたどり着く。来客があった時の部屋になんの用事だろうか? 小町がそう思っていると、映姫が扉を開け、中に入った。その後ろに続くように、小町が「失礼します」と言って部屋へと足を踏み入れた。部屋に入るなり、映姫が口を開く。
「お待たせして申し訳ありません。何しろ人員不足なもので」
「いえ、構いませんわ」
部屋には先客がいた。いや、先客というよりは来客か。映姫が口にした謝罪に、その人物は目を閉じて静かに対応した。
部屋の中央には足の短いテーブルがあり、部屋の入り口を挟むように、テーブルの長辺に沿って二つのソファーが並んでいる。その人物はすでに出されている湯飲みをすすりながら、入り口から見て右側のソファーに腰掛けていた。
金色の髪を流し、白い手袋をはめ、紫の装束に身を包む妖しい雰囲気の女性。小町にとっても面識がないわけではない。同じく幻想郷に携わるものとして、彼女はあまりにも有名な存在だった。
幻想郷の管理人。神出鬼没の大妖怪。八雲紫がそこにいた。
幻想郷の管理人がこんなところまで何の用だろう、と小町は考えた。そしてすぐに、因果関係は理解できないにしろ、話題の方向性だけは見抜くことができた。恐らくは、最近三途の河に起きている異変。長雨のことについて、彼女はここを訪ねてきたのだろう。
映姫が紫の対面に座り込む。小町が来る前に始まっていた対談が、再開された。
「あなたが、死神の小野塚小町さん、ですわね」
「え? ああ、はい。そうですが……」
いきなり話を振られたのは小町だった。確認を取るように名を聞かれ、小町はとっさに返事をする。それだけ聞くと満足したのか、紫は映姫に向き直った。
「ではこの者を同行させることを条件に、調査を行ってもよろしいということですわね?」
「ええ、そういうことになります……小町」
「あ、はい。なんでしょう」
入り口正面に立っている小町に対して、映姫が話しかける。
「あなたにはここにいる八雲紫さんの監督のもと、最近起きている川の長雨についての調査を行ってもらいます。いいですね?」
「おおう、急な話ですね」
小町は若干面食らって、苦笑した。だがすぐに表情を正すと、わかりました、と二つ返事で頷いた。その勤勉な態度には、先ほど独断で映姫を怒らせてしまった負い目もあったというのは、表面には出さなかった。
しかしそれでも、自分のする仕事に疑問は生まれるようで、小町は映姫に少しばかりの質問を投げかけた。
「でも映姫様。調査っていうのは最近の長雨のことについてでしょう? なんで外部の妖怪の力を借りるんです?」
小町の疑問ももっともだった。ここは彼岸。妖怪も人も、平等に侵入を許さない死者たちの園。何事にも領分というものがあり、いくらこちらが人手不足であろうとそれを侵し、侵されることは望ましくないことは明らかだった。
「その辺りも含めて、私から説明いたしますわ」
小町の疑問に答えたのは紫だった。湯飲みをテーブルの上に置き、口を開く。
「今回の長雨事変ですが、私が知るところによれば幻想郷から到る道程でだけ、現象が起きています」
「え? そうなんですか? 映姫様」
「ええ事実です。報告にも上がっていますので」
映姫は小町の言葉に頷いた。紫はそんな様子を見て、口元にだけ笑みを浮かべた。
「三途の河に降る雨という異変。幻想郷へと通ずる道だけに起きる異変。楽園の巫女が出動するのに、これ以上の理由は必要ないでしょう?」
「ああ、それでうちに許可を求めに来たわけですか。じゃあ私の任務は調査の同行と……」
「監視、といったところでしょうか。ふふ、察しの良い方は嫌いじゃありませんわ」
紫は口元に手をやる。要は人間が此岸をうろつくための筋を、この妖怪は通しに来たのだ。納得した小町は、なるほど、とつぶやいた。
「異変の原因について、見当はついているんですか?」
「いいえ。全く。でもそれは、そちらも同じなのではなくて?」
