幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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皆様お久しぶりです。柊弥生です。
本日より不定期ではありますが、連載を再開します。
多くは語りません。どうぞ心行くまで、東方蟲師の世界をお楽しみください。それでは。






幻想奇譚東方蟲師、始まります。









第六章 雨のたつ巳
第六章 雨のたつ巳 壱


 幻想郷のとある一角。此岸(しがん)と彼岸を分ける場所。三途の河と呼ばれるそこには、陰気な雨が降っていた。

 此岸のほとりには苔むした岩が突き出し、薄く深く、濃淡のある霧があたりに立ちこめている。この霧のせいで、彼岸までを見通すことができない。もっとも、それ以外の理由も多分にあるのだが。

 とにかく、霧が一層ひどくなり、雨まで降っているのが今の三途の河の現状だった。

 風のない雨。しとしとじわじわと、綿から染み出すような、霧雨と五月雨の中間をいくような、不可解な雨。三途の河に霧がかかっているのは平常運転だ。問題はこの雨のほうで、普段ならば三途の河に、雨など降らない。これははっきり言って、異変であった。

 

「嫌な天気だねえ」

 

 職務の象徴たる大鎌を赤い番傘に持ち替え、雨をしのいでいた死神の小野塚 小町(おのつか こまち)は呟いた。

 彼女は此岸から彼岸までの渡し守りをしている死神だ。たとえ雨が降ろうと、槍が降ろうと、小町の業務は変わらない。今日も彼岸を目指す幽霊たちから渡賃を受け取り、舟を漕いで川を行く。そうしなければならない立場だった。

 そうして変わらず歯車の如き働きを期待されている小町の元には、やはり幽霊がやってくる。小町は腰掛けるのにちょうどいい岩に座り込み、大げさにため息をついて見せた。

 

「はぁ〜。こんな陰気な空模様だと、やる気も気力も削がれるってもんさね。ましてや相手をするのは陰気の塊みたいな幽霊ばかり。お姉さんはもう少し華のある職務を希望するよ」

「陰気ですみませんね。死神さんは転職を希望してるんですか?」

「絶望しているだけさ。通らない希望なんて、絶たれた望み以外の何物でもないだろう?」

 

 幽霊は小町の言い分に、なるほど、と手を打った。

 幽霊はまだ十ほどもいかない子供だった。幽霊であるということを差し引いても病的な白さを持つ腕は、力をかければすぐに折れてしまいそうなくらい華奢で、肩幅も小さくなで肩のくせに、背丈だけはひょろりと長い、全体的に不健康そうな若者だった。

 

「お前具合悪そうだな。大丈夫か?」

「ご心配なく。生前は病に冒されていましたが、死後にその苦しみはありません。健康な幽霊ですよ」

「明るいけど陰気なやつだなぁ。空模様と一緒に、拍車をかけてくるんじゃないよまったく」 

「そんなこと言われましても。次は僕の番でしたので」

 

 幽霊は小町の理不尽なまでの小言に苦笑いで応えた。自分が陰気だということは理解しているらしい。そういうところは明るいなあ、と小町は言った。

 幽霊は首から下げた頭陀袋の中から全財産を取り出して、小町へと差し出した。

 

「渡し守りの死神さんですよね? 彼岸までお願いします」

「まあまあそう急くんでないよ。私はついさっきも彼岸まで渡してきて疲れてるんだ。ちょっと休憩」

「はあ」

 

 小町は膝頭に頬杖をついて、差し出された渡賃を無視した。幽霊は仕方なく、その手を引っ込める。ちゃり、と小銭が擦れる音がした。

 

「お前さんも座ったらどうだい。濡れもしないだろうし、その辺の苔を座布団にしてさ」

「別にこのままでもいいですけど。生前は寝たきりだったので、立っていられるってのも新鮮なんです」

「そうかい」

 

