幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 光脈の側で古明地こいしと出会ったギンコは、護衛に紅魔館の美鈴を加えて、地底への道を目指していた。






幻想奇譚東方蟲師、始まります。










第五章 恋し糸愛し夢 弐

 ここ通るのは二度目だな、とギンコはいつかの流行病の際、ここを通ったことを思い出していた。熱い湯が地下から湧き出す場所を目指して歩いた道。緩やかな傾斜と、右手に見える緑の大山が、ギンコの心象風景と重なる。見えた山も、いつか立ち入ったことのある山。妖怪の山。思えば幻想郷にきて、かなりの時間が経っているようだった。

 

「ギンコさんは疲れていませんか?」

「大丈夫だ。お気遣いどうも」

 

 いえいえ、と美鈴は答え、ギンコの前を行く。ここまで順調に歩を進めているギンコと美鈴は地底を目指して、妖怪の山の麓を歩いていた。

 地底とは、妖怪の山を離れた、つまりは今の幻想郷にうまく馴染めなかった者たちが旧地獄街という場所を根城に形成した地下領域の総称である。なぜギンコがそんなところを目指しているのかといえば、先日光脈の側で出会った古明地こいしという少女の様子を探るためであり、至極個人的な理由からであった。

 美鈴はそんなわけで地底を目指すギンコが一人なのは危険ということもあり、ギンコの護衛をするために同行していた。先の依頼、紅魔館給仕長の十六夜咲夜の蟲患いを治療したことで恩を受けていた紅魔館は、ギンコの目的を聞いて、美鈴を送り出してきた。

 美鈴の背中に、ギンコが話しかける。

 

「お前さんも災難だな。こんなところまで使わされちまって」

「いいえ、そうでもないんですよ」

 

 ギンコの言葉を、美鈴は否定した。大股で一歩踏み出して、肩越しにギンコの方を見る。

 

「あれから咲夜さんも元気になりましたし、あなたには返したい恩があります。これくらい安い仕事ですよ」

 

 私がここにいるのは、紅魔館に住むみんなの総意ですから、と自慢げに語る美鈴は嬉しそうだった。恩を返すと言われてギンコも嬉しくないはずはなく、そうかい、と静かに返した。

 

「そういえばお前さん、地底については知っているのか?」

「いえ、全然」

「……それなのにそんな自信満々に先を歩いてたのかよ」

「ああ、すみません。先、歩かれます?」

「歩くよ。お前さん、遠足気分なんじゃないだろうな」

「あいや、ばれましたか」

 

 てへへ、と美鈴は頭をかいた。聞けば美鈴は紅魔館が幻想郷に来てから門番という宿命か、あまり幻想郷の中を見て回る機会がなかったのだという。こういう機会は新鮮で、楽しいと彼女は語った。

 

「あ、護衛はちゃんとしますから、安心してくださいね」

「頼むぜ。本当に」

 

 無邪気に景色を見渡す美鈴を、今度は振り返りながら、ギンコは念を押した。もっとも、依頼料など払ってはおらず、美鈴の護衛は完全に有志の協力であるため、あまり大きなことを言えないのも事実であった。

 かくして美鈴との遠足をギンコは楽しむことになった。歩けばちゃんとついてくるとはいえ、美鈴はきょろきょろと辺りを見渡して忙しない。まるで子供のお守りをしているようだと、ギンコは思った。

 そうしてしばらく歩き、岩場が目立つようになってきたころ。薄い硫黄の匂いが漂ってきて、視界にもはっきりと湯気がかかるようになってきた。いつか浸かった温泉に着いたのだ。

 到着するやいなや、美鈴はギンコに先んじて鉱泉の側に近寄った。

 

「うわー! これって温泉ですよね! 入ってもいいですか?」

「おい、遠足じゃねえんだって」

「えー……」

 

 あからさまに残念な表情を浮かべる美鈴に、ギンコが折れる。

 

「……せめて足湯にしておけ。こんなところで素っ裸になられても、困るのはこっちなんだよ」

「やった! じゃあ休憩ですね!」

 

 ギンコさんも一緒に入りましょうよー、と道中も晒していたその足を、早速湯につけながら美鈴が言う。確かに休憩は欲しかったところだ。そして足湯となれば、ギンコにも断る理由はなかった。

 美鈴の隣に桐箱を下ろし、それを間に挟むようにギンコも座る。靴を脱ぎ、裾を膝まで捲り上げ、湯に足をつける。暖かい。ここまで歩いてきた疲労が、足から湯に溶けていくようだった。

 秋の口。いつかここに来た時は青々としていた妖怪の山も、衣替えを始めているのがちらほらと見える。岩場の目立つここには自然の喧騒も、人の気配も、生き物の息遣いも少ない。たまに動かした足が立てる水音だけが、鮮明に聞こえてくる。

 

「……いいですね」

「……ああ」

 