笑みを崩さずに言う紫は目線だけで小町を誘導する。小町はその目線に従い、映姫を見た。
「その通りです。異変の原因は全く掴めていません。正直、彼岸や此岸に打ち上がったものを処理するので手一杯です」
私の部下は、多くありませんからね、と映姫はため息をついた。
「他の担当官にも協力を要請しましたが、色よい返事はもらえていません。正直、原因の調査に楽園の巫女が動いてくれるのでしたら、私としても好都合なのですが、そこはお役所仕事。自分の担当区域において、人間を好き勝手にさせていると知れれば、他所から小言を言われるのが目に見えていますからね」
組織というものは、規則に縛られることによって集団を秩序の手綱で導くことができるが、ゆえに個人の意思でその方向性を操作することに難がある。
「それで私を呼んだと。なるほど、話が見えてきましたよ」
「紫さんには申し訳ありませんが、こちらの都合ということで、どうぞ一つ、よろしくお願い致します」
「無論、ですわ。ですが一つ条件を。よろしいかしら」
そう言って紫は人差し指を立てた。なんでしょう、と映姫が応じる。
「原因究明の際には、その後の処理をこちらに一任していただきたく存じます」
「……それはつまり、この事態になんらかの悪意が絡んでいた場合でも、ということですね?」
「お話が早くて助かりますわ。約束、していただけます?」
「……」
映姫は考える。今回の事態になんらかの悪意が絡んでいた場合とは長雨を降らせる犯人がいたという場合。その後の対応を一任するということは、異変に対しての責任を持たぬ代わりに、今後一切の口出しをしないということ。映姫としては問題ないのだが、組織としては問題のある行為である。
映姫は考える。そして少しした後、口を開いた。
「……構いません。事後の処理を一任いたします」
「ふふ、ありがとうございます」
紫はテーブルの上の湯呑みを手に取り、すっかり冷えたそれを飲み干す。
「ではお話はここまで。先に此岸でお待ちしておりますわ」
「ええ。よろしくお願い致します」
言うや否や、八雲紫は自身の能力で生み出したスキマへと消え去った。誰もいなくなったその席を見て、小町が映姫に問いかける。
「よかったんですか?」
「なにがです?」
「この案件を任せちゃって。実害を被ったのは私たちなのに」
「いいのですよ。どうせ異変の原因が生者であるのなら、私たちに裁きは下せません。せいぜいが注意喚起。妖怪にしても同様です。ならばいっそ、責任の所在を八雲に押し付けてしまった方が都合がいい。原因がわからなかった場合の話ですが」
「ですがそれをわざわざ確認したってことは、十中八九原因がどこにあるのかわかってるってことですよね? なのに……」
「ええ。だからさっきの、異変の原因に心当たりがないというのは彼女のでまかせでしょう。または、確信がないからそう言ったのか……とにかく、あなたは自分の仕事をしてくれればそれでいいです」
さあ、仕事に戻りますよ。と映姫は立ち上がった。
小町が此岸に渡れば、そこにはすでに紅白の巫女服を着た少女がいた。楽園の巫女と幻想郷の管理人が小町の方を見ている。小町は岸に舟をあげ、二人のそばに近寄った。
空は相変わらずの雨模様。霊夢はいつか小町が持っていたのと同じような番傘を持ち、雨を避けていた。
「久しぶりね。小町」
「おう。春の異変以来だね。今日はよろしく」
「よろしく」
気さくに挨拶を交わす二人には面識があった。それは幻想郷のいつかの春に、四季折々の草花が一斉に開花するという異変を経験したからなのだが、それはまた別のお話。
「それで? 小町には異変の心当たりはないの?」
腕を組み、そう聞いてくる霊夢に、小町は嘆息して肩をすくめた。
「あったらこんな風に手をこまねいているかね。ないよ」
「それもそうね。紫は?」