 しとしとと雨が降りしきる中で、幽霊は立ち尽くす。彼らに肉体はない。雨粒も、よく見れば彼らの体を通り抜けているようで、着込んだ白装束も濡れている様子はなかった。

 死んでから肉体的な自由を手に入れるなんて、文字通り皮肉な話にもなりはしない。だからなのか幽霊は、話題を変えるように空を見上げた。

 

「しかし、三途の河にも雨が降るんですね」

「普通は降らないんだよ。なんで降ってるのか、私にもわからない」

 

 え? そうなんですか? と幽霊は小町の言葉に疑問符を浮かべる。

 

「三途の河に天候の変化はないんだ。それは冥界やら天界が一部重なっているせいでもあるんだけど、何より境界として存在するここに、変化は訪れないのが常識ってもんさ」

 

 小町は番傘の柄で、苔むした地面に一本の線を引く。土がえぐれて、半円柱状のくぼみが、畝のように掘り込まれる。小町はその線を見て言った。

 

「線は線。それ以上でもそれ以下でもない。曲がったり、途切れたりはするけれど、何かを流転させる舞台にしては、器が小さすぎる。変化は必ず、線の内か外かで起こるもんさ」

「はあ、なるほど」

 

 いまいちピンときていない幽霊は、曖昧な相槌を打った。

 小町が引いた線の底に、雨水がたまっていく。それは今の三途の河を表しているようだった。

 

「でも雨は降っている。それがどこに行くのかは知らないけれど、今、三途の河の底に溜まっていることは確かだね」

「川底に水が溜まっているんですか? なんか奇妙な言い方ですね」

「三途の河の水はただの水じゃない。水に見えるけれど、これらは全部、境界としての川っていう概念みたいなもんだからね。本当の水は、ここには一滴もない。じゃなきゃ、川幅が自由自在に変えられるもんかね」

 

 でも、と小町は前置きして、少し空を見上げた。

 

「この雨は違う。普通の雨とも言い難いけど、それでもこれは、水だ。物体の域を出ないものなら、三途の河には浮かばない。だからきっと、雨は川底に溜まってる」

「何か良くないことが起きるんでしょうか?」

「私の知ることじゃないよ。こういう異変らしい異変は、お上に任せるのが末端の仕事ってもんさ」

 

 さてと、と小町は立ち上がり、幽霊に向かって手を差し出した。

 

「休憩終わり。彼岸まで舟を出そう。駄賃は前払いだよ」

「やっとやる気になってくれましたか」

「今日のノルマ達成しないと映姫様にどやされるんだ。しょうがなくさ」

 

 幽霊は手に持っていた渡賃を小町に差し出した。小町の手には、しっかりと六文の小銭が握られている。

 渡し守りに渡す運賃の額は、生前その人のために使われたお金の量で決まるという。善行を積み、誰かのために尽くしたものほど、その見返りとして恩義が募っていくのだ。まさに「情けは人の為ならず」のお金。それがきっちり揃っていると言うことは、この幽霊の徳の高さを示していた。

 

「ふむ。あんた若いのに孝行人だったんだね」

「え? そんなはずは。病気で床に伏せていただけなんですけれど」

「心の底から、世話焼いてくれる人のために感謝を祈ってただろ? それが良かったんじゃないかね」

「そういうものなんですか」

 

 そういうもんさ、と小町は持っていた番傘を幽霊に渡した。実は小町も、番傘を持たずとも雨に濡れたりはしない。気分で持っていただけに過ぎないのだ。

 幽霊は番傘を持って初めて思った。この死神は文句を言いながらも、この雨を楽しんでいるのではないかと。でなければわざわざ番傘をさして、雨粒がそれを叩く音を聞いたりなんかはしないだろう。

 立ち上がった小町の背は高く、少年の幽霊は彼女の顔を見上げる形になる。小町は川の岸に少しだけ乗り上げた和船に足をかけて言った。

 

「さあ早く乗り込みな。あんたの旅は短いよ」

 

 小町は歯を見せて笑い、朗らかな笑顔を幽霊に向けた。

 

 

 

 