 幻想郷は自然が豊かだ。特に山が光脈筋になってからはそれが顕著になったような気がする。こうして生き物から離れた環境にいても、山を見れば、その大きな息遣いが肌に伝わってくるようだった。

 しばらくそうして、美鈴と時間を過ごす。ちょっとした休憩のつもりだったが、これがどうにも心地いい。自然と会話も弾んだ。

 

「ギンコさんは外の人ですよね? どうですか、こちらに来て」

「そうだな……戸惑うことは少なくなったが、まだ慣れないな」

 

 どこぞの新聞記者よりもらしい口調で、美鈴が質問を重ねた。

 

「こちらに来て大変だったことは?」

「蟲煙草が切れそうになって焦ったことと……これは今もだが、光酒が手に入らないことだな」

「こうき? ってなんですか」

 

 これだよ、と言ってギンコは桐箱の開けて、中から一つの小瓶を取り出した。美鈴が手渡されたそれの蓋を開けて中を覗くと、ほんのり光を帯びた酒が入っていた。

 

「なんか綺麗ですね」

「漠然としてんな。すげえもんなんだぜ、これ」

 

 美鈴の手から、小瓶を取り上げ、ギンコが少し振ってみせる。ちゃぷ、と水音がして、ギンコ大事そうに、それの蓋を閉めた。

 

「これはただの酒じゃない。だから入手経路も限られているんだが……これが湧き出すほど光脈が表出している土地を見つけることができない俺にとって、今一番の死活問題となっている」

「それは大変ですね。頑張って下さい」

「……どっかにワタリでもいねえもんかね」

 

 ギンコの切実なつぶやきに、美鈴はよくわからないといった様子で事態の深刻さをよく理解していないようだった。その気の無い返事に変わり、美鈴は突然背後を振り返った。

 しばらく沈黙が流れる。美鈴の視線の先にはただの岩があるばかり。ギンコが美鈴の意図を測りかねていると、美鈴は弾けるように立ち上がり、視線の先の岩へ飛び蹴りを放った。

 

「はぁ!」

 

 美鈴の裸足が岩にぶつかり、岩の方が木っ端みじんに砕け散る。どんな体をしているのか。ギンコが突然の行動に合わせてそう驚いていると、どこからともなく声が聞こえた。

 

『酒の匂いがする……』

 

 大気全体が震えるように全方位から響くその声は、声の主の姿を伴っていなかった。美鈴が辺りを見渡して、言う。

 

「気を散らすのがうまいですね……どこにいるのかわかりません」

「おい、いきなりどうしたってんだ」

 

 状況に少し置いてけぼりをくらったギンコは、美鈴にそう呼びかけた。

 

「気をつけてください。どこか近くに妖怪がいます」

『そう警戒しないでおくれ。今姿を見せる』

 

 美鈴の警戒心を受けて、素直な返答をした声はそう言った。途端に美鈴が蹴り砕いた岩の周囲に湯気が集まり、もやもやとした塊を作っていく。そしてその塊を霧散させて、まるで卵から孵るかのようにその妖怪は姿を現した。

 

「やあ、君は蟲師だね」

「……そうだが、そういうお前さんは」

 

 ギンコが慣れないというのはまさにこういう状況だった。予兆もなく、突拍子もなく事態が訪れ、それは大抵、自分にはどうすることもできないことであるということ。見守るほかない。なるべく無難な対応を、ギンコは心がけた。

 やっぱり蟲師か、と二つの大きな角を頭から生やし、橙の髪を下ろしている妖怪は蹴り砕かれて座りやすくなった岩の上で、ギンコを見てにっこりと笑った。

 

「蟲師ってことは光酒持ってるんだろう? ちょいと分けてくれんかね」

「生憎と、誰かにやれるほど蓄えてるわけじゃないんだ。他を当たってくれ」

「ありゃ? そうなのかい」

 

 残念そうにそう言った妖怪は手に提げていた瓢箪を傾けて、中に入っているものを飲んだ。喉を鳴らして中身を飲み干し、息を吹き込むように口を離し、瓢箪の中を覗いて、出した舌の上に残った水滴を垂らしていく。その様は酔っ払いを見ているようで、ギンコは妖怪の気まぐれな行動を見ていた。

 

「でもさ、あるんだろう? 光酒」

 

 瓢箪の中身が空になったことを若干惜しむような表情を見せた妖怪は、次の獲物を見定めるように、口の端を釣り上げてギンコに聞いた。

 そりゃあることはあるが……、とギンコは渋るようにつぶやく。こいつはなぜ光酒を求めるのか。そして何より、なぜ光酒の存在を知っているのか。じゃあこうしよう。妖怪が提案する。

 

「お兄さんは地底に行きたいんだろう?」

「ああ、だがなぜそれを?」

「それは瑣末なことさ。地底に行く具体的な道は知っているかい?」

 