「残念ながら、ないわ」
「手がかりゼロで探すのね……また面倒な」
傘を持たぬ手で、霊夢は額を押さえた。すでに八方塞がり。三人は等しく頭を抱えた。
「とにかく、此岸を回ってみましょう。もしかしたら異変の原因が昼寝してるかもしれませんわ」
「んな都合のいいことあるわけないじゃない」
「まったくだよ。私じゃあるまいし」
「そう? 案外あっさりと見つかるかもしれませんわよ」
紫が艶っぽく笑い、三人は空に飛び上がった。此岸を一通り見て回る。最初の調査は、足を使ったものになった。
そして数刻の後。紫の発言を鼻で笑った二人は、その行為を反省することになる。
「……」
「……」
「いましたわね」
此岸の片隅。苔むした岸辺の上で大の字になって眠る一人の妖怪。その姿に、霊夢は見覚えがあった。
水難事故の象徴であり、最近幻想郷にやってきた舟幽霊。小町も、思えば三途の河で水難事故を起こすといえばこいつしかいないと、後になって思った。
「とりあえず捕まえますか」
「そうね」
「ふふ、私の勘も馬鹿にはできないですわね」
こうしてあっさりと、異変の原因らしき妖怪を、三人は確保したのだった。
人里から少し離れた街道沿いに、大量の道祖神に囲まれた寺院がある。最近になってできたそこは、人と妖怪を平等に扱いつつも、多く妖怪を迎え入れることから、妖怪寺と呼ばれていた。
差し込む日の光が障子紙を通り抜け、柔らかなまどろみがまとわりつく早朝に、住職の聖白蓮は目を覚ました。ゆったりとした動作で布団を引き剥がし、寝ぼけ眼をこすりつつも布団をたたんでいく。寝衣を着替え、障子を開け放ち、空を見上げた。
「……いい天気」
そう言って白蓮は、一つあくびをした。腕を振り上げて背を伸ばし、ぺちり、と頬を叩いた。
縁側を歩いて、台所に向かう。今日の炊事当番は誰だったかしら。そんなことを考えながら、居間を通り抜け、台所に立つ人物に話しかけた。
「おはよう、一輪」
「おはようございます、聖」
台所に立っていたのは、雲居一輪という尼僧だった。髪を隠す紺色の頭巾をかぶり、前掛けをする彼女は、釜に鍋をかけ、味噌汁を作っているようだった。木製のお玉で汁をかき混ぜ、くつくつと火を通している。
後ろから聞こえた挨拶に、一輪は手を止め、白蓮を振り返った。
「もうすぐでできますよ。顔を洗ってきたらいかがです?」
「そうするわ」
「眠そうですね」
「ええ。昨日は……夜更かししたから眠くって」
白蓮は言葉に重ねるようにあくびをした。
「起きてきたのは私一人?」
「響子はもう起きていますよ。境内の掃除をしています。ナズーリンももう起きていると思いますが……多分星の方が起きないんじゃないかと」
「いつも通りね」
白蓮は苦笑した。そういえば、と一輪が言う。
「お客人もまだ起きていないようですが、起こしたほうがいいんでしょうか?」
「うーん」
白蓮は腕を抱え、顎に手を当てて少し考えた。
「自然に起きるまで放っておきましょう。話を聞けば、ずっと旅をしてきているそうですし。布団で寝起きできるときぐらい、甘い夢を見てもバチは当たらないでしょう」
「わかりました」
白蓮の甘い判断を、一輪も了承した。そのとき、ひじりさまー、ひじりさまー! と遠くから白蓮を呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら境内の方で響子が呼んでいるらしい。
「あら、どうしたのかしら」
「どうしたんでしょうね」
はーい、と聞こえぬであろう返事をして、白蓮は境内に向かった。
更新が遅れて申し訳ありません。文章が思い浮かばぬスランプに陥ってしまったようで、1日1000文字前後描くのがやっとという状況ということをご報告いたします。ゆったりと更新していきますので、展開が遅くなってしまうのは勘弁してください。よろしくお願い致します。