 三途の河を、一隻の渡し舟が進んで行く。小野塚小町が船頭を務めるその舟には、痩身の少年の幽霊が番傘を持って座り込んでいた。

 ぎいぎい、と(かい)が川の水をかいて、放射状に波紋を置き去りにしていく。しかし不思議と水音は立たない。船の上は木の軋む音と、番傘を叩く小さな雨粒の音だけが、二人の間を支配していた。

 

「そういえばあんた、病気で臥せっていたって言ったけど、死んじまったのはその病気のせいなのかい?」

 

 手を休ませず、小町が聞く。櫂を使って舟を漕ぎ、死者の霊へと話しかける。

 舟の行く先を見ていた幽霊は番傘越しにちらり、と後ろを振り向いた。そしてまた、すいっと視線を前に戻した。

 目の前には霧がかかっている。濃いわけではないのに、不思議と前が見えない。雨も降っている。幽霊は、訥々と語り出した。

 

「よく憶えていませんが、雨が降っていたような気がします。その日は長雨が続いていて……それで、僕は、長雨のせいで、体調を崩したような……」

「ふうん。とどめの一押しってわけかい。肺炎でも起こしたのかね」

「かもしれませんね。もともと、体は強くありませんから」

「若いのにまあ、不運な生まれだったな」

 

 そうですね、と少年の幽霊は、素っ気なく肯定した。

 

「そういえば、これから僕はどうなるんですか?」

「あーそれは向こうに着いてから説明してくれるやつがいるけど、今聞きたいかい?」

「どうせ暇なので」

「あ、そう」

 

 そうさねえ、と小町は雨模様の空を見上げた。少年は番傘の向きを変え、そんな小町を見上げるように顔を上げた。

 

「まず、あんたはこれから閻魔様のところに行って天界か冥界か地獄か、審判を受ける。そのあとは転生まで、決められた場所でひたすら待つのさ。もっとも、地獄行きになれば輪廻転生の輪から外れて、永い時間、鬼どもの責め苦に耐えなきゃならんけどね」

 

 まああんたが地獄行きってことはないだろうよ、と小町は言った。

 

「審判っていうのはどんなものなんですか?」

「うーん。説教聞く流れ作業って感じかねえ。閻魔様はすべてお見通しだから、あんたの人生をまるっと見直して、問題がなけりゃ冥界行き、問題がありゃ地獄行き。んで百点満点のはずなのに、あれ? こいつ百二十点分生きてんな、ってなったら天界行きって具合かね」

「ふーん……」

 

 またも素っ気なく返す少年の言葉に、小町も手を止めたりはしない。ぎっこぎっこと漕ぎ続けて、小舟は彼岸を目指していく。

 そして彼岸へと至り、舟は半分ほど陸に乗り上げた。

 

「ほい到着。正面の階段をまっすぐ上がっていけば案内がいるから。頑張れよ」

「……転生するまで待つ。この体で」

 

 小町の言葉もそこそこに、少年は自分の体の調子を確かめていた。現世では肉体的なハンデが彼の知見を狭めていた。幽霊となった今、その制約は解き放たれ、彼は自分の霊体に感動していた。

 

「……冥界行きなら、やりたいことして、自由に過ごしゃいい。もちろん、天界行きなら万々歳だな」

「はい。ありがとうございました」

 

 少年は軽くなった自分の体を使って、長い階段を上っていった。

 さてと、これで仕事もひと段落した小町は背筋を伸ばし、息を詰めた。腕をぶらぶらと振り、疲労を逃がす体操をする。

 そんなこんなでゆったりと、自分の舟で此岸へと戻ろうとした。その時。

 彼岸の川沿いで何人かの死神が作業をしているのを見つけた。思わず声をかける。

 

「おーい、何してんだい」

「見てわからんかい。ゴミ拾いだよゴミ拾い」

「ゴミ拾い?」

 

 はて三途の河のほとりでゴミ拾いとは一体どんな隠語だろうか。小町は考えを巡らせる。

 