 妖怪は問う。ギンコは地底への道がこの辺りにあるということは知っていたが、その具体的な道順は知らなかった。しらないだろう? 妖怪はギンコの事情を知っているようだった。

 

「知らないならこうだ。地底への道案内をしてやるから、その見返りとしてお兄さんのなけなしの光酒をいただくということで」

「なんでこっちがそんな一方的な約束しなきゃならん。光酒はやれんぞ」

「やれやれ、状況が飲み込めない人間だなぁ。そっちの妖怪に聞いてみれば? どうしたらいいってさ」

「……」

 

 岩の上に座る妖怪を見て、美鈴は静かに構えをとっていた。その表情は緊張している。どうしたのか、とギンコが尋ねれば、美鈴は視線だけは動かさずに、ギンコへ進言した。

 

「悪いことは言いません。あの妖怪がこう言っているうちに、約束してしまいましょう」

「なんだ? そんなに危険な相手なのか?」

 

 美鈴ははい、と答えた。

 ギンコの目の前に現れたのは伊吹萃香という鬼だった。鬼。幻想郷最強を論じれば必ずその名前が現れる、名実ともに妖怪らしい妖怪であり、美鈴はそのことを理解していた。

 鬼は約束を破らない。その気質も理解していた美鈴は、ギンコに約束をしてしまえ、と促す。

 この世界には少女の姿をした危険なものが多すぎやしないか、とギンコは幻想郷を呪った。美鈴の尋常じゃない態度を見て、ギンコは対応を変える。

 

「おい光酒を欲する妖怪さんよ」

「なんだい?」

「光酒はやってもいい。だが道案内の他に、もう一つ条件をつけたい」

「おう。光酒のためならもう一つくらいはいいだろう。なんだい?」

 

 ギンコは人差し指を立てて妖怪に申し付ける。

 

「道中の護衛を頼みたい。ここの妖怪と一緒に、俺の身を護ってくれ」

「そういうことならお安い御用だ。お兄さんの身を護る。約束しよう。その代わり……」

「ああ、光酒はやろう」

 

 ギンコはその妖怪と約束をした。これで身の安全は保障された。美鈴も肩の力を抜いたように弛緩していた。

 約束した妖怪が、岩の上から飛び降りてギンコへと近づいてくる。

 

「私は伊吹萃香。鬼だ」

「鬼……」

 

 そう自己紹介され、手が差し出される。鬼という知名度と、少女の雰囲気がどうも噛み合わなかった。差し出された手を、ギンコが握り返す。

 

「蟲師のギンコだ。ついでに聞くが、お前さんはなんで光酒が欲しいんだ?」

 

 興味本位で聞いてみた。すると萃香は先程飲みほして空になった瓢箪を掲げていった。

 

「最近酒虫の調子が悪くてね。光酒を飲ませれば元気になるかな、とね」

「酒虫? なんだそりゃ」

「この瓢箪の中に住んでる虫のことさ。鬼の国までわざわざ行って捕まえてきたんだけど、最近はあまりいいお酒を作らなくなってきたのさ」

 

 興味を示したギンコに、萃香は瓢箪について説明する。

 曰く、酒虫とは少量の水を大量の酒に変える鬼の一種であるらしい。まるで蟲のような存在であるな、とギンコは思った。

 

「また新しいのをつかまえなきゃならんのかと思ってたけど、近くに蟲師が通りがかったのは好都合だと思ってね。ほんのちょっと光酒を分けて欲しいと思ったんだ。この子には思い入れもあるし、まだ頑張って欲しくてね」

 

 瓢箪の中に住む生き物を慈しみ、鬼は表情をほころばせた。ギンコはその様子を見て、桐箱から小瓶を取り出して鬼に差し出した。

 

「あれ? いいのかい? 光酒は約束の報酬としてもらうつもりだったんだけど」

「生き物の命が懸かってんだろ? なら、前払いで構わんよ」

 

 そりゃありがたい、とギンコから小瓶を受け取り、萃香は瓢箪にその中身を注いでいった。

 黄金色に輝く光酒。それが瓢箪に吸い込まれていく。その妖しい光に、美鈴も興味津々といった様子で萃香の作業を見つめていた。

 やがて小瓶の半分ほどを瓢箪に移した萃香は、小瓶をギンコに返した。

 

「ありがとう。もう十分だと思うよ」

「おう。元気になるといいな」

 

 なってもらわないと困るねえ、と萃香はにこやかに笑った。

 

「しかしお兄さんもお人好しだねえ。脅されたんだよ?」

「約束しただろう。だから道案内、よろしく頼むぜ」

「ふふ、応。任された」

 

 鬼の萃香は胸を叩いた。ちゃぷ、と瓢箪が水音を立てた。





















萃香の酒虫の設定、ちゃんと公式で出てたんですね。最初蟲のせいにしてました。




それでは、また次回お会いしましょう。




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