「骨でも拾ってんの?」

「当たらずとも遠からず。最近の雨のせいで、三途の河底に沈んでいたものが岸に打ち上げられるんだ。立派な船着場ってわけでもないけど、乗り上げた時に、舟に傷でもついたら面倒だしね。汚くなっちまう前に、暇なやつらで片付けろってさ」

 

 そう言いながらも手を休めないのは閻魔のそばで罪状を数えたり、地獄行きの手続きを担当したりする事務局員だ。拾ったものが入っている袋を覗いてみると、錆びた包丁やら桶やら傘やらと、なぜ沈んだのかわからないものが出てくる。

 そして極め付けは……。

 

「なんだありゃ」

「しらん。一説には、外の世界にある全自動洗濯板だとか」

「でかいゴミだなあ」

「浮かんでこないのをいいことに、誰かが不法投棄したんじゃないだろうな全く」

 

 回収作業に従事していた死神は、その白い筐体を蹴り上げて、その硬さに悶絶していた。

 つま先の鈍痛を耐え忍び、立ち上がった死神は小町を指差して言った。

 

「んで、小町? あんた暇そうだね」

「ご苦労様。じゃあ仕事に戻りまーす」

「あ。おいちょっと」

 

 厄介な仕事を手伝わされる前にこの場から立ち去ってしまえ、小町がさっと片手を上げて駆け出そうとした時、一人の声が小町の足を地面へと縫い付けた。

 

「小町、どこに行くのです?」

 

 びくり、と身をすくませるその音色は聞き紛うことなき、とある人物の声。小町は自分の視界の外から話しかけてきたその声に、ぎこちない動作で振り向いた。

 そこに立っていたのは身長こそ小町の胸元程度しかない少女だった。悔悟(かいご)の棒を携えて、罪を数える冥府の番人。四季 映姫(しき えいき)・ヤマザナドゥ。そんな彼女がそこにいた。

 映姫に見つめられ、足が動かなくなった小町は、ぎこちなく挨拶をする。

 

「おはようございます映姫様。こんな雨の中お外にいては、お体に障りますよ?」

「平気です。閻魔ですから。それより小町、あなたさっきの子供の霊、なぜ(さい)の河原に案内しないのですか。子供の霊は成人となるまであそこで過ごすと決まっているでしょう」

「あいやーそうでしたかねえ?」

「思い出すまでひっぱたいてあげましょうか?」

 

 目元に影を落として、黒い笑いを浮かべる映姫の手には悔悟の棒が握られている。罪の数に応じて霊を叩く棒。この場合は何回になるのだろうか。いやな計算を、小町の頭は拒んだ。

 賽の河原。親より先だって死亡した子供の霊がその親不孝の報いを受ける場である。正直地獄の中でもかなり古臭い施設だし、託児所みたいなところもあるから今回の少年の霊には不向きな場所だと、小町が独断で決めた。

 

「まったく……どうせまたあなたの気まぐれなんでしょうけど、規則は規則です。守られねばなりませんので、彼には判決ののち、賽の河原で過ごしてもらいます」

「えー、映姫様ひどーい」

「黙りなさい。そもそもあなたという人は渡し守りという仕事も自分の塩梅で裁量しすぎなんですよ。悔恨の幻聴で幽霊に改心を求めたり、恋人が来るまで待っていたいという幽霊を何日も匿ったりして。霊の振り分けはシステム化されてきていて、誰か一人でも列を乱すようなことをすれば、必ずどこかにしわ寄せが行くと、教えましたよね? それなのにあなたは懲りずに何度も……」

「あはは……」

 

 懲りずに何度も説教をする上司の言葉を聞き流し、小町は嵐が過ぎ去るのを待った。

 結局その嵐が過ぎ去るのは、それから約半刻ほど経ったときであった。





















 ちょっと遅筆になるかもしれませんとご報告。六章以外のネタもないし……。まあ生暖かい目で見守って下しあ。おねげえいたしやす。

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